15年戦争資料 @wiki内検索 / 「山をなす死体」で検索した結果

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  • 「沖縄の証言」(上)より
    ...原村 仲宗根カマ 山をなす死体(未作成)・・・・・西原村 城間英吉 第五章 離島の悲劇 集団自決(未作成)・・・・・座間味村 宮里美恵子 日本軍の民間人銃殺(未作成)・・・・・伊江村 与那城彦興 注 証言の意味するもの・・・谷川健一 証言の意味するもの・・・谷川健一 証言の意味するもの・・・谷川健一(続) 沖縄戦目録 沖縄諸島地図・沖縄本島中南部戦況地図 「沖縄の証言」(下)より | 沖縄戦index
  • 【断 潮匡人】暴走する「文民統制」
    http //sankei.jp.msn.com/culture/academic/081119/acd0811190326001-n1.htm 2008.11.19 03 26 【断 潮匡人】暴走する「文民統制」  もはや「良識の府」(参議院)と呼ぶに値しない。「招致」した田母神「参考人」の反論を封殺、与野党で「反省」を迫る。総理は元部下を呼び捨て、防衛大臣は目も合わさない。なんと冷淡な政治か。  毀損(きそん)されたのは田母神氏の名誉と空幕長職の尊厳性だけではない。近代憲法上、最上位を占める精神的自由、その根幹をなす表現の自由すら侵害された。奪ったのは、他ならぬ「文民」である。  テレビにも呆(あき)れた。投稿文同様、どこも中継せず、発言を切り貼(ば)り編集したあげく、非難の大合唱。当日昼には日テレで「みのもんた」キャスターが「懲戒免職」を主張、夕方の「スー...
  • 第九章 解決の原則及条件
    第九章 解決の原則及条件  本報告書の前各章において日支間の諸懸案は夫れ自体において仲裁的方法に依り解決し得ざりしに非ざりしも之等諸懸案特に満州問題に関する懸案を日支政府において取扱たる結果は両国関係を甚だしく悪化せしめ早晩衝突の免れ難きものたりしことを明らかにせり。支那が過渡時期に必然伴わるべきあらゆる政治的紛糾、社会的混乱及分裂的傾向を有する発達途上にある国家なることについても略述せり。又日本の要求する権利及利益が支那中央政府の無力なる為如何に甚だしく影響を受けたるが又日本が満州を支那の他の部分における政府より引離し置くことを如何に切望し来れるかをも述べたり。尚支那、露国及日本政府の満州に於ける政策を簡単に吟味したる結果満州各州政権は其の統治者に依り一再ならず支那中央政府より独立せることを声明せられたるも而も支那人が絶対多数を占むる之等各省人民は未だ嘗て支那の他の部分より分離するこ...
  • 検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺
    兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア <2004年8月> 『兵は凶器なり』(37)15年戦争と新聞メディア       1935-1945 http //www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/nannkinnjiken2_040811.pdf 検閲され新聞で一切報道されなかった南京大虐殺 前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授) 南京に入城した日本軍は、「南京アトロシティ」(南京大虐殺)として知られる事件を引き起こす。中国兵、捕虜や、「便衣兵」の処刑、住民も無差別に殺害、婦女子へのレイプ、殺害、略奪と放火が繰り返された。当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。鳴乎、之れが皇軍か」と記述してい...
  • 彦坂 諦Re: [uniting-peace][13833] 右翼と協調的?2010/10/15
    彦坂 諦Re [uniting-peace][13833] 右翼と協調的?2010/10/15 原田さん、 いま、こういったことに時間を使える状態ではないのですが、あなたのこういった「言いかた」に対しては、早めにひとこと意見を表明しておかないと、これまでもよくあったように、なにを言ったの言わないの、なにをやったのやらないの、どういう思想だ傾向だと言えるの言えないの、といったギロンにならないギロンがはじまりそうな予感がするので……。 言葉のつかいかたには細心の注意をはらってください。 まず、「2・3の方々からのバッシングが目立ちますが」といった言いかたによって、このメッセージを受けとるひとびとに感情的な「予感」をあたえるたぐいのレトリックは避けたほうがかしこいでしょう。 この「2・3の方々」のなかに、彦坂をも含めておいでなのでしょうか? ま、そうでしょうね。 ...
  • 第四節 1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題
    4、1915年の日支条約及交換公文並びに関係問題  鉄道紛争を除き1931年9月に起これる重大なる日支問題所謂21ヶ条要求の結果たる1915年の日支条約及交換公文より勃発せるものなり。漢治萍鉱山(漢口付近)問題を除き1915年に締結せられたる他の協定は或る新たなるものに替えられ又は日本国に依り自発的に放棄せられたるものあるを以て此等論争は左記諸規定に関するものなりき。 関東州租借地の日本所属期限を99年(1997年)に延長すること。 南満州鉄道及安奉鉄道の日本所属期限を99年(夫々2002年及2007年)に延長すること。 「南満州」の内部に於いて即ち条約に依り或は外国人の居住及商業の為に開放せられたる地域外に土地を賃借するの権利を日本臣民に許与すること。 南満州の内部に於いて旅行し、居住し及営業をなすの権利並びに東部内蒙古に於いて日支合弁に依り農業の経営をなすの権利を日本臣民に許...
  • 第三節 満州に於ける日支鉄道問題
    3、満州に於ける日支鉄道問題  4分の1世紀間、満州に於ける国際政戦は、主として鉄道政戦なりき。純粋なる経済上及鉄道運輸上の性質に付いての考量は国策の命ずるがままに無視せられ満州諸鉄道は、同地方の経済的発展の為、其の全能力を発揮したりと云うこと能わざるの結果を来せり。吾人の満州鉄道問題研究が示す所に依れば満州においては包括的にして相互に有益なる鉄道計画を達成せんとする協力は支那及日本の鉄道建設当事者及官憲間には殆ど皆無なりき。鉄道の拡張が主として経済的考量に依り決定せられたる西部カナダ及アルゼンチンの如き地方に於ける鉄道の発達に反し、満州に於ける鉄道の発達の歴史は主として日支両国間の拮抗問題に終始せり。従来満州に建設せられたる重要なる鉄道にして支那及日本は他の利害関係を有する外国間の公文交換を伴わざるものなし。  満州に於ける鉄道の建設は、ロシアが投資及支配下に在りたる東支鉄道...
  • 【共同】集団自決訴訟の判決要旨 大阪高裁判決
    http //www.47news.jp/CN/200810/CN2008103101000622.html 集団自決訴訟の判決要旨 大阪高裁判決  沖縄集団自決訴訟の31日の大阪高裁判決の要旨は次の通り。  【判断の大要】  当裁判所も1審同様、梅沢元守備隊長らの請求はいずれも理由がないと判断する。  「太平洋戦争」の記述は梅沢元隊長、「沖縄ノート」の記述は梅沢元隊長と赤松元隊長の社会的評価を低下させる内容だが、高度な公共の利害にかかわり公益を図る目的だったと認められる。  座間味島と渡嘉敷島の集団自決は日本軍の深いかかわりを否定できず、日本軍の強制、命令と評価する見解もあり得る。しかし、両隊長が直接住民に命令した事実に限れば、その有無は断定できず、真実性の証明があるとはいえない。  集団自決が両隊長の命令によることは戦後間もないころか...
  • 毒おむすび渡された
    毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る 琉球新報2007.6.21 【写真】「歴史は正しく語り継がなければ」と強調する仲里利信県議会議長=南風原町の自宅  「弟が目の前で死んでも悲しんでいる余裕さえもなかった。父も沖縄戦で死んだ。歴史を風化させないために正しく語り継いでいかなければならない」。22日の県議会意見書可決を前に、仲里利信議長(70)が自身の沖縄戦体験について告白し、全会一致への決意を新たにした。仲里議長は19日の県議会文教厚生委員会でも戦争の現実を訴えた。  1945年2月の夜、通信隊に入っていた父・利吉さんが、ふいに現れた。「今度の戦は負け戦に間違いない。ここにいると駄目だから、すぐにやんばるに行け」。父が手配していた友軍(日本軍)の車で家族9人、宜野座へ避難した。  海からの艦砲射撃が激しくなった4、5月ごろ、ガマに移動した。...
  • 【講演資料6】新安保防衛懇報告 2010年8月
    2010.11.27.九条の会事務局主催学習会「新安保防衛懇報告と憲法9条」講演資料 【講演資料6】新安保防衛懇報告 2010年8月 (菅首相の諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が8月に公表した報告書の抜粋) 第1節 基本的考え方 近年の軍事科学技術の発展、事態生起までの猶予期間の短縮化等によって防衛力の特性が変化し、日本の防衛のためには、従来の装備や部隊の量・規模に着目した「静的抑止」に対し、平素から警戒監視や領空侵犯対処を含む適時・適切な運用を行い、高い部隊運用能力を明示することによる「動的抑止」の重要性が高まっている。今日では、基盤的防衛力構想から脱却し、多様な事態が同時・複合的に生起する「複合事態」も想定して踏み込んだ防衛体制の改編を実現することが必要な段階に来ている。 第4節 グローバルな安全保障環境の改善 自衛隊...
  • (原)第3の1(1)控訴人らの主張
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-010 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)1 争点1(特定性ないし同定可能性の有無)について (原)第3の1(1)控訴人らの主張 (判決本文p25~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3の1(1)控訴人らの主張ア 沖縄ノートの各記述が控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものであること(ア)(沖縄ノートの各記述)* (イ)(「匿名性」の判断基準について)* (ウ)(引用書籍からの「同定可能性」)* (エ)(本件へ...
  • 第3・1(1) 原告らの主張
    通011 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・1 争点1(特定性ないし同定可能性の有無)について 第3・1(1) 原告らの主張 第3・1(1) 原告らの主張ア 沖縄ノートの各記述が原告梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものであること(ア)(沖縄ノートの各記述)* (イ)(「匿名性」の判断基準について)* (ウ)(引用書籍からの「同定可能性」)* (エ)(本件への適用)* イ 被告らの主張に対する反論(ア)(「一般読者の通常の注意と読み方」について) (イ)(「一般の読者」の知識や知り得る範囲)* (ウ)小括 ア 沖縄ノートの各記述が原告梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものであること (ア)(沖縄ノートの各記述)* 本件記述(2)の 「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決...
  • 日本の侵略の底流をなしたもの
    日本の侵略の底流をなしたもの 明治以来のアジアに対する差別的民族観による破局 高嶋伸欣 一九四五年八月の敗戦からまもなく半世紀になろうとしている昨今、日本ではなお、アジア・太平洋戦争あるいは十五年戦争で、どのような侵略行為をしていたのか、さらにはあの戦争は侵略戦争だったのかについて、議論がつづいている。なぜ、これまでの間に戦争を実行した世代によって、それ、についての事実の確認や意味づけなどの総括がすませられなかったのか。戦勝国による東京裁判などの戦犯追及でよしとしたこと、戦争責任の議論が天皇のそれに及ぶことを避けようとしたこと、あるいは国民の多くになんらかの形で侵略にかかわっていたという意識があったことなど、さまざまな要因があげられる。 ともあれ、結果として半世紀近くもの間、侵略の事実の究明は遅れ、戦後補償の議論も最近になってようやく進められようとしている。その間に、日本...
  • 第4回~第5回
       目次 証言による「南京戦史」46期・畝本正巳目次へ 第4回(s59.7)第4章 外郭陣地の攻撃(12/8~12/12)つづき南京事件は虚構である(投稿:27期 谷田勇) 南京攻略前後(編集部)原田文書 第5回(s59.8)第4章 外郭陣地の攻撃(12/8~12/12)つづき南京攻略前後(編集部)――河辺(虎四郎24期)少将の回想録より 投稿 昨今の日中関係と「南京事件」(48期・犬飼総一郎) 奇怪な「南京大虐殺の目撃談、記録映画」(46期畝本正巳) 証言による「南京戦史」46期・畝本正巳 目次へ 第4回(s59.7) 第4章 外郭陣地の攻撃(12/8~12/12)つづき 3.秣陵関・方山・将軍山・雨花台方面(114D)の戦闘 秣陵関付近の戦闘 方山東方地区の戦闘 c-59-07-05.jpg拡大 将軍山付近の戦闘 将軍山に対する攻撃 南京城外雨花台方面の戦闘 ...
  • 1931年9月18日当日及其後 その2
    第四章 1931年9月18日当日及其後に於ける満州に於いて発生せる事件の概要(その2) (その1より続き)  10月初め、嘗て馬占山、萬福麟と同地位を保有し彼等に代わりて黒龍江主席たらんとせしことあるトウ南守備隊長張海鵬は明らかに強力により省政府を奪取するの目的を以てトウ南―昴々渓鉄道に沿い進出を開始せり。支那側参与員提出文書第三号には、進出が日本側の煽動によるものとなし居れるが中立の方面より得たる情報もこの見解を支持し居れり張海鵬軍の進出を防止せんがため馬占山は漱江橋梁の破壊を命じ両軍は広大且沼沢地たる同河流域を隔てて相対峙せり。  トウ昴線は南満州鉄道提供の資本により建設せられ右線路は借款の担保とされ居るを以て南満州鉄道当局は北満よりの農産物運搬の特に必要なる時に当り同線の運輸妨害を続くることは許す可からずと感じたり。在齊々哈爾日本総領事は政府の訓令により10月20...
  • 【朝日】「沖縄ノート」訴訟 大阪高裁判決理由の要旨
    http //book.asahi.com/news/OSK200810310117.html 【朝日】「沖縄ノート」訴訟 大阪高裁判決理由の要旨 2008年10月31日  「沖縄ノート」「太平洋戦争」をめぐる名誉棄損訴訟の控訴審で、大阪高裁が31日に言い渡した判決の理由要旨は次の通り。  【判断の大要】  1 「太平洋戦争」の記述は控訴人梅沢の、「沖縄ノート」の各記述は控訴人梅沢及び赤松大尉の、社会的評価を低下させる内容と評価できる。しかし、高度な公共の利害に関する事実にかかわり、もっぱら公益を図る目的のためと認められる。以上の点はおおむね原判決が説示する通りである。  2 座間味島及び渡嘉敷島の集団自決は「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍が深くかかわっていることは否定できず、これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か11
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―11 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p211-215 目次 11 【引用者註】トーマス・マンの誤読と利用 赤松隊の皆本少尉の話というのがある。 隊員の兵隊二人が、あるとき逃亡した。そのとき、赤松は「去る者を追うのはよそう」と言った。「赤穂も最後は四十七人しか残らなかった」とも言ったとある。兵隊の逃亡を黙認した赤松の態度は、まことに寛大といわざるをえない。陣地をはなれたという理由だけで、防召兵に「逃亡」の罪をきせ、どこまでも追いかけてさがし出し、陣地に連れもどして処刑した赤松、これが同一人の態度かとうたがわざるを得ないほど隊員に対しては寛大であったことがわかる。島の住民や、住民出身の防召兵を、同じ種類の人間とみていなかった歴然たる証拠...
  • 集会の虚構と実体
    http //prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1077.html 2007年10月05日 集会の虚構と実体-沖縄教科書検定問題- 日本会議熊本理事長 多久善郎 1、県民集会(9月29日) ①会場の広さと参加者数 開会2時間前に会場に行き、集会場の大体の広さを足で実測した。横が179歩、縦が通路を挟んで後ろが60歩・前が62歩だった。私の一歩は大体60cmなので、横が107.4m、縦が36mと37.2m。総面積は7861.68㎡。集会は座って聞いていたので、1㎡に2人がせいぜい。 私の周りでは左側と前にスペースがあった。会場内では日傘を射している人が居て、それが視覚を遮るために空きスペースが出来た。 大会の途中で20人くらいの実行委員がカンパ袋を持って会場内をくまなく歩いてカ...
  • 8 公正な評論性の有無について
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-124 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 8 公正な論評性の有無(原審争点(6))について (判決本文p264~) 8 公正な論評性の有無(原審争点(6))について【原判決の引用】第4・6争点(6)(公正なる論評性の有無)について(1)<沖縄ノートの主題等> (2) 沖縄ノートの各記述の評価その1 (3) 沖縄ノートの各記述の評価その2 (4) 小括 書証一覧   この点についても, 一部の判断を改め, 補足するほかは, おおむね原判決が「事実及び理由」の「第4 当裁判所の判断」の6項において説示するとおりである。 そこで, これを以下に引用し, それを補正する形式で当裁判所の判断を示すこととする(引用の方式にっいては10頁に示した方式により, 当裁判所が付加しあ...
  • 人間をおとしめるとはどういうことか
    『すばる』2008年2月号 人間をおとしめるとはどういうことか ――沖縄集団自決裁判に証言して 大江健三郎 (傍点は太字にした) 1  秋の終り、若い時には桜の花の美しさがわからなかったように紅葉にも目を惹かれなかった(つまり個別の花や葉に目をこらしても、集団をなすそれには鈍感だった)私が、この日頃紅葉にじっと見とれていると、老齢にからめて家内にからかわれる私が、新幹線の遠山の眺めに顔を上げる余裕もなく、裁判の陳述書、書証、その副本の類に熱中していた。  その私に、距離を置いた席から振り返ってくるのが気になった外国人女性が、名古屋を過ぎて時がたち、書類をしまい老眼鏡をいつもの丸眼鏡に戻した私の脇に立って、八年前、ベルリン自由大学で教わった学生だが、記憶にあるか、と尋ねかけた。  私はもう中年の知識人に見える相手に、生き生きした娘の面影を見出した。ド...
  • rabe1月7日
    一月七日 福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、なにがなんでも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーべの「市長職」も?)も我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。 そういわれてしまっては、手も足もでない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。 南京の危険な状態について、福田氏にもういちど釘を刺しておいた。「市内にはいまだに何千もの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この二十八日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。 きょう午前十時ごろ、私の留守中...
  • 日本軍国主義と沖縄人
    日本軍国主義と沖縄人 古堅 宗一※沖縄根拠地隊司令部島尻郡豊見城(とみぐすく)村   昭和十八年四月一日、海軍志願兵として佐世保海兵団(長崎県)に入団、その後昭和十九年沖縄根拠地隊司令部通信隊特殊無線通信兵として軍務に従事した私は徹底的に日本兵にかわいがられた。 「おまえたちは今日来たからかわいがってやる」 といって、防空壕前に連れていかれ、いきなりバットで目から火の出る程なぐられた。これが軍人精神をたたき込むということなのだ。血も涙もない訓練は終戦間際まで及んだ。   特に沖縄人はおしなべて口数が少ない無口ゆえに、あらぬ疑いをかけられた。訓練中に日本兵に殺された沖縄の同胞が三人もいた。   どんよりとした風のないある日の午後だった。目の前で二十四、五歳の沖縄の若い女がまたもや日本兵に殺されたのだった。   女が我々のこもっている壕に一般...
  • 第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(3)
    第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(3) (※<藤色>部分は、曽野綾子の論拠借用と著書引用) 第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(3)8 隊長命令不在説の定着(1) 大江志乃夫著『花綵の海辺から』(1990年)(平成2年) (2) 『沖縄県警察史』の安里証言(1993年)(平成5年)ア イ ウ (3) 金城重明著『沖縄戦を心に刻んで』(1995)(平成7 年) (4) 『沖縄戦ショーダウン』(1995年)(平成7年) (5) 林博史著『沖縄戦と民衆』(2001年)(平成13年)ア イ ウ エ (6) 曽野綾子の正論の記事(甲B4) (7) 山川泰邦著『秘録 沖縄戦史の改定』(甲B53)(乙7)ア イ ウ オ (8) 産経新聞の照屋証言ア イ ウ エ (9) 吉川勇助の新たな伝令による自決命令説と手榴弾配布説ア(ア) (イ) (ウ) イ ウ 8 隊長命令不在説の定着 隊...
  • 大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2008_09_09_bouchou.html 「破綻した宮平秀幸証言」 大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!  控訴人(梅澤・赤松氏)側はあいかわらず準備書面の提出期限を守らず、なんと口頭弁論の4日前の9月5日になってから、宮平秀幸陳述書なるものを出しました。  まず宮平秀幸という人物とその証言を紹介します。  秀幸氏は座間味島で「高月」という民宿をやっていましたが、そこに泊まる宿泊客やあらゆる媒体に積極的に集団自決の証言を語ってきた人物です。そんな彼の証言をジャーナリスト鴨野守氏(「世界日報」記者)が雑誌記事にまとめたものが、秀幸氏の証言として提出されました。  その内容というのは次のようなものです。  1945年3月25日午後10時頃宮里盛秀助役ら村の幹部と宮城初...
  • 雑誌「正論」編集部への意見具申
    雑誌「正論」編集部への意見具申 http //homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/proposal.pdf 『正論』篇集部 御中 H. 17(2005). 7. 20 http //homepage.mac.com/credo99/public_html/ http //homepage.mac.com/credo99/iMovieTheater8.html 棚橋 信之 1. 緒 言 去る 7 月 10 日に、靖國神社元宮司・松平永芳様が幽界に旅立たれました。謹んで故人への慰霊と鎮魂の祈りから、靖國神社前宮司・湯澤貞氏のインタビュー記事の「靖国の言い分、英霊たちの声(『正論・八月号』)」に対して、小生、忌憚なく意見具申をいたします。奇しくも、本日は、御霊前の「十日祭」を迎えました。宜しく、ご査収下さい。尚、論拠としては...
  • 靖国神社発行リーフレット『靖国神社の概要』
    靖国神社発行リーフレット『靖国神社の概要』 情報元 「市民の目」 http //homepage2.nifty.com/kumando/index2.html 私たちは靖国神社をどう考えるべきか?  大江志乃夫氏は、靖国神社社務所が出しているリーフレット「靖国神社の概要」を読み、その中にあるA級戦犯の合祀の記述に対して、「・・・A級戦犯もB.C級戦犯も故意に一緒にして一口に『連合国側に一方的に処刑された』としている点に悪意のある作為を感じさせる。・・・」(大江志乃夫著 「靖国神社」-岩波新書-P18からP19)と感想を述べている。なお、このリーフレットはB4サイズの紙に両面印刷されたもので青色の単色印刷となっている。内容を以下に引用します。(なお「靖国」は「靖國」と書かれていますが、ここでは「靖国」という漢字で表記しています) リーフレット「靖国神社の概要」 靖国...
  • 赤松氏デビュー1968.4.8琉球新報
    史料発掘:40年前の赤松大尉の復権デビュー 琉球新報 週刊新潮1968年4月6日号記事を読んだ沖縄の新聞、琉球新報は、急遽大阪支局員を赤松氏宅に向かわせ、4月8日にフォローアップ記事を特集した。 それは、『渡嘉敷島の集団自決 "悪夢の惨事"二つの真相?』と題するもので、23年ぶりの「戦闘報告」を語った元戦隊長赤松氏と、「戦記」を書いた元村長古波倉氏、二人のインタビューを対峙させるものだった。 史料発掘:40年前の赤松大尉の復権デビュー 琉球新報 "悪夢の惨事"二つの真相?盆地を血にそめ329人自決恩讐の23年、戦記は偽りか 開き直る赤松元大尉"命令しなかった”「正しい歴史」を作りたい "弁明”に怒る生存者大尉の"報告"はうそ "反省の色なく許せない" ~~~~~~~~~...
  • PHP文庫「ある神話の背景」田村隆一解説
    PHP文庫「ある神話の背景」 沖縄・渡嘉敷島の集団自決 1992年6月15日第1版第1刷 著者曽野綾子 発行者江口克彦 発行所PHP研究所 この作品は、昭和四十八年五月に文芸春秋より刊行された 解説―いわぱ馥郁たる優しさ― 田村隆一 赤松嘉次大尉、海上挺進第三戦隊長、陸士五三期卒。 彼はオキナワ戦史の「神話的悪人」として記録されている。彼の任務はマルレと呼ばれるベニヤ板製の特攻舟艇でアメリカの艦船を攻撃することであった。しかし、沖縄・渡嘉敷島に上陸した彼とその部下は、圧倒的なアメリカ軍の攻撃にあって、島の二三四・二高地(西山)に複廓陣地をきずいてたてこもることを余儀なくされた。そこで赤松大尉は、渡嘉敷村の住民から戦いの遂行のためと称して食糧を強制的に徴発した。さらに駐在巡査・安里喜順(当時二十九歳)と村長.古波蔵惟好を通じて住民を西山の恩納...
  • 私が知っている『ザ・コーヴ』上映の全てを教えます
    http //www.webdice.jp/diary/detail/4409/ 2010-06-22 私が知っている『ザ・コーヴ』上映の全てを教えます 『ザ・コーヴ』の東京での上映が7月3日からシアター・イメージフォーラムで公開されることが決まった。 思い返せばアップリンクにも配給の依頼が来た。それは東京国際映画祭で上映される数ヶ月前の事だった。多分デイビッドさんという外国人がやって来て、配給をしてくれないかという話だった。どうも話をしているとプロのセールス・エージェントではなく、映画の製作関係者のようである。突然やって来たわけではなくそれまでにメールのやり取りがあった上でだった。 事前に映画の情報を得ていたが、まだ作品自体を見ていないので、その内容について、映画がイルカ漁反対なのか、水銀汚染の海洋汚染の問題の映画なのか、食文化に関する映画のなのかを知りたいと...
  • いわば馥郁たる優しさ
    PHP文庫 1992年6月15日 ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決 第1版第1刷 解説 ―いわば馥郁たる優しさ― 田村隆一   赤松嘉次大尉、海上挺進第三戦隊長、陸士五三期卒。   彼はオキナワ戦史の「神話的悪人」として記録されている。彼の任務は○レと呼ばれるベニヤ板製の特攻舟艇でアメリカ軍の艦船を攻撃することであった。しかし、沖縄・渡嘉敷島に上陸した彼とその部下は、圧倒的なアメリカ軍の攻撃にあって、島の二三四・二高地(西山)に複廓陣地をきずいてたてこもることを余儀なくされた。そこで赤松大尉は、渡嘉敷村の住民から戦いの遂行のためと称して食糧を強制的に徴発した。さらに駐在巡査・安里喜順(当時二十九歳)と村長古波蔵惟好を通じて住民を西山の恩納河原に集めた。住民は軍の保護下にはいったと考えたのだが、攻撃がはげしくなると、赤松大尉は、住民に自決の命令を出...
  • 日韓歴史研究報告書の要旨
    http //www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2010032301000547_Detail.html http //www.47news.jp/CN/201003/CN2010032301000547.html 詳報 3月23日18時2分更新 日韓歴史研究報告書の要旨 第2期日韓歴史共同研究の報告書要旨は次の通り。(委員以外の執筆者を含む) 日韓歴史研究報告書の要旨一、古代史【安羅倭臣館】 二、中近世史【文禄・慶長の役】 【元寇】 三、近現代史【領土問題】 【動員】 【強制連行】 【日本語教育】 【日清戦争】 【大衆文化】 四、教科書【委員あいさつ】 【教科書の理念】 【研究継続】 【教科書制度】 【教科書の記述内容】 →日韓歴史研究報告書の要旨(表形式) (引用者注)下記記事を表形式にしてみました。 一、古代史 【...
  • 島民を艦砲射撃から救った仲村渠明勇さん一家が、敗戦後斬殺された証言
    2 島民を艦砲射撃から救った仲村渠明勇さん一家が、敗戦後惨殺された証言 具志川村字西銘出身の仲村渠(なかんだかり)明勇さんは当時二十五歳、陸軍上等兵で現役を除隊していたが、防衛召集で海軍小禄飛行場守備隊に配属された。六月初め捕虜になって収容所へ入れられたものの、米軍の久米島攻略に際して"道案内"として同行し、住民に無抵抗を呼びかけていて、日本軍に襲われて妻子ともども斬殺されたのである。 六月二十六日に久米島へ上陸した彼は、妻のシゲさん(当時二十六歳)と、一歳になったばかりの長男明広ちゃんに再会し、隠れ家を転々としながら、米軍は一般住民には危害を加えないことを知らせていた。しかし日本軍が彼の動きをつかんで、スパイにまどわされるなと触れを出しているため、村の人びとは近づけず、八十五歳の老父もまた、ずっとはなれたところにいた。 明勇さんは、七男二女の末っ子...
  • 「沖縄ノート」"III-多様性にむかって"より
    「沖縄ノート」"III-多様性にむかって"より 「沖縄ノート」 著者 大江健三郎  発行 岩波書店 岩波新書(青版)762 1970年9月21日 第1刷発行 裁判原告による切り取りは、文脈を無視したいささか歪曲の恐れもあるので、この著作の意図および文意文脈がわかる、最小限度の引用を試みます。 目次に戻る III-多様性にむかって (略) 僕がとりつかれている現実的な悪夢のひとつは、沖縄を覆う核戦略体制にかかわつている。僕は核兵器について語られる言葉にふれるたびに、自分の内部の、この暗い渦巻きの深みへとひきこまれるような感覚をあじあわないわけにはゆかない。たとえぱ、かって幾つかのすぐれた短篇小説を書いた作家であり、いまは保守党随一の花やかなヒーローであるところの国会議員が、核武装しなけれぱまともな外交がおこなわれえない、とい...
  • 2 台湾の日本語教育の歴史的展開
    植民地支配と日本語 第一章 台湾における日本語普及政策 2 台湾の日本語教育の歴史的展開 台湾での日本の植民地政策はまず同化政策として現れる、とよく指摘されている。総督府の言語政策もそのなかに位置しており、植民地政策の重要な一環であった。ここで、まず学校教育を中心にその日本語普及政策の時代区分を概観しておこう。 第一段階は、一八九五年から一八九八年七月勅令一七八号の台湾公学校令発布までの期間である。このあいだに、芝山岩学堂と国語伝習所をはじめ、台北県立日本語学校、基隆学校・宜蘭国語会などの県、庁立の日本語学校が設立された。そのいずれも応急的な要素をもち、「施政上の便を謀る」ための性質が目立つ。 第二の段階は、台湾公学校令発布から一九一九年(大正八年)一月の台湾教育令公布までである。公学校令によれば、公学校は台湾人の子弟に「徳教ヲ施シ実学ヲ授ケ、以テ国民的性格ヲ養成...
  • 山の中へ
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 山の中へ 北谷村(ちゃたんそん)砂辺(すなべ) 喜屋武(きやん)スミ 家事三十九歳  私たちはクマヤーのガマ〔白然の洞窟〕という自然壕に、みんなといっしょにはいっていました。もう艦砲がはじまっていました。それで危険になってきて、そこでどうしようかと、村中の人たちが相談して、その夜九時ごろにみんな村から出て避難するようにときまったんです。  私たちは嘉手納(かでな)の汽車の道、その道をたどって北に向かい、それからずっと山原(やんばる)に向かって歩いて、名護(なご)に行きました。  砂辺を発つときに、夕方、アメリカの船が燃えているのを見ました。だれかが日本の水上特攻隊がやったのだろうと話して...
  • 虐殺は嘘15に対して
    虐殺は嘘15 誰も知らなかった虐殺1 2006/ 7/16 2 27 [ No.11037 / 12177 ] 投稿者 deliciousicecoffee http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW action=m board=1143582 tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13 sid=1143582 mid=11037 1. 当時の南京の人口は20万しかいない 2.難民帰還で人口はむしろ急増した 3.大量虐殺された死体やそのための設備跡がない 4. 日本軍には軍事目的がなく、作戦記録もない 5.東京裁判の証言者以外に累々たる死体を見た者がいない 東京裁判で証言台に立った紅卍会許伝音副会長、ベイツ教授らは、...
  • 大江健三郎陳述書(本論部分)上
    大江健三郎陳述書(本論部分)上 沖縄タイムス 連載「視座・沖縄ノート 大江健三郎陳述書」 http //www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu.html 大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の戦隊長らが 名誉棄損を主張している大阪地裁の「集団自決」訴訟で、大江氏が「沖縄ノート」 について記した陳述書の本論部分を全十三回にわたって掲載する。沖縄戦時の慶良 間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」について、「太平洋戦争下の 日本軍、現地の第三二軍、島の守備隊をつらぬくタテの構造によって島民に強制さ れた」と語る大江氏。陳述書では、米軍施政権下の沖縄で数多くのジャーナリスト や研究者らに会い、思考を深めていった経緯や、文章の構造や表現の趣旨、言葉の 選び方までがつづられている。 おおえ・けんざぶろう ...
  • 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・
    <2004年 1月> 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア 『兵は凶器なり』③   -15年戦争と新聞―― 1926-1935 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・ 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) http //sweb.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040121_heihakyoukinari3gennronndannatunorekishi.pdf 明治から昭和戦前期までの言論弾圧法の実態とは・・1・・・新聞紙法の悪法たる理由 2・・・普通選挙法と抱き合わせで、治安維持法を改悪 3・・・掲載差し止め事項の内容は3種類 4・・・多岐にわたった掲載禁止事項、16 項目で恣意的 5・・基準は抽象的でどうにでも拡大解釈可能 6・・クモの巣にからまれた言論の自由 7・・・風俗壊乱記...
  • 「沖縄戦」展示を史実を正確に反映したものに改めるよう求める声明
    国立歴史民俗博物館における「沖縄戦」展示を、歴史研究にもとづき史実を正確に反映したものに改めるよう求める声明 国立歴史民俗博物館は3月16日にオープンする新設の常設展示室「現代」の展示概要を3月8日の記者会見で発表した。それに関する報道によれば、沖縄戦のいわゆる「集団自決」について、その背景に「住民への軍国主義教育や、軍人からの指示・命令など、住民の意思決定を左右する戦時下のさまざまな要因があった」という要旨の当初の解説記述を改め、「軍人」や「軍国主義教育」という用語を使わずに単に「『集団自決』に追い込まれた人びともいた」との記述に改めたということである。同時に「集団自決」という項目名がなくなり、上記の変更後の解説文は「戦場の民間人」という項目の中におかれるようになったともいう。 これでは誰によってどのような要因で「集団自決」に追い込まれたのかがまったく示されないことになり、日...
  • (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下)
    index 目次 1970年改本・谷本版 (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下) (引用者注)昭和20年7月から昭和21年1月10日までを(下)としました。 (7)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(上) (8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中) (9)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(下)昭和二十年七月七月二日晴 七月三日 七月四日 七月五日 七月六日 七月七日 七月八日 七月十日 七月十六日 七月十八日 七月二十日 七月二十一日 七月二十七日 七月二十八日 昭和二十年八月八月一日 八月三日 八月四日 八月五日 八月七日 八月八日 八月九日 八月十日 八月十一日 八月十二日 八月十三日 八月十四日 八月十五日 八月十六日 八月十七日 八月十八日 八月十九日 八月二十日 八月二十一日 八月二十二日 八月二十三日 八月二十四日 八月二十五日 八月二十六日 昭和二十年十二月十二月三十日 昭...
  • 論争史ガイド
    論争史ガイド 石川為丸氏 http //www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/hihyou.htm 【「集団自決」論争】 『ある神話の背景』の背景 〈神話〉を作る身振りと〈事実〉へ向かう姿勢            石川為丸 曽野綾子の『ある神話の背景』は、いささか挑発的な、右よりの論調を特徴とする雑誌『諸君』に1971年10月から1972年8月まで11ヶ月にわたって連載された後、1973年に、単行本として文芸春秋社から刊行された。この『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図はあまりにも明白であると言ってよい。 「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の...
  • 永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和12年後半
    永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和12年後半 永井荷風の日記『断腸亭日乗』、昭和十二年七月以降を看て見ました。 8月28日、9月初3日、9月初4日、11月16日、を追記します。(061127) 永井荷風が見た異国「ニッポン」昭和12年後半七月十七日 八月廿四日 八月廿六日 八月廿八日 九月三日 九月四日 九月十二日 九月十三日 十月四日 十月二十日 十月廿七日 十一月十六日 十一月十七日 十一月十九日 十一月廿一日 十二月廿九日 7月 6日   オットー・フラーケ「マルキ・ド・サド」、良俗に反するとして発禁。 7日   北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国国民党軍が衝突。(盧溝橋事件) 8日   中国共産党中央委員会、全民族抗戦声明を出す。 11日  日本軍特務機関長松井太久郎と中国天津市長張自忠との間で、盧溝橋事件に関する停戦協議が成立する。       日本政府閣議で...
  • 千人集まれば日本は変わる?!
    ttp //youmenipip.exblog.jp/10845321/ 2009年 04月 19日 千人集まれば日本は変わる?! (言論抑圧示威行動のよびかけ) 他のほとんどの保守系ブログでも騒ぎになっていますね。NHKの左翼偏向報道の問題。 保守の弱いとこは、抗議メールや抗議文でしか行動出来ないところにあります。何もしないよりはマシですが、マスコミへの抗議文はねじ伏せられ捨てられます。電突もTBSや地方新聞等は外部の請負企業に丸投げしてます。多く抗議があればあるほど”仕事が増えた”と喜ばれるんじゃないでしょうか(苦笑)特に抗議メール等はたとえ10万件来ても痛くも痒くも無いのです。亀田対ランディエタ戦で六万通の抗議があっても、へのカッパでしたでしょう?その証拠にその後に、ヌルヌル秋山を登場させたでしょう! (言っときますが、やらないよりはマシなのでやってくだ...
  • 沖縄「集団自決」控訴審判決の要旨
    訪問者(昨日 - 今日 - ) 沖縄「集団自決」控訴審判決の要旨 朝日新聞は11月1日朝刊に「判決の要旨」を掲載しましたが、 http //book.asahi.com/news/OSK200810310117.html 沖縄タイムスが掲載した画像PDFをみますと、 http //www.okinawatimes.co.jp/news/2008-10-31-E_1-001-3_001.html 前者は紙面の都合で更に要約したものであることが分かりました。 そこで下記のように、大阪高等裁判所が配布した原本を書き起こしました。 【証拠上の判断】において大阪高等裁判所は、後顧の憂いが無きよう、原告側の提訴理由そして控訴理由の根本を完全に退けた旨記述しています。紙面の都合で<照屋昇雄>や<宮村幸延の「証言」>に関する部分を省略した朝日記事版では伝わりにくいところ...
  • 「集団自決」論争の陰に隠れて
    「集団自決」論争の陰に隠れて 写真は、米軍の捕虜となった沖縄の朝鮮人慰安婦(ただし場所は慶良間ではない) 今、教科書の「集団自決」の説明を巡って激しい論争が起きているのは、沖縄慶良間列島の渡嘉敷島と座間味島でのことですが、この慶良間列島に朝鮮人軍夫や朝鮮人慰安婦がいた事実は陰に隠れています。 私が図書館で見つけた本は、 福地曠昭「オキナワ戦の女たち―朝鮮人慰安婦」海風社1992年8月  です。 (p149~157を引用) 慶良間列島での女たち  大きな鯨が現われる渡嘉敷島は、米軍が最初に上陸した島(*1)で『集団自決』の島として知られる。  昨年(*2)亡くなったぺ・ポンギさんがこの島に連行され、生き延びて本島に移り住んだ。水勤隊や慰安婦が犠牲となっているため、朝鮮の人たちによって慰霊祭が四度行われてきている。那覇空港から離...
  • 小嶺幸信『一〇・一〇空襲と戦場になった島』
    今日の訪問者 - 渡嘉敷村史資料編(昭和62[1987]年3 月31日出版)p385 一〇・一〇空襲と戦場になった島 渡嘉敷 小嶺幸信(当時十四歳) (引用者注)括弧つき小見出しは引用者が付したもので原文にはありません 一〇・一〇空襲と戦場になった島(10.10空襲) (3.23空襲) (北山で) (元の壕に帰る) (アメリカ軍再上陸の後) (山を降りる)  次の年の三月二三日の空襲の時は、「アメリカの機動部隊が沖縄に向かっている、空襲があるらしい」と、情報が前もって知らされていたので、私たちは、空襲の始まる前から壕に入っていましたよ。 (10.10空襲)  一〇・一〇空襲の時は、学校に行っていましてね、  本校舎は日本軍に接収されていて、北山(ニシヤマ)のふもとに、イーヒョーローという所で、地番は小嶺原で、そこに仮校舎を三棟ほど造りま...
  • 第10回~第11回
       目次 証言による「南京戦史」46期・畝本正巳目次へ 第10回(s60.1)第5章 南京占領戦と城内掃蕩(つづき) 第11回(s60.2)第5章 南京占領戦と城内掃蕩(つづき) 第6章 投稿兵・捕虜・敗残兵・便衣兵・難民の取扱い(付、掠奪、強姦・放火・破壊について) 証言による「南京戦史」46期・畝本正巳 目次へ 第10回(s60.1) 第5章 南京占領戦と城内掃蕩(つづき) 7.海軍第11戦隊の南京突入 作戦経過の概要南京突入(12月13日) 米国砲艦パネー号遭難者の救援 南京突入後の行動 南京溯航作戦経過概要 鎮江より南京まで(48浬) 橋本以行氏の証言『流れる敵兵をかき分けて』 c-60-01-29.jpg拡大 ▼関口鉱造氏の証言(砲艦勢多・次席大尉、海兵59期) c-60-01-30.jpg拡大 ▼住谷盤根氏の回想(第3艦隊従軍画家、安宅乗組)南京...
  • 金城武徳『パイン缶詰は戦争の味』
    今日の訪問者 - 渡嘉敷村史資料編(昭和62[1987]年3 月31日出版)P391 パイン缶詰は戦争の味 渡嘉敷 金城武徳(当時十四歳) (引用者注)括弧つき小見出しは引用者が付したもので原文にはありません パイン缶詰は戦争の味(軍隊がやってきた) (10.10空襲) (3.23) (3.26) (3.27) (3.28) (4月以降) (虐殺) (山を降りる) (軍隊がやってきた)  親父は、昭和六年に南洋に出稼ぎに行って十七年か十八年に帰ってきて、沖縄戦のとき、親父は四六歳、おふくろは四四歳、長女、長男、私、親父が帰ってきてから生まれた、私と十四歳違いの弟、それにおふくろのいとこと七名家族だった。  十九年の夏休みが終った直後、鈴木隊、しぼらくして赤松隊が、この渡嘉敷にやって来た。  軍隊が入ってきて学校は接収され、私たちは、青空教室、...
  • 山城盛治『私は後ろからささえる役だった』
    今日の訪問者 - 渡嘉敷村史資料編(昭和62[1987]年3月31日出版) P399 集団自決…私は後ろからささえる役だった 渡嘉敷※ 山城盛治(当時十四歳) (引用者注)本文記述から当時は阿波連の人と思われる (引用者注)括弧つき小見出しは引用者が付したもので原文にはありません 集団自決…私は後ろからささえる役だった(10.10空襲) (壕掘り) (玉砕前夜) (玉砕場) (少年の役割) (おばさんに逢う) (弟と逢う) (おばさんの壕で) (水産組合長さん) (古波蔵さん) (玉砕場で寝る) (阿波連へ) (海岸の食糧) (豚追って一斉射撃受ける) (捕虜になる) (10.10空襲)  昭和十九年一〇月一〇日、学校に行く時から那覇で高射砲を、ドカンドカンと射つ音が聞えていたが、友軍(日本軍の事)の演習だと思っていた。  授業中に飛行機が低空してき...
  • 4 騰越(中国名「騰衝」)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 4 騰越(中国名「騰衝」) 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る4 騰越(中国名「騰衝」) 注《浅野論文》  騰越は、明代に築かれた中国の城壁都市である。最初に作られた援蒋ルートであるラングーンから昆明に抜けるビルマルートの北方、騰越平野の中央に位置しており、人口は4万人で怒江地区の「政戦略上の要衝」11)であった。城壁はほぼ正方形で、1辺が約1キロで、城壁の高さは約5メートル、外側は石、内側は積土によって構築されていた。雲南から攻め込んできた中国軍との決戦場が、龍陵に決まってからは、守備兵が抽出され、戦力は減少する一方であった。孤立した戦いが展開されるが、まず...
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