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沖縄戦目録

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中公新書256
名嘉正八郎・谷川健一編
沖縄の証言(上)
庶民が語る戦争体験
中央公論社刊
昭和46年7月25日初版
昭和57年2月1日5版

沖縄戦目録

1944

7月

  • 7・7 サイパソ島の日本軍が全減する。緊急閣議で南西諸島の老幼婦女子・学童疎開が決定される。
  • 7・18 東条英機内閣が総辞職する。
  • 7・22 小磯国昭内閣が成立する。

8月

  • 8・5 大本営との政府連絡会議が廃止され,代わって最高戦争指導会議が設置される。
  • 8・10 グァム島,テニアン島の日本軍が全減する。
  • 8・22 沖縄学童疎開船対馬丸が悪石島沖で沈没し,学童766名が犠牲となった。
  • 8・23 「学徒勤労令」「女子挺身勤労令」が公布される。
  • 8・31 「学徒勤労令」「女子挺身勤労令」が実施される。

9月

  • 9・末~10・初 第32軍が沖縄県民の現地徴集および一部防衛召集を行なう。

10月

  • 10・3 アメリカ統合参謀本部が南西諸島攻略作戦(永山作戦)の準備を命令する。
  • 10・9 八重山飛行場工事のため徴用された沖縄本島の県民が帰途遭難し,約500名が死ぬ。
  • 10・10 アメリカ機動部隊が沖縄に大空襲を行ない,那覇市が灰燼に帰し,沖縄本島,伊江島の飛行場,港湾,軍施設などが多大の被害をこうむる。
  • 10・18 満17歳以上の男子を兵役に編入する。大本営が比島(フィリピソ)作戦を発動する。
  • 10・19 神風特別攻撃隊(特攻隊)が編成される。
  • 10・21 沖縄県庁特別援護室が設置される。10・10空襲罹災者を優先する県内外移住事務が開始される。

11月

  • 11・24 B29がマリアナ基地から東京に初空襲を行なう。
  • 11・25 第32軍第9師団に台湾進出の命令が出される。~~第32軍が「新作戦計画」を策定する。
  • 11・27 戦勝食糧増産推進沖縄本部が設置される。

12月

  • 12・ 沖縄各地に緊急特設挺身隊が結成される。
  • 12・1 沖縄で非常食糧整備週間が始まる。
  • 12・8~12・12 日本全国で「一億慣激米英撃砕祈願祭並びに一億慣激米英撃砕期成大会」が行なわれる。

1945

1月

  • 1・12 島田叡大阪府内政部長が沖縄県知事に任命される(1・31単身で沖縄に着く)。※更迭された前知事、泉守紀
  • 1・20 大本営が「本土作戦計画」を決定する。閣議で「沖縄県防衛強化実施要綱」が決定される。
  • 1・~3・ 第32軍が現地第2次防衛召集を行ない,満17~45歳の健全な男子のほとんどを召集する。

2月

  • 2・3 アメリカ軍がマニラに侵入する。大本営が第32軍に新任務を付与する。沖縄県下学徒動員強化,通信,観測,看護等の特別訓練が実施される。
  • 2・7 第32軍参謀長が沖縄県庁を訪れ,6ヵ月の県民食糧緊急確保を島田知事に依頼する。沖縄は平時地方行政から戦時行政へ移行する。
  • 2・10 沖縄本島北部の疎開が決定される。

3月

  • 3・6 「国民勤労動員令」が公布される。沖縄県の満15~45歳の男女全員が現地召集される。
  • 3・17 硫黄島の日本軍が全減する。
  • 3・23 北部塩屋警察署の開署式で中南部の疎開者の指導が行なわれる。アメリカ軍が沖縄本島の爆撃を開始する。
  • 3・23~4・5 沖縄の師範学校,中学校の男子生徒は鉄血勤皇隊,女子生徒は補助看護婦として部隊に配属される。
  • 3・25 アメリカ軍が沖縄本島への艦砲射撃を開始する。艦砲射撃の終了後夜7時ごろから老幼婦女子の北部疎開がふたたび始められ,主要道路は混雑する。座問味島では手榴弾,カミソリなどで村民(358名)が集団自決する。
  • 3・26 アメリカ軍が慶良間諸島(阿嘉島,慶留間島,座問味島)へ上陸する。
  • 3・27 慶留問島で約40名の村民が縄で首をしめて自決する。
  • 3・28 渡嘉敷島で村民(400余名)が手榴弾,鎌,鍬などで西山において集団自決する。
  • 3・31 アメリカ軍が神山島に上陸する。第32軍司令部が老幼婦女子の北部疎開の停止を命じる。

4月

  • 4・1 アメリカ軍が沖縄本島中部西海岸に上陸し,即日,北・中飛行場を奪取する。
  • 4・3 アメリカ軍が普天間を通る東西の線まで進出する。また,国頭地区に進撃を開始する。
  • 4・4 アメリカ軍が北谷,島袋,宜野湾,大山の線まで進出する。
  • 4・5 アメリカ海軍が読谷村比謝に軍政府を設置し,布告第1号をもって日本の行政権を停止する。小磯国昭内閣が総辞職する。
  • 4・7 鈴木貫太郎内閣が成立する。アメリカ軍が名護に侵入する。戦艦「大和」が沖縄へ進行中,奄美大島西方海上で撃沈される。
  • 4・8 アメリカ軍の前線が西海岸宇地泊・牧港,東海岸津覇を結ぶ線まで進む。
  • 4・9 アメリカ軍が津堅島に上陸する。日本軍が神山島に対する挺身奇襲を行なう。嘉数地区で攻防戦が始まる。
  • 4・10 アメリカ軍が運天港,津堅島を占拠する。
  • 4・15 北部守備軍(宇土部隊)八重岳を放棄し,羽地山中に後退する。
  • 4・16 アメリカ軍が伊江島に上陸する。同島日本守備隊の国頭守備軍との連絡が杜絶する。第3航空総攻撃(菊水3号作戦)が行なわれる。
  • 4・18 アメリカ軍が本部半島全部を制圧する。従軍記老アー二一=パイルが伊江島で戦死する。
  • 4・19 アメリカ軍が首里外郭陣地(主力第62師団)に対し,第1次総攻撃を開始する。西方,牧港・伊祖,中央,嘉数・西原・棚原各高地,東方,和宇慶・ウシクンダ高地を結ぶ線で攻防戦が展開される。
  • 4・20 西方,牧港・伊祖の日本軍陣地が破綻し,首里外郭防衛陣地の崩壊が始まる。
  • 4・21 日本守備軍が嘉数高地を撤退し,日本軍(第62師団)の危機が増大する。伊江島陥落する。犠牲者は約1500名,そのうち約500~600名がグループごとに爆雷,手榴弾,カミソリなどで自決した。
  • 4・22 アメリカ軍の総攻撃に対処のため,日本軍島尻地区守備隊(第24師団)と知念半島守備隊(独立混成第44旅団)の北方正面転用が決定する。
  • 4・24 第32軍が第一線を仲間・前田・幸地の線まで撤退する。第32軍司令部が首里周辺の非戦闘員に南部への移動を命じる。
  • 4・25 沖縄県庁が真和志の楚辺の壕より繁多川の警察部の壕へ移動する。アメリカ軍の第2次総攻撃が開始される。西方,仲西・勢理客,中央,仲間・前田・幸地,東方,小波津・我謝などの地点を中心とする攻防戦が展開される。座間味島では,草木一切隊長の許可なく切った者は厳罰に処せられる。
  • 4・27 緊急沖縄南部市町村議会が繁多川の警察部の洞窟壕内で開催される。アメリカ軍の西方前線が城間地区を占拠する。「沖縄県後方指導挺身隊」が編成される。座問味島では朝鮮人軍夫の食糧難による逃亡者10名余が銃殺される。

5月

  • 5・4 第32軍が総攻撃を開始する。5・5総攻撃は失敗し,午後3時攻撃を中止する。
  • 5・8 ドイツが無条件降伏する。
  • 5・1O アメリカ軍前線が西方は安謝,中央は沢岻・幸地,東方は小波津・我謝などの地点に拡大する。 
  • 5・14 日本軍が経塚・沢岻陣地から後退し首里に戦線を収縮。アメリカ軍が那覇の安里に侵入する。
  • 5・17~21 日本守備軍が石嶺を死守する。運玉森を中心として戦闘が行なわれる。
  • 5・18 伊江島村民は渡嘉敷(1700名),慶留間(440名)へ強制移動させられる。
  • 5・19 アメリカ軍が天久台地区を占領する。
  • 5・22 アメリカ軍が安里川を渡り那覇市街に侵入する。第32軍が喜屋武地区への後退を決定する。5・28まで豪雨が続き,アメリカ軍戦車などの行動がにぶる。
  • 5・24 日本空軍の義烈空挺隊約120名が北・中飛行場への強行着陸,奇襲を行なう。5・27まで奮戦し,全員玉砕する。那覇市がアメリカ軍の支配下にはいる。
  • 5・25 第62師団が南部へ撤退を開始する。アメリカ軍の先鋒が与那原へ突入する。
  • 5・27 第32軍司令部が首里より津嘉山へ後退する。県庁が志多伯の壕を出て南下する。
  • 5・30 第32軍司令部が津嘉山から摩文仁へ移動する。
  • 5・31 アメリカ軍が首里城へ星条旗をひるがえす。

6月

  • 6・6 海軍の大田実司令官が海軍次官あて「沖縄県民斯ク戦エリ…」と打電する。(192べ一ジ参照)
  • 6・10 アメリカ軍司令官バックナー中将から日本軍司令官牛島中将に対する降伏勧告を行なう。このころから友軍兵士は避難民を作戦のためと称して壕から追い出し,そのため犠牲者が急増する。
  • 6・11 日本海軍部隊が小禄地区で玉砕する。アメリカ軍の先鋒が糸満・与座・八重瀬岳・具志頭の線に進出する。
  • 6・14 このころから1日平均兵1000名,一般民2000名の犠牲者を出す。
  • 6・18 牛島司令官が参謀次長と台湾方面軍司令官に訣別の電報を打電する。パックナー中将が戦死する。第32軍司令部が学徒隊の解散を命じる。
  • 6・19 組織的戦闘が不可能となり、第32軍司令部が最後の命令を下達する。第3外科配属の女学生部隊(ひめゆり部隊の一部)が伊原の壕内で最期を遂げる。
  • 6・20 大本営総長と陸相が牛島司令官に訣別電を打電する。
  • 6・21 第32軍が残存兵力と学徒隊による最後の総攻撃を行なう。戦死者多数。
  • 6・22 大本営が沖縄での組織的戦闘の終了を発表する。日本政府が「戦時緊急措置法」を公布する。天皇が最高戦争指導会議に終戦意志を表示する。
  • 6・23 早暁、牛島司令官と長参謀長が摩文仁山頂で自決する。旧真壁村字真栄平中央部はアメリカ軍戦車がはいれず,なおも交戦が続く。友軍兵士は村民を壕から追い出し,幼児,婦女子を銃剣で射殺する。日本政府が「国民義勇兵法」を公布する。
  • 6・24 アメリカ軍が久米島に上陸する。6・30までに占領する。
  • 6・30 アメリカ軍が沖縄南部における掃蕩戦を完了する。

(以上)


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