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第1章 誰の歴史か?

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第1章 誰の歴史か?


1987年に戒厳令が解かれて以来、台湾の政治や社会には大きな変化が訪れた。その変化にはよい面もあれば悪い面もあるが、余りに目まぐるしい変化なので、いまだに未来の方向は見えていない。人びとはこのような時期を過渡期と呼ぶが、いったいどんな社会への過渡期なのだろうか? 秩序と安全が整い人びとが安穏に暮らすことのできる社会なのか、それとも今まで以上に混乱した、利益に追われる杜会なのだろうか? この問題に答えられる人など誰もいないだろう。

しかしそれはともかく、社会が激しく変化する時代には、喜ばしいこともいくつかある。たとえば、「思想問題」を理由に――実際にあったものであれ、でっち上げられたものであれ逮捕されるのを恐れなくてもよくなった、母語を話すことを恥じなくてもよくなった、どの民族集団エスニックグループ〔原文は「族群」※1〕も白分たちの歴史を忘れるよう強要されなくなった、歴史もただ上から与えられるだげではなく、子どもの教育を通して白分の郷土を認識する機会を持つようになった、さまざまな少数派がしだいに尊重されるようになった、などなど。

※1「族群」は、他と異なる独自の言語や文化を持つエスニックグループを指し、以下、「民族集団(エスニックグループ)」、あるいは単に「民族」と訳した。


ようやく新しい時代がやってきたようだ。新しい時代は新しい歴史を求め、新しい民族集団エスニックグループの関係は、新しい民族集団の歴史を求める。もし歴史研究者の任務が研究だけにとどまらず、歴史を叙述することをも含むならば、薄暗い片隅に追いやられていた民族集団エスニックグループが、そこから出てきて歴史の光のなかに入ることを求めるとき、歴史研究者は、すべての民族集団に目配りをした台湾史をどのように書くべきだろう? これは台湾の歴史研究者だけが直面している大きな挑戦ではない。民族問題の衝撃と混乱に揺れる現代社会においては、世界的な問題の一つなのである。たとえば「民族の坤塙るつぼ」と呼ぼれているアメリカで、民族集団相互の関係が大きく変化した今日、ヨーロッパ系白人男性を中心としたアメリカ通史は、もはや書くことができないだろう。しかし、それぞれの民族集団のアイデンティティを満足させるような新しいアメリカ通史が書けるだろうか? 同様に、そうした新しい台湾史を叙述することが果たして可能であろうか? 

あるいは可能かもしれない。しかし決して容易なことではないだろう。そのことがはっきりと表れるのが時代区分についてだが、現在普通に見られる区分は、清朝統治以前の歴史時代を、「オランダ時代」と「鄭成功ていせいこう時代」とに分けるものである。「鄭成功時代」とは、言うまでもなく、漢人の立場からの時代区分であり、鄭氏政権の統治が及ぼなかった先住民にとっては、こうした区分は真実からほど遠い。「オランダ時代」という言い方もまた、漢人の立場に立ったものとは言えないであろう。なぜならそのころ漢人の人口はまだ少なく、オランダ東インド会社が支配したのは、ほとんどが先住民だったからである。では、「オランダ時代」という時代区分は歴史的事実に合致するだろうか? 答えはまた否である。私たちは、オラソダ東インド会社の統治地域が台湾南部を中心としており、その勢力もしくは「教化」が南部に限られず、細々ながら北部の若干の拠点と卑南ひなん地方〔台湾の東南沿岸部〕一帯にも及んでいたとはいえ、中部・北部及び中央山脈以東の大部分の先住民にとって、オランダ東インド会社の存在は、あまり関係のないものであった。私たちが「オランダ時代」と呼ぶとき、オランダの支配の及ぼなかった「地域」や「人間」までもその中に囲い込んでしまっていないだろうか。この種の強引な歴史区分に対して、私たちはしっかりと問い直さなけれぼならない、「これは誰の歴史なのか」と。

今日私たちが直面しているのは「誰の歴史か」ということだけでなく、実は、もっと深刻な挑戦である。それはまた、地理空間でもって歴史を定義することから生ずる難題でもある。いわゆる「地理空間をもって歴史を定義する」とは、どういう意味か? まず私たちが必ず理解しなければならないのは、私たちが属する時代はナショナリズム(nationalism)の隆盛の時代であり、世界を構成する単位は国家なのである。それは必ずしも国民国家(nation state)である必要はないが、帝国ではなく、また部族でもない。ナショナリズムという公理のもと、帝国は必ず瓦解する運命にあり、一方部族は建国せぬわげにはいかない。国家は観念的な存在ではなく、明碓かつ「神聖にして不可侵」な境界を持つものであり、もしそれが明確でなかったり、侵犯されたりすれば、深刻な衝突に立ち至り、究極的には戦争を引き起こすのである。

台湾もこうした世界的潮流の枠外に存在するわけにはいかず、近年台湾社会がもっとも困惑しているのが国家アイデンティティの問題であり、さらにはこの問題をめぐって生起する「統一か、独立か」の争いである。私たちはこの紛争に巻き込まれることを望まなくても、歴史研究者として、その影響からまぬがれる方が難しい。「統一」、「独立」、あるいは「不中不台」※3のいずれの立場をとろうとも、私たちの社会では、すでに台湾を主体として考える方法や観念がしだいに発展しつつある。これはいま現に存在している現実の問題であり、好むと好まざるとにかかわらず国家を単位とした現代社会は、国家を境界とする各種の制度と組織を作り上げているのである。現在の台湾は、国家と非国家の間にあるのだが、その内部の多くの制度や組織は、台湾を一個の政治実体と区切った領域のうちに存在している。貨幣を例にとると、「台湾元」の発行と使用の範囲は、おおよそ私たちの政治領域の範囲を出ない。パスポート、ビザ、税関、これらは言うまでもなく、境界を決める大きな力を持っている。一つの国家あるいは国家たらんと希求する杜会は、「自己」の歴史を必要とする。地域の特色を強調するこの現代社会においては、たとえ〔中国との〕統一を主張する人びとであっても、その多くは知らず知らずに台湾をその「思考の単位」としているのである。香港のように、中国に復帰したとはいえ、予想し得る限りの未来、大多数の香港人はやはり香港を「思考の範疇」とするに違いない。

※3中華人民共和国との「統一」でもなく、中華人民共和国からの「独立」でもない、台湾の現状維持を求める言い方。


私たちはここで何も政治的主張を行うつもりはない。ここでの目的はただ、台湾の現在の状況が歴史研究に大きな衝撃と挑戦を生み出したことを指摘することだけである。この他に、私たちはまた比較・普遍という視角からも台湾の問題を見てみたい。地理的空間から一個の社会的集団〔原文は「社群」〕あるいは国家民族ネイション〔原文は「国群」〕の共同の歴史を追憶するのは、近代社会に普遍の現象である。たとえばインドネシア独立を指導したスカルノ大統領は、民族団結を呼び起こすために、常々「われわれインドネシアは過去400年間オランダに統治されてきた……」と言っていたそうである。今日のインドネシアの国境は、おおむねオランダ植民地の範囲と合致はしているが、厳密に言えぼ、オランダがインドネシア「全土」を400年も実質的に統治したことはないのである。17世紀初期、オランダ東インド会社はせいぜい今日のジャカルタ付近の地域を統治したにすぎず、仮に1942年までとしても、今日のインドネシアの国土すべてがオランダの実効支配下に在ったわけではない。台湾でも、同様の現象が見られる。いわゆる「台湾400年の歴史」とは、後の漢人(男性)の観点の後追いではないと言えるだろうか。

未来の台湾史の叙述は、どのように民族集団と歴史単位の問題を処理すればよいのだろうか? 私たちにはまだわからない。本書は、こうした手さぐりのなかで、台湾史が直面している、そして検討すべき課題をいくつか明らかにし、読者の参考に資するために書かれた。私たちは一つの系統だった通史を書くつもりはない。現在の研究成果は、まだそのような試みをすることを許さないのである。ある予測によれば、21世紀はインターネットと映像の世界である。本書の図版の分量はかなり多いが、その目的は画像イメージに満ち濫れた現代社会において、台湾史にその生存空間を獲得するためにほかならない。読者がこの本を読まれた後、細部は記憶されずとも、脳裏にいくつかの図や写真を留められることを願うばかりである。



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