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四万でも立派な大虐殺なのに

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pipopipo555jp

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昭和史の謎を追う(上)
第8章 論争史から見た南京虐殺事件

四万でも立派な夫虐殺なのに


ところで、南京虐殺論争の中盤から出現したこの阿羅なるライターには不可解な部分が多い。著書の『聞き書南京事件――日本人の見た南京虐殺事件』(図書出版杜、一九八七)の奥付には「一九四四年仙台市生、東北大学文学部卒業、現在出版企画に従事」としかない。

この人物がミニコミ誌などで畠中秀夫の名でやはり南京事件について論じていた人と同一人物とわかったのは、かなりのちのことで、洞富雄などは最近まで別人と信じ別々に反論を書きわけていた。どちらがペンネームか確認はしていないが、同一テーマについて本名とペンネー
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ムを書きわける例はきわめて稀ではあるまいか。

問題の本の構成も、それ以上に奇々怪々である。「十二年十二月と十三年一月に南京にいた人に聞けば本当のことがわかるのではなかろうかと考え」(あとがき)て、軍の幹部一五〇人、報道関係者三〇〇人、外交関係者二〇人ぐらいを探し、うち六六人をヒアリングの対象者にしたとある。

その精力的な東奔西走ぶりは敬服するが、「数千人の生存者がいると思われる」兵士たちの証言は「すべてを集めることは不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」という釈明には仰天した。

筆者の経験では、将校は概して口が固く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの情況を語ったり、日記やメモを提供するのは、応召の兵士が大多数である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。

昭和十二年十二月十五、十六日に実施された有名な難民区の便衣狩り作戦(第九師団の戦闘詳報には「七千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」とある)を調査するため、実行に当った金沢歩兵第七連隊の生存者に当ったときも、戦友会経由だったせいか、なかなか率直な証言がとれず困惑した。しかし、その一人がこっそり筆者に教えてくれた他県在住の兵士二人と会え、虐殺の生々しい光景を記した日記と証言を得ることができた。

同じような手法を応用してクロを立証する相当数の日記、写真、戦闘詳報などを収集した成果は、拙著の『南京事件』に活用しているが、阿羅は最初から兵士にアプローチするつもりはなかった、と宣言しているのだ。

その結果、阿羅の本は「虐殺というようなことはなかったと思います」、「見たことはない。聞いたこともなかった」、「聞いたことがないので答えようもない」式の証言ばかりがずらりと並ぶ奇観を呈している。ここまで徹底すると、クロを証言する人は避け、シロを主張している人だけをまわって、「全体としてシロ」と結論づける戦術がまる見えで、喜劇じみてくる。

阿羅はさらに筆者が戦闘詳報などのデータを積みあげ推計した三・八~四・二万人という不法殺害数について「秦氏のどこにこう断定する能力と権限があるのだろうか。…この一言でそれ迄の秦氏の信用が失墜したのはいう迄もない」(『月曜評論』昭和61・9・15)とふしぎなことを書いている。しかし、数の問題にまったく知らぬ
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顔もできぬと思ってか「この数千人ほどと思われる中国兵士の犠牲者」を将来の検討課題にすべきだ、と退却の構えも匂わせている。

この点は田中も同様で「"南京虐殺"は全くの虚構」と主張しながら「一部の不心得の兵の素乱(ぴんらん)」を認めたり、「私は南京虐殺は全然なかったとは言っていない。残念だが戦闘の混乱で、何人かの処刑や虐殺はあったと思う」と述べてみたり、一貫していない。最終的には「大虐殺」はなかったが「小虐殺」はあった線でツジツマを合わせる予定なのか、と想像している。

中間派は辛いもので、左右両翼から叩かれる運命にある。左側から攻める笠原は、広島・長崎の原爆死者数と同じく「確定は困難」としながら、筆者の推計について「三十万人虐殺を否定し、それを南京大虐殺の否定にすり替えようとしている」ときめつけて「過少評価派」と命名したうえ、「今後の文部省教科書検定・-…〈学問的業績>として利用されるに違いない」と皮肉っている。四万人でも史上有数の大虐殺だ、と筆者が述べているにもかかわらずである。

このように、三派の言い分のうちホンネの部分をつなぎあわせて行くと、(1)正確な数字は誰にもわからない。(2)規模の大小はともあれ、南京で虐殺事件が発生した、という共通の認識がある点はたしかなようだ。ところが立場上ホンネを表明しにくい人たちの争いであるがゆえに、仁義なき泥仕合と化し、とばっちりが中間派にも飛
んでくる、という構図になる。

では虐殺派とまぽろし派のいずれが楽かとなると、断然前者のほうだろう。なぜならクロを証明するほうが、シロの証明よりはるかに有利だからだ。

筆者は東京・目黒区の一角に住んでいるが、朝刊を開いて、前夜、近所で火事や犯罪が起きているのを知り、ぴっくりすることが多い。新聞がなければ、聞かれても「知らない」「見ていない」と答える事例がほとんどであろう。その種の証言を苦労して山ほど積みあげても、火事の確実な目撃者が二人現れたら、シロの主張は潰れてしまうに決まっている。

南京虐殺も同様で、たしかな目撃者や記録が二つあれば、百のシロ証言はくつがえるはずであるが、必ずしもそうならない。まぼろし派のほうに熱烈な支持者が集まるため、結果的に虐殺派とまぽろし派は、ほぽ拮抗する勢力を保って不毛の論争を継続できるのである。
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