正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)
靖国特集 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一


『石に泳ぐ魚』事件判決


大江氏は、実際の裁判でも、まさかと思われる主張を繰り出してきた。匿名の抗弁である。つまり『沖縄ノート』では命令者を「守備隊長」とし、梅澤、赤松両隊長の実名は伏せているから、両者の名誉を害していないというのだ。被告らは名誉段損の表現にあたるかどうかは、「一般読者の普通の注意と読み方」を基準にして行うべきものだとした最高裁判決を引用し、「渡嘉敷島の守備隊長が赤松嘉次であるという認識が、一般読者の客観的水準となっていたとは到底いえない」から名誉段損は成立しないと主張する。

全くの詭弁である。座間味島の守備隊長は梅澤元少佐であり、渡嘉敷島の守備隊長は赤松元大尉ただ一人しかいない。『沖縄ノート』が集団自決の責任者として非難している「守備隊長」が誰かは完全に特定されている。例えぱ、わたしが住む吹田市の市長が破廉恥を行ったというビラが配られても、吹田市長の名など一般人は知らないから名誉段損とはならないなどという愚論を主張しているのだ。ノーベル賞作家が聞いて呆れる。

しかも『沖縄ノート』は、その「守備隊長」が、昭和45年に部下たちと島の慰霊祭のために渡嘉敷島に渡ろうとして反戦団体の活動家等からなる抗議団に阻止され、海に献花したという事件を取り上げ、その行動を一方的に非難している。事件の顛末は大江氏が自ら書くように地元の新聞や週刊誌に盛んに取り上げられ、集団自決の悲劇とともに、住民を玉砕させた「鬼」赤松元大尉の悪名を天下に知らしめた。『沖縄ノート』が集団自決の責任者だとする「守備隊長」が赤松元大尉を指すことは、こうした報道に接した多数の国民が知るところである。

「匿名」については興味深い判決がある。

作家・柳美里氏の小説『石に泳ぐ魚』(新潮社)に対し、登場人物「朴里花」のモデルにされた女子大生が名誉段損とプライバシー侵害を理由に出版の差し止めを求めた事件だ。東京地裁は作家と新潮社から出された「匿名」の抗弁について、「右主張は、表現の名誉段損性ないし侮辱性の判断基準と表現の公然性の判断基準とを混同するものであって、採用することができない」とした。小説中で「朴里花」は、顔の痣と父親が北朝鮮の工作員との嫌疑を受けて韓国で逮捕されたという特殊なエピソードをもつ女子大生として描かれている。原告と面識があり、その経歴を知る読者にとっては、「朴里花」と原告とを容易に同定しえるのであり、小説の出版によってかかる推知情報を不特定多数に公表した以上「匿名」の抗弁は通用しないとしたものである。

興味深いのはそれだけではない。

この裁判では、大江氏が『感想』と題する陳述書を提出して原告を支援している。普通の女子大生であるはずの原告のためになぜ天下のノーベル賞作家が陳述書を提出したかは、また別の関心をそそられる問題ではあるが、その陳述書のなかで大江氏は、「柳美里さんに『石に泳ぐ魚』を幾度でも書きなおして、この現実社会にそれで傷つき苦しめられる人間をつくらず、そのかわりに文学的幸福をあじわう」よう忠告しているのである
(柳美里著『「朝日新聞」社説と「大江健三郎氏」に問う』小説新潮1999年8月号)。

女子大生に対しては、それが架空の小説であってもその表現によって傷つかないよう幾度でも書きなおすべきだと忠告する大江氏が、日本軍の隊長に対してならぱ、どんなに酷い中傷を浴びせても実名さえ出さなけれぱかまわないというのは明らかに矛盾している。

大江氏を擁護すべき点があるとすれぱ、『沖縄ノート』が発行された45年当時、すべての資料がなんの留保もなく《軍命令による集団自決》を記述していたことである。しかし、遅くとも『ある神話の背景』が発行された後は、家永三郎氏がしたように渡嘉敷島の《赤松命令説》に基づく記述を、直ちに訂正するのが作家の良心というものだろう。『ある神話の背景』から33年、『沖縄県史』の訂正から20年、大江氏が柳美里氏に忠告したように「幾度でも書きなおして、この現実社会にそれで傷つき苦しめられる人間をつくらず、そのかわりに文学的幸福をあじわう」機会はいくらでもあったのだ。今となっては、彼の欺瞞を擁護する術はない。


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