15年戦争資料 @wiki

rabe1月6日

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pipopipo555jp

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一月六日

ばんざい! アメリカ大使館のアリソン、エスピー、マクファディェンの三氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。すでに十二月三十一日に南京を目の前にしていたのだが上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。

これで日本の軍当局から米と小麦粉(これは軍が略奪したものだが)が買える。価格は高いが(米一袋約十三メキシコドル)、約五万メキシコドル買うことにした。石炭も一万二千メキシコドルぐらい買っておかなくては。難民の蓄えが底をついてきたので早急に手を打つ必要がある。

韓はあまり乗り気ではない。米屋から、中国軍が南京を奪還しようとしていると聞かされたからだ。すでに南西部では砲声が聞こえたという。「そうなれば米だって小麦粉だってただで手に入りますよ」。けれども私は、心ならずも韓に言い聞かせなければならなかった。「決してそんなことにはならないよ」

十時ごろ日本軍のトラックがきて、うちの収容所から下関の発電所の作業員を十五人連れていった。みなしぶしぶ出かけていった。前回、食事をちゃんと与えると約束しておきながら、ろくなものを食べさせてもらえなかったからだ。まったくありつけなかった者もいた。それだけではない。発電所ではなく、市の南部の門のちかくで塹壕掘りをさせられた者も何人かいた。

午後五時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、その資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。自治委員会が今後われわれの仕事を引き継ぐことになっているからだという。資産を引き渡す? 冗談じゃない。私はただちに異議を申し立てた。「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ」。難民の住まいの大半は壊され、略奪されている。焼き払われてしまった家もあるのだ。

さっそく委員会の会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。また、治安や秩序をとりもどすためにどういう提案をするかについても。日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。どうやら狙いは我々の金だけらしい。つまり、「国民政府からもらったのだから、おれたちの物だ!」というわけだ。

しかし我々の考えは全く違う。なんとしてもこちらの主張を通そうということになった。アメリカやドイツの大便館が支持してくれると当てにしたうえでの結論だ。といっても、先方が果たしてどう考えているのか、まるっきりわからないのだが。


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