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(原)オ 沖縄史料編集所紀要等について

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(4) 集団自決に関する文献等の評価について

(原)オ 沖縄史料編集所紀要等について

(判決本文p221~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。


(ア)(「紀要」の記述)*


  大城将保が昭和61年発行の「沖縄史料編集所紀要」(甲B14)に「座間味島集団自決に関する隊長手記」と題して, 梅澤命令説が従来の通説であったが, 前記昭和60年7月30日付けの神戸新聞の報道を契機として, 控訴人梅澤や初枝に事実関係を確認するなどして史実を検証したと述べ, 控訴人梅澤の手記である「戦斗記録」を前記紀要に掲載し, また, 前記紀要には,
「以上により座間味島の 『軍命令による集団自決』 の通説は村当局が厚生省に対する援護申請の為作成した 『座間味戦記』 及び宮城初枝氏の 『血ぬられた座間味島の手記』 が諸説の根源となって居ることがわかる。 現在宮城初枝氏は真相は梅沢氏の手記の通りであると言明して居る。」
との記述があることは, 第4・5(2)ア(イ)cのとおりである。


(イ)(大城将保による紹介文)*


  証拠(甲B14)によれば, 前記「沖縄史料編集所紀要jの大城将保の記載は,
「従来の“隊長命令説”は現地住民の証言記録を資料として記述されてきたのである。 これに対し, 一方の当事者である梅澤氏から“異議申立て”がある以上, われわれはこれを真摯に受け止め, 史実を解明する資料として役立てたいと考えるものである。 以下に同氏の手記を掲載させていただき, 筆者の当面の責をはたしたいと思う。」
という内容の記述であると認められ, 大城将保自身が主任専門員として梅澤命令説を積極的に否定する見解を主張しているものではなく, 単に控訴人梅澤の言い分を紹介しているにすぎないと認められる。

  そして, 証拠(甲B115, 128, 129)によれぱ, 上記の「以上により」以下の記述は, 上記手記を掲載した大城将保が, 付加して記載したものであると認められる。もっとも, 宮城初枝が
「真相は梅澤氏の手記のとおりである」
と言明しているというのが手記のうちのどの部分までをいうのかは具体的に明らかではない。 しかし, 当時主に問題とされていたのは控訴人梅澤が直接, 自決命令を発したか否かであり, その点について, 本部壕で助役らが弾薬等の提供を求め, 控訴人梅澤がその要請を断ったという経緯を初枝も認めている, という限リで「手記のとおリ」とされたものと解するのが相当である。 けだし, 先に詳細に検討し, 認定したとおり, 初枝の記憶するところは「母の遺したもの」の記述や前記のノートの記載のとおりであリ, これを超えて, 控訴人梅澤が
「決して自決するでない」とか「壕や勝手知った山林で生き延ぴて下さい。共に頑張りましょう。」
とかと言ったなどということを, 初枝がそのとおリであると大城将保に言明したとは到底考えられないし, そのような証拠はない。なお, 神戸新聞(甲B9)の初枝のコメント中の控訴人梅澤の言葉も, 初枝が述べるはずもない内容であり, 控訴人梅澤の説明との混同ないしは両者の違いの意味についての理解不足があると解され, これに関する記者の釈明(甲B34)は採用できない。


(ウ)
  • (引用者注)この項は2審判決では割愛

  控訴人らが, 「沖縄県史第10巻」を実質的に修正したと主張するのは, 「沖縄史料編集所紀要」(甲B14)の
「以上により座間味島の『軍命令による集団自決』の通説は村当局が厚生省に対する援護申請の為作成した『座間味戦記』及び宮城初枝氏の『血ぬられた座間味島の手記』が諸説の根源となっていることがわかる。 現在宮城初枝氏は真相は梅沢氏の手記の通りであると言明して居る。(戦記終わり)」
という部分である。

  しかし, そもそも当該部分は, 原告梅澤の手記に続けて項を改めることなく記述されているから, 大城将保の記述であるか明らかでない上, 末尾に
「(戦記終わり)」
との記載があり, 「二・手記『戦斗記録』(梅澤裕)」の一部を形成するものと認めるのが相当である。 自らの手記を「梅沢氏の手記」と表現することは原告梅澤が記載したとすれば不自然といえなくもないが, それは初枝の言動を表現した部分として理解すれば理解できなくはない。 また, 大城将保は, 冒頭の紹介部分で,
「なお, 手記は後半に『戦後の苦悩』と題をあらためて, 戦後, 同問題をめぐって氏の周辺で起きた事柄の経緯を述ぺているが, 紙幅の関係と, また論点を明確にする上でも, 『戦斗記録』のみに絞って, 後半部分は割愛させていただいた。」
としており, 当該部分が大城将保の評価とすると この断り部分と齟齬する面が出てくる。


(ウ)(けっきょく)*


  結局, 「沖縄史料編集所紀要」(甲B14)は, 文献的価値としては, 控訴人梅澤の手記を掲載したこと, それには初枝の従前の話と一致する限度で裏付けがあるとされたことに意義を見出し得るにすぎないと認められる。


(エ)(神戸新聞の「大城将保の談話」について)*


  ところで, これに関違して, 昭和61年6月6日付けの神戸新聞に, 大城将保の談話として
「宮城初枝さんらからも何度か, 話を聞いているが, 『隊長命令説』はなかったというのが真相のようだ。」

「梅沢命令説については訂正することになるだろう、」
との記載がある(甲B10)。

  これについては, 大城将保自身が,
「私は神戸新聞の記者から電話一本もらったことはない。 おそらく梅沢氏の言い分と私の解説文の一部をまぜあわせて創作したのであろうが, 誰がみても事実と矛盾する内容で, 明白なねつ造記事である。」
などとしておりいる(乙44及び45), 前記神戸新聞の記事は, 「沖縄史料編集所紀要」(甲B14)についての原告らの主張同様, 大城将保の認識を示すものとは, およそ言い難い。が, 取材の経緯(甲B34)はともかく, 本部壕で控訴人梅澤が直接命令したことは無かったという限りでの大城将保の認識を示すものでしかない。


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