15年戦争資料 @wiki内検索 / 「満州事変への批判的言論―石橋湛山」で検索した結果

検索 :
  • 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア
    ...f 10  満州事変への批判的言論―石橋湛山(未作成) 1931(昭和六)年 http //maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/10.pdf 11  爆弾三勇士の真実=軍国美談はこうして作られた! 1932(昭和七)年 12  国際連盟脱退=新聞は一致して脱退を支持した(1)(未作成) 1931~2(昭和六~七)年 13  国際連盟脱退(2)=大新聞が脱退を後押しした(未作成) 1931~2(昭和六~七)年 14  国際連盟脱退(3)=唯一脱退に反対した時事新報の見識(未作成) 1931~2(昭和六~七)年 15  五・一五事件で沈黙した新聞(未作成) 1932(昭和七)年 16  5・15 事件と菊竹六鼓のたたかい(未作成) 1932(昭和七)年 17  桐生悠々『他山の石』の...
  • 満州事変庫
    今日の訪問者 - 満州事変 リットン調査団報告書  秘められた満州事変の導火線 リットン調査団を欺く関東軍 特務機関員・ヴェスパの満州脱出 15年戦争資料庫
  • 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。 2 このように戦争によって獲得した植民地は、 3 日本は満州事変で遼寧、吉林、黒竜江の東北三省を占領し、 4 第一次世界大戦によって、ヨーロッパ各国は、 第3 日本の戦争と植民地の拡大、総力戦の準備 1 日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。   日本の植民地は、日本が行った戦争とともに拡大していった。日清戦争の結果、1895年の「下関条約」によって台湾の領有が認められ、日本で最初の植民地となった。つづ...
  • 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00912.htm 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで  1月31日発表された、日中歴史共同研究報告書要旨は次の通り(中国側要旨は読売新聞社訳)。        ◇  <序>=(略)  <古代・中近世史>=(略)  <近現代史>  【明治維新】  日本側 明治維新では、中央集権でなければ外国と対抗できないことが広く理解されていた。薩長の下級武士からなる官僚が藩を廃止し、自ら武士(身分)も廃止した。清国の改革「洋務運動」は十分な成果を上げなかった。全国一体としての運動にならず、儒教が大きな障害になったというべきだろう。  中国側 明治政府は国内改革の成功で国力を結集し、近代強国に成長し、対外的な力を強化した。...
  • 【日韓歴史研究】「つくる会」を執拗に批判 自虐史観を評価
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100323/plc1003232315022-n1.htm 【日韓歴史研究】「つくる会」を執拗に批判 自虐史観を評価 2010.3.23 23 14  23日に公表された日韓歴史共同研究報告書。韓国側は「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆の中心となった扶桑社、自由社版の中学校教科書を執拗(しつよう)に批判する一方で、東京書籍など他社の教科書については、「日本の行為に批判的に書かれている」として、日本国内の自虐史観を“評価”する記述も随所にみられた。  教科書小グループの報告書では、近代の戦争記述などを取り上げた鄭在貞ソウル市立大教授が「新しい歴史教科書」について「まるで日本が西洋勢力の支配からアジア諸国を解放しようと引き起こしたかのよう」と強く批判した。  同教科書が太平洋戦争...
  • 第二章 満洲事変への道
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第二章 満洲事変への道 第二章 満洲事変への道第一節 対華二十一箇条要求問題 第二節 支那の「反日」攻勢と日本の忍耐 第三節 ワシントン会議の歴史的意義 第四節 ロシア共産革命の東アジアへの波及――最大の脅威の出現 第五節 ソ連=コミンテルンの東アジア攻勢と米国の東アジア介入 第六節 孫文の左傾化と第一次国共合作(一九二三年十一月から一九二五年三月) 第七節 ソ連の満蒙工作 第八節 蒋介石の反共クーデタ(一九二七=昭和二年四月二一日)と「北伐内戦」 第九節 幣原外交の空回り 第十節 田中外交の挫折 第一節 対華二十一箇条要求問題  さて、欧州大戦の初期一九一五=大正四年一月十八日、日本政府(大隈重信内閣)は「対華二十一か条の要求」を...
  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第1部 近代日中関係の発端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1>はじめに 1.第1 次世界大戦1) 第1 次世界大戦の勃発と対華21 カ条要求 2) 西原借款から新4 国借款団へ 3) パリ講和会議と5.4 運動 2.ワシントン体制の成立1) ワシントン会議と9 カ国条約 2) 山東問題と対華21 カ条要求関連条約の改廃問題 3) ワシントン体制の成立とその後 3.北京政府「修約外交」...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨)◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動◇日本側 ◇中国側 ◆第2部 第1章 満州事変から日中戦争まで◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦◇日本側 ◇中国側 ◆第2部第3章 日中戦争と太平洋戦争◇日本側 ◇中国側 ◇議論3年、計6部15章 ■日中歴史共同研究委員会のメンバー ◆第1部 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日本側  第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日本に支援を求めた。日本海軍は膠州湾を封鎖した。日本は中国に対して21カ条の要求を...
  • 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・
    <2004年 1月> 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア 『兵は凶器なり』③   -15年戦争と新聞―― 1926-1935 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・ 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) http //sweb.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040121_heihakyoukinari3gennronndannatunorekishi.pdf 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・1・・・新聞紙法の悪法たる理由 2・・・普通選挙法と抱き合わせで、治安維持法を改悪 3・・・掲載差し止め事項の内容は3種類 4・・・多岐にわたった掲載禁止事項、16 項目で恣意的 5・・基準は抽象的でどうにでも拡大解釈可能 6・・クモの巣にからまれた言論の自由 7・・・風俗壊乱記...
  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第1部 近代日中関係の発端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>4.国民政府「革命外交」と田中外交・第2 次幣原外交1) 第1 次山東出兵、東方会議、山本─張鉄道協約 2) 済南事件と張作霖爆殺事件 3) 国民政府「革命外交」 4) 奉ソ戦争と経済関係 5) 中国における日本人コミュニティ おわりに 4.国民政府「革命外交...
  • 日中戦争の開始
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 もくじ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃 四、大虐殺の序章 五、『南京戦史』批判 脚注 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章 江口圭 一、日中戦争の開始 南京戦と南京大虐殺は上海戦(第二次上海事変)と密接に関連している。上海戦の問題を抜きにして、南京戦・南京大虐殺を論ずることはできない。そして上海戦を考察するためには、まず日中戦争そのものがどのようにして起こされたかを明らかにする必要がある。 日中戦争は一九三七(昭和一ニ)年七月七日の蘆溝橋事件を発端として発生した。盧溝橋事件そのものは偶発的な衝突であって、満州事変の発端となった柳条湖事件のように意図的.計画的に仕組まれたものではない(1)。現地では七月一一日になって一応の停戦協定が結ばれた...
  • 東本高志氏からの批判
    東本高志氏からの批判 ■河内謙作氏への反論(上) ―「尖閣沖漁船衝突事件について(その四)」 (弊ブログ 2010年10月22日) http //blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8847660.html ■河内謙作氏への反論(中) ―「尖閣沖漁船衝突事件について(その四)」 (弊ブログ 2010年10月22日) http //blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8848138.html ■河内謙作氏への反論(下) ―「尖閣沖漁船衝突事件について(その四)」 (弊ブログ 2010年10月22日) http //blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8848173.html [CML 006253] Re 尖閣沖漁船衝突事件について(その五) hig...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>1.満洲事変1)柳条湖事件 2)中国の対応と国際連盟 3)事変解決の模索 4)上海事変と満洲国建国 5)満洲国の実態 6)熱河事件と国際連盟脱退 2.関係安定化の模索と挫折1)戦区接収と実務協定 2)広田・重光外交 3)日中提携の試み 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 ...
  • 第4 アジア大陸への侵略の兵端基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第4 アジア大陸への侵略の兵站基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化1 日本の朝鮮政策では、当初は、 2 1938年9月の第1回各道産業部長会議における南総督の訓辞は、 3 近代の植民地は、先進国の工業化を支える役割を負わされており、 4 戦時下の朝鮮は、日本からみると、食料(米)と労働力(人)との供出 第4 アジア大陸への侵略の兵站基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化 1 日本の朝鮮政策では、当初は、   日本の朝鮮政策では、当初は、日本の食糧問題解決のために朝鮮における産米増殖計画などの重農政策がとられた。こ...
  • 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか… 1-03 どうしてそのようなものを当時の軍は考え出したのか…その歴史的背景 天皇の勅語 南京占領 コメント欄 その歴史的背景   きっかけは"南京大虐殺事件5)"にあったがそれには説明がいる。   今の高校の社会科の授業では近現代史までいかない学校が多いから理解しにくいところがあるかも知れないが、明治中期より日本は大陸侵出をはじめ"日清戦争6)""日露戦争7)"を経て一九一〇年(明治〔以後Mと表記〕42)軍事力を背景に"日韓併合条約8)"で朝鮮半島を日本の領土とした。ついで一九一八年(大正〔以後Tと表記〕7)からの"シベリア出...
  • “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記
    http //www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-01/2010020102_01_1.html 2010年2月1日(月)「しんぶん赤旗」 “旧日本軍、南京で虐殺”日中歴史研究 犠牲者数は両論併記  日中両国の歴史認識の溝を埋めようと、双方の研究者で構成される「日中歴史共同研究」(座長=北岡伸一東大教授、歩平・中国社会科学院近代史研究所所長)の第1期報告書が31日、公表されました。報告書は約550ページで、古代から近現代までの歴史を、日本側委員と中国側委員がそれぞれの立場から記述しました。  1937年12月の「南京虐殺事件」について、日本側は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と認めました。一方、犠牲者数については、中国側が主張する20万...
  • 南京事件の犠牲者数、日中の主張に相違
    http //www.chosunonline.com/news/20100202000027 南京事件の犠牲者数、日中の主張に相違  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。2006年から学識者が進めてきた研究結果を盛り込んだ550ページに達する報告書は、総論に続き、古代・中世史、近現代史の部分で構成されている。近現代史には文化大革命、天安門事件など1945年以降の事柄は含まれなかった。  第二次世界大戦までの近現代史では、日中戦争当時の南京事件について、日本側が「日本軍による集団的虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪、放火も頻発した」と認める一方で、焦点の犠牲者数に関しては「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある」と主張した。これは「30万人」を主張する中国側と隔たる数字だ。  満州事変に関して...
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 加藤陽子・東大大学院教授の話
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010019000c.html 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 加藤陽子・東大大学院教授の話 ◇交互に執筆、読み応え--加藤陽子・東大大学院教授(日本近現代史)  日本側から提起した研究だけあって、特定テーマではなく、時間軸に沿った叙述方式が採られている点をまずは評価したい。  アヘン戦争から太平洋戦争終結までの100年余を二つの時期に分け、後半部分を満州事変、盧溝橋事件、日米開戦の三つの画期から描いた今回の枠組みは、革命史観をとってきた従来の中国のスタンスとは異なるものだった。それが可能だったのは、臧運〓氏(北京大)など若手エース級を中国側が多数起用して臨んだゆえだろう。  日中が交互に執筆する内容も読み応えがあった。日清修好条規について日本側が古典的な解釈...
  • 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)
    http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1)はじめに 1 戦後日本における歴史認識の変遷-学界、言論界を中心として- 2 「太平洋戦争」の呼称をめぐる諸問題1)「太平洋戦争」 2)「大東亜戦争」 3)「第二次世界大戦」 4)「15 年戦争」 5)「アジア・太平洋戦争」 6)「今次の大戦」、「先の大戦」、「過ぐる大戦」、「あの不幸な戦争」など 7)その他 3 歴史認識における論点 4 ...
  • 虐殺は嘘19に対して
    虐殺は嘘19誰も知らなかった虐殺5毛沢東 2006/ 7/19 0 47 [ No.11126 / 12177 ] 2006/ 7/20 1 46 [ No.11141 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11141 1938年1月、毛沢東が週刊誌『群衆』で、 「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録を...
  • 大命による南京攻略戦
    週刊金曜日 1997.12.5 南京大虐殺60周年特集 大命による南京攻略戦昭和天皇は対中国決戦諭者だった昭和天皇が中国を敵国と呼んだ 中央主導で拡大した盧溝橋事件 大命による南京攻略戦 昭和天皇は対中国決戦諭者だった 藤原彰 昭和天皇が中国を敵国と呼んだ 一九三七年一一月二〇日、日露戦争以来三二年ぶりに、天皇の大纛(たいとう)(旗じるし)の下の陸海軍の最高統帥機関として大本営が設置された。同月二四日には、第一回の大本営御前会議が開かれ、その席上で九月末に石原莞爾に代わって参謀本部第一(作戦)部長となった下村定(さだむ)が、南京の攻撃を考慮していることを説明した。ついで一二月一日、大本営は中支那方面軍の戦闘序列(天皇の命ずる作戦軍の編組)を命令し、さらに大陸命(大本営陸軍部の発する天皇の命令)第八号をもって、「中支那方面軍司令官ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スヘ...
  • 【産経抄】2月2日
    http //sankei.jp.msn.com/culture/academic/100202/acd1002020240000-n1.htm 【産経抄】2月2日 2010.2.2 03 22  「日中歴史共同研究委員会」が公表した報告書をめぐって、きのうの各紙は、両国間の「溝の深さ」や「隔たりの大きさ」を伝えていた。歴史認識の違いが鮮明に出るのは、当然ではないか。まして相手は、学問の自由がない独裁国家である。  ▼むしろ近現代史の部分で、日本側が歩み寄った印象が強いのが気になる。特に「南京事件」については、被害者数「30万人以上」を主張する中国側に対して、「20万人を上限として4万人、2万人」などと、「虐殺」を認めてしまった。最近では、その存在を疑う研究も出ているというのに。  ▼文化大革命や天安門事件、チベット、ウイグルに対する弾圧など、一番読みたい戦...
  • 【正論】学習院大学教授・井上寿一 異質中国との歴史研究のリスク
    http //sankei.jp.msn.com/world/china/100312/chn1003120331000-n1.htm 【正論】学習院大学教授・井上寿一 異質中国との歴史研究のリスク 2010.3.12 03 29  2005年の近隣諸国の反日デモをピークとして、外交・政治・社会問題としての歴史教科書問題は、今では表面上ではあれ、沈静化している。このような状況のなかでこそ、本格的な議論を始めるべきではないか。以下では外務省のウェブサイトが公開している日中歴史共同研究の報告書を手がかりに考えてみたい。  ≪多国間の国際関係の中で≫  すでにいくつかの新聞が報じているように、この報告書は、中国側の事情による戦後史部分の非公開、討議要旨の削除など、問題が多い。だからといって、放っておくわけにはいかない。専門家による今後の研究の進展に期待する、といっ...
  • 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書
    http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100131-OYT1T00678.htm 日中歴史認識、溝は埋まらず…共同研究委報告書 日中歴史共同研究 第1期報告書  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)は31日、報告書を発表した。焦点となった近現代史では「南京事件」(1937年)の犠牲者数を日本側が「20万人を上限」、中国側は「30万人余り」とするなど戦前を中心に歴史認識の隔たりは埋まらなかった。  1945年以降の現代史は中国側の要請で公表を見送った。委員会は今後、委員を入れ替えて第2期研究に着手する方針だが、作業は難航が予想される。  報告書は約550ページで、「総論」のほか、「古代・中近世史」と明治維新前後~45年までの「近現代史」を対象とした「各論」で構成。各論は双...
  • 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」ネタ元? 典拠 【目次】 ネタ元? 自衛隊統合幕僚高級幹部となる為に教え込まれた歴史認識 田母神論文のネタ元ではないか、という指摘もある! http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20081106/p1#c 余りにも稚拙な歴史学を学んでいるのは、ひとり田母神俊雄前航空幕僚長だけではない。というか、田母神が校長を務めていた幹部学校でこの稚拙な歴史学が教えられていたのである。 統合幕僚学校 典拠 西尾幹二のインターネット日録 2006年06月 http //nishiokanji.com/blog/2006/06/ より 【資料】 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 講義...
  • 悲劇の体験語る/元開拓団員 川島さん
    http //mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000910220003 悲劇の体験語る/元開拓団員 川島さん 2009年10月22日 満州での体験を語る川島淳子さん=甲賀市水口町日電 【記録映画「嗚呼 満蒙開拓団」、大津で30日まで】  戦時中、国策によって中国・満州に送り込まれた移民を描いた記録映画「嗚呼(ああ) 満蒙開拓団」が、大津市京町3丁目の滋賀会館シネマホールで上映されている。映画に登場する人々と同じように、「甲賀郷開拓団」の一員として16歳で満州に渡った川島淳子さん(80)=甲賀市水口町=に終戦前後の満州の様子を聞いた。(八百板一平) 【愚かな戦争、国策の犠牲に】  川島さんが父母と2人の妹、弟の一家6人で水口から満州に渡ったのは1945(昭和20)年3月。戦局の悪化...
  • 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が…
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312359018-n1.htm(~n3) 【日中歴史研究】両国の間にはこれだけの相違が… 2010.1.31 23 58 日中双方の見解の相違 日中両国の有識者による歴史共同研究は、いまなお双方の歴史認識の溝が埋めがたいことを浮き彫りにした。特に近現代史において、日本側は日中戦争当時の日本政府の意思決定過程の積み重ねに努めたのに対し、中国側は日本の戦争責任を問いただす内容となった。一方で日本側は加害者の立場を明確にするなどの中国側の配慮もみられた。日中戦争を中心に、両者の主張の相違点を検証する。(長谷川周人)  【「南京事件」】  国民政府の首都・南京への攻略命令を受けた日本軍は1937年(昭和12年)12月、総攻撃を開始した。このときの犠牲者数...
  • 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100092 南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書  日中両国の有識者による歴史共同研究の成果をまとめた報告書が31日、公表された。双方は、日中戦争の原因が基本的に日本側にあり、中国国民に深刻な被害を与えたとの見解では一致。しかし、南京虐殺事件の犠牲者数を中国側が30万人と主張したのに対し、日本側は2万~20万人とするなど、認識の隔たりも浮き彫りとなった。  日中の有識者は共同研究を継続していく方針を確認しているが、政治体制の違いもあり、歴史認識の共有に向けたハードルは高いのが実情だ。  歴史共同研究は両国の相互理解を深めることを目的に、2006年10月の日中首脳会談で合意され、同年12月にスタート。日本側は北岡伸一東大教授、中国側は歩平・社会科学院近代史研究...
  • 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか… 1-15 他の国の軍隊にも従軍慰安婦という制度はあったのか…コメント欄   ナポレオンが帝政時代のロシアヘ侵攻したときに、従軍慰安婦を連れていったという話はあるが、近現代となってからどこの国の軍隊にもこうした制度の存在はない。さらにいうと、ナポレオン軍の場合は常習的売春婦を集め連れていったので騙しや強制連行、まして徴用令などによるものではなかった。   同じ日本軍でも日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、山東出兵27)から満州事変までなかった。さきに語ったように一九三七年(S12)に始まった"支那事変"開始以降に生まれたものだった。   あの戦争のときの米軍をみていくと、これも前に話したが戦場...
  • 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目 次 ソース: 目次・序(日本語)(PDF) 338 KB 日本語論文(PDF) 2.25 MB  ※脚注の随所に乱「行」があります。PDF化の不備と思われます 中国語論文(PDF) 2.66 MB 第1期「日中歴史共同研究」報告書(ペーパー)の入手法 序 ・・・・・日中座長共同執筆(委員会のメンバー、外部執筆委員、活動の経緯など) (収録済) <古代・中近世史> 総 論 ・・・・・日中委員共同執筆 (収録済) 序 章 古代中近世東アジア世界における日中関係史(日本側) 山内昌之・鶴間和幸 (中国側) 蒋立峰・厳紹.・張雅軍・丁莉 第1部 東アジアの国際秩序とシステムの変容第1章 7世紀の東アジア国際秩序の創成(日本側)7世紀の東アジア国際秩序の創成 川本芳昭 (中国側)7世紀の東アジア国際秩序の...
  • 週刊朝日:田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ
    週刊朝日2008.11.28号 P33-35 田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ TEXT書き起こし:ホドロフスキさん http //d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081205 日本は侵略国家であったのか。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文審査委員会で「満場一致で」最優秀賞に選ばれたという。その"最優秀の論文"の中身とは――。近現史家の秦郁彦氏と軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が読み解く。 秦郁彦 (現代史家) はた・いくひこ 1932年生まれ、大蔵省、防衛省に勤務。02年まで日本大学教授。著書に『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『南京事件』(中公新著)など。 田岡俊次 (軍事ジャーナリスト) たおか・しゅんじ 1941年生まれ。元朝日新聞編集委員。現在、朝...
  • 天皇と東大:目次
    天皇と東大 大日本帝国の生と死 アマゾン(上) アマゾン(下) 目次 上巻 第一章 東大は勝海舟が作った 第二章 明治四年、東大医学部は学生の八割を退学させた 第三章 初代学長・加藤弘之の変節 第四章 『国体新論』と「天皇機関説」 第五章 慶応は東大より偉かった 第六章 早大の自立精神、東大の点数主義 第七章 元落第生・北里柴三郎博士の抵抗 第八章 「不敬事件」内村鑑三を脅した一高生 第九章 東大国史科の「児島高徳抹殺諭」 第十章 天皇「神格化」への道 第十一章 日露開戦を煽った七博士 第十二章 戸水寛人教授の「日露戦争継続論」 第十三章 戸水事件と美濃部達吉 第十四章 元白虎隊総長・山川健次郎の奔走 第十五章 山川健次邸と超能カ者・千里眼事件 第十六章 沢柳・京大総長の七教授クビ切り事件 第十七章 東大経済は一橋にかなわない ...
  • 日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)
    http //mainichi.jp/select/world/news/20100324ddm010040173000c.html 日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)  2年半の議論を経てまとまった第2期日韓歴史共同研究報告書は、第1期の「古代史」「中世・近世史」「近現代史」3分科会に、新たに「教科書小グループ」を加えた計4部で構成する。両国の有識者がテーマごとに計48本の論文を執筆。近現代史などで激しい論争が繰り広げられたことが読み取れる。 日韓歴史共同研究:第2期報告書(要旨)■教科書◆日本側◇教科書編纂(へんさん)から見た歴史教育 日本の国定教科書と戦後検定教科書の場合 ◇戦後の日韓における教科書問題をめぐる教育政策・教育学の諸相 ◇日韓両国における歴史観と近代、そして近代的法秩序 ◇日韓相互Orientalismの克服 ◆韓国側◇韓国と日本の歴史教科書に描かれ...
  • 歴史番組:市民がNHKに要望書 自民議員の批判に抗議
    http //mainichi.jp/select/seiji/news/20090708k0000m040078000c.html 歴史番組:市民がNHKに要望書 自民議員の批判に抗議  日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の「第1回アジアの“一等国”」(4月5日放送)に対し、偏向番組などと自民党国会議員らから批判が出ている問題で、市民団体「開かれたNHKをめざす全国連絡会」(世話人、松田浩・元立命館大教授ら4人)は7日、福地茂雄・NHK会長らに「威嚇的な動きが強まっている。公共放送の自主・自立と自律を守る正念場だ。放送の自由の守り手として責務を果たすよう要望する」とした文書を提出した。経営委員会にも、小林英明委員が番組を放送法違反だとした発言について「批判を超えた政治的圧力だ」との抗議文書を出した。  また、日本ジャーナリスト会...
  • 3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか… 3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか…コメント欄   私はあの戦争末期近くに学徒出陣で兵隊へとられた組だ。家族は"満州"におり敗戦後に侵攻してきたソ連兵などから口にいえないようなめにあい裸一つで日本へたどりっいた引き揚げ者だ。   そんなことで自分は戦争被害者の最底辺にいる存在だと思っていた。そこで一九五六年(S31)勤めていた毎日新聞を去り、物書きになろうとしたとき生涯のテーマをこんな人間を生んだ戦争ときめた。明治以来の日本の軍事史、戦争史をそこから調べはじめた。   その途中で突然毎日新聞出版局長から呼び出しがかかり「大変なものが出てきたからこれを整理分類し一冊の写真集にして...
  • 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)
    政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4) 第4巻:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_4.pdf 目次(第四巻) 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料【内閣・内務省関係】4項目4点 【軍関係】10項目16点 二、厚生省関係公表資料 5項目5点 一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料 【内閣・内務省関係】4項目4点 一 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) … 5 二 行政事務ノ整理簡捷化及中央官庁ノ権限ノ地方委譲等ニ関スル件[閣議決定](昭18・12・14)(未作成) … 27 三 第二次許可認可等行政事務簡捷化ニ関スル件[閣議決定](昭19・1・6)(未作成) … 33 四 朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件[閣議決定](昭19・...
  • 日中歴史研究報告書のポイント
    http //www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010013100094 日中歴史研究報告書のポイント  日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。 【日清戦争(1894~95年)以降】  日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。  中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。 【田中上奏文(1927年)】  日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「...
  • 虐殺は嘘18に対して
    虐殺は嘘18誰も知らなかった虐殺4蒋介石 2006/ 7/19 0 47 [ No.11126 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11126 蒋介石が1938年1月22日の日記に、「寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。」と書いたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたというのは見当違いだ。 まず、日記の原文には「殘殺」という言葉...
  • 台湾“偏向”特番でメディア研究者らがNHKを擁護
    http //sankei.jp.msn.com/entertainments/media/090707/med0907071852000-n1.htm 台湾“偏向”特番でメディア研究者らがNHKを擁護 2009.7.7 18 51  4月5日放送のNHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー第1回アジアの“一等国”」が偏向していたとの批判が高まっている問題で、松田浩・元立命館大学教授らのグループ「開かれたNHKをめざす全国連絡会」が7日、「不当な圧力に動揺することなく、番組づくりのために努力を積み重ねてほしい」と要望する文書をNHKに提出した。番組への批判について、「放送の自主、自律を脅かしかねない」との見解を示した。番組をめぐっては、視聴者ら約8000人が事実を捏造(ねつぞう)したとして、NHKに損害賠償を求めて東京地裁に提訴している。 NHKさん「動揺しないで...
  • 日本は侵略国家であったのか
    日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄 →(参考)「日本は侵略国家であったのか」解題  アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。 (引用者注)満州事変のように軍を先に動かして既成事実を作った上で、相手国の『了承』を得る。これを侵略という。 (「検証 田母神前空幕長論文」朝日新聞朝刊2008年11月11日=以下「検証」と略す、では田母神さんに論文を「誤引用」された秦郁彦氏と保阪正康氏が厳し...
  • 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか…
    ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか… 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか…コメント欄   当時の日本人というのが兵隊にとられ戦場へもっていかれた者以外の日本内地にいた人たち、つまり一般国民のことだとすれば知らなかったといっていい。召集され戦地にいき従軍慰安婦を買った男たち、いいかえれば兵隊たちがそのことを口にしなかったからでもあったが、それよりなにより当時の日本軍は自らを皇軍と自称していた。皇軍とは天皇陛下を最高統率者とあおぐ天皇の軍隊ということだ。   また、"満州事変"につづく"支那事変""大東亜戦争"を聖戦(せいせん)、天皇陛下の御稜威(みいつ)24)を広げるための戦争...
  • 北岡伸一「トップの条件欠如を露呈」
    情報元は「森茂樹のマーケティング・コラム 」さん http //www3.ocn.ne.jp/~fmg-net/moricolumn/morico160.html 2008.11.13朝日新聞「私の視点」 東京大学教授・北岡伸一(日本政治外交史) 「トップの条件欠如を露呈」  「論文の必要条件は、たしかな事実と堅固な論理である。  田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。例えば、日本は中国や朝鮮に対し、相手の了解を得ないで一方的に軍を進めたことはないと書いている。しかし、満州事変が、石原莞爾ら関東軍の幕僚による陰謀であったことは、誰でも知っている事実である。張作霖爆殺事件についても、コミンテルンの仕業という説が有力になっていると書く。ごく一部にそういう説はあるが、まったく支持されていない。関東軍参謀の河本大作によるものだという説は、揺らいでいな...
  • 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組
    朝日新聞9月16日朝刊「メディアタイムズ」 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組 台湾で広がる困惑 日本の植民地統治を批判 NHK番組登場の先住民族「説明なかった」 「日本の功罪五分五分」複雑な感情も NHK「誤った情報が流布残念」 日本が台湾を植民地統治した歴史について批判的に検証したNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの 〝一等国〟」(4月5日放映)に対し、台湾で困惑や不満の声が広がっている。60年余りが過ぎても台湾での日本統治への評価や感情に複雑なものがあることをうかがわせている。(台北=野嶋剛) 登場の先住民族「説明なかった」 NHKは4月から長期企画「プロジェクトJAPAN」を始めた。近代日本が欧米に追いつこうとして孤立し、戦争に突入した歴史を描くシリーズ「JAPANデビュー」はその一環で、台湾部分はシリーズ第1回。日本統治下の差...
  • 防空演習
    防空演習 「空襲だ!水だ!マスクだ!スウヰッチだ!」 1928(昭和二)年7月5日から三日間、大阪市で日本初の都市防空演習が実施された。市内各所で、防毒、消防、救護、灯火管制の訓練が行われた。翌一九二九年には、名古屋で同様の訓練が行われた。1930年代に入ると、軍港や軍事施設のある都市を中心に、防空演習が盛んに行われるようになる。しかし、当時は、空襲のリアリティは希薄で、市民の関心はいま一つ盛り上がらなかったようである。この頃の防空演習は、焼夷弾よりもむしろ毒ガス攻撃に対する防毒訓練のほうが重視されていた。一般的な消火・避難訓練よりも、国民の危機感をあおり、緊張を強めて地域社会・市民の「下から」の動員をはかり、管理・統制する上で効果的と判断されたからだろうか。( 防毒マスクが似合う街水島朝穂 ~『三省堂ぶっくれっと』No.116 July, 1995 より) 『わが家の防...
  • パートIII はじめに
    「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 田母神俊雄 平成16年7月 ,9月 航空自衛隊を元気にする10の提言 パートIII はじめに  民主主義国家においては言論の自由は保障されなければならない。しかし戦後の我が国には本当に言論の自由があったのかというと極めて疑わしい。米国占領下の6年半に、公職追放や出版物の徹底的な検閲等により作られた我が国言論界の方向性は、独立を回復した後も、つい最近まで修正されることはなかった。いや若干改善されては来たが、今なお修正されていないと言った方が正しいかもしれない。戦前の我が国や旧軍を悪し様にいう自由は無限に保証されるが、我が国を弁護する言論の自由は極めて限定的に認められるのみである。南京大虐殺は無かったと言って何人の大臣が辞めたのだろうか。日本は戦前、中国や韓国に対し良いこともしたと言ってその責任を問われた政治家もいる。しかしこれらは...
  • 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究
    http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010011003-n1.htm 【日中歴史研究】妥協求めた政治的研究 2010.2.1 00 11  2006(平成18)年、日中両国が歴史共同研究で合意した後、中国のインターネット上には「日本の誤った歴史認識を正す機会」との声が相次いだ。中国の「正しい歴史観」で日本側を「再教育」せよ、との圧力を痛感したと中国側関係者は話す。31日公表された報告書を読むと、中国側が共産党の歴史認識を基本にし、日本側と対立する面と同時に、双方が歩み寄った面も目につく。それはなぜか。  日中歴史共同研究を最初に提起したのは05年4月に訪中した町村信孝外相(当時)だった。折しも、靖国神社参拝を継続した小泉純一郎首相(同)への中国側の不満が各地で反日デモに発展しており、提案はほと...
  • 旅順攻めに迫る損害
    旅順攻めに迫る損害 (P65-67) 二か月半にわたる上海攻防戦における日本軍の損害は、予想をはるかに上まわる甚大なものとなつた。戦死九一一五、戦傷三万一ニ五七、計約四万という数字(戦史叢書)は、惨烈無比と言われた日露戦争の旅順攻防戦(死傷約六万)に迫るものであった。 ※「松井大将日記」(昭和十三年二月十四日)は 上海、南京戦を主とする中支那方面軍の十三年二月までの戦死(病)者を二万四千余と記している。この数字が正しいとすれぼ、上海戦の損害はもっと多いはずで、戦死は一万五千を越えるのではないかと思われる。 とくに最初から上海戦に投入された部隊は、定員数を上まわる損害を出し、十回以上兵員を補充した部隊も珍しくたかった。なかでも二十代の独身の若者を主力とする現役師団とちがい、妻も子もある三十代の召集兵を主体とした特設師団の場合は衡撃が大きかった。東京下町の召集兵をふくむ...
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現...
  • NHKへの“偏向批判”、市民団体が「動揺しないで」
    http //www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090707-OYT1T00825.htm NHKへの“偏向批判”、市民団体が「動揺しないで」  日本の台湾統治を扱ったNHKの番組を巡り、日台友好団体などが「自虐的な歴史観で、偏向している」と抗議している問題で、市民団体「開かれたNHKをめざす全国連絡会」(世話人=松田浩・元立命館大教授ら)は7日、NHKに対し、「不当な圧力に動揺せず、毅然(きぜん)とした姿勢を貫いてほしい」などと求める要望書を提出した。  この番組は、今年4月に放送されたNHKスペシャル「シリーズ JAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」。要望書では、抗議団体によるデモや集団訴訟を「威嚇的な動き」と批判、番組に批判的な政治家やNHK経営委員の言動についても、「『放送の自由』への政治的圧力」と指摘している...
  • 3 熱狂という名の落とし穴
    http //mainichi.jp/select/wadai/heiwa/visit/archive/news/20080618ddp012040020000c.html 平和をたずねて:快楽としての戦争/3 熱狂という名の落とし穴  福岡県宗像市の承福寺という禅寺に、10冊の陣中日誌がある。昭和7(1932)年の上海事変と、5年後に始まった日中戦争に従軍した歩兵連隊の通信兵が残したものだ。本人は昭和37年4月に52歳で亡くなり、遺族から2000冊近い蔵書とともに預かったという。その1冊目に、上海事変で出征する際、駅で人々の万歳の声に送られる場面が出てくる。  《女、若き女の熱狂振りには驚いた。向こうからしがみついて来るのだもの。日本人はかくまで熱狂するのかと酔眼をみはる。日本人の強い反面と弱い反面をこの目ではっきりと見る。案外、心は冷静だったらしい》  日記を昨...
  • @wiki全体から「満州事変への批判的言論―石橋湛山」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索

目安箱バナー