15年戦争資料 @wiki内検索 / 「学徒隊の動員」で検索した結果

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  • 沖縄戦と民衆(目次)
    ...作成)      学徒隊の動員(未作成)      戦場における県と警察(未作成)      県庁の南部への撤退      戦場における住民動員      ハンセン病患者の強制収容 II 戦場のなかの民衆 5 「集団自決」の構造      強要された住民の「集団自決」      「集団自決」がおきた地域       (1)読谷チビチリガマ (2)慶良間諸島 (3)伊江島       (4)沖縄本島      太平洋諸島での「集団自決」       (1)サイパン (2)テニアン・ロタ・ポナペなど       (3)パナイパナイ島(フィリピン) (4)旧「満州」      沖縄本島周辺の離島における住民の行動       (1)阿嘉島 (3)前島 (3)屋嘉比島 (4)久米島       (5)伊計島・宮城島・平安座島・浜比嘉島 (6)粟...
  • ひめゆり学徒隊員の校章、悲劇から64年経て見つかる
    http //kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20090223-OYS1T00283.htm ひめゆり学徒隊員の校章、悲劇から64年経て見つかる yomiuri 発見されたひめゆり学徒隊員の校章。中央に白い花があしらってある http //kyushu.yomiuri.co.jp/zoom/20090223-OYS9I00278.htm  太平洋戦争末期の沖縄戦で主に傷病兵の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の女学生の校章が、隊員が集団自決した沖縄県糸満市の荒崎海岸で発見された。犠牲となった隊員の校章が確認されたのは初めて。  白いユリをあしらった校章は64年前の隊員の悲劇を静かに物語っており、6月、同市の「ひめゆり平和祈念資料館」に展示される。  荒崎海岸は1945年6月21日、学徒隊を構成していた県立第一高等...
  • III 日本への動員
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅲ 日本への動員 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅲ 日本への動員1 東麻沼津 2 不二越 3 三菱名航 4 その他 参考文献 1 東麻沼津  「半島女子勤労挺身隊」が最初に朝鮮(当時は「半島」と呼ばれた)から日本(当時は「内地」と呼ばれた)に出動したのは、1944年4月のことである。出動したのは慶尚南道隊(道単位の隊は「中隊」と呼ばれることもあった)の約100名で、出動先は静岡県にあった東麻沼津工場である(戦後責任を問う「釜関裁判」を支援する会b、16~18)。  釜山の有楽国民学校6年生、李英善・姜容珠・鄭水蓮らは、担任教師が「給料もよいし勉強させても...
  • 琉球新報:「遊撃戦」継続命令
    解放されず「仲間戦死」 「遊撃戦」継続命令 琉球新報2008年6月15日 【写真】牛島満司令官が益永董大尉に対し組織的戦闘終了後「遊撃戦」実施を命じる訓令  「解散命令を受けながら自由にされず、仲間が10代の若さで死んでいった。それが悔しい」。鉄血勤皇隊員が所属した情報宣伝隊(千早隊)に対し、第32軍の牛島満司令官が組織的戦闘終了後も「遊撃戦」を続けるよう命令した「訓令」を見つけた元千早隊の大田昌秀氏は、こう語気を強めた。  1945年6月19日、北部へ突破を試みる第32軍の参謀らの案内役として千早隊員の6、7人が抜けた後、大田氏ら十数人は情報宣伝隊の壕の前に集められ、益永董大尉から「お前たちは死なずに、地下工作をするように」とゲリラ戦実行の命令を受けた。牛島司令官による命令との説明はなかった。大田氏らは同年10月まで投降せず、攻撃の機会をうかがっていたとい...
  • ◎〔別紙〕
    ◎〔別紙〕《 ただいま編集中 》 『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html ◎〔別紙〕《 ただいま編集中 》各訂正文の内容等に関する調査審議について・・・別紙(1)1.山川出版社「日本史A 改訂版」 2.第一学習社「高等学校改訂版日本史A 人・くらし・未来」 3.三省堂「日本史A 改訂版」 4.東京書籍「日本史A 現代からの歴史」 5.清水書院「高等学校日本史B 改訂版」 6.三省堂「日本史B 改訂版」 7.実教出版...
  • 第7 挺身隊という用語の頻出と軍慰安婦動員
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第7 挺身隊という用語の頻出と軍慰安婦動員1 1930年代以降、日本は戦争を遂行するために 2 様々な方法による民衆支配にもかかわらず、 3 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとなし、 第7 挺身隊という用語の頻出と軍慰安婦動員 1 1930年代以降、日本は戦争を遂行するために   1930年代以降、日本は戦争を遂行するために韓国から「報国隊」や「学徒動員」「徴用」などの形で労働力を動員した。短期間の労働力奉仕は「報国隊」という名前で、長期間の動員は「挺身隊」という名前で動員され、1941年から1945年までの間に、様々な「挺...
  • 沖縄戦目録
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 沖縄戦目録19447月 8月 9月 10月 11月 12月 19451月 2月 3月 4月 5月 6月 沖縄戦目録 1944 7月 7・7 サイパソ島の日本軍が全減する。緊急閣議で南西諸島の老幼婦女子・学童疎開が決定される。 7・18 東条英機内閣が総辞職する。 7・22 小磯国昭内閣が成立する。 8月 8・5 大本営との政府連絡会議が廃止され,代わって最高戦争指導会議が設置される。 8・10 グァム島,テニアン島の日本軍が全減する。 8・22 沖縄学童疎開船対馬丸が悪石島沖で沈没し,学童766名が犠牲となった。 8・23 「学徒勤労令」「女子挺身勤労令」が公布される。 8・31 「学徒勤労令」「女子挺身勤労令」...
  • 「義勇隊」文書発見/「根こそぎ」実態示す
    沖縄タイムズ 2006年6月22日(木) 夕刊 7面 http //www.okinawatimes.co.jp/day/200606221700_04.html 「義勇隊」文書発見/「根こそぎ」実態示す  沖縄戦を控え、旧日本軍が若年者や中高年まで動員した「防衛義勇隊」の構成が二十二日までに、米国立公文書館に保管されていた文書で分かった。米軍上陸直前の今帰仁村に関するもので、連日二千人以上を動員し、その中に避難民まで含めたことを明記。発見した関東学院大学の林博史教授は「根こそぎ動員の実態を示している」と話している。青壮年層に限って召集された防衛隊などに比べ、不明な点が多かった義勇隊の研究進展に、貴重な資料になりそうだ。(阿部岳)  文書は一九四五年三月二十一日付の「帝国防衛義勇隊の動員のための人員調査報告」で、今帰仁村の隊長から国頭郡の隊長あて。  それによる...
  • 沖縄タイムス:戦の語り 立体的に/和光小校長刊行、時系列の証言集
    http //www.okinawatimes.co.jp/news/2008-11-21-E_1-007-2_001.html 2008年11月21日【夕刊】 社会 戦の語り 立体的に/和光小校長刊行、時系列の証言集 「検定」機に670ページ  県内での平和学習を二十二年間続ける和光小学校(東京都)の行田稔彦校長がこのほど、沖縄戦体験者二十六人の証言をまとめた「生と死・いのちの証言 沖縄戦」(新日本出版社)を刊行した。女子学徒隊、鉄血勤皇隊、県職員、住民など、それぞれの体験を(1)沖縄戦前夜(2)首里攻防戦(3)南部彷徨(4)収容所から戦後―の時間軸に沿って編集。行田さんは「一人一人の証言が全体の中でどうつながるか、沖縄戦を立体的にとらえる一助になれば」と話している。  行田さんは、平和学習で知り合った体験者らに依頼。三年間で二十六人の証言を映像に収め、二〇...
  • 「命令あり得ぬ」/「県が2人にお礼とお詫びを」
    月刊ビューポイント ■ダイジェスト版世界日報 沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防 中国戦線体験した吉武氏 「命令あり得ぬ」/「県が2人にお礼とお詫びを」 来年の高校教科書から沖縄戦における集団自決への軍の関与が削除されたことに対して地元メディアを先頭に「削除は、けしからん」 という論調があふれる中で、全く別の視点から、この動向を見詰めている一人の沖縄県民がいる。 那覇市に住む元保育園経営者、吉武進氏である。九十歳の今もワープロを前に、時局のテーマについて持論をまとめて、安倍晋三総理をはじめ関係者に送付するのが日課だ。 戦時中は陸軍獣医学校を卒業し、第三師団(名古屋)で見習士官となる。その後、第二九師団病馬廠(しょう)に配属され、獣医として参戦した。 負傷した馬を助けたりしたのですか、と記者(鴨野)が問うと「いえ。ほとんど...
  • ――「集団自決」問題を中心に
    世界 SEKAI 2007.7 特集:「沖縄戦」とは何だったのか ――「集団自決」問題を中心に 水ぷくれした死体が、打ち寄せる波に持ち運ばれ、また奪い去られていった。すべての戦死者が水葬されて、悉くこの一点に集められたかのように、海岸線は死骸で覆われ、海水はどこまでいっても赤く染まっていた。―――大田昌秀『血であがなったもの』より 【写真】米軍に保護された座間味の住民(on click) 「写真記録,これが沖縄戦だ」大田昌秀編著者(琉球新報社発行) 一九四五年三月から六月にかけて戦われた「沖縄戦」は、四一年以来太平洋域で戦われてきた日米両軍最後の血戦であり、日本国内におけるほとんど唯一の地上戦であった。日本軍は「軍官民共生共死の一体化」方針のもと、軍官民の総動員作戦を展開、若者や男たちは防衛隊、学徒隊、義勇隊などに動員されて戦場に投入されたほか、女や老人...
  • 第8 朝鮮女子勤労挺身隊動員の特殊性
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第8 朝鮮女子勤労挺身隊動員の特殊性1 朝鮮女子勤労挺身隊動員と他の朝鮮人戦時労働力動員とは 2 動員過程での欺罔や、動員後の劣悪な労働条件・・・ 3 戦後の被害の原因 第8 朝鮮女子勤労挺身隊動員の特殊性 1 朝鮮女子勤労挺身隊動員と他の朝鮮人戦時労働力動員とは   本件の朝鮮女子勤労挺身隊動員と他の朝鮮人戦時労働力動員とはどのような共通点があり、どこに違いがあるのだろうか。   最大の違いは、控訴人ら朝鮮女子勤労挺身隊員が幼い少女であり、学校における皇民化教育の結果、自らを日本国家と一体化させることによって積極的に...
  • 沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
    沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 資料 沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 大城将保『沖縄戦の真実と歪曲』(高文研・07.10.10)より 07.10.25講演セミナーで配布されたプリントを表形式にし、事件が起こった場所を地図上にプロットした。 「集団自決」と「住民虐殺」の事例 「集団自決」も「住民虐殺」もこれまで国も県もまともな調査を行ったことはない。したがって発生件数も犠牲者数も公式の数字というものはない。それでも県史や市町村史、新聞、雑誌などには体験者の手記や証言として両事件に関する記事が散見される。管見(かんけん)の及ぷ限りそれらの情報を集めて、なるべく現場に足を運んで確認したものが次の一覧表である。もちろん氷山の一角にすぎない。たとえば一家全滅が多いのも沖縄戦の特徴であるが、死者たちは自ら証言が出来ないからである。(大城将保氏 ...
  • 10・10空襲:65年 傷跡なお
    http //mainichi.jp/area/okinawa/news/20091011rky00m040007000c.html 10・10空襲:65年 傷跡なお 10・10空襲:65年 傷跡なお◇映像焼き付け/1フィートの会が上映・シンポ ◇命の重さ大切さ訴え/小中高生が劇 ◇歌 芝居 朗読で/「風化させない」集い  1944年に那覇市を中心に米軍の大空襲を受け、多くの命が一瞬にして失われた10・10空襲から65年となった10日、命の尊さを訴えるイベントが各地であった。「なぐやけの碑」では遺族らが鎮魂の祈りをささげ、1フィート運動の会が開いたシンポジウムでは体験者が当時の様子を語った。子どもたちは朗読劇を演じて平和を発信する大切さを訴え、海勢頭豊さんは反戦の思いを歌に乗せた。参加者らは10・10空襲の体験を風化させない思いを共有した。那覇市で無防備平和条例制定を目指す動...
  • I はじめに(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅰ はじめに(高崎論文) 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅰ はじめに(高崎論文)1 問題提起 2 研究論文と資料 参考文献 1 問題提起  「従軍慰安婦」問題の波紋が広がり始めた1991年当時、日本では、「朝鮮人従軍慰安婦」は「女子挺身隊」という名によって強制連行された、と広く信じられていた。新聞記者や野党議員等が次のように書いたり、話したりしていたからである。  「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊...
  • 「半島女子勤労挺身隊」について
    『「慰安婦」問題調査報告・1999』 「半島女子勤労挺身隊」について 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf 【目次】 Ⅰ はじめに(高崎論文)(未作成) 1 問題提起 2 研究論文と資料 Ⅱ 「半島女子勤労挺身隊」の結成(未作成) 1 女子戦時動員のはじまり 2 女子勤労挺身隊の結成と出動 3 挺身隊のがれ Ⅲ 日本への動員(未作成) 1 東麻沼津 2 不二越 3 三菱名航 4 その他 Ⅳ 女子勤労挺身令(未作成) 1 女子勤労挺身令 2 「美談」と「現地報告」 3 帰国 Ⅴ おわりに(未作成) 1 動員の概要 2 動員の規模 3.「半島女子勤労挺身隊」の特色 4 挺身隊員が慰安婦にされた事例 参考文献(高崎論文) 日本語(アイウエオ順) 朝鮮語文献(カナダラ順) 付 記 『「慰安婦」...
  • 沖縄裁判教科書関係資料
    沖縄裁判教科書関係資料 沖縄裁判教科書関係資料原告側概説 裁判を起こした経緯 産経新聞「正論」 雑誌「正論」「WILL」 日本会議学生が行ったアンケート 藤岡が発した闘争指令 梅澤証言 照屋「証言」 援護法の適用 渡嘉敷村ガイド 争点原資料 検定の経緯 著書と事実を歪曲されて 虐殺事例 富山証言 教科書裁判の頃 参考文献 原告側概説 特集・沖縄集団自決:虚構の軍命令 軍命令はなかったことを教える、授業実践報告服部 剛 裁判を起こした経緯 沖縄戦集団自決についての取り組み昭和史研究所 沖縄集団自決冤罪訴訟と教科書検定との関係を初めて知る方に南木隆治 2005/7/24産経新聞記事 2007/1/1「靖國応援団の歩みと皆様への感謝」南木隆治 産経新聞「正論」 再論・沖縄集団自決・良心の欠けた不誠実な弁明秦郁彦 沖縄戦の集団自決と大江氏裁判秦郁彦 沖縄集...
  • 教科書検定制度の「詐欺」
    http //www.magazine9.jp/interv/hayashi/hayashi.php 沖縄戦の集団自決問題の真相 沖縄戦の集団自決問題の真相教科書検定制度の「詐欺」 問題は「命令があったかどうか」ではない 現代社会は、もはや戦争を「できない」社会になっている 今年の夏、沖縄戦での集団自決に関する記述をめぐる教科書検定の問題が、 大きな議論を呼び起こしました。 このとき、文科省が「軍の強制」の記述を削除する根拠として挙げたのが、 『沖縄戦と民衆』という1冊の本。 その著者である林博史さんにお話を伺いました。 はやし・ひろふみ 1955年生まれ。関東学院大学経済学部教授。平和研究・戦争研究・現代史を専門とする。『沖縄戦と民衆』(大月書店)で第30回伊波普猷賞受賞。その他の著書に『裁かれた戦争犯罪-イギリスの対日戦犯裁判』(岩波書店)、『BC級戦...
  • 沖縄タイムス:実行委の存続決定/「軍強制」回復目指す
    2007年12月29日(土) 朝刊 1・27面 実行委の存続決定/「軍強制」回復目指す 解散はせず、要請行動の継続を決めた県民大会実行委員会=28日午後、県議会  「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会が二十八日、県議会で開かれ、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる高校日本史教科書の記述で、教科書会社からの訂正申請に対する文部科学省の決定についての見解や、今後の対応を話し合った。実行委は解散せず、来年一月に文科省に対して「日本軍による住民への強制」を示す記述の回復や、検定意見撤回などを求める要請行動をすることが決まった。  同実行委の仲里利信委員長は、「ほかの実行委の理解が得られた場合、実行委は解散する」との見通しを示していた。だが、この日の議題に「組織の存続、解散」は上がらず、一月の要請行動を決めたことで当面の解散はなくなった。 ...
  • II 「半島女子勤労挺身隊」の結成
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅱ 「半島女子勤労挺身隊」の結成 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅱ 「半島女子勤労挺身隊」の結成1 女子戦時動員のはじまり 2 女子勤労挺身隊の結成と出動 3 挺身隊のがれ 参考文献 1 女子戦時動員のはじまり  日本(当時の「内地」)において労働力の戦時動員が本格的にはじまったのは、日中戦争開始から1年もたたない1938年4月、国家総動員法が公布されてからである。動員は成人男子に始まり、1939年には早くも女・子供や朝鮮人の動員が計画されるようになった。同年7月に閣議決定された「昭和十四年度労務動員実施計画綱領」は、労働力の「給源」として、「女子無業者」「昭...
  • 大田昌秀講演「沖縄戦と集団自決裁判について」
    http //okinawasen.web5.jp/html/news/2009_11_27_gakusyukai.html 講演「沖縄戦と集団自決裁判について」 2009.11.27. 大田平和総合研究所・大田昌秀 講演「沖縄戦と集団自決裁判について」沖縄戦を知らない人がおこした裁判 玉砕前提の無謀な戦争 「軍官民共生共死」の「共死」のみ 日本軍の沖縄観は差別と偏見 牛島司令官自らが「訓令」 なぜあの犠牲が「名誉の死」か イラク戦争と沖縄 米軍の知られざる側面 戦後のアメリカ軍と沖縄 明治政府の沖縄観、廃藩置県、沖縄併合 沖縄米軍基地と安保は国益であるか 沖縄戦を知らない人がおこした裁判  大江・岩波沖縄戦裁判に関して思うことは、この裁判を起した人たちは沖縄戦のことをご存じないのではないか。「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちは沖縄戦というものを知っているのか...
  • III. 仲井真県政による説明板「文言削除」
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 III. 仲井真県政による説明板「文言削除」  チャンネル桜の呼びかけによる電突「抗議」の結果、仲井真県政は、「第32軍司令部壕説明板設置検討委員会」が答申した説明文から、一方的に文言(もんごん)削除を決定し、2012年2月16日「検討委員会」に通告しました。  県の「経過説明」を読んでも、検討委員会との間での再検討協議はなく、県自ら設置した「検討委員会」を無視した、一方的な独断であることがわかります。 http //www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/dai32.html 検討委員会が答申した文案(赤字下線付は県が削除) 第32軍の創設と司令部壕の構築  1944(昭和19)年3月、南西諸島の防衛を目的に、第32軍が創設されました。同年12月、司令部壕の構築が...
  • 沖縄戦資料index
    今日の訪問者 - 沖縄戦資料index 【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 証言記録「沖縄住民虐殺」―日兵逆殺と米軍犯罪 沖縄戦と民衆(目次) 歴博「集団自決」展示問題 大田昌秀講演「沖縄戦と集団自決裁判について」 読める判決「集団自決」=大阪地裁判決と裁判資料 読める控訴審判決「集団自決」 =大阪高裁判決と裁判資料 「ある神話の背景」の研究 「海上挺進第三戦隊陣中日誌」の研究 Index 沖縄戦資料index地理渡嘉敷村ガイド 文献 沖縄戦根元史料作戦と戦闘経緯 沖縄戦前夜 慶良間諸島の戦闘と集団自決 住民虐殺 体験証言沖縄県史渡嘉敷 座間味 阿嘉 慶留間 渡嘉敷村史 座間味村史 その他 軍政と住民動員 富山証言と手榴弾配布 朝鮮人軍夫と朝鮮人慰安婦 援護法 米軍資料 戦時報道 防衛研究所資料 論争史戦後ルポ 潮1971年11月号 青い海1971年6月号 曽...
  • 元朝鮮女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人最終準備書面
    元朝鮮女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人最終準備書面 元朝鮮女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人最終準備書面第1章 被害者らの真の救済を求める 11 第2章 強制動員・強制労働による被害 31 第3章 終わらぬ被害解放後人生被害 78 第4章 不作為責任論 90 第5章 韓日請求権によって控訴人らの請求は排斥されない 115 第6章 国家無責任説の破綻 146 第7章 本件被害に時効・除斥期間の適用はない 157 平成17年(ネ)第374号 元朝鮮女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件 控訴人 朴海玉 外6名 被控訴人 国 外1名 控訴人最終準備書面 2006年12月5日 名古屋高等裁判所民事第3部御中 控訴人ら訴訟代理人 弁護士 内河惠一 外 目次 第1章 被害者らの真の救済を求める 11 第1 司法...
  • 原告支援の会傍聴報告2007年07月28日
    http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/34/ 第1回証人尋問 平成17年7月27日(金)の沖縄集団自決冤罪訴訟第10回口頭弁論・第1回証人尋問は、 午前9時45分、朝から夏の暑い日差しが照りつける中、これまで最大の220名の人々が、記者席に多くとられたため、69席しかない傍聴席を獲得するため大阪地裁前に並びました。並んだ人数は全体で220程度、そのうち相手側が130,当方90位だと思います。 被告側の動員数が勝り、せっかく並んでいただいたのに、法廷に入れなかった方が当方で相当数出ました。 また、集合時間最終ぎりぎりを 午前9時50分集合としていたため、抽選券に間に合わない方もあり、申し訳ありませんでした。最終当方の動員数100名を超えていました。    10:00-00:00 皆本義博氏 証人尋問    13:30-14:25...
  • 原剛防衛研究所戦史部客員研究員
    『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)大城将保沖縄県史編集委員 我部政男山梨学院大学教授 我部政男山梨学院大学教授(つづき) 高良倉吉琉球大学教授 秦郁彦現代史家 林博史関東学院大学教授 原剛防衛研究所戦史部客員研究員沖縄戦における集団自決についてまえがき 1 太平洋戦争における沖縄戦 2 沖縄戦における軍と住民の関係(1)戦場地域の行政責任 (2)住民の疎開と...
  • T. kazuRE: [uniting-peace][13838] 右翼と協調的?2010/10/15
    T. kazuRE [uniting-peace][13838] 右翼と協調的?2010/10/15 原田さん どう発言したとか書いたとか、それを「自分流」の解釈でしているとすれば問題です。 ‥‥原田さんは、批判文を読まずに想像して、「問題」だととりあえずいってみた。どう発言したとかは、河内様がお書きになったとおりですよ。 私はあなたたちの誤解であると考えました。 ‥‥「あなたたちの」文章を読まずに、誤解であると「原田様自分流」で考えた。 河内さんがどの URLを示したか興味はありませんが、 ‥‥河内さんの文も読まずに考えた。 多分右翼の動員(デモ)の動画なんでしょう。それは示しただけであって、まさかそういう人達と連帯・協調すべきと河内さんが言ったのでしたら、 ‥‥河内さんの文も読まずに、批判者を罵倒した。 「幻覚症状」...
  • 宮崎周一とは
    宮崎周一とは http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%91%A8%E4%B8%80 宮崎 周一(みやざき しゅういち、明治28年(1895年)2月6日 - 昭和44年(1969年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 目次 [非表示] 1 経歴 2 親族 3 著作 4 参考文献 経歴 [編集] 長野県出身。警察官・宮崎岩太郎の長男として生れる。豊橋中学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第17連隊付となる。陸士予科区隊長などを経て、1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業し歩兵第17連隊中隊長に就任。 1929年(昭和4年)2月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(...
  • 四、第32軍の戦力増強策
    戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦 第7章 第32軍の作戦準備と航空基地問題 四、第32軍の戦力増強策 四、第32軍の戦力増強策海上挺進基地大隊の改編 第二十四師団の改編 防衛召集と兵器の増加装備 特設旅団(聯隊)の編成 海上挺進基地大隊の改編 第三十二軍司令官は戦カ増強のため、二十年二月十二日(筆者推定)球作命甲第一〇二号をもって「海上挺進戦隊同基地大隊仮編成規定」による部隊の改編を命じた。編成第一日を二月十三日とし編成完結は二月十七日とされた(199)。宮古島では改編されなかった。 その趣旨とするところは、海上挺進基地大隊(以下基地大隊と略称 編制--付録参照)を改編して歩兵大隊に準ずる部隊とすることであった。 海上挺進基地大隊中から海上挺進戦隊の作戦に絶対必要とする一部の勤務隊及び整備隊を海上挺進戦隊長の指揮下に入れ、残余兵カを歩兵大隊に準じて独立大隊を編成...
  • 沖縄戦について―戦時警備と総動員警備、軍命令の2種類
    永井和の日記 http //ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20080525 より転載 沖縄戦について―戦時警備と総動員警備、軍命令の2種類 これは、もともとはApeman さんのブログのコメント欄に書き込んだもので、「従軍慰安婦」とは直接関係のない発言ですが、Apemanさんのブログの同じ場所に monyupo さんが投げられたコメントに触発されたものであること、さらに内容が比較的まとまっているので、何かの参考になるかと思い、再掲しておきます。 沖縄戦について―戦時警備と総動員警備、軍命令の2種類戒厳宣告の有無と軍の命令権限 戦時警備の実施 総動員警備の実施 軍命令の2種類 戒厳宣告の有無と軍の命令権限 「沖縄戦では戒厳令は宣告されず、軍に住民への命令権限はなかった」 との命題は、前段の「沖縄戦では戒厳令は宣告されず」は...
  • Japan Casings Inc.[uniting-peace][13836] 右翼と協調的?2010/10/15
    Japan Casings Inc.[uniting-peace][13836] 右翼と協調的?2010/10/15 彦坂さん、手短にやりますね、 あるひとがどういうひと「である」のかではなく、そのひとが、いつ、どういう具体的な状況のなかで、どういう発言あるいは行動を具体的になしたか、という、まさにそのことに対して、具体的に関心をむけるようにしたい、ということなのです。 考え方としては彦坂さんのそのような考えも結構ですが、私は河内さんを数年前から知っていて会ったことも何度もありますが、右翼と協調的な人なんかじゃありません。このMLの多くの人々もそれは知っているはずなので、いちいち言いませんでしたが、最近ちょっと目立ってきたので、あなたたちというよりはこの MLの多くの人々に再確認してもらう為に投稿しました。 どう発言したとか書いたとか、それを「自分流」の解釈で...
  • VI. 参考資料一覧
    【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 VI 参考資料一覧 VI 参考資料一覧A. 海鳴り資料 B. その他 私が少しめくったもの A. 海鳴り資料 目取真俊さん「海鳴りの島から」掲載資料 (順不同、著書の紹介が含まれています) 1. 資料:八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』より http //blog.goo.ne.jp/awamori777/e/be5a2d8980dd18a866d328a9ad16b985 2015復刊→Bその他54 2. 資料:琉球新報連載「首里城地下の沖縄戦」1 http //blog.goo.ne.jp/awamori777/e/2a460c9b30b2097b9bfa03a8a4a04c20 3. 資料:琉球新報連載「首里城地下の沖縄戦」2 http //blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ada7...
  • 「鉄血勤皇隊」など援護法適用資格について
    http //d.hatena.ne.jp/Apeman/20071130/p2 「鉄血勤皇隊」など援護法適用資格について 昭和30年06月17日、衆議院「海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」において金城参考人が次のように語っています。 (…)勤皇鉄血隊、通信隊戦傷病者は、事実に基きすべて軍人として取り扱っていただきたい。日本政府が沖縄の戦没者に対し深い同情を寄せられ、行政が分離されているにもかかわらず他府県と同様に援護法を適用せられることは、まことに感謝にたえません。沖縄戦は人類史上かつて類例のない激戦であり、三十五万の住民中から十五万の犠牲者を出し、血の島として世界に知られ、その惨状は言語に絶しました。それがまた前例のない国内戦であったため、予想もされなかった事態が生じました。十五、六才のうら若い女学生が看護婦として従軍、十五、六才の中学生が通信隊となり、...
  • 大城将保沖縄県史編集委員
    『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)大城将保沖縄県史編集委員1.はじめに 2.沖縄戦の特徴としての「集団自決」 3.座間味島の「集団自決」に関する歪曲と矛盾 4.「集団自決」の調査・研究の足跡 5.「集団自決」の全体像を 我部政男山梨学院大学教授 高良倉吉琉球大学教授 秦郁彦現代史家 林博史関東学院大学教授 原剛防衛研究所戦史部客員研究員 外間守善沖縄学研究所...
  • 日清・日台戦争戦没者数
    日清・日台戦争戦没者数 日清・日台戦争戦没者数(1)『日本軍事史』 (2)靖国神社戦争別合祀者数 (3)日清・日露戦争死傷者数、直接戦費等 (4)wikipedia日清戦争 (5)台湾征服戦争(乙未戦争) (6)「台湾の歴史 日台交渉の三百年」 (7)藤村道生「日清戦争」 (8)参謀本部「明治二十七八年日清戦史」減耗人員階級別一覧表 減耗人員師団別一覧表 戦闘ごとの「死傷表」 (1)『日本軍事史』 http //d.hatena.ne.jp/higeta/ 日本軍の死者の数も9600人(うち病死7600人)と、下関条約締結までの戦没者8400人(うち病死7200人)を上回った戦闘であった(高橋典幸ほか『日本軍事史』吉川弘文館、2006、326頁)。 (2)靖国神社戦争別合祀者数 http //www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM 日 清...
  • 第3回証人尋問の報告と資料
    http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/37/ 第3回証人尋問の報告と資料 第3回証人尋問の報告と資料第3回証人尋問が終わりました。 裁判のあと、すぐに弁護士会館にて報告集会を持ちました。 第3回証人尋問が終わりました。 今回の裁判のクライマックスである長い1日でした。11月9日(金)の朝、大阪地裁に列んだ傍聴券(65席)を求める彼我の人数は10時抽選締め切り段階で693名でした。約700名のうち、当方が半数を少し超える程度で彼我の人数は拮抗していると思います。抽選の結果入廷できた方の中で、私が確認できた当方支援者、関係者の人数は30余名。ここでも彼我は拮抗と当初思いましたが、のちに、抽選に当たって入廷していた方々のうち、かなりの数が、傍聴席を確保できていないジャーナリズム関係者である事も分かり、この方々は独自で抽選券獲得のためにアルバイト...
  • 民主党政権下の日米同盟と防衛政策
    2010.11.27.九条の会事務局主催学習会「新安保防衛懇報告と憲法9条」 レジュメ 民主党政権下の日米同盟と防衛政策~ 新安保防衛懇報告を素材にして ~ 渡辺 治 はじめに 民主党政権で止まっていたりジグザグ繰り返した日米同盟強化、菅政権下での再稼働 新安保防衛報告、防衛計画の大綱見直しに関する提言での防衛政策の始動 普天間問題、尖閣列島問題、北朝鮮の武力挑発政策 一体、民主党政権下で、軍事大国化、改憲問題はどう展開するのか 報告(講演)の視点 1)この10年の自民党政権下の日米同盟と防衛政策 2)民主党の安保、外交政策の変化と現在 3)2つの流れの合流として新安保防衛懇と民主党の防衛政策を検討する 4)防衛政策とリンクする改憲政策 【目次】 民主党政権下の日米同盟と防衛政策~ 新安保防衛懇報告を素材にして ~はじめに 1 自民党政...
  • 国頭国士隊の文書綴『秘密戦ニ関スル書類』
    国頭国士隊の文書綴『秘密戦ニ関スル書類』 『秘密戦ニ関スル書類』は、全編三三件の文書を一冊に綴った軍事極秘文書で、国頭(くにがみ)国士隊の保管文書であった。これを米軍上陸部隊が現地で接収して米国の公文書館に納めたが、昭和四九年一月に日本に返還され、現在国立公文書館の所蔵となっている。沖縄作戦に関する返還文書は防衛庁戦史室にも数多く収蔵されているが、防諜関係文書としてまとまったものはこれが唯一のものである。文書の日付は、昭和一九年十月中旬から翌年三月末にわたっている。この時期はちょうど沖縄守備軍が決戦準備に追われている最中であり、同時に地域住民にたいする防諜対策が最も強化された時期でもあった。 (「沖縄秘密戦に関する資料 」大城将保編・解説より) 球第1616部隊(第三二軍司令部・司令官牛島中将)師団 旅団 直属部隊 球18800部隊(独立混成第44旅団・旅団長鈴木少...
  • 沖縄タイムス:ぼけた核心 落胆/歪曲懸念 消えず
    http //www.okinawatimes.co.jp/day/200712271300_02.html 2007年12月27日(木) 朝刊 26・27面 ぼけた核心 落胆/歪曲懸念 消えず ぼけた核心 落胆/歪曲懸念 消えず文科相 謝罪・反省踏み込まず 実行委 不満残すも「80点」 執筆者 文科省姿勢を批判 学校現場も懸念 撤回触れず 後退危険も/解説 渡嘉敷・座間味村に号外 「県民大会」新たに追加 きょう緊急県民集会 退職教員らが軍命削除抗議 つくる会が抗議  高校歴史教科書検定問題で教科用図書検定調査審議会(検定審)は二十六日、沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への「日本軍の強制」「軍命」などの記述を認めなかった。「軍関与」の表現にとどめ、九月二十九日の県民大会で決議された検定意見の撤回にも触れなかった。「日本軍の黒い行為をぼかす」「自分たちがうそをついていると...
  • 第4 アジア大陸への侵略の兵端基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第4 アジア大陸への侵略の兵站基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化1 日本の朝鮮政策では、当初は、 2 1938年9月の第1回各道産業部長会議における南総督の訓辞は、 3 近代の植民地は、先進国の工業化を支える役割を負わされており、 4 戦時下の朝鮮は、日本からみると、食料(米)と労働力(人)との供出 第4 アジア大陸への侵略の兵站基地化および日本国内の食糧、労働力の供給地化 1 日本の朝鮮政策では、当初は、   日本の朝鮮政策では、当初は、日本の食糧問題解決のために朝鮮における産米増殖計画などの重農政策がとられた。こ...
  • 第5 朝鮮人戦時労働力動員を可能にした背景
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第5 朝鮮人戦時労働力動員を可能にした背景1 朝鮮農村部の生活状況 ―経済的収奪と貸金の民族差別、性差別― 2 強権的な支配体制の確立 3 皇民化政策(1)皇民化教育 (2)国民総力朝鮮連盟の活動 第5 朝鮮人戦時労働力動員を可能にした背景 1 朝鮮農村部の生活状況 ―経済的収奪と貸金の民族差別、性差別―   それでは、本件を含む朝鮮人戦時労働力動員を可能にしたのは何か。その第一に挙げられるのは、朝鮮農村部の窮乏と極めて困窮した生活である。   1929年(昭和4年)、アメリカに起こった大恐慌は日本にも及び輸出が激減し...
  • パートII 8 戦場は2つある
    「航空自衛隊を元気にする10の提言」×3 田母神俊雄 平成16年3月 航空自衛隊を元気にする10の提言 パートII 8 戦場は2つある  湾岸戦争が終わった1991年にボブ・ウッドワードの書いた「司令官たち(文藝春秋)」という本が出た。当時自衛隊でもかなり多くの人がこの本を読んでいたし、いま私のこの小論文を読んでいる皆さんの中でも読んだ人がいるのではないかと思う。1989年のブッシュ政権誕生後1991年の湾岸戦争開始までの米国における軍事上の意思決定について書かれたものである。米軍のパナマ侵攻及び湾岸戦争を題材に大統領、国防長官、三軍長官、統合参謀本部議長、現地司令官などの心の内面の動きを見事に描き出している。その177ページにパウエル統合参謀本部議長の次の言葉が出てくる。「なにもかもが正しい方向に進み、すべてのことが司令官の手中におさめられれば、そこでテレビに目を向...
  • 第6 朝鮮人戦時労働力動員の一般朝鮮人の受け止め方
    元朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する損害賠償等請求控訴事件・控訴人準備書面(1) ソース:http //www.geocities.jp/teisintainagoya/kouso/kousokeika/zyunbi1.pdf 【小目次】 第6 朝鮮人戦時労働力動員の一般朝鮮人の受け止め方 第6 朝鮮人戦時労働力動員の一般朝鮮人の受け止め方   このような末端にまでわたる支配体制と強権的な警察支配、マインド・コントロール、経済的要因にもかかわらず、朝鮮人戦時労働動員は朝鮮民衆に幅広く受け入れられたのではない。むしろ、これを忌避するための様々な抵抗闘争が繰り広げられた。日本に朝鮮人労働者を送り出す徴用の際、出頭命令を発行したが、1944年新義州で行われた兵庫県川崎重工業特殊工場へ動員される際には、出頭命令にもかかわらず不出頭者が1/3弱にも上った。中には、徴用を拒...
  • 集会の虚構と実体
    http //prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1077.html 2007年10月05日 集会の虚構と実体-沖縄教科書検定問題- 日本会議熊本理事長 多久善郎 1、県民集会(9月29日) ①会場の広さと参加者数 開会2時間前に会場に行き、集会場の大体の広さを足で実測した。横が179歩、縦が通路を挟んで後ろが60歩・前が62歩だった。私の一歩は大体60cmなので、横が107.4m、縦が36mと37.2m。総面積は7861.68㎡。集会は座って聞いていたので、1㎡に2人がせいぜい。 私の周りでは左側と前にスペースがあった。会場内では日傘を射している人が居て、それが視覚を遮るために空きスペースが出来た。 大会の途中で20人くらいの実行委員がカンパ袋を持って会場内をくまなく歩いてカ...
  • 日韓歴史研究報告書の要旨
    http //www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2010032301000547_Detail.html http //www.47news.jp/CN/201003/CN2010032301000547.html 詳報 3月23日18時2分更新 日韓歴史研究報告書の要旨 第2期日韓歴史共同研究の報告書要旨は次の通り。(委員以外の執筆者を含む) 日韓歴史研究報告書の要旨一、古代史【安羅倭臣館】 二、中近世史【文禄・慶長の役】 【元寇】 三、近現代史【領土問題】 【動員】 【強制連行】 【日本語教育】 【日清戦争】 【大衆文化】 四、教科書【委員あいさつ】 【教科書の理念】 【研究継続】 【教科書制度】 【教科書の記述内容】 →日韓歴史研究報告書の要旨(表形式) (引用者注)下記記事を表形式にしてみました。 一、古代史 【...
  • 海上挺進戦隊の運用
    海上挺進戦隊の運用 沖縄方面陸軍作戦 p112-114  海上挺進戦隊の運用 第三十二軍は隷下に編入された海上挺進戦隊の九コ戦隊中七コ戦隊(第一~第三、第二十六~第二十九戦隊)を沖縄本島地区、二コ戦隊(第四、第三十戦隊)を宮古島に配置するように計画した(118)。沖縄本地区の運用要領は「挿図第十」のとおりである(116,175)。  海上挺進戦隊及ぴ海上挺進基地大隊の到着状況は「付表第二」、編制は「付録」のとおりである。  海上挺進第一~第三戦隊は十九年十月十日慶良間列島に上陸したが、海上挺進第二十六~第三十戦隊の沖縄進出は十九年十二月以降となり、海上挺進第二十九戦隊は一部だけが沖縄に到着し、海上挺進第三十戦隊は進出できず昭和二十年四月九日第三十二軍の戦闘序列から除去された(1)。  右の陸軍特攻部隊のほか、海軍の特攻艇隊である第二十二震洋隊(...
  • 中隊の内部組織
    中隊の内部組織 流転の旅路 -シベリア抑留記-  佐々木 芳勝 著 http //www.asahi-net.or.jp/~ID1M-SSK/ 四 満洲第七二五〇部隊に配属 http //www.asahi-net.or.jp/~ID1M-SSK/shiberia/yoshi04.htm より抜粋 (略)  翌朝六時、「起床」の声で一斉に飛び起きた。「点呼を行うから直ちに営庭に集合せよ」との声がかかる。昨夜脱いで枕許においてあった軍服を引き寄せ、手早く身に付けようと焦る。ボタンをかけながら、軍靴に足を突っ込む、なかにはボタンをかけながら中央廊下を走る者もいた。非常呼集でもないのに、毎朝この状態が繰り返されるのかと思いつつ、私も先を競って走った。営庭に出てみると、内務班毎に隊列が組まれ、それぞれが次々と加わっていった。  整列が終わってみると、私の整列順位...
  • 4 戦争の実相
    日清・日露戦争 第3章 日清戦争 4 戦争の実相 4 戦争の実相不潔とにおい 猛暑から酷寒へ 旅順虐殺事件 兵士と軍夫 黄海海戦の「完勝」 主カを逃した失敗 不潔とにおい 兵士たちが上陸して感じたのは、まず「不潔」と「におい」だった。「におい」が、生活文化を背景にした異なったものとして認識されることは、時代を超えて異文化に遭遇した際の共通体験といえる。「におい」や「不潔」という第一印象記録は、日露戦争やアジア・太平洋戦争など多くの従軍日記にしばしば見られるものである。松山市駐屯の歩兵第二二聯隊の一士官も、八月五日朝鮮国の元山(ウォンサン)港に上陸した印象を記した。 さらに驚きは、聞きしに勝る不潔である。道路は塵糞にておおわれ、不潔の大王をもって自ら任ずる豚先生、鼓舞を引き連れ、人間どもを横目で睨みつつ道路を横行する。臭気鼻をつき、嘔吐をもよおすなり。(濱本利三郎『...
  • V おわりに
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅴ おわりに 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅴ おわりに1 動員の概要 2 動員の規模 3.「半島女子勤労挺身隊」の特色 4 挺身隊員が慰安婦にされた事例 参考文献 1 動員の概要  これまで述べてきたことの要点(推定を含む)を整理して表にすれば次の通りである。空欄の所は不明である。 出発年月日 到着月日 出身地  動員先  概人数 帰国年月日  1944 4 慶尚南道 東麻沼津 100 1945  9 30     5 5 9 慶尚北道 不二越 70-100 ...
  • 防空演習
    防空演習 「空襲だ!水だ!マスクだ!スウヰッチだ!」 1928(昭和二)年7月5日から三日間、大阪市で日本初の都市防空演習が実施された。市内各所で、防毒、消防、救護、灯火管制の訓練が行われた。翌一九二九年には、名古屋で同様の訓練が行われた。1930年代に入ると、軍港や軍事施設のある都市を中心に、防空演習が盛んに行われるようになる。しかし、当時は、空襲のリアリティは希薄で、市民の関心はいま一つ盛り上がらなかったようである。この頃の防空演習は、焼夷弾よりもむしろ毒ガス攻撃に対する防毒訓練のほうが重視されていた。一般的な消火・避難訓練よりも、国民の危機感をあおり、緊張を強めて地域社会・市民の「下から」の動員をはかり、管理・統制する上で効果的と判断されたからだろうか。( 防毒マスクが似合う街水島朝穂 ~『三省堂ぶっくれっと』No.116 July, 1995 より) 『わが家の防...
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