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被告側控訴理由書(1)

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東京高裁 被告側 控訴理由書


平成19年(ネ)第6002号 損害賠償等請求事件
控訴人(一審反訴被告)  株式会社展転社 外1名
被控訴人(一審反訴原告) 夏淑琴


控訴理由書
平成20年1月10日
東京高等裁判所 第12民事部 御中


控訴人ら訴訟代理人弁護士  高池勝彦
同 中島繁樹
同 荒木田 修



第一 原判決の誤り


 原判決は、本件書籍の記述(以下、単に本件記述という)が一審原告の名誉を毀損するものであるとし(判決書22ページ上段)、また同記述の指摘事実について真実であることの証明はないとし(判決書27ページ下段)、真実と信ずる相当の理由もないとして(判決書31ベージ上段)、一審被告らの損害賠償義務を詔めた。これは誤りである。


第二 新路口事件


1.昭和12年12月、南京市城内の新路口において夏家と哈家の人々が殺害されるという事件があったとされている。以下において、この事件を新路口事件という。事件発生の日は12月13日ころとされているが正確には不明である。また殺害行為の実行者も不明である。その場にいた少女が生き残ったとされているが正確なところは不明である。

 一審被告らは、上記定義の新路ロ事件を前提として、本件書籍の記述をしている。

 原審判決は、「両家の人々が日本軍兵士によって殺害された」ことを所与のものとして同事件を定義する(判決書4ページ中段)が、一審被告らは日本軍兵士が実行者であることを認めていない。「日本軍兵士によって殺害された」との点は、今日においてもまだ立証されていない。


2.種々の状況証拠から見て、新路口事件は昭和12年12月13日の日本軍入城より前に、夏家と哈家において何らかのトラブルが生じ、日本軍兵士の手によらず、発生したものと考えられる。これが本件書籍における一審被告らの立場である。この点について追って詳細に主張する。


3.新路口事件の際その場にいた少女が生き残ったとの点は、正確なところは不明であるものの、本件記述はこの点まで否定するものではない。


第三 新路口事件についてのマギーの記録


1.マギーは、南京が陥落しだ後、昭和13年1月ころにかけて陥落後の南京市内の状況を16ミリフィルム(動画)で撮影し、新路口事件についても、同月下旬ころその現場(遺体は他の場所に移されていた。)に臨んで撮影をするとともに、「8歳の少女」、近所の者、被害者の親戚の者から事情を聴取した(判決書5ページ中段)とされている。

 一審において被告らは、上記の点を前提事実として認めていた(一審被告第1準備書面1ページ)が、控訴審においては上記事実のうち「マギーは昭和13年1月下旬ころ現場の撮影をした」との点、「『8歳の少女』から事情を聴取した」との点を否認する。


2.マギーが昭和13年1月26日ころ新路口事件の現場に臨んで関係者から事情を聴取したことはあったかもしれないが、その際16ミリ撮影機でその場を撮影することはなかったし、「8歳の少女」から事情聴取することもなかった。この点について追って詳細に主張する。


3.したがって、新路口事件に関する当時の資料についての評価は次のとおりである。(判決書5ページの後半から6ページ前半にかけての記載事実は修正の必要がある。)


� マギーフィルムについて

 マギーフィルム(甲第8号証)のうち新路□事件の死体を撮影したとされる部分は、昭和12年12月12日以前にあらかじめ撮影され、同日までに現像もすませていた別件のものである。このマギーフィルムは、上海市に住むH.A.ティンパーリが南京陥落前から用意していた別件のフィルムを昭和13年2月上旬に上海で編集し字幕説明を付したものである。 昭和12年12月13日から昭和13年2月末頃までは16ミリ撮影機で撮影した動画フィルムのネガを南京城内で現像し複製することはできなかったので、昭和13年2月上旬にマギーが南京城内で所持していたとされる現像ずみフィルムは上記のマギーフィルムではない。


� フィルム解説文について

 マギーが昭和13年1月26日ころ新路口事件の関係者から事件の概要を聴取したことはあったとしても、16ミリ撮影機での撮影はしていなかったのであり、上記マギーフィルムは新路口事件とは無関係のものである。したがって、そのマギーフィルムを新路口事件の証拠であるとして解説した「フィルム解説文」(昭和13年2月上旬ころ書かれたとされている。)は、マギーが創作した話である(マギーは南京において南京陥落前から、ティンパーリが上海市で所持するフィルムと同じものを持っていた)。新路口事件はその創作話のモデルとされたにすぎない。マギーの創作話は現実の新路□事件ではない。

 このような創作話が作られたのは、国民党国際宣伝処の顧問であったティンパーリを中心として対日プロパガンダ戦が進行していたからである(一審被告らの第4準備書面3ページを参照されたい)。

 以上の�及び�の点について追って詳細に主張する。


� マギーの日記(昭和13年1月30日付)について

 マギーは、新路口事件をモデルとした創作話を、昭和13年1月末には創り上げていたと考えられる。したがって、同月30日付の日記に記載されていることも創作話ではないかと思われる。


� マギーの手紙(昭和13年4月2日付)について

 マギーはこの4月2日の時点において、前記創作話と現実の相違を糊塗しようとして、創作話の中の「生き残った少女」の年齢を、作中の8歳から現実と合う9歳に修正しようとしたものと考えられる。


� フォースターの手紙(昭和13年1月26日付)について

 この1月26日はマギーが新路口事件を知った日である。まだ創作話はできていなかったと思われる。この手紙に書かれた事件の内容は、家族全部の殺害であり、生き残りはいなかったとされている。


第四 本件記述は名誉毀損にはあたらないこと

(判決書8ページ下段から9ベージにかけての「被告らの主張」の補足)

1.上記のとおり「フィルム解説文」に記載されている話は基本的に創作話であって、現実の事件ではない。ノンフィクションを装ったフィクションである。新路口事件はモデルとされたにすぎない。フィルム解説文に登場する「8歳の少女」はマギーの空想の産物である。現実の新路口事件の「生き残った少女」はモデルにすぎない。「8歳の少女」は創作された物語の登場人物であり、現実の「生き残った少女」ではない。一審原告の夏淑琴氏が現実の「生き残った少女」だとしても、創作話の「8歳の少女」が夏氏と別人であることは当然である。


2.本件書籍において一審被告らは、フィルム解説文の話の内容が合理性に欠けるとして9点の疑問を提起した。このような疑問点が存することは、フィルム解説文の説明が創作されたことの当然の帰結であると考えられる。


3.本件記述は、創作話に対する史料批判ではあっても、モデルである一審原告そのものを誹膀するものではない。


第五 本件記述は違法性を欠くこと

(判決書10ページから11ページ上段にかけての「被告らの主張」の補足)

1.上記のとおり「フィルム解説文」に記載されている話は基本的に創作話であって、創作話に伴う不合理性を払拭できるものではない。文中の「bayonet」という語が二義性を有し、一義的解釈が困難であったのは、創作話の宿命である。「7歳になる妹」と「8歳の少女」とは別人であるとイメージしていたのは、創作者のマギー自身であった。


2.一審原告は「生き残った少女」として創作話であるフィルム解説文のモデルではあったかもしれないが、モデル小説の中の登場人物の「8歳の少女」とは所詮、別人であると言うほかはない。一審原告は当時数え年で9歳であり、フィルム解説文の登場人物は数え年8歳であった。


第六 本件記述における冤罪の主張


1.本件記述は日本軍第114師団兵らが冤罪であることを主張するものである。冤罪の主張は、たとえそれが目撃証人の不名誉となろうとも、人身攻撃に及ぶなど反論としての域を逸脱したものでない限り、許容されなければならない。法の適正手続の保障はこの点にも及ぶというべきである。


2.上記の点は違法性阻却の一事由として検討されるべきであるところ(一審被告らは第7準備書面5ベージから6ページ上段にかけてその主張をしている)、原判決はこの論点を無視している。詳細は追って論ずる。


第七 本件記述の名誉毀損性の検討


1.原判決(21ページ中段)は、「原告(夏淑琴)はこの『8歳の少女』ではない。従って、生き残った『8歳の少女』と称している原告の話は虚構のものであるから、フィルム解説文の説明との間に食い違いが出てくる。一般の読者はこのように理解する。」とするが、誤りである。

 一審原告は確かに「8歳の少女」ではない。しかし一審原告は「生き残った少女」である。一審被告らはこれを否定しない。一審原告は創作話「フィルム解説文」のモデルではあっても、登場人物の「8歳の少女」そのものではないというだけのことである。フィルム解説文は創作話であるから、一審原告の話と食い違いがあるのは当然である。一審原告の話の方が虚構であると言うのではない。


2.原判決(21ページ中段)は、「原告が真実「8歳の少女』であれば話に食い違いが生じるはずがない。」とするが、誤りである。

 一審原告は当時数え年9歳の少女であったが、仮に8歳の少女であったとしても、創作話の登場人物「8歳の少女」とは別人なのであるから、話に食い違いが生じるのは当然である。本件記述で一審被告らが指摘した食い違いは3点だけである。被害者の数、家主の名、妹の年齢の3点だけを、「微妙に違っている」として指摘したのである。一審原告が新路口事件の現場にいなかったと指摘するものではない。


3.原判決(21ページ中段)は、「原告は生き残った『8歳の少女』ではないにもかかわらず、来日までして自分が『8歳の少女』であるとして虚偽の証言をしている。一般の読者はそう理解する。」とするが、誤りである。

 一審原告は「生き残った少女」である。一審原告の主張は、自分が新路口事件で生き残った少女であるという点が主眼であるところ、一審被告らはこれを否定するものではない。現実の新路口事件をモデルとする創作話の中の「8歳の少女」は一審原告と別人である、というにすぎない。一審原告の事実認識と一審被告の事実認識とに相違するところがあるのは言うまでもないが、だからと言ってー審原告が虚偽の証言をしていると非難しているのではない。


4.以上のとおりであるから、原判決(21ベージ下段)が、「本件記述は、一部表現に意見や評論の形式が採られているものの、<原告が『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしている>との事実を摘示するものと見るのが相当である。」とするのは、誤りである。


5.原判決(21ページ最下段から22ベージ上段まで)は、「前提となる事実のとおり、原告は、本件書籍が発行された当時、既にいわゆる南京事件の生存被害者としてマスメディアでも紹介され、自ら『8歳の少女』として新路口事件における体験を語るなどして広く知られた人物であり(本件記述も原告がそのような人物であることを踏まえたものであることは(1)で認定した記述からも明白である。)、そのような状況の下で出版された」とするが、誤りである。

 原判決のいう「前提となる事実」は「夏家と哈家の人々が日本軍兵士によって殺害された」という事実を含むのであり、一審被告はこの点を争っている。この点については今日においても明確な立証はされていない。

 原判決のいう「原告は、いわゆる南京事件の生存被害者としてマスメディアでも紹介された」との点は、「いわゆる南京事件」そのものの存在を争う言論もマスメディアによって紹介されているのであって、その立場からは一審原告は昭和12年12月の生存者ではあっても、「いわゆる南京事件の生存被害者」ではない。「いわゆる南京事件」の存在について今日において明確な立証はない。

 原判決のいう「原告は自ら『8歳の少女』として新路口事件の体験を語るなどして広く知られた」との点は、そうではない。一審原告は従前において「7歳」と言ったり、「8歳」と言ったりした。一審原告が新路口事件についで語って来たのはそのとおりであるが、いわゆる「8歳の少女」として広く知られていたのではない。一審原告がいわゆる「8歳の少女」であるかどうかについて定説はなかった。過去にマスメディアで紹介されたことがあったとしても、「広く知られた人物である」とは言えない。

 原判決のいう「本件記述も原告がそのような人物であることを踏まえたものである」との点は、そうではない。「そのような人物であることを踏まえた」のではない。一審被告が本件書籍において記述したことは、創作話と考えられる「フィルム解説文」と同様のことを一審原告が迷べていることについての批評にとどまる。


6.原判決(22ページ上段)が、「本件書籍中の上記事実の主張が原告の社会的評価を著しく低下させ、原告の名誉を毀損する内容のものであることは明らかである。」とするが、誤りである。

 原判決のいう「原告の社会的評価」なるものは、「いわゆる南京事件」の存在を肯定し一審原告をその被害者であることを疑わない一方的な見方を前提とするものであり、そのような社会的評価が客観的に存在するとは言えない。

 仮に一審被告らが「一審原告は虚偽の証言をしている。」との事実を摘示したとしても、このような抽象的な事実摘示は具体性に欠けるものであり、具体的な名誉毀損のレベルにまで達していない。


第八 本件記述の真実性の検討


1.原判決(23ページ下段)は、「原告が『8歳の少女』でなければ、生き残った『8歳の少女』としての原告の証言は必然的に虚偽ということになる。」とするが、誤りである。

 一審原告はフィルム解説文中の「8歳の少女」ではないが、それは創作話の中の登場人物その人ではないというだけのことであって、一審原告が新路口事件の「生き残った少女」であることまでも否定するものではない。一審原告の現在の証言に虚偽が混入することはあるとしても、「証言は必然的に虚偽ということ」にはならない。


2.原判決(25ページ上段)が「フィルム解説文から『7、8歳になる妹』が殺害され死亡したと一義的に理解することはできない」とするのは、そのとおりかもしれないが、フィルム解説文は所詮、創作話である。二義的な解釈を許すような創作話を作ったのはマギー自身である。

 もしマギーがフィルム解説文を書く際に一義的に説明することを意識していたのであれば、フィルム解説文の次記の説明部分は、���の順ではなく、���の順にしていたであろう。

「�それから、兵士たちはもう一人の7、8歳になる妹も銃剣でbayonetした。同じくその部屋にいたからである。

�この家の最後の殺人は4歳と2歳になるマアの二人の子供の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され、下の子は刀で真ニつに斬られた。

�その8歳の少女は傷を負った後、母の死体のある隣の部屋に這って行った。無傷で逃げおおせた4歳の妹と一緒に、この子はここに14日間居残った。この二人の子供はふかした米を食べて生きた。」

 ���の順に殺傷が説明されていたならば、�の「この家の最後の殺人」のあと、�の「7、8歳になる妹」がbayonetされたということになる。ということは、�の「最後の殺人」が終わったあと�の(bayonet)が起きたことになるから、それは(傷害事件)としての(bayonet)であった。従って、それは「銃剣で突かれて殺された」という意味にはならず、一義的に「銃剣で突かれた」となる。すなわち��の順序の場合、二義的には解釈できない。ところが、実際は逆であった。マギーは上記とは逆に��の順に書いていた。つまり、�の「7、8歳になる妹」が(bayonet)されたあと、�の「この家の最後の殺人」が生じたと解説していた。ということは、最初の殺人が起きたあと�を経て�の「最後の殺人」が生じたことになる。そうなると、その間は、最初から最後まで殺人の叙述であったことになるから、�の「7、8歳になる妹」が(bayonet)されて殺された後、�の「この家の最後の殺人」が生じたことになる。問題のbayonetは「銃剣で突かれた」の意味に止まらず、「銃剣で突かれて殺された」という意味になる。マギーがあえて��の順で書いた以上、マギーは二義的な解釈の余地を作っていたと言わざるを得ない。

 マギーが��の順に書いていない以上、「『7−8歳になる妹』と『8歳の少女』を別人として記録する」意図がマギーになかったとは言い切れない。


3.「8歳の少女」を家主(ハー)の娘と記述した手書きのマギー日記の原文は現在までに公刊されてはいないが、だからと言って「家主の娘であるとの事実は証拠上認められない」(判決書26ページ上段)とまで言うのは言いすぎである。マギーの日記は元々手書きであった(乙第35号征の12ページ参照)のであり、そのすべてが活字で公刊されたのではない。


4.マギーがマッキム師に宛てた昭和13年4月2日付書簡の中で生き残りの少女の年齢を数え年9歳としたのは、前述(第三、3、�)のとおり、フィルム解説文の創作話の8歳を、現実のモデルとなった人物の9歳に合わせようとして年齢を改変したのではないかと考えられる。


5.原判決(27ページ中段)は、「中国式数え方で9歳と説明した少女の満年齢を『7、8』歳と推定し、フィルム解説文では、これを『8歳の少女』と表現したことも十分に考えられる」とするが、誤りである。

 そもそもフィルム解説文が創作話であることを思えば、その登場人物の年齢が「数え」なのか「満」なのかを特定すること自体、いかほどの意味があるか疑問なしとしないが、基本的には当時の中国社会の年齢表示に関する慣習にしたがって数え年であると考えるべきである。そうでなければ事件取材者としての創作者はその年齢を定め得ない道理だからである。


6.一審原告の年齢についての供述は過去において変遷した。この事実は一審原告がフィルム解説文の「8歳の少女」ではないことの証左である。この供述の変遷については追って詳論する。


第九 本件記述の相当性の検討


1.原判決(29ページ上段)は、「マギーがフィルム解説文を残した理由は当時発生した事件を記録することにあったと認められる」とするが、誤りである。

 マギーは対日プロパガンダ戦のために、南京陥落前から保管していたフィルムに解説文を付すこととし、新路口事件をモデルとして創作話を書いたものである。


2.原判決(29ページ下段)は、「通常の研究者であれぱ当然に『7、8歳になる妹』と『8歳の少女』が同一人である可能性に思い至るはずである」とするが、誤りである。

 創作話である以上、作者の自由な発想によって筋書きが作られるのであり、文中のtheやbayonetはマギーのイメージのまま用いられたと考えられる。マギーが執筆時に構想していた「8歳の少女」のイメージ自体が、不明確であったと言うべきである。創作話の内容に元々不明確さがある以上、厳密な解釈を重ねても意味のあることではない。


3.原判決(30ページ上段)は、「『8歳の少女』はシア夫婦の子でもマア夫婦の子でもなかったとの結論に至っているところ、そうすると『母の死体のある隣の部屋に這って行った』とある『母』はシアの妻でもマアの妻でもないことになるが、被告東中野はこの『母』に人数を示す固有の番号を付しておらず、この『母』はシアの妻かマアの妻のいずれかと理解している。これは明らかに矛盾であり、論理に破綻を来しているというほかはない。」とする。この指摘は一応はもっともである。

 しかし、フィルム解説文は元々創作詣である。創作者のマギー自身が「8歳の少女」の母親について明確なイメージを持たずにこの話を作ったために、一審被告東中野は「母親に固有の番号を付すことができなかった」と評すべきである。あえて言えば、登場人物の「8歳の少女」が現実の夏家の娘なのか哈家の娘なのかを突き止める作業自体、意味を有するとは思えない。


第十 本件記述の相当性についての補充的主張


1.本件記述は、今日残る当時の関係史料としては最も詳細な「フィルム解説文」を根拠とするものである。

 マギー師は昭和13年1月26日の「8歳の少女」との面談の後、最初に書いた日記(同月30日付)において、「家主哈の8歳になる娘は……助かりました。」としていた。その8歳の娘の姓を「夏」ではなく「哈」であると書いていた。マギー師が残した手書きの日記のすべてを発見した滝谷二郎氏が、マギー氏の日記を翻訳してそのように紹介している(乙第13号証、「目撃者の南京事件」86ベージ)。この記述と「フィルム解説又」を総合して解釈すれば、「8歳の少女」は少なくとも「夏」(シア)という姓であるとは断定できない。

 また、マギーフィルムに記入されている「フィルム字幕説明」には、「(夏家の)家族全員が日本軍に虐殺された」(乙第37号証8ページ)、「(夏家の)家族全員が虐殺されていた」(甲第8号証)と記されている。この字幕説明がいうように夏家の家族全員が殺されていたのであれば、生き残ったとされる「8歳の少女」の姓を夏(シア)とすることには明らかに無理がある。

 さらに、被害者哈氏の母親である哈馬が昭和20年日11月2日付で「南京市政府に呈出する文」(乙第36号証)を作成している。これによれば哈の家族と夏の家族の全員が殺されていたとされている。夏家の「8歳の少女」が生き残ったことは否定されていた。また哈家に「8歳の少女」が生き残ったことも否定されていた。それゆえ、フィルム解説文の「8歳の少女」を哈家の子供であると推定することにも困難があった。

 以上のような種々の文献が存する状況の下で、平成10年当時において、フィルム解説文にいう「7−8歳の妹」と「8歳の少女」は別人であると考える研究者は何人もいたのであり、そのような考えは決して特異な解釈ではなかった。

 以上のとおり本件記述は平成10年当時収集し得た資料に基づいて記述されたのであり、相当の根拠を有するものである。(一審被告ら第8準備書面4ないし5ページ)


2.最高裁平成9年9月9日判決は、仮に意見ないし評論の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、事実を摘示しての名誉毀損における場合と対比すると、行為者において同事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当である。」としている。

 本件書籍の記述は、前記のとおり事件当時の最も詳細な原資料の記録(フィルム解説文)を意見ないし論評の前提としている。一審被告東中野はその原資料に依拠しつつ、そこに内在する疑問点を詳細に検討するという研究態度を取った。その検討の結果、フィルム解説文中の「8歳の少女」は一審原告と別人と判断されるという意見ないし論評に至った。原資料の疑問点を洗い出す行為は歴史研究者として当然の態度である。その原資料の内容が不正確であればこそ、研究者はその資料の解釈について疑問点を提出せざるを得ない。一審被告東中野が「8歳の少女」は一審原告と別人と判断されると信じたことには相当の理由があり、故意又は過失はない。(一審被告ら第2準備書面9ページ)
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