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三 アメリカ国民の反応

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世界に知られていた南京大虐殺

三 アメリカ国民の反応

いままでお話したことからも明らかなように、アメリカ国民は南京事件が発生した当時から、その事実を知っていました。その一番早い報道は、『シカゴ・デイリー・ニューズ』のスティール記者の
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スクープで、同紙の一九三七年一二月一五日付に一面トップの大見出しで、"NANKING MASSACRE STORY" と報じられました(記事原文ならびに訳文は、拙稿「教材紹介・最初の南京大虐殺報道」『歴史地理教育』第四〇九号、に掲載)。それ以後、『ニューヨーク・タイムズ』のダーディン記者が、一九三八年一月九日付で「中国軍司令部の逃走した陥落後の南京で日本軍の大虐殺」と題する詳細な全面記事で報道したのをはじめ、この両紙は系統的に南京事件関係の記事を報道します。さらにその他の多くの新聞・雑誌がまた南京事件を報じます(これら多彩な報道の実態は、前掲『南京事件資料集(1)アメリカ関係資料編』を参照されたい)。

さらに、数カ月たちますと、ジョージ・フィッチが、さきのフィルムを携えて渡米し、半年間にわたって全米を講演して回ったわけです。

ところで、当時、南京事件以上にアメリカ国民の反感を買い、大きな怒りを呼び起こしたのは、パナイ号撃沈のニュースでした。すでに述べたように、パナイ号には南京アメリカ大使館の分室が置かれており、表2(本書五二頁)にありますようにジョージ・アチソン以下四人の大使館員が乗船していました。いわばアメリカの政府機関の一部が置かれていたアメリカの砲艦と随行していたアメリカの商船を日本の海軍機が爆撃して撃沈させ、四名の死者(死亡者=C.H.エンスミンガー一等水兵、E.C.ハルスバス舵手、C.H.カールソン、タンカー美安号船長、サンドロ・サンドリ記者)まで出したのです。日本軍機がアメリカの船と知っていて攻撃したこと、つまり「日本軍がアメリカに敵対した」ことが、アメリカ国民の反日感情を激発させたわけです。

表2を見れば分かりますように、パナイ号にはユニバーサル映画とフォックス映画のニュース.カ
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メラマンをはじめ、八人の新聞・雑誌記者およびカメラマンが乗船していました。カメラマンたちは、日本軍機がパナイ号をめがけて攻撃してくる決定的な場面を撮影したわけです。まさにジャーナリストとして特ダネの現場に居合わせたことになります。ユニバーサル映画のノーマン.アレーは、帰国後、自分が撮影したニュース・フィルムを携えて各地で映写会を開いて回っています。これらの記者・カメラマンによるパナイ号撃沈報道は、全米で一大センセーシヨンを巻き起こしました。

その頃、アメリカにいて、日本の中国侵喀を批判し、反戦活動をやっていた石垣綾子さんは、一九三七年の一二月にニューヨークで、南京事件を知ったそうです。「一九三七年の南京虐殺事件はアメリカ中に衝撃を与え、日本人に対する非難がごうごうと巻きおこりました。『日本人とはなんと残酷な民族なのか』という追及なのです。」と石垣さんは、日本人の反戦活動家の自伝としてアメリカでベスト・セラーになった石垣綾子(マツイ・ハル)著・佐藤共子訳『憩いなき波―私の二つの世界―』(未来社、一九九〇年)の「まえがき」に書いています。

石垣綾子さんは、今年〔一九九一年〕は八八歳になりますが、まだ現役の短期大学学長として、また評論家として活躍しておられますが、私自身、数年前に自宅に伺って聞き取りをやったことがあります。その時、彼女は、南京事件について、ニュース映画でも見たし、南京残留の特派員の一人がもって来た現地の写真も見たと話してくれました。そして、南京で暴虐をはたらいた兵士たちと、自分は同じ血をわけあい、同じ祖先をもつ日本人であることが辛く、自分の手を思わずじっと見つめ、汚れた血がそこに流れているような気さえしたと、その時を回想するように仕種をまじえて語ってくれました。
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パナイ号事件と南京事件の報道は、アメリカ国民に反日世論を盛り上げるうえで相乗効果をもたらしたのですが、石垣さんはそれをこう説明してくれました。南京事件では、日本軍あるいは日本人の野蛮性、残虐性、非人道性がイメージされ、パナイ号事件では、日本がアメリカの中国利権をおかし、アメリカに公然と敵対を示したと受け取られたというのです。

南京事件やパナイ号事件の報遣を契機に、アメリカでは日本の中国侵略に抗議する運動が活発になっていきます。まず学生の間から始まり、ついで女学生や婦人が絹のストッキングを脱いで公衆の前で焼却するという抗議行動が広まります。当時、絹製品は日本の対米輸出品の中で主要なものでしたから、「シルク・ストッキングを買うな!」を叫んで、日本商品ボイコット運動の象徴にしたわけです。さらに、中国に多くの伝道団を派遣し、また多くのミッション学校を運営して中国と密接な関係をもっているキリスト教団体組織が、活発な運動を展開します。ジョージ・フィッチが活躍したYMCAもその一つですが、人類の尊厳にもとる日本軍の蛮行から中国民衆を守り、救済することが、神の正義であるという信念が彼らにあったわけです。

運動は労働組合にも広がり、やがて対日経済制裁運動へと発展していきます。その頃の日本は石油や鉄類の輸入をアメリカに依存していたわけですが、それに対して、日本軍国主義の軍事力に役立つような、中国民衆の虐殺に役立つような軍需品原料を日本に輸出するのを阻止しようという運動が始
められたのです。

いっぽう、この運動と対をなして、中国民衆救済、抗日中国援助の運動が広まっていきます。野蛮な日本の侵賂から中国を護ることは、正義・人道を主義とするアメリカ人の義務であるとまで考えら
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れたわけです。そして、中国援助は、アメリカの社交婦人界の慈善事業の一つとして流行にまでなりました。石垣綾子さんは、当時のアメリカ社会の雰囲気を「日中戦争は、アメリカに中国ブームをもたらし、国中が沸き返った感じでした」と言っています。

太平洋戦争期の日米両国民相互の人種偏見を比較検討した傑作に、ジヨン・W.ダワー著.斉藤元訳『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流―』(TBSブリタニカ、一九八七年)があります。ダワー氏は同書で、「日中戦争が本格化したあと始まった日本の爆撃による中国人犠牲者の写真、ニュース映画が、欧米人の人々の感情面に与えた影響はまことに大きく…日本人は女子供も見境のない無差別殺人鬼であるというイメージ」を植えつけたと述べ(四八頁)、さらに、南京事件を始めとする日本軍による中国民衆の大量殺戮の報道が、アメリカ国民の対日感情を悪化させ、「非人道的野蛮行為」を平然とおこなう日本兵(日本人)に対する、嫌悪、憎悪の感情を醸成させ、それが太平洋戦争時には「敵国日本」のイメージにまでなったと指摘しています。

同書からも、南京大虐殺は、日本軍の残虐行為の典型例としてマスコミで大きく報道され、真珠湾攻撃、バターン死の行進とともにアメリカ国民によく知られていたことが分かります。


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