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――「集団自決」問題を中心に

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pipopipo555jp

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世界 SEKAI 2007.7
特集:「沖縄戦」とは何だったのか

――「集団自決」問題を中心に


水ぷくれした死体が、打ち寄せる波に持ち運ばれ、また奪い去られていった。すべての戦死者が水葬されて、悉くこの一点に集められたかのように、海岸線は死骸で覆われ、海水はどこまでいっても赤く染まっていた。―――大田昌秀『血であがなったもの』より

【写真】米軍に保護された座間味の住民(on click)
「写真記録,これが沖縄戦だ」大田昌秀編著者(琉球新報社発行)

一九四五年三月から六月にかけて戦われた「沖縄戦」は、四一年以来太平洋域で戦われてきた日米両軍最後の血戦であり、日本国内におけるほとんど唯一の地上戦であった。日本軍は「軍官民共生共死の一体化」方針のもと、軍官民の総動員作戦を展開、若者や男たちは防衛隊、学徒隊、義勇隊などに動員されて戦場に投入されたほか、女や老人などの住民は米軍の捕虜になることを禁じられた。その結果、沖縄県民の四人に一人(約一五万人)が死ぬという凄惨な戦場となった。

住民の「集団自決」も、こうした日本軍の方針と戦場の極眼状態の中で起きた。米軍が最初に上陸した慶良間列島においても、日本軍は住民に対し「米軍の摘虜になった場合は女は強姦され、男は八っ裂きにされて殺される」などと脅し、いざというときは玉砕(自決)するよう、日本軍の隊長から、あるいは個々の兵士を通じて言い渡し、手禰弾も配られていた。渡嘉敷島では三〇〇名余、座間味島では一三五名が「自決」した(座間味の場合、その八割が女性と子どもだった)。

このような「集団自決」に対する軍の関与を消し去ろうとするのが、〇六年度の歴史教科書の検定である(文部科学省、三月三〇日公表)。修正後の記述は、軍の命令、強制、誘導なく、あたかも住民自らが死を選んだように読める。これは沖縄戦の実相を歪めるものだと、沖縄では市民運動のみならず、県知事、県議会、座間味・渡嘉敷両村を合む市町村議会などが修正に抗議し、その撤回を求める意見書などを採択しはじめている。

なぜいま、「集団自決」への教科書検定なのか? 沖縄戦の本質とは何なのか? 本特集は、六月号の外間守善氏インタビューに続くものであり、以後も引き続き過究していく予定である。


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