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七 「誤認爆撃」問題

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七 「誤認爆撃」問題

 ある事件について、加害者被害者の言い分が全く異なることは、多々あることでである。さきに見たように、ノーマン・スーンは日本軍の飛行機や軍艦の追跡・偵察に怯えたことや、軍艦「保津(ほづ)」「安宅(あたか)」の生存者捜索を警戒し、これに抵抗したことを報告しているが、防衛庁防衛研修所戦史室『中国方面海軍作戦(1)』では、「米国砲艦パネー遭難者の救援」という小見出しで、つぎのように書いている。

 「十三日〇九〇〇(午前九時―引用者)、長谷川長官は米国東洋艦隊司令長官から、十二日一四三〇以降砲艦パネーとの無線連絡が絶えた旨、通告を受けた。調査の結果、前日第二聯合航空隊の飛行機が南京上流二六浬付近において中国船と思い撃沈した船が、前後の模様から察し、米国砲艦パネー及び米国商船であったことが判明した。長谷川長官は航空部隊に対し、何分の令あるまで揚子江における艦船の爆撃を禁止するとともに、遭難者救援に全力を挙げるため、南京突入直後の"保津"に"即時開源碼頭付近にて日本海軍機の爆撃により損害を受けた米砲艦パネーの救助に向かえ"と指令した。"保津"は直ちに下関を出港し、二〇三〇ころ現地に到着、開源碼頭下手に投錨し、同地に在泊中の英艦ビーに先任将校橋本以行大尉を派遣した。同大尉は英艦内火艇に乗艇、北岸の和縣に至り、夜を徹して同地避難中の"パネー"遭難者の救助に当たり、負傷者を収容し、十四日朝帰艦した。」(四六八頁)

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 ハミルトン・ダービー・ペリー『パナイ号事件ー真珠湾への序曲』(HamiltonDarby Pery "The Panay Incident ----Plerude to Pearl Harbor"1069)には体験者の証言が多く収められているが、「誤認爆撃」ということについては、パナイ号乗船者のほとんどがそれを否定している。

 「誤爆」問題を考えるのに興味深いのは、同書に収められた、ユニバーサル映画のニュース・カメラマンのノーマン.アレー撮った日本軍機の写真である。標準レンズでとらえたという複葉機には搭載している爆弾がはっきりと見える。「高度三〇メートルの超低空で接近してきた。」と解説にある。つまり、パイロツトからは、星条旗はもちろん、アメリカ人の乗組員が十分に識別できる距離なのである。しかも証拠隠滅をはかる日本軍当局の詮索をかいくぐって、文字どおり命がけでアメリカに持ち帰ったフィルムのうちの、この日本軍機の部分だけは、ルーズベルト大統領の検閲によって、公表されなかったのである。当時アメリカ国内には反日気運が増大しており、極力日本との摩擦を避けようとしたルーズベルト大統領の政治的処置であった。

 ルーズベルト自身は、日本軍機が軍の命令によってパナイ号を攻撃したという報告を受け、「誤爆」ではないことを承知していたと思われる。それは、ルーズベルト文書に収められている海軍参謀副官中佐からマクインタイヤー大統領補佐官あての覚書に、つぎのように記録されているからである(同資料は荒井信一氏の提供による)

マクインタイヤー補佐官の覚書

 リー将軍の指示により、以下の密電を貴官に報告いたします。これは十二月十八、十九、ニ十

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日にヤーネル将軍より受領したもので大統領に興味深いものと考えます。

 十二月十九日

 上海の同盟通信社のホリグがUPのビーティーに伝えた報告によると、日本陸軍は海軍飛行士らに、蕪湖.南京間の船舶はすべて爆撃するよう命じたと述べている。この報告は極秘に渡されたもので、確証はとっていない。同報告はさらに、海軍中佐はこの命令に抗議したが、陸軍将校らの再度の命令により敢行されたと述べている。海軍は現在、爆撃命令を出したのは陸軍であることを公式に認めさせようとしているが、いままでのところ陸軍は青年将校の反対にあって、これを拒みつづけている。

 長谷川大将は今日電話でつぎのように陳述した。(1)海軍機は陸軍の命令により行動していた〔一般に陸軍が直接海軍に「命令」することはありえない。統帥権が別だからである。日本軍の資料では「情報提供を受けて」となる〕、(2)以前否認したのだが、機銃掃射を認めた飛行士が一人いた、(3)前線部隊との通信がうまくいかないために、陸軍将校から報告を得るのに骨折っている。

 ロイター東京発電によると、日本の海軍飛行部隊は南京を攻撃するにあたり、五〇回の爆撃に飛行機八〇○機を使用したとしている。この爆撃中、米英の砲艦は現地にいたし、これだけの回数爆撃をくりかえしたあとなので当然砲艦の存在は空中から日本軍の飛行士には十分認識されていたに違いない。パナイ号が多分にアメリカの砲艦であろうと気づいたにもかかわらず、陸軍から受けた命令を飛行士は強行したのである。パナイ号を攻撃した部隊のなかには、南京爆撃に参加した将校が確実に二人はいる。一人は少佐でもう一人は大尉である。

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十二月二十日

 今日付の『ニューヨーク・タイムズ』に橋本大佐〔橋本欣五郎大佐は蕪湖の日本軍砲兵連隊長で、彼は揚子江上のすべての船舶に対する発砲を命じた、とイギリスに通告〕の行動と日本陸軍の紀律に関する記事が掲載されている。松井が特別機でこの記事の情報をアベンド〔『ニューヨーク・タイムズ』の上海特派員〕に送ってきた。事実が公表されるようにと松井が個人的に頼みこんだのである。陸軍内部の問題をあえて報道するような日本の新聞はないので、松井は記事がアメリカで報道されて、そこにもられた情報が東京に打電されるのを希っている。

 記事には、日本陸軍に非常事態が発生していることが述べられている。また、パナイ号事件に関する日本政府のいかなる承諾も、陸軍の青年将校たちはおそらく無視するだろうと同記事は述べている。

 パナイ号撃沈によって、日本の陸軍と海軍に亀裂が生じるものと思われる。つまり、爆撃を行ったのは海軍に相違なく、それについては責めを負うけれども、それは陸軍の命令を敢行したにすぎないのだから砲艦の破壊は陸軍に責任があると海軍は指摘している。

      一九三七年十二月二十日
                  参謀副官・デンフェルド海軍中佐

 報告中の松井とは、中支那方面軍司令官松井石根大将のことであるから、この「誤爆」問題の背後には、アメリカとの関係だけではなく、陸軍と海軍の軋轢、陸軍の司令部と現地軍の齟齬・対立など

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の問題も秘められていることがわかる。が、これらの「謎」の解明は今後の課題として、ここでは深入りはしない。ただ、パナイ号事件は、さきの防衛庁戦史室『支那事変陸軍作戦(1)ɣ??にあるように「大事に至ることなく円満に解決した」のではなかった。それは、前に引用した「真珠湾への序曲」という副題のぺりーの本以外にも、つぎのようなタイトルの本が数冊あることに示される。

 マニー・T・コギノス『パナイ号事件―大戦への序曲』(ManneyT,Koginos "The Panay Incident: Prelude to War",1967)

 ハーラン.J.スワンソン『パナイ号事件―真珠湾への序曲』(HarlanJ. Swanson "The Panay Incident: Prelude to Pearl Harbor",1967)

 奇しくも二冊の本に「真珠湾への序曲」と同じ副題がつけられたように(ペリーがスワンソンの本を知らなかつたとのこと)、コギノスも含めて、アメリカの研究者はパナイ号事件を日米開戦への転機と位置づけている。そのことは、事件当時、その収拾に奔走した駐日米大使のジョセフ.C.グルー(JosephC.Grew)がすでに予告していた。一九三七年十二月二十六日に日米両国政府が「事件解決」を確認した日のグルーの日記によると、

「・・・だが戦争は、米国の主権を毀損するそれ以上の行為、あるいは公然たる侮辱の堆積によって、至極容易におこる。ここに危険が横たわる。しかもこれは、日本の政府と区別された日本軍部の無責任さを知る者は、だれとて将来の見通しから消し去ることの出来ぬ、本当の危険なのである。私はパネー事件の落着についての私の満足が一時的なものに過ぎず、過去五年間私がその上に日米関係の堅実な大廈高楼を建てようとつとめた岩が、当てにならぬ砂にこわれてしまった

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ことを、あまりにも明瞭に了解しながら、外相官邸を辞去した。」(同『滞日十年』上巻三一七頁)

 グルーは当時アメリカ国内でもかなりの影響力をもっていた対日宥和論者であった。

 日中十五年戦争において、首都南京攻略戦は日本がやがて米・英をも相手にする太平洋戦争の泥沼へと引きずりこまれていく転機になったが、パナイ号事件もその一環に位置づけて、もう一度見直してみる必要があるように思う。

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