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第六節 萬寶山事件に於ける反支暴動

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6、萬寶山事件に於ける反支暴動


 萬寶山事件は中村大尉事件と共に満州に於ける日支間の危機を齎せる直接原因として広く認めらる。然れども前者の真重要性は大に誇張せられたり。何等死傷者を出さざりし萬寶山事件の誇大なる報道は日支両国民間に強き反感を起こさしめ、朝鮮に於いては支那在留民襲撃の大事を惹起したり。此の反支暴動は次いで支那における排日ボイコットを復活せしめたり。事件其者としては萬寶山事件は過去数年間満州に発生せる日支両国軍又は警察隊の衝突を誘発せる他の数事件よりも重大なりしものには非ず。

 萬寶山は長春の南約18哩に位する一小村にして伊通河に沿う低湿地なり。此の地において支那人仲介業者赫永徳なる者1931年4月16日付契約を以て長農水田公司の為め支那人地主より広大なる一画の地を商租せり。契約中には県長其の条項の承認を肯せざる場合には契約は無効なるべき旨規定せられたり。

 此後暫時にして右商租者は此の土地全部を朝鮮人の一団に再商租せり。此の第二契約は其の実施に付官憲の承認を必要とする規定を含まず、又朝鮮人が灌漑用水溝及付属の小溝を構築することを当然のことと看做し居たり。赫永徳は先ず支那人地主との原商租契約に対する支那側の正式承認を取付くることなくして朝鮮人農民に対し此の土地を再商租せる次第なり。

 第二契約締結直後朝鮮人は数哩に亙り灌漑溝又は水道の開穿を開始し、伊通河の水を引きて此の低湿地に之を分かち此の土地を水田耕作に適せしめんとせり。然るに何れの商租契約の当事者にも非る支那人の大面積の耕地伊通河と朝鮮人の右商租地との間に介在したるを以て、右水道は該耕地を横断せり。朝鮮人は灌漑溝に依り其の土地に充分の水を引き来る為伊通河に堰を築かんとせり。

 既に相当の長さの灌漑溝完成せる後水道に依り其の土地を横切られたる支那農民は群れをなして放棄し萬寶山当局に抗議し彼らの為め干渉せんことを請願せり。其の結果、支那地方官憲は現場に警察官を派し朝鮮人に対し即時開穿を停止し同地より退去せんことを命じたり。之と同時に在長春日本領事館は朝鮮人保護の為め領事館警察官を派遣せり。日支代表間の地方的交渉は問題の解決に成功せざりき。其後暫時にして両国側共増援警察官を派して互いに抗議、反駁すると共に交渉を試みたり。

 6月8日、両国側は其の警察隊を撤去し萬寶山に於ける事情の共同調査を行うことに意見一致せり。此の共同調査の結果、原商租契約は若し支那県長の承認なきときは全契約「無効」となるべき旨の規定を有したること並びに県長の承認は未だ与えられたることなきこと明らかとなれり。

 然るに共同調査員は其の調査の結果に付何等意見の一致を見るを得ざりき。即ち支那側においては灌漑溝の開穿は之に依り其の土地を横切られたる支那農民の権利を侵害せること明白なりと主張し、日本側においては朝鮮人は其の商租手続の誤謬に付何等責任無かりしも不拘、右誤謬の故に排斥せらるることは公正ならず故に其の工事継続を許容せらるべきなりと主張せり。其後幾何もなく朝鮮人は日本領事館警察官の援助を得て水道開穿を続行せり。


 7月1日の事件は斯かる事態より惹起されたり。同日、灌漑溝に依り其の土地を切断せられたる四百名の支那農民の一隊は農具及矛槍を携えて朝鮮人を駆逐し灌漑溝の大部分を埋立てたり。茲に於て日本領事館警察官は右暴徒を散逸せしめ朝鮮人を保護する為め発砲したるも何等被害はなかりき。支那農民は撤退し日本警察官は朝鮮人が水溝及伊通河の堰を完成する迄現場に屯留せり。

 7月1日事件以後支那地方官憲は在長春日本領事に対し日本領事館警察官及朝鮮人の行動に付抗議を継続せり。

 萬寶山事件よりもはるかに重大なりしは朝鮮に於ける本事件に対する反動なりき。日本語及朝鮮語新聞に記載せられたる萬寶山における事態、殊に7月1日事件の誇大なる報道の結果は朝鮮全道に亙り激烈なる反支暴動の続発を見たり。右暴動は7月3日、仁川に始まり急速に他市に伝播せり。

 支那側は其の広報に基づき、支那人127名虐殺せられ、393名負傷し、250万円に達する支那人財産は破壊せられたりと称す。

 尚支那側は日本官憲が暴動阻止に付適当の手段を講ぜず且之を鎮圧せず遂に支那人の生命財産に多大の損失を与えたりとの理由の下に在鮮日本官憲は右暴動の結果に対し責任ありと主張す。日本及朝鮮の新聞は7月1日の萬寶山事件に付、支那在留民に対する朝鮮民衆の憎悪の念を起さしむるが如き性質の煽動的且不正確なる記事の掲載禁止を受けざりき。

 然るに日本側は右暴動は民族的感情の自然的爆発に依るものにして日本官憲は右暴動を出来得る限り速やかに鎮圧せりと主張す。

 此の重要なる一結果とも云う可きは朝鮮に於ける右暴動が直ちに支那全国を通じ排日ボイコットを復活せしむるに至れることなり。朝鮮における排支暴動直後萬寶山事件の未だ解決せられざるに先ち支那政府は日本に対し暴動の廉に依り抗議を為し暴動鎮圧失敗に対する全責任を負わしめたり。日本政府は7月15日、回答を発し、右暴動の発生に対し遺憾の見を表し且死者の家族に対し賠償金を提供せり。

 7月22日より9月15日に至る迄日支地方及中央官憲の間に萬寶山事件に関する交渉及覚書の交換ありたり。支那側は1909年9月4日の間島協約に依れば朝鮮人の居住及借地の特権は間島地方以外に及ばざるを以て萬寶山に於ける紛議は朝鮮人が斯かる居住の権利なき場所に居住せし事実に基づくことを主張す。

 支那政府は日本領事館警察に駐在することを抗議し、且萬寶山に多数の警察官を派遣せることは7月1日事件の誘因を為せる旨主張せり。

 他方日本側は朝鮮人の居住及借地の特権は間島協約に依り限定せられずして南満州を通じ一般日本臣民に許与せられたる居住及商租に関する権利に包含せらるるが故に朝鮮人は萬寶山において居住及商租に関する条約上の権利ありと主張せり。尚其の主張に拠れば朝鮮人の地位は他の日本臣民の地位と同一なり又日本側は朝鮮人は善意を以て米の耕作計画を為せるのみならず、日本官憲は租借契約を取扱たる支那人仲介人の不始末に対し責任を負うことを得ずと主張せり。

 日本政府は萬寶山より領事館警察撤退に同意せるが朝鮮人小作人は依然同地に留まり其の米作地の耕作を継続せり。


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