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日本政府の第二の罪

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週刊金曜日 1997.12.5
南京大虐殺60周年特集

日本政府の"第二の罪"

未来の希望は国民の側に

笠原十九司

世界に「背信」した日本政府

一九五一年九月、日本が戦後世界に独立国として再出発するために連合軍と調印した「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」の第一一条は、「日本国は、極東国際軍事裁判所ならびに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判(判決)を受諾」したことを明記している。極東国際軍事裁判(東京裁判と略称)では、国際人道法に反した南京大虐殺事件(南京事件と略称)が裁かれ、中支那方面軍司令官松井石根(まついいわね)大将がその責任を問われて死刑を宣告された。

東京裁判において、日中戦争における日本軍の残虐行為の中で、南京事件だけが重大視して裁かれたのは、第二次世界大戦当時、連合国側の政府と国民には、南京大虐殺の事実がリアル・タイムで報道され、その非人道的な内容に世界の人々が強い衝撃を受けていたからである。

ところが、日本国民だけが、戦時中の厳しい報道管制と言論統制によって南京事件の事実を知らされず、東京裁判で初めて知らされて一時驚愕するが、アメリカが日本の戦争責任を免罪する方向に占領政策を転換すると、しだいに歴史事実に「目を閉ざす」ようになってしまった。その後、経済大国の国民として自信を持つようになると、「南京事件を知らされなかった」が「事件を知らなかった」になり、だから「事件はなかった」という意識になり、ついには「南京大虐殺は東京裁判ででっち上げられた」という倒錯した否定論が主張されるまでになった。

サンフランシスコ平和条約で連合国に「南京暴虐事件」の事実を認めたことを誓約しながら、それに「背信」した否定論を国民に浸透させようとしてきたのは、ほかならぬ日本政府であった。教科書検定によって南京大虐殺の事実を記述させないようにしてきたのは文部省であったし、石原慎太郎のような国会議員だけでなく、永野茂門法相(当時)のように閣僚まで「南京大虐殺はでっち上げ」という発言を行なってきた。敗戦後五〇周年に自民党の歴史・検討委員会が出版した『大東亜戦争の総括』(展転社)は、南京大虐殺否定論のオンパレードである。さらに昨今の「第三次教科書攻撃」を推進している自民党の「明るい日本・議員連盟」は、教科書からの南京大虐殺の記述の削除・変更を叫んでいる。

西ドイツの政府と国民は、連合国によるニュルンベルク裁判にとどまらず、自国の裁判によってもナチスの戦争犯罪を追及し、裁いてきた。この事実と比較すると、日本政府の国際世界への「背信」が際立っている。

侵略戦争を反省できない日本政府

日本政府は敗戦五〇周年にあたっても、過去の侵略戦争に対する反省・謝罪の国会決議を回避してしまった。日本が国家として、日中戦争が侵略戦争であった事実を断定して反省しなかったことの歴史的弊害は、あまりにも大きいと言わねばならない。それは、大元帥昭和天皇を最高の長とする日本軍全体が侵略戦争を遂行したことを公式に反省しなかったことを意味する。

このため、旧軍人が日本軍の侵略・残虐行為を明らかにすることは、旧軍人社会においては「軍法会議送り」に相当する重大な反軍行為とされる意識が解消されないままになった。具体的には、南京における残虐行為を証言しようとすれば、言論封じの圧力が加えられ、南京事件の事実を解明しようとする研究者に対してさまざまな圧力と嫌がらせが加えられるという状況がそのまま放任されることになってしまった。こうした旧軍人社会、右翼勢力からの圧力や妨害を恐れて、南京攻略戦に参加した元兵士あるいはその遺族が、陣中日記や証言記録を公表するのを避ける風潮は改まっていない。

南京事件における犠牲者数の問題を含め、その正確な全貌を解明するうえで最大の障害が、日本軍側の資料の発掘と公開が不十分なことである。南京事件後すでに六〇年が経過し、関連資料の発掘はますます困難になってきている。

こうした無責任な政府に対して、日本の末来の希望は国民の側にある。この間、南京事件記述をめぐる家永教科書裁判で国側を敗訴に追いこんだし、現在進行中の南京事件に関する「中国人戦争被害訴訟」でも政府の損害賠償責任を追及している。井口和起ほか編集『南京事件・京都師団関係資料集』(青木書店)や、小野賢二ほか編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)も、国民の側が苦闘しながら資料発掘に成功した成果である。そして、「南京大虐殺はあった」という歴史認識を日本国民に定着させるうえで大きな役割を担ったのが、民間の南京事件調査研究会(八四年発足、代表洞富雄)であった。ラルフ・ジョルダーノは、ナチスの犯した戦争犯罪を心理的に否定し抑圧する第二次大戦後のドイツ人の精神風土を"第二の罪"と指弾したが、南京事件の事実を隠蔽しようとした戦後日本政府の"第二の罪"を国民の側が償おうとしてきたことに、まだ日本の救いがある。

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かさはら とくし・宇都宮大学教授。著書に『アジアの中の日本軍』(大月書店)、『南京難民区の百日』(岩波書店)、『南京事件』(岩波新書)など。



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