15年戦争資料 @wiki

パートII はじめに

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はじめに


 もう20年以上も前のことになろうか、我が国において総合安全保障なる言葉がもてはやされたことがあった。エネルギー安全保障とか食糧安全保障とか、いろいろな安全保障について議論され、安全保障の中核に軍事力を据えるのはもはや時代遅れだと声高に叫ぶ人たちがいた。そしてこのことは我が国の非武装中立を支持する人たちから、故意に軍事力の役割を低下させようとする意図で盛んに利用された。しかしながら冷戦後の状況を見ても分かるとおり、国際社会の安定のためには相変わらず軍事力が絶対的な役割を果たしている。もし米軍を中心とする先進諸国の軍事力がなければ、国際社会は第2次大戦前の弱肉強食の世界に戻ってしまうであろう。

 現在のように富める国が貧しい国を支援するようになったのは第2次大戦後のことである。第2次大戦までの世界は端的に言って、強い国が弱い国を虐め回った世界であった。いまアメリカ合衆国は抑制のきいた世界のリーダーとして立派な国である。日本の若い人たちの中には、日本はアメリカみたいないい国とどうして戦争をしたのだろうと思っている人も多い。日本人は今も昔もアメリカ大好きである。しかしこのアメリカでさえも第2次大戦までは人種差別の急先鋒であった。我が国は19世紀後半以降、執拗な米国の虐めに苦しめられたのである。これは米国に限らず、英、仏、露、蘭などの強国は世界中に植民地政策を押し進め、アジア、アフリカ諸国などはその犠牲になった。世界地図でみるとアフリカ諸国の国境だけが直線になっているが、これは英、仏などが適当に線引きした結果である。アジアでは我が国とタイだけがこれら列強の支配を受けずにいたが、不幸にも我が国は第2次大戦の結果、一時期米国の支配を受けることになった。米国は我が国が再び強国として米国に刃向かうことがないように徹底的に日本を精神的に破壊しようとした。いわゆるウオーギルトインフォメーションプログラムである。これは折からの国際共産主義運動と相まって大成功を収め、今なお我が国には多くの反日的日本人が存在し、米ソの冷戦構造が崩壊したにも拘わらず、国内的な冷戦状態が続いている。

 第2次大戦が終わって国際連合が設立された。そして1948年には国連において「世界人権宣言」が採択された。これは、もう弱い者虐めは止めましょう、人種差別は止めましょうという先進国間の協定であると考えられる。それ以来世界は変わった。建前上、強い国が弱い国を虐めることができなくなったのである。むしろ強い国あるいは富める国が弱い国ないしは貧しい国を支援することになった。我が国も、いわゆるODAなど巨額の経費を発展途上国に対し支援している。

 このように世界が変わったことから、先進国の軍事力は国際社会の安定のために必要になった。決して他国を侵略するために使われることはない。世界には今、大人の判断力を持った先進諸国と自分のことだけで精一杯の発展途上国がある。これら発展途上国の中にはいわゆる悪ガキみたいな国がたくさんある。今、国際社会では、大人が悪ガキよりも強い腕力(すなわち軍事力)を保有している。国際社会の安定のためにはこれは不可欠の用件である。もし大人の腕力が、悪ガキの腕力よりも弱かったならば国際社会は無茶苦茶になってしまう。先進国の軍事力は、帝国主義時代の侵略する軍事力ではなくて、国際社会の警察力と認識すべきなのだ。

 これを理解しないのが戦後の我が国の知識人といわれる人たちである。彼らの国際社会を見る眼鏡は殆ど歪んでいると言わざるを得ない。先進国の軍事力が今なお弱い者虐めをすると信じているのだ。時代錯誤も甚だしい。彼らは学校やマスコミ界を中心に、あらゆるところに棲息し、純真無垢の青少年の目を曇らせてきた。それら青少年はやがて成長し、今では我が国の各方面において重要な役割を果たすようになったが、一部の人たちの目は今なお曇ったままである。その結果、我が国には今なお軍事アレルギーがはびこ蔓延っている。我が国は、軍事あるいは自衛隊のことに関し、他の先進諸国と同じような考えをもつことができない。あるいは同じような行動をすることができない。一部の人たちは、国民の財産である自衛隊を有効に使うことよりは、自衛隊の手足を縛ることばかり考える。自衛隊が悪さをしなければ世界は平和であると信じているのだ。だから北朝鮮のようなテロ国家に対してでさえ自衛隊に対するよりも親近感を覚えたりする。ここまで目が曇ってしまうともはや治療法がない。

 しかしながら先の国会において有事関連法案が成立し、また自衛隊の海外における活動も逐次増加の方向にあることを考えれば、今後我が国も次第に変わっていくだろう。21世紀の100年間を見れば、我が国も普通の先進国として、軍事力の活用を含め、国際的な責務を果たすことになると思う。21世紀においても自衛隊は我が国安全保障の根幹である。自衛隊がなければ我が国の安全保障は成り立たない。外交交渉だって軍事力の裏付けがなければ、ぎりぎりのところで相手を動かすことができない。軍というのは国家の最後の拠り所である。従って自衛隊はいつでも元気でなければならない。たとい国民が自信を失って悲嘆にくれているときでも、自衛隊は心身共に元気であることを求められている。自衛隊が元気であってこそ有事即応の態勢を維持し、国民の負託に応えることができるのだ。

 そこで昨年の鵬友7月号に「航空自衛隊を元気にする10の提言」として小論文を寄稿させてもらった。予想以上の反響があり、全国の空自の先輩、同期生、後輩の皆さんから電話や手紙を頂いた。またこれを読まれた一部防衛産業の皆さんからもコメントを頂戴した。そのほとんどが私の論文を肯定的に捉え、激励していただくような内容であった。特に後輩の皆さんから大いに参考になったとか元気が出たとかいう言葉を聞いて大変嬉しく思った。私としては常日頃の職場の会議などで話してきたことをまとめたつもりであったが、作者として大変な満足感を味わうこととなった。改めて文章の力の大きさを感じた次第である。更に後になって陸上自衛隊、海上自衛隊の上級指揮官等からも部下等に配布したいという話があり、喜んで配布させて頂くことにした。

 その後一部の皆さんから続編を書かないのかという話があり、この度鵬友編集室からも改めて依頼されたので、常に「頼まれたら頑張れ」ということを部下に指導してきた手前、受けざるを得なくなった。そこで今回もう一度頑張ってみようかと思った次第である。

 さて日本には建前と本音という言葉があり、人は立場上、本音の部分は公にできない場合も多く、そのためにストレスがたまることも多い。その点、前作で努めて本音の部分に迫ろうと努力したことが評価して頂いたのではないかと思う。そこで今回もできるだけ本音に迫ろうとするスタンスを維持したいと考えている。例によって、本論文に述べる内容は私の私見である。私の提言の中には同意できない提言があるかもしれない。読者の皆さんは前回同様、大いなる批判精神を持って読んで欲しいと思う。これから部隊長等に配置される皆さんや若い幹部諸君の何らかの参考になれば幸いである。


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