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(原)ア 鉄の暴風について

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について

(原)ア 鉄の暴風について

(判決本文p204~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。


(ア)(取材方法について)*

  第4・5(2)ア(ア)aに記載したとおり,「鉄の暴風」は,軍の作戦上の動きをとらえることを目的とせず,あくまでも,住民の動き,非戦闘員の動きに重点を置いた戦記であり,戦後5年しか経過していない昭和25年に出版されたものである。

  第4・5(2)ア(ア)aのとおり,牧港篤三が記載した「五十年後のあとがき」によれば,体験者らの供述をもとに執筆されたこと,可及的に正確な資料を収集したことが窺われる上,戦後5年しか経過していない昭和25年に出版されたこともあり,集団自決の体験者の生々しい記憶に基づく取材ができたことも窺われる。

  同じく「鉄の暴風」の執筆者である太田良博は,沖縄タイムスに掲載された「沖縄戦に神話はない-「ある神話の背景」反論〈1〉」, 「同〈3〉」(甲B40の1)において,「鉄の暴風」の執筆に当たっては多くの体験者の供述を得たこと,「鉄の暴風」が証言集ではなく,沖縄戦の全容の概略を伝えようとしたため,証言者の名前を克明に記録するという方法をとらなかったことを記載している。


(イ)(初版の誤記)*

  控訴人らは,「鉄の暴風」の初版には,
「隊長梅澤のごときは,のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」
との記述があり,「鉄の暴風」の集団自決命令に係る記述は,風聞に基づくものが多く信頼性に乏しいと主張し,確かに初版(甲B6・41頁)にそのような記述があることが認められる(これは証拠(甲B6及び乙2)によれば,第10版で訂正されていることが認められる。)。

  しかしながら,戦後の混乱の中,体験者らの供述をもとに執筆されたという性質上,住民ではない控訴人梅澤のその後などについては不正確になったとしてもやむを得ない面があり,そのことから,直ちに「鉄の暴風」全般の信用性を否定することは相当でないものと思われる。


(ウ)(上陸日時の誤記)*


  控訴人らは,「鉄の暴風」について,米軍の渡嘉敷島への上陸を昭和20年3月26日午前6時ころとするが,「沖縄方面陸軍作戦」によれば正しくは同月27日午前9時8分から43分であって,米軍上陸という決定的に重大な事実が間違って記載されていると旨批判するところ,この批判は,第4・5(1)の認定事実に照らして,妥当するものと思われ,この点でも「鉄の暴風」の記述には,正確性を欠く部分があるといわなければならない。

  もっとも,「鉄の暴風」は,前記のとおり,軍の作戦上の動きをとらえることを目的とせず,あくまでも,住民の動き,非戦闘員の動きに重点を置いた戦記であるために生じた誤記であるとも考えられ,こうした誤記の存在が「鉄の暴風」それ自体の資料的価値,とりわけ戦時中の住民の動き,非戦闘員の動きに関する資料的価値は否定し得ないものと思われる。

  すなわち,「鉄の暴風」の控訴人梅澤が
「米軍上陸の前日,軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ,玉砕を命じた」
との記載,赤松大尉が
「こと,ここに至っては,全島民,皇国の万歳と,日本の必勝を祈って,自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い,米軍に出血を強いてから,全員玉砕する」
と命じたとする部分については,これを聞いた者が十分特定されていないけれども,し,これを聞いた知念副官の心境までも具体的に記述しているが, これを話した者が特定されておらず, どれほど正確なものであるかどうかは全く不明である。しかし少なくともその内容は編集者が創造し, 脚色するようなものとは考えられず, そのような話が仮に伝聞であったにしても当時住民からなされたこと自体は明らかであると考えられ, 座間味島,渡嘉敷島における集団自決に至る経緯等については,第4・5(2)で子細に認定,判示した住民の体験談と枢要部において齟齬することはなく,集団自決の体験者の生々しい記憶に基づく取材ができたとする牧港篤三,「鉄の暴風」の執筆に当たっては多くの体験者の供述を得たとする太田良博の見解を裏付ける結果となっており,民間から見た歴史資料として,その資料的価値は否定し難い。


(エ)(取材方法についての曽野綾子の批判は)*


  もっとも,曽野綾子が著した「ある神話の背景」では,「鉄の暴風」は直接の体験者ではない山城安次郎と宮平栄治に対する取材に基づくものである旨の批判がなされている。

  この点,「鉄の暴風」の執筆者の1人である太田良博は,沖縄タイムスに複数回連載した「沖縄戦に神話はない-「ある神話の背景」反論」(甲B40の1 枝番を含む)の中で,山城安次郎と宮平栄治からは渡嘉敷島の集団自決について取材したのではなく,沖縄タイムスが集団自決について調査する契機となった情報提供者にすぎないと反論し,集団自決の証言者として取材した対象は古波蔵村長など直接体験者であったとしている。「ある神話の背景」には,宮平栄治が太田良博から取材を受けた記憶はない旨述べたことが記述されているが(甲B18・51頁),これは,前記の太田良博の反論と整合する側面を有している。

  そして,先に指摘したとおり,座間味島,渡嘉敷島における集団自決に至る経緯等については,第4・5(2)で子細に認定,判示した住民の体験談と枢要部において齟齬を来していないのであって,この事実からすると,「鉄の暴風」は直接の体験者ではない山城安次郎と宮平栄治に対する取材に基づくものである旨の批判には,疑問があるは, 採用できない


(オ)(資料価値は有る)*


  以上のとおりであるから,「鉄の暴風」には,初版における控訴人梅澤の不審死の記載(これは甲B第6号証及び乙第2号証によれば,平成5年7月15日に発行された第10版では削除されていることが認められる。),渡嘉敷島への米軍の上陸日時に関し,誤記が認められるものの,戦時下の住民の動き,非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として,資料価値を有するものと認めるのが相当である。

(カ)(調査不足を謝罪したという梅澤陳述書は疑問)*


  ところで,控訴人らは,執筆者の牧志伸宏が,神戸新聞において, 控訴人梅澤の自決命令について調査不足を認める旨のコメントをしていると主張し,控訴人梅澤の陳述書(甲B33)にも,昭和63年11月1日に新川明と面接した際のことについて,
「私の方から提出した宮村幸延氏の『証言』を前に,明らかに沖縄タイムス社は対応に困惑していました。そして遂には,応対した同社の新川明氏(以下「新川明氏」)が,謝罪の内容をどのように書いたら良いですかと済まなそうに尋ねて来たため,私が積年の苦しい思いを振り返りながら,また,自分自身の気持ちを確かめながら,自分の望む謝罪文を口述し,それ新川明氏が書き取ったのです。」,

「その後,昭和63年12月22日,私の上記要求に対する回答ということで,沖縄タイムス社大阪支社において新川明氏ら3名と会談しました。私の方は前回と同様,岩崎氏に立ち会って貰いました。そうしたところ,沖縄タイムス社は前回の時の態度を一変させ,
『村当局が座間味島の集団自決は軍命令としている。』
と主張して私の言い分を頑として受け入れませんでした。」
と記載している。

  先に認定したとおり,沖縄タイムスは,控訴人梅澤と面談した直後である昭和63年11月3日,座間味村に対し,座間味村における集団自決についての認識を問うたところ(乙20),座間味村長宮里正太郎は,同月18日付けの回答書(乙21の1)で回答しているのであり,こうした回答を待つことなく,宮村幸延が作成したとされる昭和62年3月28日付け「証言」と題する親書(甲B8)を示されただけで,困惑して謝罪したというのは,不自然の感を否定できない。仮に,控訴人梅澤が陳述書で記載するとおり,昭和63年11月1日に新川明が謝罪したというのであれば,同年12月22日に態度を一転させた場合,前回の謝罪行為を取り上げて,新川明を批判するのが合理的であろうが,会談の記録を録音し,それを反訳した記録である乙第43号証の1及び2には,そうした状況の録音若しくは記載がない。加えて,証拠(乙43の1及び2)によれば,控訴人梅澤は,
「日本軍がやらんでもええ戦をして,領土においてあれだけの迷惑を住民にかけたということは,これは歴史の汚点ですわ。」

「座間味の見解を撤回させられたら,それについてですね,タイムスのほうもまた検討するとおっしゃるが,わたしはそんなことはしません。あの人たちが,今,非常に心配だと思うが,村長さん,宮村幸延さん,立派なひとですよ。それから初枝さん,私を救出してくれたわけですよ。結局ね。ですから,もう私は,この問題に関して一切やめます。もうタイムスとの間に,何のわだかまりも作りたくない以上です。」
と述べて,沖縄タイムスとの交渉を打ち切っているが,それは,控訴人梅澤がいうようなやりとりが昭和63年11月1日に沖縄タイムスとの間であったとすれば(さらに言えば,控訴人梅澤の主張を前提とすれば),控訴人梅澤の名誉を著しく毀損している「鉄の暴風」への追及をやめることは不合理であるといわなければならない。

  この点についての控訴人らの主張を踏まえても,「鉄の暴風」の戦時下の住民の動き,非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として,資料価値を否定することはできない。


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