15年戦争資料 @wiki内検索 / 「二・二六事件と『時事新報』の抵抗」で検索した結果

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  • 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア
    ...年 30  二・二六事件と『時事新報』の抵抗(未作成)  1936(昭和十一)年 http //maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/30.pdf 31  斎藤隆夫の粛軍演説  1936(昭和十一)年 32  2・26事件以後、阿部定事件・新聞記者恐怖症″、腹切り問答 1936(昭和十一)年 33  国策通信会社「同盟通信社」の誕生  1936(昭和十一)年 34  日中戦争を挙国一致報道で支持した新聞メディア  1937(昭和十二)年 35  日中戦争とメディア=〝紙不足〟が新聞統制を早めた  1937(昭和十二)年 36  南京虐殺を「武士道の精華」と報道した新聞(上)  1937(昭和十二)年 37  検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺  1937(昭和十二)年 ...
  • 天皇と東大:目次
    天皇と東大 大日本帝国の生と死 アマゾン(上) アマゾン(下) 目次 上巻 第一章 東大は勝海舟が作った 第二章 明治四年、東大医学部は学生の八割を退学させた 第三章 初代学長・加藤弘之の変節 第四章 『国体新論』と「天皇機関説」 第五章 慶応は東大より偉かった 第六章 早大の自立精神、東大の点数主義 第七章 元落第生・北里柴三郎博士の抵抗 第八章 「不敬事件」内村鑑三を脅した一高生 第九章 東大国史科の「児島高徳抹殺諭」 第十章 天皇「神格化」への道 第十一章 日露開戦を煽った七博士 第十二章 戸水寛人教授の「日露戦争継続論」 第十三章 戸水事件と美濃部達吉 第十四章 元白虎隊総長・山川健次郎の奔走 第十五章 山川健次邸と超能カ者・千里眼事件 第十六章 沢柳・京大総長の七教授クビ切り事件 第十七章 東大経済は一橋にかなわない ...
  • 第1章 二・二八事件
    図説 台湾の歴史 ポストコロニアルの泥沼 第1章 二・二八事件 第1章 二・二八事件1―戦争期世代 2―黎明を迎えて 3―顛末 1―戦争期世代 もし人類社会にいわゆる「共同記憶」(甘美なものにせよ、恐怖の記憶にせよ)があるとしたら、二・二八事件は台湾本省人にとっては共同の悪夢と言うことができる。悪夢のさなかにある人は、叫びたくとも声が出ず、心の重石を除けたくとも除けられない。目覚めた後にも、しばしば動悸がなお残っている。ましてやこの二・二八の悪夢は、四十数年にもわたって続いてきたのである! 半世紀も経た現在でも、今なお振り切れない陰影のように、引き続いて私たちにまとわりついている。もしこの夢魔の幻影を徹底的に消し去ろうとするならば、まずそれをしっかりと正視し、それを分析し、客体化された共同の認識としなげれぼならない。 「はじめに」で述べたように、台湾の若い世代は「光...
  • 昭和史の謎を追う(上)
    昭和史の謎を追う(上) 著者略歴(はたいくひこ) 目次 昭和史の謎を追う(上) 1993年3月5日第1刷 1993年5月15日第4刷 著者 秦郁彦 発行者 堤尭 発行所 ㈱文蟄春秋 著者略歴(はたいくひこ) 昭和7(1932)年山口県生れ。31年東京大学法学部卒業。ハーバード大学、コロンビア大学留学を経て、防衛研修所教官、防衛大学校講師、大蔵省財政史室長、プリンストン大学客員教授。現在は拓殖大学教授。法学博士。著書に『昭和史を縦走する』(グラフ杜)『史 録・日本再軍備』(文塾春秋)『裕仁天皇五つの決断』(講談杜)『南京事件』(中公新書)『第二次大戦航空史話』(光風杜出版)『昭和史の軍人たち』(文春文庫)『日本陸海軍総合事典』(東大出版会)などがある。 目次 第1章 田中上秦文から「天皇の陰謀」まで 偽書の系譜と役割/世界を征服せんと欲せば/上奏文をめぐる...
  • 「土俵をまちがえた人」(1)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(1) 手榴弾への疑問 曽野綾子さんの「お答え」を呼んで、一面、非常に満足している。渡嘉敷島の赤松問題については、だいたい白黒がはっきりしたと思うからである。というのは、私が出した、いちばん重要な問題――手榴弾が、なぜ、住民に渡されたか、同一行動(降伏勧告、逃亡)について、住民は殺され、兵隊は見逃されている事実――に関しては、なんの回答もないからである。この論争は、これでケリがついたようなものだ。他の面では、曽野さんの「お答え」には、がっかりした。もっと期待していたが、その調子が低いのには拍子抜けである。曽野さんの「お答え」にたいする答えは、あと回しにする。 まず、根本的な問題、手榴弾が住民に渡されたこと、その他について補足説明、または言及しておきたい。 ▼弾薬類は兵隊の手にかんたんに渡るものではない。昭和十一年の二・二六...
  • メモ「日本スポーツ放送の歴史」
    http //ww1.tiki.ne.jp/~sisho007/column/sportsnhk.htm メモ「日本スポーツ放送の歴史」 日本におけるラジオ放送の歴史。 東京放送局(現NHK。以下NHKと表記)が1925年3月22日に試験放送開始。 本放送は同年7月12日に開始。 日本におけるラジオ放送の普及は、結果として軍部が指導したことにもなった。 国民の士気鼓舞にラジオを利用したためである。 そのきっかけとなったのは、二・二六事件での「兵に告ぐ」放送だった。 軍部は、事件の早期解決に果たしたラジオの役割を評価して 情報局を設置して放送によるプロパガンダに取り組むことになる。 (戦後のテレビ普及では皇太子成婚が最も大きな原因となったことと対照的) その時点で、知名度の高いアナウンサーなどは 軍人でさえ最敬礼して迎えるほどの社会的名士となっていた。...
  • 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪
    トップページ | 沖縄戦資料index 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪 佐木隆三 徳間文庫1982年(最初は1976年新人物往来社から単行本) 目次 沖縄玉砕と占領(序) 日本兵による虐殺の証言 真和志村の戦時住民虐殺「日本兵が子どもを毒殺し、母親を慰安婦あつかいした」という親泊朝政さんの証言 "食糧よこさぬ"と沖縄人を撲殺した日本兵――豊見山ヨネコさんの証言 スパイ呼ばわりを憤る宮城トヨさんと、沖縄戦で一族二十五人失った比嘉賀真さんの証言 竹ヤリで<一人十殺一戦車>の自殺戦法を強いられた長堂嘉正さんの証言 ことばまで奪われた沖縄と三つの虐殺を証言する知念栄章・新垣正達さん 南風原村と国頭郡の"日兵逆殺"<日兵逆殺>の墓標が証言する新垣弓太郎・タガ子夫妻のこと 赤子赤子といって天皇は沖縄に何をしたか――仲間亀...
  • 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年  満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現...
  • 週刊朝日:田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ
    週刊朝日2008.11.28号 P33-35 田母神論文は「上杉謙信が女だった」という珍説と同じだ TEXT書き起こし:ホドロフスキさん http //d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20081205 日本は侵略国家であったのか。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文審査委員会で「満場一致で」最優秀賞に選ばれたという。その"最優秀の論文"の中身とは――。近現史家の秦郁彦氏と軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が読み解く。 秦郁彦 (現代史家) はた・いくひこ 1932年生まれ、大蔵省、防衛省に勤務。02年まで日本大学教授。著書に『昭和史の謎を追う』(文春文庫)、『南京事件』(中公新著)など。 田岡俊次 (軍事ジャーナリスト) たおか・しゅんじ 1941年生まれ。元朝日新聞編集委員。現在、朝...
  • 沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
    沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 資料 沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 大城将保『沖縄戦の真実と歪曲』(高文研・07.10.10)より 07.10.25講演セミナーで配布されたプリントを表形式にし、事件が起こった場所を地図上にプロットした。 「集団自決」と「住民虐殺」の事例 「集団自決」も「住民虐殺」もこれまで国も県もまともな調査を行ったことはない。したがって発生件数も犠牲者数も公式の数字というものはない。それでも県史や市町村史、新聞、雑誌などには体験者の手記や証言として両事件に関する記事が散見される。管見(かんけん)の及ぷ限りそれらの情報を集めて、なるべく現場に足を運んで確認したものが次の一覧表である。もちろん氷山の一角にすぎない。たとえば一家全滅が多いのも沖縄戦の特徴であるが、死者たちは自ら証言が出来ないからである。(大城将保氏 ...
  • (口)軍刑法による造言飛語の防止
    2 気運を統一する(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止造言飛語罪とは 他の法令との関係 造言飛語罪の実例 (ハ)銃後の刑事事件の状況 目次 2 気運を統一する (イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止 造言飛語罪とは 軍刑法である「陸軍刑法」の第九十九条と「海軍刑法」の第百条は造言飛語罪を定める。双方まったく同じ条文である。戦時または事変に際し、軍事に関する造言飛語を禁じている。 造言飛語とは、確かでないこともしくは事実ではないつくりごとや噂を指す。平時ですら人々の心に動揺を与えかねない造言飛語が、戦時または事変下という特異な社会的雰囲気のなかで流 150 されたらどうなるか。しかも、その内容は軍事に関するものである。 そうなれば、「軍内の士気を沮喪せしめ、又軍をして不必要なる警戒を為さしめ...
  • 検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺
    兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア <2004年8月> 『兵は凶器なり』(37)15年戦争と新聞メディア       1935-1945 http //www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/nannkinnjiken2_040811.pdf 検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺 前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授) 南京に入城した日本軍は、「南京アトロシティ」(南京大虐殺)として知られる事件を引き起こす。中国兵、捕虜や、「便衣兵」の処刑、住民も無差別に殺害、婦女子へのレイプ、殺害、略奪と放火が繰り返された。当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。鳴乎、之れが皇軍か」と記述してい...
  • 「百人斬り競争」と南京事件 内容目次
    「百人斬り競争」と南京事件 史実の解明から歴史対話へ   笠原十九司 大月書店 2008年6月20日第1刷 内容(「BOOK」データベースより) 「百人斬り競争」を“賞賛”した時代があった。軍人はなぜ日本刀を携行したのか。「百人斬り」は可能か。「百人斬り競争」は創作記事か。文献史料を徹底的に検証し、歴史学の立場から「論争」に終止符を打つ。 「百人斬り競争」と南京事件 掲載史料 部内資料 内容目次 はじめに  7  「百人斬り競争はあったとおもいますか」 7  「百人斬り競争」を英雄視した時代があった 10  注 14 第1章 「百人斬り競争」を生み出した戦争社会 15 1 軍人はなぜ日本刀を携帯したのか 15 軍特権クラスの権威誇示 15  日本軍の前近代的な武器 18  中国戦場で日本刀が使われた理由 22  日本刀と白兵戦 26  ...
  • 1968~1973の関係者経緯
    「ある神話の背景」の研究 今日の訪問者 - 1968~1973を中心とする関係者経緯 1958 昭和33年の春ごろ。『週刊朝日』『サンデー毎日』 1961 曽野綾子、文芸春秋社の講演で今東光、中村光夫と共に沖縄行 1963.4号 『家の光』宮城初枝手記「沖縄戦最後の日」 1967.12 ※5曽野、仲宗根政善と三人の元師範生と会う 1968.1 防衛研修所戦史室『戦史叢書・沖縄方面陸軍作戦』刊  渡嘉敷島赤松戦隊長、中村、富野、皆本中隊長の回想反映(引用文献に、「戦闘記録」赤松著(昭和21年1月浦賀復員時復員局に提出)はあるが『第3戦隊陣中日誌』はない) 1968.1.14 戦後23年目にはじめて開かれた「渡嘉敷島海上挺身(ママ)隊第三戦隊」の"同窓会" 1968.4.6号 ※1『週刊新潮』赤松氏談話(マスコミデビュー) 1968 4.8朝刊...
  • IV 女子勤労挺身令
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅳ 女子勤労挺身令 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅳ 女子勤労挺身令1 女子勤労挺身令 2 「美談」と「現地報告」 3 帰国 参考文献 1 女子勤労挺身令  1944年6月6日、国家総動員審議会で、「女子挺身隊に依る勤労協力に関する勅令案要綱」が可決された(大原社会問題研究所、13。佐藤、253)。おそらくはそれをうけて、8月22日、女子挺身勤労令が勅令519号として公布され、即日施行された。これは、地方長官が市町村長、その他の団体の長または学校長に対して「隊員ト為ルベキ者ヲ選抜スベキコトヲ命ズルモノトス」などとしたもので(労働省、1132~34)、「これまで...
  • 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・
    <2004年 1月> 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア 『兵は凶器なり』③   -15年戦争と新聞―― 1926-1935 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・ 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) http //sweb.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040121_heihakyoukinari3gennronndannatunorekishi.pdf 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・1・・・新聞紙法の悪法たる理由 2・・・普通選挙法と抱き合わせで、治安維持法を改悪 3・・・掲載差し止め事項の内容は3種類 4・・・多岐にわたった掲載禁止事項、16 項目で恣意的 5・・基準は抽象的でどうにでも拡大解釈可能 6・・クモの巣にからまれた言論の自由 7・・・風俗壊乱記...
  • 日本の侵略の底流をなしたもの
    日本の侵略の底流をなしたもの 明治以来のアジアに対する差別的民族観による破局 高嶋伸欣 一九四五年八月の敗戦からまもなく半世紀になろうとしている昨今、日本ではなお、アジア・太平洋戦争あるいは十五年戦争で、どのような侵略行為をしていたのか、さらにはあの戦争は侵略戦争だったのかについて、議論がつづいている。なぜ、これまでの間に戦争を実行した世代によって、それ、についての事実の確認や意味づけなどの総括がすませられなかったのか。戦勝国による東京裁判などの戦犯追及でよしとしたこと、戦争責任の議論が天皇のそれに及ぶことを避けようとしたこと、あるいは国民の多くになんらかの形で侵略にかかわっていたという意識があったことなど、さまざまな要因があげられる。 ともあれ、結果として半世紀近くもの間、侵略の事実の究明は遅れ、戦後補償の議論も最近になってようやく進められようとしている。その間に、日本...
  • 長勇参謀長の「『一人十殺』これでゆけ」
    http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20071201 長勇参謀長の「『一人十殺』これでゆけ」  以下は、沖縄戦の戦闘が始まる2ヶ月前と1ヶ月半前の、第32軍参謀長である長勇少将の新聞談話である。当時の沖縄の新聞は軍部によって「沖縄新報」1紙に統合されていた。 長参謀長は新聞紙上で次のように住民を煽った。 「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ。即ち一人一〇殺の闘魂をもって敵を撃破するのだ」、「従って戦場に不要の人間が居てはうかぬ。先ず速やかに老幼者は作戦の邪魔にならぬ安全な所へ移り住むことであり、稼働能力のある者は『俺も真の戦兵なり』として自主的に国民義勇軍などを組織し、此の際個人の権利とか利害などを超越して神州護持のため兵隊と同様、総てを捧げることだ」、「敵が上陸し戦ひが激しくなれば増産も輸送も完封されるかも知れぬ。その時...
  • II 「半島女子勤労挺身隊」の結成
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅱ 「半島女子勤労挺身隊」の結成 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅱ 「半島女子勤労挺身隊」の結成1 女子戦時動員のはじまり 2 女子勤労挺身隊の結成と出動 3 挺身隊のがれ 参考文献 1 女子戦時動員のはじまり  日本(当時の「内地」)において労働力の戦時動員が本格的にはじまったのは、日中戦争開始から1年もたたない1938年4月、国家総動員法が公布されてからである。動員は成人男子に始まり、1939年には早くも女・子供や朝鮮人の動員が計画されるようになった。同年7月に閣議決定された「昭和十四年度労務動員実施計画綱領」は、労働力の「給源」として、「女子無業者」「昭...
  • III 日本への動員
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅲ 日本への動員 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅲ 日本への動員1 東麻沼津 2 不二越 3 三菱名航 4 その他 参考文献 1 東麻沼津  「半島女子勤労挺身隊」が最初に朝鮮(当時は「半島」と呼ばれた)から日本(当時は「内地」と呼ばれた)に出動したのは、1944年4月のことである。出動したのは慶尚南道隊(道単位の隊は「中隊」と呼ばれることもあった)の約100名で、出動先は静岡県にあった東麻沼津工場である(戦後責任を問う「釜関裁判」を支援する会b、16~18)。  釜山の有楽国民学校6年生、李英善・姜容珠・鄭水蓮らは、担任教師が「給料もよいし勉強させても...
  • 図説 台湾の歴史
    図説 台湾の歴史 Amazon 単行本 229ページ 出版社 平凡社 (2007/02) ISBN-10 4582411061 ISBN-13 978-4582411065 発売日: 2007/02 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 周 婉窈 1956年台湾嘉義県生まれ。国立台湾大学歴史学科で学士号(1978)、修士号(1981)を取得後、アメリカ・イエール大学で博士号(1991)を取得。1991‐93年、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学歴史学科で教鞭をとる。1994年に台湾に戻り、中央研究院台湾史研究所副研究員に就任、後に研究員(教授)となるが、2006年より国立台湾大学歴史学科教授。日本植民地統治期の研究を中心に、清代女性史、明清代の台湾史についても研究。 目次 日本語版への序文 New! [本編] 先史時...
  • 琉球新報=毎日:シンポジウム:右傾化に危機感
    http //mainichi.jp/area/okinawa/news/20081130rky00m040007000c.html シンポジウム:右傾化に危機感  沖縄戦没者の靖国神社への合祀(ごうし)問題について考えてもらおうと「今だからヤスクニ知ってみませんか?語ってみませんか?」シンポジウム(靖国合祀ガッティンナラン訴訟と共に歩む会主催)が29日、宜野湾市の沖縄国際大で行われた。作家の目取真俊さん、石原昌家沖国大教授、彫刻家の金城實さんが参加した討議があり、靖国神社を根底とした思想の右傾化や有事法制、国民保護計画の流れに警鐘を鳴らした。  目取真さんは自衛隊増強などの日本の防衛計画や有事法制の流れに伴い、右傾化した思想を持つグループの活動が活発化してきたと指摘。靖国神社を支持する弁護士らが岩波・大江訴訟にかかわっている経緯などを紹介し「国のためにわが子をささげるとい...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か4
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―4 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p179-183 目次 4 【引用者註】言動が信用できない赤松に信をおく 赤松隊「陣中日誌」に、「三月二十九日も曇雨。昨夜より自決したるもの約二百名。首を縛つた者、手榴弾で一団となって爆発したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で頚部を切断した者、戦いとは言え、言葉に表し尽し得ない情景であった」と、あたかも目撃したように記録してある。 ところが、『ある神話の背景』では、「集団自決の情景」をみたものは、赤松隊には誰もいなかったことになっている。 179 赤松の話では、第三戦隊陣中日誌は主に谷本候補生(伍長)が書いたという。 陣中日誌に関しては、作戦要務令第三〇八条から第三一七条の各条で...
  • 中国侵略軍を慰問する―徳川義親
    タイトル: 最後の殿様 徳川義親自伝 責任表示: 徳川義親 著 出版地: 東京 出版者: 講談社 出版年: 1973 資料形態: 231p 肖像 680円 注記: 書誌注記 付 徳川義親関係略年表 最後の殿様 徳川義親自伝中国侵略軍を慰問する机上で戦争する幕僚 慰問団長として上海へ 麻薬で軍資金を調達 "あれを撃て" 最前線ヘ 忘れられぬ老兵 徳川 義親(とくがわ よしちか) 最後の殿様 徳川義親自伝 p168-178 中国侵略軍を慰問する 机上で戦争する幕僚 蘆溝橋事件が起こる前の六月四日に、近衛文麿くんが内閣総理大臣になった。近衛くんは頭のいい人だが、実行派ではない。頭がよすぎて目先が見える。見えすぎるために大胆になれない。ぼくのように無謀なことはできない。長所が短所となる。近衛くんを首相にしたのはよかったのか、悪かったのか、歴史家は...
  • 尖閣問題に沖縄の視点を 新崎盛暉 2010年10月4日琉球新報
    尖閣問題に沖縄の視点を   国境を超え民衆交流を   相互理解を築く努力重要 新崎盛暉 沖縄大学名誉教授 2010年10月4日『琉球新報』掲載  尖閣諸島を自国の「固有の領土」だとする日中両国の応酬は、今に始まったことではない。そして、日米同盟至上主義的立場に立つ閣僚、議員、官僚あるいはそれに連なる論者たちが、露骨に、あるいは示唆的に強調してきたのが、中国の尖閣侵攻に対する抑止力としての在沖米軍である。もとよりこのような強引な基地押し付けの論理は、沖縄に対してはほとんど説得力を持たなかった。  だが、今回の事件をめぐる中国側の高圧的ともいえる対応は、沖縄にもある種の衝撃を与えた。それが幾つかの地方議会の決議などになって現れている。しかし、沖縄が独自な自己主張をする場合には、観念的な「固有の領土」論に巻き込まれないよう注意する必要がある。尖閣諸島が沖縄の一部だ...
  • 阪神教育闘争・文献リスト
    12・4黒い彗星★救援会1・23報告集会記念 4・24阪神教育闘争63周年記念 文献リスト (漸次更新します。私の視野は狭いので皆さんからの捕捉を御願いします。by pippo) 文献リスト【WEB】 【映像】 【出版物】まず、この文献リストを参照してください 運動圏 公安権力側 在特会ルーツ ホットな論考としては、 配付資料集 御意見・御質問 【WEB】 ●民団ニュース「阪神教育闘争の物証 米公文書館にあった」 http //www.mindan.org/sidemenu/sm_hundred_14.php ●民族教育ネットワーク http //www.ne.jp/asahi/m-kyouiku/net/ ●同上「阪神教育闘争50周年集会の記録」 http //www.ne.jp/asahi/m-kyouiku/net/50syuunen.htm ●同...
  • 1 過酷な征服
    日清・日露戦争 第4章 台湾征服戦争 1 過酷な征服 1 過酷な征服北守南進策の台湾 台湾の自生的発展 台湾民主国と占領戦争 台湾平定宣言 その後の抵抗運動と弾圧 腐敗と堕落 北守南進策の台湾 狭義の日清戦争は終わったが、戦争そのものは続いていた。清国が譲渡した台湾での中国人による抵抗が続いていたのである。 台湾に注目し、その占領と清国からの割譲を要求するのは、政府と軍部の了解事項であった。松方正義は北守南進論の構想を持ち、一八九四(明治二七)年冬、一つの意見書を、同じ薩摩閥の川上操六(そうろく)参謀次長に送った(『公爵松方正義伝』)。松方は、天津から北京を占領するより台湾占領の急務を提案し、これを占領せずに終戦となるのは「百年の遺憾千秋の失敬このことと存侯」とまで重要だと位置づける。「我邦の前途は、北に守りて南に攻るの方針」を取らねばならない、台湾は、マレー半島...
  • I はじめに(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅰ はじめに(高崎論文) 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅰ はじめに(高崎論文)1 問題提起 2 研究論文と資料 参考文献 1 問題提起  「従軍慰安婦」問題の波紋が広がり始めた1991年当時、日本では、「朝鮮人従軍慰安婦」は「女子挺身隊」という名によって強制連行された、と広く信じられていた。新聞記者や野党議員等が次のように書いたり、話したりしていたからである。  「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊...
  • チェック資料: 沖縄戦、県民疎開に尽力した知事
    http //yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/08/06/%e3%80%8c%e3%80%80%e6%b2%96%e7%b8%84%e6%88%a6%e3%80%81%e7%9c%8c%e6%b0%91%e7%96%8e%e9%96%8b%e3%81%ab%e5%b0%bd%e5%8a%9b%e3%81%97%e3%81%9f%e7%9f%a5%e4%ba%8b%e3%80%80%e3%80%8d/ 沖縄戦、県民疎開に尽力した知事 『週刊新潮』 2009年8月6日号 日本ルネッサンス 第373回 櫻井よしこ 沖縄の星雅彦氏が興奮気味に電話をかけてきた。 「昭和19年11月3日、那覇市で県民決起大会が開かれ『県民一丸となって戦おう、元気な者は皆戦おう。老人と婦女子は日本古来の伝統にのっとり、後顧の憂いなからしめるために集団自決しよ...
  • 三 なぜ南京大虐殺事件か
    南京大虐殺の真相 三 なぜ南京大虐殺事件か 南京大虐殺事件(略称の意味で南京事件という呼称を使う)とは、南京攻略戦と南京占領時における日本軍の中国軍民に対する虐殺・残虐行為の総称である。それは日中戦争の侵略的性格を象徴する事件であるとともに、次のような南京事件としての特異性もそなえた事件であった。 宣戦布告のない一方的侵略戦争で一国の首都を占領し、首都住民をまきこんだ包囲殲滅(せんめつ)戦を展145開したことによって生じた事件である。南京は国民政府の首都として百余万の人口をかかえた新興大都市であった。ある本に誤植で「東京大虐殺」とあったのを見たことがあるが、もしも日本の首都でそのような事件がおこされたとしたらどうするかを考えると、「南京大虐殺」のもつ象徴的であるとともに深刻な意味が想像できる。^  中国の首都なるがゆえに、膨大な日本軍が長期にわたって占領をつづけたために(それも長江...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>
    [日中歴史共同研究]] 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1>1.朝鮮半島をめぐる対立と日清戦争■朝鮮半島をめぐる日中対立 ■日清戦争の勃発から講和へ ■日清戦争の位置づけをめぐる日中の議論 2.義和団事変と中国をめぐる国際政治の変容■日清戦争後の中国をめぐる国際政治 ■戊戌変法と日本 ■義和団事件と北京議定書(辛丑和約) 3.「近代」をめぐる日...
  • 一 一橋出版「世界史A」「世界史B」の南京事件記述
    中国女性にとっての日中十五年戦争 一 一橋出版『世界史A』『世界史B』の南京事件記述 私たちが一橋出版から新しく発行する世界史の教科書では、南京大虐殺事件(略して南京事件という)についてかなり詳しく叙述している。『世界史A』では「日中戦争と抗日戦争」という筋立で、本文半ぺージをさいて南京事件の生じた経緯を記述し、『世界史B』では「中国の抗日戦争」というテーマで、ほぼ一ぺージをつかって、南京大虐殺がどのような経緯でなぜ発生したかを、日本兵士の日記を引用しながらできるだけ具体的に記述した。おそらく日本の歴史教科書のなかで、これほど詳しく南京事件に言及したのは一橋出版の世界史教科書が初めてではないかと思う。 周知のように、南京大虐殺と日本軍の中国掃女凌辱の問題は、第三次家永教科書検定訴訟の重要な争点の一つである。とりわけ、中国婦女凌辱の問題については、教科書検定で厳しくチェックされ、従...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か5
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―5 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p184-188 目次 5 【引用者註】欺瞞的な「抗戦」と「降伏」の苦しい弁護 防衛庁防衛研修所戦史室による『沖縄方面陸軍作戦』中の「海上挺進第三戦隊(渡嘉敷島の)戦闘」に、左の記述がある。 「八月十六日米軍から終戦の放送があったので、戦隊長は十七日木村明中尉以下四名を米軍に派遣して確認させた。 翌十八日戦隊長は米軍指揮官と会見し、終戦処理について協議し、まず停戦を協定し、八月二十四日、一〇〇〇部隊全員武装解除を受けた」と。 右は赤松元戦隊長提供の資料に基づくものである。 赤松戦隊長は、部下本隊(八月二十四日降伏)より約一週間早く、米軍の保護下にはいっていることになる。終戦...
  • 防空演習
    防空演習 「空襲だ!水だ!マスクだ!スウヰッチだ!」 1928(昭和二)年7月5日から三日間、大阪市で日本初の都市防空演習が実施された。市内各所で、防毒、消防、救護、灯火管制の訓練が行われた。翌一九二九年には、名古屋で同様の訓練が行われた。1930年代に入ると、軍港や軍事施設のある都市を中心に、防空演習が盛んに行われるようになる。しかし、当時は、空襲のリアリティは希薄で、市民の関心はいま一つ盛り上がらなかったようである。この頃の防空演習は、焼夷弾よりもむしろ毒ガス攻撃に対する防毒訓練のほうが重視されていた。一般的な消火・避難訓練よりも、国民の危機感をあおり、緊張を強めて地域社会・市民の「下から」の動員をはかり、管理・統制する上で効果的と判断されたからだろうか。( 防毒マスクが似合う街水島朝穂 ~『三省堂ぶっくれっと』No.116 July, 1995 より) 『わが家の防...
  • 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同
    今日の訪問者 - 『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 (引用者注)この稿は、「関西沖縄文庫」様よりご提供いただいた伊敷さん論文の別刷(下記写真)をタイピングしなおしたものです。「関西沖縄文庫」様に深く御礼申し上げます。 関西沖縄文庫:関西の沖縄情報・文化・芸能の発信基地である「関西沖縄文庫」が大阪・大正区から発信 http //okinawabunko.hp.infoseek.co.jp/ (クリックして拡大) 迫手門学院大手前中・高等学校 紀要第五号 1986年3月30日 『渡嘉敷島における戦争の様相』と     『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同 伊敷 清太郎 (引用者注)大阪地裁の公判において『渡嘉敷島における戦争の様相』は原告側証拠甲B23及び被告側証拠乙3として提出されました。また、『慶良...
  • 虐殺は嘘19に対して
    虐殺は嘘19誰も知らなかった虐殺5毛沢東 2006/ 7/19 0 47 [ No.11126 / 12177 ] 2006/ 7/20 1 46 [ No.11141 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11141 1938年1月、毛沢東が週刊誌『群衆』で、 「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録を...
  • (ハ)銃後の刑事事件の状況
    2 気運を統一する(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止 (ハ)銃後の刑事事件の状況減少傾向 刑法犯の実例 目次 2 気運を統一する (イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止 (口)軍刑法による造言飛語の防止 (ハ)銃後の刑事事件の状況 減少傾向 昭和十四年の五月十五日から二十日まで、地方裁判所長や検事正などを集めて、同年度の定例司法長官会同が開かれた。泉二新熊(もとじしんぐま)大審院長の口演もあった。そのなかで、かれは、シナ事変の発生以来、刑事の訴訟事件は減少的傾向を示している、と述べた。確かにそうである。十五年末に発表された十四年の裁判所及検事局取扱事件表によると、刑事事件数の推移はこうである。 158 区裁判所 地方裁判所 控訴院 大審院 十一年 一二七、二六二 二七、七九六 三、一二八 四、二〇三 十二年 一二〇、五九七 二〇、九六...
  • 「光復、すなわち光が台湾に戻ってきた」
    図説 台湾の歴史 [戦後篇] ポストコロニアルの泥沼 はじめに 「光復、すなわち光が台湾に戻ってきた!」 これが、1945年8月15日、天皇の玉音放送後、直ちに台湾に遍(あまね)く行き渡った新しい事態と状況についての共通の認識であった。「光復」というのは古くからの言葉で、固有のものを回復すること、とりわけ失われた国土の回復を指し、漢文の基礎知識を持つ台湾人からすれぼ一目瞭然、台湾が祖国〔中国〕に復帰したことを意味したのである。しかしながら長く日本教育を受けた若い世代の台湾人は、大多数が漢文を理解できず、「光復」という概念が脳裏になかった。そこで彼らは、世間で鳴り響いている「光復」は、すなわち「降伏」を意味すると勝手に解釈していたのである(「光復」の日本語読みは、kofukuである。「降伏」も同音で、つまり日本の敗北・投降ということになる)。確かに日本は降伏した。しかし、その時す...
  • チェック資料:「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」
    江崎孝氏による転写物 http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/9c9d509c28d9face63237e388e44e681 チェック用 週刊新潮記事お持ちの方は、誤記指摘意見、書き込んでください 『週刊新潮』 2009年7月16日号 日本ルネッサンス・拡大版 第370回 「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」 櫻井よしこ   「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」引用者ひとこと 「軍令」「軍命」・・・言葉の怪かし (pre-) 「沖縄の人々の責任」 「掲載拒否」 取材対象を黙殺 江崎さんに差し上げたコメント 誤記指摘、意見 引用者ひとこと 江崎孝氏は、週刊新潮発売後1週間たって櫻井よしこ氏の記事全文をブログに載せた。江崎氏はすでに7/9にその紹介文を載せているが、そこ...
  • 4 台湾人と日本語
    植民地支配と日本語 第一章 台湾における日本語普及政策 4 台湾人と日本語 日本の諸植民地および占領地域のなかで、台湾は日本語の普及率がもっとも高かった。それは、 44 日本語普及政策のもとで、長期問にわたって強制的に日本語教育が推しすすめられたためであり、くわえて、台湾の特殊な環境、政治、歴史条件などもあった。台湾総督府文教局長を担当していた島田昌勢は、こうした台湾での言語政策の「成功」に自惚れ、さらにほかの植民地や占領地域への「台湾経験」の役割を強調して次のように述べている。 台湾における国語問題は、本島統治に殊に皇民化の根蒂にして教育教化の生命なり。されば領台以来当局並に教育教化の任にある者は、誠心を傾倒して国語の普及徹底に不断の努力を続け、……今や我が国語は国運の伸張に適従し、興亜の大使命を帯びて大陸に進出するの雄雄しき態勢にあり。外地台湾における国語教育多年...
  • 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>  満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 2.関係安定化の模索と挫折 4)梅津・何応欽協定 広田や重光が、満...
  • 第五章 上海
    第五章 上海  1月末上海に於いて戦闘発生せり。2月20日迄の本事件の経過概要は聯盟の任命せる領事国委員会に依り既に報告せられたり。領事国が2月29日、東京に到着せる時、戦闘は猶進行中にして、上海に於ける日本政府の武力干渉の起因、動機、及結果に関し調査団は同政府当局と数度討議を行いたり。調査団が3月14日、上海に到着せる時は戦闘は終了し居たるも停戦交渉は難関に在りたる次第にて恰も此の時に当り調査団が到着したることは機を得たるものにして良好なる空気を助成せしやも知れず。調査団は最近の敵対行為に基づく緊張せる感情を諒解し且又本紛議に関連する困難及問題の双方につき直接且明確なる印象を得たり。調査団は領事国委員会の事業を引継ぎ又は上海に発生せる最近の出来事に付特に研究すべき旨の訓令を受けたることなく却って調査団は支那政府においては調査団が上海に於ける事態調査の為其の満州に赴くことを延引すべしと...
  • 【日経】言論弾圧の「横浜事件」、再審開始を決定 第4次請求で横浜地裁
    http //www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081031AT1G3100U31102008.html 【日経】言論弾圧の「横浜事件」、再審開始を決定 第4次請求で横浜地裁  戦時中の大規模な言論弾圧事件として知られる「横浜事件」で、治安維持法違反の罪で有罪判決を受けた元改造社編集部員、故小野康人さんの遺族が起こした第4次再審請求について、横浜地裁(大島隆明裁判長)は31日、再審開始を決定した。同地裁は決定理由で、「拷問を受け虚偽の自白をした」とする小野さんの口述書などを「無罪を言い渡すべき新たな明確な証拠」と認定した。  元被告の小野さんは同法違反罪で懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受け、確定している。  弁護人らは、有罪判決が前提としている「(日本共産)党再建準備会」の存在や、雑誌「改造」に掲載された政治評論家の細川嘉六氏の「世...
  • 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案
    統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案「『昭和の戦争』について」ネタ元? 典拠 【目次】 ネタ元? 自衛隊統合幕僚高級幹部となる為に教え込まれた歴史認識 田母神論文のネタ元ではないか、という指摘もある! http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20081106/p1#c 余りにも稚拙な歴史学を学んでいるのは、ひとり田母神俊雄前航空幕僚長だけではない。というか、田母神が校長を務めていた幹部学校でこの稚拙な歴史学が教えられていたのである。 統合幕僚学校 典拠 西尾幹二のインターネット日録 2006年06月 http //nishiokanji.com/blog/2006/06/ より 【資料】 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 講義...
  • 八 中国婦女凌辱の歴史事実を正視することの意味
    中国女性にとっての日中十五年戦争 八 中国婦女凌辱の歴史事実を正視することの意味 前述の『戦争とはなにか』を書いたティンパレーは、『上海時代』の著者松本重治氏とは日中戦争当時、上海で知己の間柄であった。ティンパレーの本の出版をめぐる松本氏との以下の会語は、南京事件とりわけ婦女凌辱問題を日本の戦争学習において教えることの意義を示唆しているように思う。 ティンパレー「これは、よき日本人に対しては、まことに済まぬことながら、ひろく戦争が人間というものを変えてしまうという、悲しむべく、また憎むべきことを世界に周知せしめたいのです。・・・・・この本はあくまで反戦的編著として受け取ってくれ。」松本重治「ティンバレー君、私も日本人の端くれである。南京の暴行、虐殺は、全く恥ずかしいことだと思っている。貴著が一時は、反日的宣伝効果をもつだろうが、致し方ない。中国人に対し、また人類に対し、われわれ日...
  • 南京大虐殺の研究・晩聲社
    南京大虐殺の研究 晩聲社1992 南京大虐殺の研究(目次) まえがき(未作成) Ⅰ 上海戦と南京進撃戦-南京大虐殺の序章---江口圭一 一、日中戦争の開始 二、上海戦と南京戦 三、南京進撃(未作成) 四、大虐殺の序章(未作成) 五、『南京戦史』批判(未作成) 南京攻略戦の展開---藤原彰 一、南京戦の開始(未作成) 二、南京攻略戦の作戦計画(未作成) 三、南京の攻略戦(未作成) 四、捕虜の組織的虐殺(未作成) 五、敗残兵・便衣兵の殺害(未作成) 六、市民への残虐行為(未作成) 七、『南京戦史』批判(未作成) 南京事件と国際法---吉田裕 一、投降兵・捕虜の殺害と国際法 二、「便衣兵」は存在したか 三、敗残兵の殲滅 四、第三国権益の侵害 五、おわりに Ⅱ 幕府山の捕虜集団虐殺---本多勝一・小野賢二 一、事件の...
  • 2 北ビルマにおけるインパール作戦後から終戦に至る戦況
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 2 北ビルマにおけるインパール作戦後から終戦に至る戦況 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る2 北ビルマにおけるインパール作戦後から終戦に至る戦況 注《浅野論文》  1944年初頭から開始されたインパール作戦が春を過ぎ敗色濃厚となる中、連合軍は逆に北ビルマと雲南方面から総反攻を開始した。慰安婦が大勢送られていた北ビルマでの本格的戦闘は、雲南前線方面では1944年5月11日から、最北端に位置するミチナ(ミイトキーナ)2)飛行場周辺では5月17日から始まった。激しい戦闘行為が終了し日本軍の抵抗が止んだのが、ミチナにおいては、8月3日の夕刻、雲南方面の拉孟(松山)で...
  • 琉球新報号外
    「琉球新報号外 【号外】普天間の辺野古移設に反対 2万1000人が結集 http //ryukyushimpo.jp/news/storyid-152515-storytopic-53.html 号外のPDFファイル(豪華版) http //ryukyushimpo.jp/uploads/img4af66e00b7880.pdf 沖縄戦ニュース
  • 【NHK提訴】JAPANデビュー どこが問題になっているのか
    http //sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090625/trl0906251844016-n1.htm 【NHK提訴】JAPANデビュー どこが問題になっているのか 2009.6.25 18 42  集団訴訟が提起されたNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」。NHKはこれまで放送内容には問題はなく、偏向もしていないと強調している。しかし、8千人を超える原告の数は今も増え続けており、第2次提訴も検討されている。一体、番組のどこの部分が問題とされているのか。 日台戦争  《日本軍に対し、台湾人の抵抗は激しさを増していきます。戦いは全土に広がり、のちに「日台戦争」と呼ばれる規模へと拡大していきます》  台湾と日本の間に戦争の過去はない。出演した台湾人からも「先住民族の抵抗なら治安の悪化だ」...
  • 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
    歴史共同研究庫 ソースは、http //www.kinyobi.co.jp/blog/wp-content/uploads/2010/05/201005101732273262.pdf 原文の行変えは一行空けに、原文の一行空けは三行空けにしました。 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明(全文)  1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島を自らの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。  今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長...
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