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コラム1:公文書館と民主主義

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コラム1:公文書館と民主主義


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■コラム1■公文書館と民主主義

 公文書館は社会がとれだけ民羊的であるかを計るバロメーターになる――。

 これは,アメリカでよく耳にすることだが,私がここに来て公文書館について勉強するまでは考えの及ばないことだった。それまでは,公文書館とは古書を保存・閲覧するための場所で,「現在」の社会とはあまり関係がないように思っていた。ところが,欧米の公文書館を見ていくと,文書の保存や閲覧だけではなく,行政機関における文書の作成から保管・廃棄に至るまでを総合的に管理する機能まで備えていることが分かってきた。文書管理という機能を通して行政のアカウンタビリティ(説明責任)を支えているのである。ちなみに,アメリカ国立公文書館のジョン・カーリン館長は「公文書館はアメリカが100年後も民主的な社会でいられるかどうかの鍵を握っている。・・・・公文書館の衰退は,民主主義の衰退を意味する」とまで言い切っている。

 ところで,アメリカが標ぼうするこの民主的社会とはどのようなものであろうか。実は,これは私が仕事をしていく上でも重要な問いの一つだった。

 公文書を理解するためには,それを作り出した組織の機能や構造を理解することが大切だとされているが,アメリカ統治時代,沖縄は「民主主義のショーウィンドー」と呼ばれ,民主的な世界の実現が米軍の沖縄駐留の根拠とされていた。しかし,当時の実際の運用を見てみると,住民の自治権を抑圧したり,政治・労働運動に介入したりと,民主的とは言えない施策も多々あった。アメリカの沖縄統治に関する資料を収集するのが務めである私にとって,それらの組織が最重要ミッションに位置づけている「民主化」の意味を理解することはとても重要であった。

 なかなか納得のいく答えが見つからず悶々としていた時,戦後日本を代表する政治学者である丸山真男の言葉が目に留まった。丸山は,民主主義とは理念,制度,文化のどのレベルで見るかによって定義に違いが出てくるので,その本質は,常に民主的であろうとする絶え間ない努力の過程に見出せるというのである。

 民主主義国家の盟主を標榜していながら,アメリカがとってきた政策が常に正しいとは限らない。そのことは,すでに歴史が証明している。その一方で,アメリカほど立場や意見の違う人々が自由に議論をぶつけ合える国はないのも確かだ。「常に民主的であろうとする努力」の度合いから言えば,まさに民主主義国家の盟主と呼べるかもしれない。

 現在,アメリカでは,「9・11事件」や「イラク人捕虜虐待事件」において,大統領や政府高官がどの時点でどれくらい状況を把握し,適切な措置をとっていたかが問題になっていて,世論の圧力に押される形で機密指定文書が次々に公開されている。それが可能なのも,政府による怒意的な文書の隠蔽や廃棄は許されない文書管理制度や情報公開制度があるからだ。

 公文書館を中心とする文書管理制度が健全に機能している限り,アメリカにおけるより民主的であろうとする力は,今後も衰えていくことはないような気がする。

〔2004年7月「アメリカ通信No.14」〕


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