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3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか…

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pipopipo555jp

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3-06 なぜ従軍慰安婦について本を書こうとしたのか…


  私はあの戦争末期近くに学徒出陣で兵隊へとられた組だ。家族は"満州"におり敗戦後に侵攻してきたソ連兵などから口にいえないようなめにあい裸一つで日本へたどりっいた引き揚げ者だ。

  そんなことで自分は戦争被害者の最底辺にいる存在だと思っていた。そこで一九五六年(S31)勤めていた毎日新聞を去り、物書きになろうとしたとき生涯のテーマをこんな人間を生んだ戦争ときめた。明治以来の日本の軍事史、戦争史をそこから調べはじめた。

  その途中で突然毎日新聞出版局長から呼び出しがかかり「大変なものが出てきたからこれを整理分類し一冊の写真集にしてくれ」といわれた。大変なものというのは、あの十五年戦争36)中戦場へ派遣された毎日新聞の特派員が本社に送ってきた写真ネガと紙焼きの山で、総数二万四千余枚あるものだった。

36) 十五年戦争(じゅうごねんせんそう)
満州事変開始の一九三一年より、日中戦争、太平洋戦争を包括して一九四五年までの十五年間にわたる対外戦争の総称。これは日本帝国主義のアジア侵略の特に中国侵略が、こ一の過程を決定的に規定している点を重視する考え方による。

  各新聞ともほぼ同数のネガと紙焼きの山をもっていたが、敗戦後米軍がその全ての提出をもとめてきた、それを毎日新聞大阪本社写真部長が「新聞記者の血と涙の結晶をそうそう提出できるか」と生駒山の農家にかくしたものの十年十五年たつうち所在不明になっていたが、これがたまたま発見された、というのだった。

  以来一年そのネガと紙焼きの山と格闘し『毎日グラフ別冊・日本の戦歴』(前後篇)にまとめ、これが爆発的に売れたのだが、整理分類しているうち下半身は揮(ふんどし)一つで川を渡る兵隊の横を腰までスカートをたくしあげ頭へ荷物をのせた女性二人が同じように川を渡る写真をみっけた。さっそくその写真を撮った元従軍記者だった方をさがし話を聞くと「これが朝鮮ピーだ」と教えてくれた。

  朝鮮ピーという言葉を知らなかったのでさらに質問すると「朝鮮人従軍慰安婦のことだ」といい、慰安所のこと、兵隊がその前で列をつくっていたことなどを話してくれた。「共同便所みたいなものだった」という話から「とにかく圧倒的に朝鮮人が多かった」ことまで話してくれた。

  さらに聞くと"共同便所"とさげすまれた悲惨さは兵隊以下のものだった。これまで自分こそ戦争被害者の最底辺としていた思いをみごとにぶち壊された。そこから、従軍慰安婦のことを調べ活字にすることから始めようと思ったのだ。

  その元従軍記者は朝鮮人従軍慰安婦がどこからどのようにして連行されてきたかは知らなかったから、調べはそこから始まった。足かけ八年かかった。朝鮮には七度取材に行ったし、東南アジアヘも足をのばさざるを得なくなった。



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