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林博史関東学院大学教授

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『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』
平成19年12月25日
教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html


資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)

大城将保沖縄県史編集委員

我部政男山梨学院大学教授

我部政男山梨学院大学教授(つづき)

高良倉吉琉球大学教授

秦郁彦現代史家



林博史関東学院大学教授


(林博史氏)

教科用図書検定調査審議会殿


2007年11月16日に文部科学省初等中等教育局教科書課より「沖縄戦における『集団自決』に関する学説状況などについて」「ご教示を賜りたい」とのご依頼を受けました。それに対して、私の意見を述べさせていただきたいと思います。

まず教科書課よりの依頼文書には「今回、審議会から先生の意見を伺うこととしたことなどについては、静謐な審議環境のため、公表を控えていただければ幸いです」とあります。しかし、秘密裏に検定をおこなったことが、今回のような研究状況を踏まえず私の著書を歪曲する歪んだ検定をおこなう結果を生み出したことを考えれば、とうてい承諾できるものではありません。検定過程を広く市民に公開し、そのなかで検定手続きがおこなわれるべきであると考えますので、私はこの意見書を手続き終了前に広く市民に公表することをあらかじめ申し上げておきます。

今回の意見の依頼にあたっての貴審議会のやり方には疑問があります。こういう依頼をおこなうのであれば、先の検定意見について説明するのが最初に貴審議会が行うべきことと思います。文科省は検定意見発表後、参考にした主な著作20点あまりを挙げていますが、これらのどこをどのように読んで、日本軍の強制を削除するという検定意見を決めたのか、まずそれを市民に説明すべきです。そのうえで専門家の意見を聞くべきでしょう。自らの説明責任を果たさずに、また手続き終了まで一切を非公表のままに進めようとしている貴審議会の手法は、きわめて問題です。また意見を依頼した専門家の選定過程も不明朗です。沖縄県史や慶良間列島の自治体史の編纂において「集団自決」の該当個所を担当した研究者にも意見を依頼しているのでしょうか。

現在、沖縄県において新沖縄県史の編纂が進められ、沖縄戦専門部会がその編纂作業にあたっています。少なくともその専門部会委員全員ならびに沖縄県史編集委員会委員の中の沖縄戦研究者から意見を聞くべきです。さらにこうした意見書を提出させるだけでなく、直接、審議会委員がインタビューをおこない、「集団自決」に関する学説状況を正確に把握するように努めるべきです。

上記のような沖縄戦研究の専門家と言える研究者に対して、意見の依頼をきちんとおこなわないようであれば、貴審議会が誠実に研究成果を把握しようとしていないと非難されても仕方がないでしょう。

貴審議会の姿勢に大きな疑問があるゆえにこそ、私はこの意見書を市民に公表し、市民のみなさんとともに議論を進めたいと考えています。さて、ご依頼の内容に入っていきたいと思います。

教科書執筆者の幾人かから伝えられるところによりますと、文科省が検定意見を通達する際に私の著書『沖縄戦と民衆』(大月書店、2001年)を根拠にして、日本軍が住民を「集団自決」に追い込んだ、あるいは強いたという叙述を認めず、日本軍の強制性を削除させたとのことです。調査官は、私の著書には「軍の命令があったというような記述はない」旨の意見を述べたと聞いています。

『沖縄戦と民衆』の「5『集団自決』の構造」の最初の小見出しは「強要された住民の『集団自決』」(p155、以下、ページ数は同書の該当箇所を示す)となっています。さらに本文のなかでも「日本軍や戦争体制によって強要された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える」(p156)などと述べています。渡嘉敷島の項で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる」(p161)、座間味島の項では「『集団自決』を直接、日本軍が命令したわけではないが」(p163)などの記述をしていますが、他方で、渡嘉敷島では「軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと」(p160-161)、座間味島では日本兵が島民にあらかじめ手榴弾を配って「いざとなったらこれで死になさい」と言っていたこと(p162)なども指摘しています。

「集団自決」についての結論的な部分(p184)では、第1に、「『集団自決』は文字どおりの『自決』ではなく、日本軍による強制と誘導によるものであることは、『集団自決』が起きなかったところと比較したとき、いっそう明確になる」と結論づけています。

さらに第2に、「『集団自決』はアジア太平洋戦争における日本軍の敗北の過程で各地の島々で起きている事象である。その前提には日本軍がアジア各地で現地住民に対しておこなった残虐行為があり、そのことが重要な引き金となっている。そういう意味で日本による侵略戦争のひとつの帰結であった」と述べています。言い換えると、日本軍が中国などでおこなった残虐行為の経験が、日本軍将兵や従軍看護婦などから住民に伝えられ、そのことが米軍に捕まることへの恐怖心を一層煽ったこと、日本軍による侵略戦争の経験が「集団自決」を生み出す背景にあったことを指摘しています。読谷のチビチリガマでは日本軍はいませんでしたが、元兵士と従軍看護婦が「日本軍の代弁者の役割を果たし」ました(p158)。

第3に「米軍が上陸した沖縄の島々での住民の行動を見ると、『集団自決』をおこなわなかった人々の方が圧倒的に多い。日本軍がいないところでは、住民は自らの判断で投降し助かっている」と述べています。つまり住民が集団で米軍に保護されている島々や地域は日本軍がいなかった所であることを各地の島々、地域を分析して論証しています。日本軍がいる所では住民が米軍に投降しようとは主張できません。そうすればスパイとして処刑されてしまいます。実際に日本軍に殺された例はいくつもあります。そうしたことから日本軍の存在は「集団自決」を引き起こすうえで重要な役割を果たしていると結論づけています。

沖縄戦における「集団自決」が、日本軍の強制と誘導によって起きたこと、日本軍の存在が決定的であったことは、沖縄戦研究の共通認識であると断言してよいでしょう。

渡嘉敷島と座間味島において、それぞれの戦隊長が自分は自決命令を出していないとの主張は、1970年代あるいは1980年代から、研究者の間でも広く知られていることです。座間味の戦隊長らがおこした訴訟における主張は、訴訟が提起された2005年以降に新たにわかったことではなく、ずっと以前から知られていることにすぎません。ですからその訴訟を根拠にして、学説上の変化や新資料の発見などと言うのは、沖縄戦研究のこれまでの歩みを無視するものでしかありません。

沖縄戦研究者はそうしたことを十分に認識したうえで、問題は、ある一つの命令があったかどうかではなく、日本軍が沖縄に上陸してから何か月もかけて住民を「集団自決」に追い込んでいった過程が問題であるとの認識から、「集団自決」の諸要因を明らかにしてきました。その研究成果を一言で言い表すとすれば、私が著書の結論でまとめたように「日本軍による強制と誘導によるもの」であるということなのです。

なお検定意見の通達の際に、調査官は、軍命令がなかったという理由から日本軍の強制性の叙述を削除するように指示したということですが、「集団自決」がおきた際の直接の軍命令の有無と、日本軍の強制とは明らかにレベルの異なる問題です。民間人であっても捕虜になることを許さない日本軍思想の教育・宣伝、米軍に捕らえられると残酷な扱いを受けて殺されるという恐怖心の扇動、多くの日本軍将兵があらかじめ手榴弾を配って自決せよと言い渡していたことなど、日本軍はさまざまな方法を使って住民を「集団自決」に追い込んでいった、あるいは「集団自決」を強制していったのです。「集団自決」が起きる際に部隊長が直接命令したかどうか、という論点からは、そうした日本軍による強制と誘導を否定することはとうていできません。ですから検定意見は、レベルの違う問題を混同した、論理的にも筋
の通らないものでしかありません。

さらに言えば、あらかじめ多くの日本軍将兵が住民に手榴弾を配り、いざという場合には自決するように命令あるいは言っていたことは、正式の命令であるかどうかという形式論ではなく、住民にとっては命令としか受け取れなかったという当時の沖縄がおかれた状況を把握しておくことも必要です。それらは実質的には、日本軍による命令だと言うしかありません。

私の著書のなかでも詳細に述べているように、沖縄に駐留していた日本軍は、法的行政的な手続きとは関係なく、人の動員や物資の調達を村や区(字)あるいは住民に直接命令していました(その実態はp48-61)。特に米軍上陸後は、日本軍はそうした手続きを無視して、防衛隊や義勇隊、弾薬運びなどの労働力の調達をおこなっていたことが数々の証言からわかっています(p141-147)。日本軍の資料においても「民家の洞窟に入り健康男児を捜索連行する」と「第32軍沖縄戦訓集」に明記されています(p146)。そうした日本軍による行為を住民は拒否できない状況であったこと、日本軍将兵から言われたことは軍命令と受け取るしかない状況だったことを認識しなければ、沖縄戦当時における軍と住民の関係を理解できないでしょう。

用語の問題について触れておくと、「集団自決」とは日本軍の強制と誘導によるものであるという特徴を明確に示すために、「強制集団死」あるいは「強制された集団死」という表現も使われるようになってきています。「集団自決(強制集団死)」というように併記することもごく普通の使い方になってきていることを付け加えておきます。

なお『沖縄戦と民衆』のなかで「集団自決」の要因についてはさまざまな点を指摘していますが、より整理したものとして拙稿「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」(『歴史学研究』第831号、2007年9月、このなかのp27-p30で「集団自決」を引き起こした要因を簡単に説明)ならびに、より簡潔に整理した拙稿「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」(『通販生活』2007年秋冬号)を参考資料として添付しましたので、それらもご参照ください(資料1・2)。

検定意見によって書き換えさせられた叙述は、「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」、「日本軍に『集団自決』を強いられたり」、「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」などであったと伝えられていますが、こうした叙述は、私の著書の結論と一致するものであって、これまでの沖縄戦研究の通説を的確に表現したものと言えます。

これらの叙述を書き換えさせる根拠になぜ私の著書が利用されるのか、とても理解できません。研究の全体の結論を無視して、そのなかのある一文のみを持ってきたとしか考えられません。これは検定意見を作成した者が、常識的な日本語の読解力もないか、きわめて悪意を持って歪曲したものか、どちらか以外には考えられません。

教科用図書検定調査審議会が、私の著書を歪曲して、このような検定意見をつけたとすれば、貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して、厳重に抗議したいと思います。検定意見を通達する際に、私の著書のみを根拠に挙げて、叙述を変えさせた以上、貴審議会は、はっきりとその理由を説明するべきです。私の著書を悪用しながら一切の説明も弁明もせずに、私に意見を求めるのは、非礼極まりないと言うべきでしょう。

もし貴審議会がそのことを知らず、検定意見を通達する際に、調査官が独断で話したことだというのであれば、調査官に対して厳重に抗議するとともに、貴審議会においても、そうした歪曲をおこなった調査官に対して厳重に注意すべきではないでしょうか。さらにそうした歪曲を許すような現在の検定手続きそのものを見直すことを提起するのが審議会としての最低限の責任ではないでしょうか。

教科書執筆者への検定意見の通達の際に、私の著書を根拠に日本軍の強制性の叙述を削除させたことは、著書の内容を歪曲したものであり、歪曲を基にした検定意見そのものが根拠のない、間違ったものであることを示しています。そうした歪曲によって根拠付けられた検定意見は撤回するしかありません(資料3参照)。

検定意見をそのままにして、執筆者(教科書会社)からの正誤訂正に基づいて叙述のいくらかの修正を認めるということは-仮に基の叙述そのままの復活を認めるとしても-、歪曲をそのまま温存・正当化する行為であり、研究者あるいは誠意ある者としてあるまじき行為です。

さらに念のために付け加えれば、本年3月に検定結果が発表されてから、慶良間列島などでの体験者の新しい証言がいくつも出てきています。しかし「集団自決」における日本軍の強制性は、これらの新しい証言を待つまでもなく、これまでの証言やその他の調査研究によって十二分に明らかにされているものです。かりにこれらの新証言をもって日本軍の強制性を認めるというような判断をするとすれば、そのことはこれまでの沖縄戦の調査研究の成果を根本から否定するものであり、そのこと自体が研究成果を無視した暴論というべきです。

以上述べてきたことから、教科用図書検定調査審議会は、沖縄戦の「集団自決」につけた検定意見を撤回するべきです。そのうえで、「集団自決」における日本軍の強制性を明記した叙述を認めるべきであり、それが貴審議会が取るべき最低限の責任であると考えます。

2007年11月22日
林博史
関東学院大学経済学部教授


【添付参考資料】

資料1 林博史「沖縄戦『集団自決』への教科書検定」リンク

『歴史学研究』第831号、2007年9月

資料2 林博史「住民を『集団自決』に追い込んでいったのは軍でした」リンク

『通販生活』No.231、2007秋冬号、2007年11月

資料3 林博史「教科書検定への異議」上下 リンク

『沖縄タイムス』2007年10月6日・7日

なお添付資料としては付けませんでしたが、拙著『沖縄戦と民衆』(大月書店、2001
年)は私の見解を裏付ける、不可欠の参考文献です。


原剛防衛研究所戦史部客員研究員

外間守善沖縄学研究所所長

山室建德帝京大学講師



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