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沖縄タイムス:宣伝ビラ 戦況応じ配布/沖縄戦時の米軍文書発見

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宣伝ビラ 戦況応じ配布/沖縄戦時の米軍文書発見

地域・時期別に心理作戦 「赤十字マークで投降増」


 沖縄戦下、米軍が日本軍将兵に厭戦意識を抱かせたり、住民を投降させる心理作戦に用いた宣伝ビラ(伝単)の配布時期や地域を具体的に記した文書とビラのセットが見つかった。戦争直後、沖縄を統治した海軍軍政府の資料を古銭・古美術コレクターの翁長良明さん(沖縄コレクター友の会副会長)が、入手した。文書は南部、北部など地域別、作戦の進行状況でビラが使い分けられたことを示している。研究者は「具体的な配布法が分かったのは初めてではないか」と指摘する。十二月上旬に那覇市内で開かれる「沖縄のメディア展―新聞・ラジオ・テレビ」で公開される。(謝花直美)

 見つかった文書は一九四五年六月十五日付、海軍軍政府のウィラード・ハンナ少佐が、クリスト准将あて、宣伝ビラについて報告したもの。

 文書では、心理作戦の第二段階とされた上陸十一日以降に、宣伝ビラがどのようにまかれたか記述がある。

 一―五番のビラは、南部の前線で、それぞれ約二万枚を米砲兵隊が壕でまいたと記述されている。その内容は「米軍は皆様の友達です」「日本人は米国人と同治療を受けて居ります」という言葉とともに、軍事施設を避けた避難の仕方や攻撃されない投降方法を図で説明。この時期は、日本側を自決させず投降させることを目的としており、ビラは住民向け、沖縄出身の軍人向けなど細かく作成されている。

 軍政府のために用意された六―九番のうち、八、九番は米二七師団が北部地域の掃射作戦のために、用いられたと記録されている。赤十字マークが描かれた八番に関しては「六月七日、飛行機で初めてまかれたが、それまでに保護された四倍以上にあたる千六百人の住民がビラを手にして自発的に山を下りてきた」と記している。

 沖縄戦研究の吉浜忍沖縄国際大学教授は「沖縄戦の宣伝ビラの現物はこれまでも収集され、種類や枚数などは把握されてきた。だが、どのような機会にどの地域でまかれたかが分かるのは初めてではないか。米軍の心理戦のすすめ方を明らかにする」と指摘した。

 「メディア展」会場は、那覇市の平和通りにある古美術「なるみ堂」。問い合わせは電話098(987)5530。

[ことば]

 米軍と宣伝ビラ 沖縄上陸作戦(アイスバーグ作戦)では宣伝ビラなどを用いて日本軍側の士気を低下させる心理作戦が大規模に取り組まれた。米軍は上陸前に約800万枚のビラを用意、さらに沖縄で印刷した。上陸10日目までにまかれたビラは、日本軍の士気低下、民間人に対しては米軍から遠ざけるための警告を目的とした。それ以降は各地の戦闘状況に応じて、ビラと音声放送を使った。



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