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1-02 従軍看護婦というのがあったと聞いたが それと従軍慰安婦はどう違うのか…

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pipopipo555jp

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1-02 従軍看護婦というのがあったと聞いたが それと従軍慰安婦はどう違うのか…



  従軍看護婦とは戦地の陸海軍病院、陸軍の兵站(へいたん)2)病院に送られ戦傷病兵の看護をした看護婦さんのことだ。戦地から日本内地へ戦傷病兵を後送する病院船にも配属されていた。彼女らは戦地で兵隊と親しく口をきくことも兵隊に白い歯をみせることも禁じられていた。従軍慰安婦とは根本的に違う。

  この従軍看護婦には日本赤十字社が平和時から養成していた日赤救護看護婦と、陸海軍がそれとは別に養成していた陸軍看護婦、海軍看護婦とがあった。陸海軍看護婦はすべて正規の軍属3)とされていた。

  いっぽう日本赤十字社は今と違って明治末から日本の敗戦まで陸海軍大臣の指揮監督をうけ、戦争や戦争に準ずる事変のときに、戦地で看護活動に従事する救護看護婦の養成機関とされた。戦争や事変となったら、陸海軍大臣からの命令で指示された数の看護婦を送り出すことになっていたが、日本内地を離れるとき全員が宣誓し、陸海軍看護婦と同じ軍属とされた。婦長クラスは同じ軍属でも下士官格にあつかわれていた。

  戦地へ送られた三万一千四百五十人(婦長も含む)の従軍看護婦のうち殉職六百十九人そして一千八十五人がその配属地で戦死した。いずれも軍属として当時天皇陛下のため戦って戦死した者だけを祀るとされる靖国神社へ合祀4)されている。軍属どころか軍馬・軍犬・軍鳩以下のあつかいの軍需物資として戦地へ送られ、その数も死者数も名前もわからない従軍慰安婦と違い、動員された者の姓名・出身地・年齢まですべてが今も記録されている。なにより戦地で将兵の慰安をすることなど絶対になかった。全員が日本の女性で女学校の卒業者だった。年齢は若くて十九歳で三十歳代以上までいた。休日には外出も自由だった。それと比べると日本の植民地にされた朝鮮半島に生まれただけで従軍慰安婦にされた同じ年頃の朝鮮人女性とのあまりにも大きい落差を感じる。


2)兵站(へいたん)
作戦軍のために後方にあって車両、軍需品の前送、補給、修理、後方連絡線の確保に任ずる機関のこと。

3)軍属(ぐんぞく)
軍人の身分ではなく、軍隊に所属する人。文官(軍事以外の任務に携わる役人)、技師、嘱託(正式の職員でなくある仕事を頼まれた人)などを指す。

4)合祀(ごうし)
二柱以上の神を一社に含わせまつること。



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