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f 「沖縄戦史」(昭和34年)上地一史著(2ha)

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第3 当裁判所の判断
5 真実性ないし真実相当性について(その1)
【原判決の引用】
(原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について
(原)(2) 集団自決に関する文献等
  • ア 座間味島について
    • (ア)(梅澤命令説記載文献


  梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。

f 「沖縄戦史」(昭和34年)上地一史著(2ha)

(判決本文p148)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。

  「沖縄戦史」は, 沖縄タイムス社の編集局長であった上地一史が,時事通信杜沖縄特派員や琉球政府社会局職員らと共同で執筆したものであるところ, 上地一史は, その「まえがき」に
「この記録は, 時事通信杜代表取締役長谷川才次氏のすすめで, 沖縄戦の正しい記録を一冊にまとめるつもりである。 したがって, 日・米両軍およぴ現地沖縄に保存されている最も確実な資料に基づいて忠実な『沖縄戦史』とするように努カした。」
と記載している。

「沖縄戦史」には,
「梅沢少佐は,
『戦闘能力のある者は男女を問わず戦列に加われ。 老人子供は村の忠魂碑の前で自決せよ』
と命令した。」

「二十六日午前十時, 掩護射撃の下にアメリカ軍の上陸がはじまった。 日本守備軍は『番所山』に集結, 夜になって斬込みを敢行するといわれたが, これは決行されず, 斬込みの弾薬運搬のため先発した女子青年団員五名は, 予定の時間になっても斬込隊は来ず, 周囲にアメリカ軍の気配を感じ, 捕盧になって恥をさらすより, 死んで祖国を守ろうと, けなげにも, 手榴弾で自決をとげた。 二十七日の未明であった。」

「村役場の首脳の自決も, 二十七日であった。そのほか七十五名の純朴な住民たちが自決した。」

「その後, 日本軍は生き残った住民に対し
『イモや野菜を許可なくして摘むべからず』
というおそろしい命令を出した。 兵士にも, 食糧についてのきびしいおきてが与えられ, それにそむいた者は, 絶食か銃殺という命令だった。 このために三十名が生命を失ない, 兵も住民もフキを食べて露命をつないでいた。」
として, 控訴人梅澤が老人・子供に対して忠魂碑前で自決するよう命じた旨の記述がある(乙5・51,52頁)。

  また, 「沖縄戦史」には, 本文の後に「沖縄戦日誌」と題して年表形式で事実経緯がまとめられており, 昭和20年3月28日の箇所に, 座間味村長, 助役, 収入役, 住民175名が控訴人梅澤の命令により集団自決した旨記載されている(乙5・290頁)。

  なお, 女子青年団員五名の手榴弾による自決は, 「秘録沖縄戦史」にも同様の記載があるが, 誤記であると認められる(乙9・702頁)。


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