「あ…!」
 「セーフティシャッターか…! 糞、こんなチキン仕様まで入れたのかよ!」

 コイツに挟まったら確実に死ねる、と思う速度で、隔壁の様なモノがいきなり
コックピットと外界を三重に隔離した。コックピットの中は操作卓(コンソール)
のモニターの9文字の*、アスタリスクが明滅する以外、光は存在しなかった。
 俺とヤマト2等兵の顔に、明滅する光は奇妙な陰影を作り出していた。

 「…緊急時に作動するシャッターだ。宇宙(ソラ)でハッチが破られたら、
  与圧してあるコックピットなら外界に吸い出されて終わりだ。そいつを
  防ぐために、最後発のストライクだけには装備してあるシロモノだ」
 
 どうしてそんなモノが、とヤマトが目で訴えて来る。…俺には少年趣味は全く無い。
だが、その道の奴や、年上お姉さま達にとっては酷くそそる表情だろう事は理解出来る。
 …精神が不安定になった女艦長に食われても知らんぞ? と、思わず唇に苦笑が漏れる。

 「他の機体とビーム兵器試験のDACT中に寸止めをとちった馬鹿なテスパイが、
  ストライクのハッチを吹き飛ばしたんだ。当時ストライクに乗っていたのは
  この、俺だった」

 ノーマルスーツで宇宙に放り出された時、恐怖よりも開放感を感じた。星空の中で
一人、己の心臓の鼓動だけを感じ、生を実感した。俺は生きている! 為すべき事が
ある限り、俺は不死身だ、殺されたって死ぬものか! と一人で笑っていたらデブリが
目の前に飛来し、それを蹴ってストライクに戻れたと言うオチ付きだ。クサナギ主任が
半泣きになっていたのをふと、思い出す。あれはストライクを壊されたからでは無く…

 「…コックピットの中に在った、データ撮りのための全ての機器が吸い出された。
  シートベルトで固定してあった筈の俺の身体さえも、な…。失敗から、人間は学べる」

 そうだ、セーフティシャッターを取り付けた時、ミオは…『私に都合の悪いあの時の
各種のデータの中で、一番たちの悪いのが残ったな? まるで神話の様だ』と。…神話。
 心細げなヤマト2等兵が、俺をまだ見上げている。…俺だってお前と心中は御免だぞ!

 「…ミオの日記に出て来たギリシア神話のパンドラってのは、神々が全ての悪や災いを
  詰めて地上に送った箱を開けた女だ。開けなければ、地上は平和で居られた筈だった」
 「…連合のMSを開発してしまった自分自身を…例えたんですね…その女の人は…」

 そうかも知れない。だが、そうで無いかも知れない。俺はヤマト2等兵に向かって不敵な
笑みを浮かべる。ハン、 こんな所でこの俺がくたばるものかよ! 足掻(あが)いて足掻いて
足掻いて、それでも駄目な事は無い! …俺は生きている。生きている限り、足掻いている
限り、この俺には負けは無いのだ。生きる事自体が戦闘なのだ。…それを忘れた奴から、
死はそいつをあの世へと運んで行くのだ。
 
 「…俺の生き死には俺自身が決める! 誰にも邪魔はさせん! 」
 「ゲーブル大尉!? 」

 …俺はキーボードにパスワードを打ち込み続けた。自分の信じた、たった9文字のコードを。


 「何だ?! おいヤザン! ヤザン! 」

 コックピットを見上げていたマードックは、ハッチの開いていた筈のコックピットが急に隔壁の様なもので
右、左、そして上の順に塞がれて行く様を目の当たりにした。さらにコックピットハッチが閉鎖されて行く。
閉鎖されると、ハッチの色が赤に、インテーク兼排気口とバーニアノズルの色が黄に染まる。

 「フェィズ…シフト装甲…だと? 」

 頭上の輝きに気を取られ、マードックはMSのフェイスが見える所まで後退した。MSのフェイスが見える。
金色に輝く両眼が、ブレードアンテナの黄と、『額』と『口』の赤の部分を除き濃紺一色に彩られたフェイスを
眩(まばゆ)く照らし出していた。

 「起動に成功したのか…? 」

 しかし、マードックの予想に反し、濃紺色の巨人は直立不動の姿勢を崩さなかった。一体コックピットで何が?
近寄ろうとしたマードックの前の床に、大きくクラック(ひび割れ)が走る。ついにヘリオポリスの崩壊が始まったのだ。

 「ヤザン、不味いぞ! もう、リミットだ! 聞こえてるのかヤザン! 」

 小刻みな震動が秘密工廠を崩壊に導くのには、さほど時間は懸からない。ふとマードックは天を仰いだ。建材や
パイプが垂れ下がり、今にも落ちそうに為っている。また、床が揺れた。マードックは天が崩れ行く瞬間を、絶望と
ともに実感した。上で死んでいたあの女の様に、自分は笑って死ねるだろうかと思いながら。


 「…ESPERANZA? 」

 ヤマト二等兵がコード入力を繰り返す俺の手元を覗き込み、次に俺を見上げる。俺は3回目のコード入力を
実行しながら応えてやる事にした。…少年が疑問を抱いたなら、応えてやるのが大人の義務と言うモノだろう。

 「スペイン語だ。意味は…望み…格好付けて言うなら『希望』だ。…パンドラの話には色々なパターンが有るが、
 最後に残るのは何時も『希望』だ。それをどう解釈するかは諸説紛々だが、俺の…」

 4回目の入力が終わる。まだ点滅は終わらない。俺はニヤリと笑う。…俺はこんな所でくたばる男じゃ無い。

 「…俺の好きなパターンでは、パンドラが開けてしまった箱を閉じたとき、箱から彼女に「出して下さい」と小さく
 呼びかける者がいた。その声に答え、彼女が再び箱を開けると、小さく光るモノが居た。名を問うと、『希望』だ
 と応えたのさ。そいつはパンドラに礼を言い、全ての悪徳や災いの後を追い駆けて行った…」

 ヤマト2等兵が脱力し、項垂(うなだ)れた。…何だその態度は! 俺が折角、親切に答えてやったと言うのに!

 「それとこの状況にどんな関係が有るって言うんですか! 貴方は! 」 
 「口の訊き方に気を付けろよ、キラ・ヤマト2等兵? 」
 「死ぬかも知れないって言うのに! 」

 俺はキーボードに手を走らせながら頭突きを喰らわせた。ゴチャゴチャギャアギャア言えば状況が変わるかよ!

 「ックッ…!? 」
 「軍人にとって諦めない事自体が美徳なんだよ、解るか? 小僧? 」

 鼻血を噴き出し怯むヤマトに、俺は右眉を上げて睨んでやる。5回目の入力で、俺はコンソールのモニターの*の
点滅に変化が訪れた事にようやく気が付いた。…5文字目までのアスタリスクが、点滅を止めていたのだ。残るは…
4回か! 俺はヤマトにモニターを指差してやる。ヤマトは鼻を右手で押さえながらモニターを見た。途端に背筋が
伸びる。…現金な奴だな? オイ? キラ・ヤマト! …ちぢんでたぞ? しっかりせい!

 「解ったら覚えて置け。最後に希望は必ず有る。どんな絶望的な状況でも、な? 今の寓話はそれを教えてくれる
 ものだ。…尤(もっと)も…」
 
 ヤマトが目で俺に続きを促した。白いシャツと黒い上着を、鼻血が汚して行く。やれやれ…アークエンジェルに新兵
用の軍装が有れば良いがな…? フン、そのマヌケ振りはフォトに残してやりたい位だぞ? キラ・ヤマト2等兵ヨォ!

 「…尤も?」
 「…希望こそが、一番の悪(ワル)なのだと言う解釈も可能だ。それが有る限り、人間はどんな時代でも、何時まで
 経っても堂々めぐりを諦めること無く繰り返している…。完全に絶望しないからな? そうだろう? キラ! 」

 ついに俺は最後に当たる九回目を入力し終えた。セイフティシャッターが上、向って右、左の逆順に解放されて行く。

 『…ヤザン・ゲーブル中尉…。貴方は希望を求める。だが、何のために? 』

 …コックピットハッチが、閉鎖されていた。俺の正面のモニターに、白衣を着た生前のミオの映像が映し出されていた。
切れ長の眼が、厳しく俺とヤマトを見据えていた。俺が乗る事は予想済みと言う事か、この女狐が! ミオに見蕩れて
いたヤマト2等兵が俺を振り返る。鼻血が止まってこびり付いたままだ。俺はニッコリ笑ってキーボードに手を触れた。
ある英単語が、ミオの映像に重なって行く。『SURVIVE』。その意味は…

 「そいつは決まり切った事だろう? 俺が…生き残るためだ!」 

 映像のミオが、大輪の華が咲いたが如く艶やかに微笑み、消えた。途端に秘密工廠の崩れ行く映像が映し出された。
外部センサーが一斉に周囲の状況を拾って行く。モニターの右隅にコジローの親爺さんが小さく映し出されている。

 『…だ! 聞こえてるのかヤザン! 』

 轟音の中、親爺さんの声を拾う聴音センサーの性能に驚く暇も無く、俺はこのMSに親爺さん目掛けて落ちて行く建材
を受け止めさせた。さあ、待たせたがもう用済みだ! ケッタクソ悪いヘリオポリスから、尻に帆かけて退散してやるぜ! 

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最終更新:2006年09月12日 22:53