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パートIII 2 指揮官は求道者にあらず

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田母神俊雄 平成16年7月 ,9月
航空自衛隊を元気にする10の提言 パートIII

2 指揮官は求道者にあらず


 自衛官の中には真面目、素直、純情というような言葉がぴったり当てはまる人が多い。こう言うと反論したい人もあるかと思うが、30数年の自衛隊経験でいえば本当に誠実な集団であると思う。個人の権利ばかりが主張される世情においても我が国古来の武士道の精神を立派に受け継いでいるといってよい。だからこそ戦後の逆風の中でも徐々にではあるが国民からの信頼を高めてくることが出来たのだと思う。自衛隊は国家の大黒柱である。さて若い人の中には人格が完成されない自分に嫌気がさしている人がいるかもしれない。しかし人間は、ごく一部の特別な人をのぞいて、不完全で当たり前なのだ。貴君がそんなに悩む必要はない。やがて時(とき)が貴君を解放してくれる。

 今から26年前の昭和53年5月に私は沖縄の第5高射群第17高射隊からSOCに入校した。当時市ヶ谷にあった部隊の食堂に昼食のため並んでいると、後ろから私の名前を呼ぶ人がいる。昭和42年防大に入校したとき1学年2班で同じクラスだったO君だった。O君は陸上自衛隊に進んだが防大卒業後7年ぶりの再会だった。彼も仕事の都合でしばらく市ヶ谷駐屯地に来ているということだった。当時の市ヶ谷の食堂では昼食の列はいつも5分ぐらい並ぶのが普通だった。私たちは並びながら昔のことなどいろいろな話をした。その後何度か昼食の列で前後になることがあり、ある時特別昇給の話になった。丁度その年の4月に私は初めての特別昇給を頂いていたがO君はまだだということだった。O君が「お前はいいなあ、俺はまだなんだ」と言っていると、後ろから「おい、O1尉、そんな馬鹿な話は止めろ」と言う人がいる。振り返るとミスター自衛隊、いわゆる軍神という感じの人だった。軍人がお金になどこだわるべきではないというのだ。O君の話によると自分にも後輩にも厳しい陸自の立派な先輩であるということだった。私たちは当然先輩の指導に従いその話は中止した。

 これに先立つ数年前に私は、空自において防大の先輩から、1円でも国からお金を頂いていれば全身全命を投げ打って国のために尽くすのだという指導を受けたことがあった。その先輩もまた自分にも後輩にも非常に厳しい人だった。それは確かに自衛官の心構えとしてあるべき姿である。こういう心構えを持った人が多ければ自衛隊は強くなる。当時まだ20代だった私は、こういった先輩の指導を受け入れ、人間の欲求や欲望を超越し、早く立派な人間にならなければと漠然と思っていた。そして多くの人はやがてそうなれるのだと思っていたような気がする。

 幹部候補生学校を卒業して初めて部隊に配置されたとき私は23歳になったばかりであった。23歳の私から見れば40歳も過ぎた人は完成された人格に見えた。まして1佐や将補などの高級幹部については、多分あの人たちは毎日、俺たちとは違ったことを考えて生きている。あの人たちは恐らく人間の欲求とか欲望とかいうものはすでに超越してしまっていると思っていた。俺も早く人格を完成させなければという思いがあった。そして自分の年齢が30歳に近づく頃それに到達できない自分に焦りを感じていた。当時はその心構えに到達できない自分に嫌気がさしたこともあった。ひょっとすると俺は人間失格なのかもしれない。まじめに悩んでいたことを思い出す。そして私は、今なおその境地に到達できていない。しかし今はもう悩んではいない。

 30歳を過ぎた頃であろうか。所詮人間はいくつになっても未熟なままで死ぬことになるのだ。人間にはいい心もあるし悪い心もある。だからできるだけ悪い心が表面にでないような生活をしようと思えるようになった。かつて先輩から指導を受け、完成された人格というか宗教家や求道者のような人格を目指していた。しかしどれほどの人がこの境地に達することができるかと言えば、一般の人の99%以上は達することができないと言えるだろう。人間とはそんなもんだ。そう思い出したら気が楽になってきた。また人を見る目が変わってきた。それまでは私はどちらかというといわゆる堅物といわれるような人を立派な人だと思っていた。

 かつて先輩から「遊びを大事にしろ」と指導を受けたことがあった。これに対し私は、この先輩は自分のことを弁護しているという受け止め方だった。若い頃の私は遊びたいと思う心は怠ける心と同じであると思っていたような気がする。怠けるとは任務達成に真剣にならないことである。任務達成に最大限の努力をしながら、疲れたときには疲労回復のため遊ぶことも必要なことだ。或いは人間関係の構築のためにも、一緒に遊ぶことは大事なことだ。私は入隊後まもなくゴルフをするようになったが20代の頃はゴルフをすることに少し後ろめたい気持ちがあったことも記憶している。本来はゴルフなどより隊員と銃剣道に励むべきなのかもしれないというような気持ちもあった。しかしSOCを終わった頃からこの考え方は徐々に変わっていったような気がする。心の健康を維持するためには遊ぶこともまた必要であることが理解できるようになった。「遊びを大事にしろ」という言葉の意味を理解できたのだ。それはほとんどの人が宗教家や求道者にはなれないのだから、もし部隊指揮官が部下にそれを要求した場合、ほとんどの人はその指揮官に本音の気持ちを申し述べることが困難になる。つまり厳しすぎてついて行けないということになる。遊ぶことも大事にしないと部下の気持ちを理解できない。もちろん遊び中心で仕事が次等視されてはいけない。大切なのはバランス感覚なのだ。

 また私心を無くせという指導が自衛隊の中ではよく実施される。しかしこれも永遠の課題であり私心がゼロという人もまたこの世の中にほとんど存在しない。もちろん私心があからさまに見えることは、他人の目には嫌なものとして映る。だからできるだけ他人からは見えないようにしなければならない。隠す努力が必要である。しかし人には私心がある。人間の欲求は無視できない。指揮官はそこのところを理解して部隊の統率にあたらなければならない。指揮官は寛容の心が必要である。少し悪い心が見えたからといってその人の全人格が否定されるものではない。悪い心を超える良い心も同時に持ち合わせているのが普通の人間だ。心に遊びが無く徹底的にあるべき姿を追求する人には、厳しすぎて多くの人はついて行けない。この人について行けばいい思いが出来るかもしれない、美味いものが食えるかもしれないという気持ちが無くならないのがまた人間である。上着の下に私心が見え隠れするぐらいが丁度いいのかもしれない。そう言っていつでも私は自分のことを弁護している。



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