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三 なぜ南京大虐殺事件か

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南京大虐殺の真相

三 なぜ南京大虐殺事件か

南京大虐殺事件(略称の意味で南京事件という呼称を使う)とは、南京攻略戦と南京占領時における日本軍の中国軍民に対する虐殺・残虐行為の総称である。それは日中戦争の侵略的性格を象徴する事件であるとともに、次のような南京事件としての特異性もそなえた事件であった。

  1. 宣戦布告のない一方的侵略戦争で一国の首都を占領し、首都住民をまきこんだ包囲殲滅(せんめつ)戦を展
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    開したことによって生じた事件である。南京は国民政府の首都として百余万の人口をかかえた新興大都市であった。ある本に誤植で「東京大虐殺」とあったのを見たことがあるが、もしも日本の首都でそのような事件がおこされたとしたらどうするかを考えると、「南京大虐殺」のもつ象徴的であるとともに深刻な意味が想像できる。
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  2. 中国の首都なるがゆえに、膨大な日本軍が長期にわたって占領をつづけたために(それも長江に背後をかこまれた城壁都市であるがゆえに、外部との連絡を容易に遮断した、いわば「密室」状態においた占領であった)、残虐行為が行なわれた期間も長かった。南京における日本軍の暴行は、占領後三カ月もつづいた。したがって、文部省の教科書調査官が指示したように「戦闘の混乱」のなかで生じたものではなく、日本軍の組織的行動にもとづいて行なわれたものである。
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  3. 日本軍占領下の南京にはまだ数十万の市民・難民がとどまっていたが、日本軍はこれらの非戦闘員に対して虐殺・強姦・略奪・放火などの残虐行為を行なった。なかでも、戦闘とは直接関係のない女性・老人(とくに老女)・幼児・乳児が多く犠牲になったことが特徴である。弱者なるがゆえに安全と思われ避難をしなかった人びとが、暴行の対象にされたのである。
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  4. 日本軍は「陸の孤島」となった南京を長期にわたって完全に包囲・占領した。このため南京に残留していた数十万の市民・難民は、衣食住、収入などの生活手段や生産手段を破壌され、強姦.殺害におとらぬ打撃をこうむった。

従来、南京大虐殺といえば、強姦・略奪・放火などの行為もふくめて理解されているが、「虐殺少数説」の板倉由明氏のように、虐殺の数字だけに問題を倭小化する人がいることを考えると、「事件」
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として「虐殺」以外の残虐行為を広く総体としてとらえることを強調する必要がでてくる。なぜならば、同事件は量の問題もさることながら、その質においてこそ検討され批判されるべき内容をもっているからである。

「南京事件」を歴史辞典でしらべると、たいていは一九二七年三月に北伐軍の南京占領時に発生したそれと、ここでいう南京事件の二つが叙述されている。辞書によっては前者の解説しかないものもあるし、叙述もふつう前者のほうが詳しい。英語では、一般に前者をNanking Incident、後者を Nanking Atrocities とよんで区別している。洞氏がさきの資料集で「南京大残虐事件」という言い方をしたのは、この南京アトロシティーズに対応させたからである。

南京大虐殺事件(略称としての南京事件)という呼称を用いるのは、日本人の感性からすればあまりよい気持ちはしないし、どぎつく思われるむきもあるが、事件の本質を正視するためには必要なことと思われる。


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