15年戦争資料 @wiki

コメント欄(戸井田1)

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pipopipo555jp

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  • (略) 
    --(Apeman) 2008-12-22 18:53:15
  • ちなみに『SAPIO』1998年12月23月号の笠原論文については、ホドロフスキさんが書き起こしをなさっています。
    http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20080216#1203164119
    -- (Apeman) 2008-12-22 21:41:23
  • Apemanさん
    他の人を気にせず、どんどん指摘してください。 -- (ni0615) 2008-12-22 22:26:10
  • 顧維鈞演説が引用した新聞記事とは何か、同定する必要がありますね。 -- (ni0615) 2008-12-23 10:44:33
  • >顧維鈞演説が引用した新聞記事とは何か、同定する必要がありますね。

    言及されている二つの記事のうち、一つはダーディン記者の書いた12月18日の記事(顧維鈞が12月20日の『ロンドン・タイムズ』に言及しているのは、後者に転載されたからだと思われます)にぴったりの記述があります。
    「(・・・)大規模な略奪・婦女の暴行・一般市民の虐殺・自宅からの追い立て・捕虜の集団処刑・成年男子の強制連行が、南京を恐怖の町と化してしまった。」(『日中戦争南京大虐殺事件資料集 第2巻 英文資料編』、280ページ。
    12月20日の『ロンドン・タイムズ』が確認できればベストですが、まず間違いはないでしょう。


    >国際連盟は、一九三七年十月六日の南京・広東に対する「日本軍の空爆を非難する案」のように採択しなかった。

    についてもう一つ補足です。38年2月1日付けの「中国政府の提訴に基づく決議案」では、37年10月6日の決議を「想起し」、その決議に「最大限の注意を喚起」し、「極東紛争の公正な解決に寄与するため、今後のあらゆる手段の可能性を検討するいかなる機会も逸さないことを確信する」としており、中国側の提訴が完全に無視されたわけではない。(『ドイツ外交官の見た南京事件』、136頁)


    -- (Apeman) 2008-12-23 11:37:46
  • >その時点で「戦時国際法違反」を実証できる報告を蒋介石が受けていたならば、顧維鈞中国代表は、国際連盟での演説に取り入れていたであろう。

    これも「情報戦」を標榜する面々にしては素朴に過ぎる見方。すでに欧米人による報道があるのだから、国際社会に訴えるにはそちらを援用した方が中国側の調査(38年1月の段階では完全な調査足り得ないのは当たり前)に依拠するより説得力がある、と考えても不思議はない。

    >しかし、「二万人の虐殺」と「何千人もの女性が辱めを受けた」事は記載されているが、顧維鈞中国代表が国際連盟に「行動を要求」した最重要部分を「以下、略」として削除している。
    >
    >この議事録は、二〇〇一年に明らかになっていたので、資料価値を低く見る研究者もいるが、「行動を要求」していた事まで明らかになっていなかったのである。

    これまた「最重要」という語の恣意的な使用による印象操作。顧維鈞の演説は議長が決議案を提示した後に行なわれている。「行動を要求→決議案の作成」という順序ではなく「決議案の作成→行動を要求」という順序なのであり、顧維鈞の「要求」が決議案作成の過程で斥けられたのではなく、決議案に具体的な「行動」が盛り込まれなかったことへの不満の表明として「行動を要求」したと解すべき。なにをもって「最重要部分」とするのか、意味不明。

    >これは、中国の「南京大虐殺」の政治宣伝の原点が、顧中国代表の国際連盟での演説にあり、ここからスタートしていたと見る事ができる。

    大仰な表現の割に内容は実に乏しい。南京事件は37年12月に始まったのだから、38年初頭の理事会が中国にとって日本軍の「暴虐」を国際社会に訴える最初の機会になったことは当たり前のことに過ぎない。


    -- (Apeman) 2008-12-23 11:59:23
  • >そこには、日本軍将兵も勝手に入る事が禁じられていた。

    しかし現実には出入りしていた。安全区委員会のメンバーが記録している他、日本側の記録もある。

    >その城内では、外国の報道陣が自由に取材し、

    南京陥落当時も南京市内にとどまっていた外国のジャーナリストは5名に過ぎない。
    http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/47.html
    「自由」かどうかは別として彼らが取材した結果として、日本軍による殺人、略奪、強姦が報道されたわけである。

    >その朝日の記者の一人、山本治上海支局員は「事件というようなものはなかったと思います。朝日でも話題になっていません」と「『南京事件』日本人48人の証言」(阿羅健一著)の中ではっきり答えている。

    >上海支局次長橋本登美三郎氏は当時の報道規制について「何も不自由には感じてない。思った事、見た事はしゃべれたし、書いていたよ」(前掲書)と証言している。

    いずれも都合の悪い証言を無視している。当時の日本人ジャーナリストは一種の「共犯」であることをふまえてその証言を聞く必要がある。なお山本治氏自身、同所で示唆に富む発言をしている。
    「それと虐殺という表現ですが、戦場では、普通最も悪いとされていることが、最大の功績になるわけです。平和になって平和時の感覚で言うのは、何も意味がないと思います。」
    すなわち、山本氏の「事件というようなものはなかったと思います」という認識は、旧軍の価値観を共有した上でのそれでしかない、と疑う余地が大いにある。

    >戦後、新聞労連の活動を熱心にしていた朝日と毎日の数名以外、南京で「虐殺」があったと語ったものはいない。

    石川達三、大宅壮一他の戦後の発言。
    http://www.geocities.jp/yu77799/bunkajin.html

    >一九三七年十二月は、両紙ともパネー号(米)の撃沈とレディーバード号(英)が攻撃された記事が最大のニュースである。

    自国(民)の被害に関心をもつのはいまの日本のマスコミも同じ。中国人に対する殺人、強姦等も報道されていた。

    >右文章の十二月七日から一週間後は十四日です。それは、ロンドン・タイムズ十二月十八日の記事で「十四日…通りには死体が散在したが女性の死体はなかった」となっている同日に「婦女子二万名が惨殺された」と「真相箱」の台本を制作した事は、GHQが歴史を捏造した事になる。

    「真相箱」が「その一週間後」と言っているのは「その恨みを一時に破裂させ、怒涛の如く南京市内に殺到した」という部分についてであり、14日に「実に婦女子二万名が惨殺された」などとは言っていない。

    >この事実は、一九三八年一月二十六日以降一週間、アリソン殴打事件を上回る、強姦、殺人事件がなかった事を示している。

    上述したように、自国(民)の被害により大きな関心を示すというバイアスを無視している。また、38年1月26日以降の1週間なら、南京事件初期に比べて被害が少ないことは驚くに値しない。



    -- (Apeman) 2008-12-23 12:43:42
  • >>顧維鈞演説が引用した新聞記事
    Apemanさんありがとうございます。1つはダーディンの初報http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.htmlですね。
    もう一つは、ティンパーリが絡んだものでしょうか? ベイツと安全区国際委員会の報告が載ったものでしょうか?
    -- (ni0615) 2008-12-23 12:49:53
  •  すみません、『南京事件をどうみるか』から引用されているシンポジウムの箇所ですが、正しくは145ページではなく146ページです。南京事件FAQに載せた時点で私が間違っていました。恥ずかしい……。お手数ですがその部分の訂正をお願いします。 -- (トロープ) 2008-12-23 22:28:00
  • トロープさん
    ありがとうございました。直しておきました。 -- (ni0615) 2008-12-24 07:41:18
  • >もう一つは、ティンパーリが絡んだものでしょうか? ベイツと安全区国際委員会の報告が載ったものでしょうか?

    私も多分そうだろうと踏んでいます。時期はある程度絞り込めますから調べてみるつもりです。 -- (Apeman) 2008-12-24 14:23:35
  • もし、ティンパーリが絡んだものだとすると、上海で日本軍当局が彼の電報を差し押さえた時期と重なるような気がします。
    「What War Means 」を書く前に、その材料となる素材の記事をおくったのでしょうか?
    参考:watanabeさん<参考資料>ティンパーレーに関するタイムライン
    http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/kitamura/kitamura05.html -- (ni0615) 2008-12-24 15:09:14
  • watanabeさん<参考資料>ティンパーレーに関するタイムライン より
    《1月21日》  ティンパーリー、南京で1万人以上の非武装の人々が殺され、ドイツ人の同僚によれば2万、8千人以下とは思われない女性が強姦されたというベイツ情報の電文発信を阻止される
    《1月21日》  ティンパーリー、在上海英国総領事ハーバート・フィリップスに、日本官憲による電文検閲について、書面で抗議を要請
    英国艦船から発信されたかもしれません。watanabeさんにお尋ねできますか?
    -- (ni0615) 2008-12-24 15:20:17
  • ●産経新聞の犯罪的な報道と、超右翼国会議員の「事実の改竄」行為。

    A:『二〇〇七年一月三十日、東京財団の招きで来日した
    張連紅・南京師範大学教授(南京大虐殺研究センター主任)と
    …「南京大虐殺」に関して「三十万から四十万人の虐殺数に疑問を呈し、
    <八十年代の中国の研究><は>感情的で政治的な色彩を帯びていた」
    事を認めた。(産経新聞二月一日)』
    産経新聞は、意図的なミスリードを狙っている。この発言の後には
    「<他方>、九十年代以降の研究は、<客観的・学問的>になっている」等が
    続いていたはずであり、<この後者の方が発言の主眼>であった筈。
    その主眼を削除して、それとの対比である「八十年代」に限定した「政治的な色彩」
    だけを取り出し報道する事は、産経新聞による犯罪的な行為である。

    B:『中国政府関係者が、これまで公式見解として来た南京での「虐殺
    数<三十万人>」を<否定した>事は』

    この産経新聞の犯罪的な記事を、さらに「三十万人を否定した事実」に
    改竄することは、この国会議員の正体が歴史改竄主義者そのものである事を示す。

    ●張連紅・南京師範大学教授(南京大虐殺研究センター主任)は
    「南京大虐殺三十万人」を、決して否定は、していない。

    『30万人という数字は<大まかで>
    おそらく<正しい数字>ではないでしょう。
    <ただし>、<現在判明している資料から推測できる数字><でも>あります。

    学者として考えれば、この数字は<これから先、変わる>と思っています。
    <我々の仕事>は調査研究を進めて、<真実に近い数字を明らかにしていく>ことだと
    思います。」
    本誌編集長(注:薬師寺克行)、中国で直撃インタビュー2 006年6月号「論座」より

    なお、論文を書いたそうですが、
    「いろんな資料を分析すると、当時、南京の人口は53万人以上でした。」 -- (イエスちゃん) 2009-02-16 03:28:00
  • 遅ればせながら。
    mixiでこの本が話題になっているのを見ましたので、初めてじっくり読んでみたのですが・・・アホらしさに唖然。
    これをネタにしない手はありません。こういうのをからかうのは私の得意技ですので(笑)、楽しみにお待ちください。

    小ネタですが、
    >日本軍の陳謝に対して、アリソン氏も「検察官的不遜な態度と領事としての立場を幾分逸脱」していた事を詫びている。(資料9)
    「資料9」を見ると、「支那事変実話」第6編(細かいけど、「実記」だろうが)。

    で、実際に記事を読んでみると・・・
    >これアリソン氏が日本軍に恰も検察官的不遜の態度を以て、その領事たるの職分を超越し、事毎に日本軍の非を鳴らすが如き態度に起因するものにて・・
    「詫びている」なんて、一言も書いていませんでした。 -- (ゆう) 2009-05-30 13:33:58
  • ゆうさん こんにちわ
    コメントスパムを退治していてお返事が遅れました。
    >「詫びている」なんて、一言も書いていませんでした。<
    こういうのをなんと言うのでしょうか? 使えないウラの金を使えるようにするのはマネーロンダリングといいますが、その反対ですね。「ドキュメント・ポリューティング」とでもいえばいいのでしょうか?

    >これをネタにしない手はありません。こういうのをからかうのは私の得意技ですので(笑)、楽しみにお待ちください。
    期待しています。 -- (ni0615) 2009-05-30 16:24:58
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