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(原)第3・4(2)ウ(イ) 被控訴人ら主張の文献に対する反論

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(2)控訴人らの主張
第3・4(2)ウ 座間味島について

(原)第3・4(2)ウ(イ) 被控訴人ら主張の文献に対する反論

(判決本文p65~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。



a 「鉄の暴風」について


(a) (記述の信用性)*


  「鉄の暴風」の初版には, 被控訴人ら引用箇所の後に明らかに誤りである
「隊長梅沢少佐のごときは, のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」
との記述があり(甲B6・41頁), 「鉄の暴風」の集団自決命令に係る記述は, 風聞に基づくものが多く信頼性に乏しい。座間味島の住民の宮里美恵子, 宮平初子, 宮里とめ, 宮平カメ及び高良律子の手記(乙9)を見ると, このような風聞が成立したのは, 忠魂碑前で玉砕するから集合するようにとの命令が, 軍の自決命令であると信じられたからであることが分かる。

  また, 沖縄タイムス社の牧志伸宏は, 昭和61年6月6日付けの神戸新聞(甲B10)の取材に対し,
「『鉄の暴風』は戦後の落ち着かない中で, 取材, 執筆した経過があり, 梅沢命令説などについては, 調査不足があったようだ。戦後, 長い間, 自決の命令者とされた梅沢さんの苦悩についてはご同情申し上げる。今後の善後策としては, 当時の執筆者らと十分に協議, 誠意を持って梅沢さんの理解が得られるようにしたい。」
と, 「鉄の暴風」について出版経過と内容の杜撰さを認めている。

(b) (神戸新聞記事に関して)*


  神戸新聞の中井和久記者は, 沖縄タイムス社に対する電話取材を確かに行い, 記事記載のコメントを確かにもらったと述ぺている(甲B34)。

  報道内容の社会的・歴史的重要性, 沖縄タイムス社に対する影響カの大きさ, 新聞記者の職業倫理からすれぱ, 中井記者が牧志伸宏のコメントを捏造するはずがない。沖縄タイムス社は神戸新聞の記事に対して, 抗議もしていない。

b 「座間味戦記」について


  座間味村当局が琉球政府及び日本国政府に提出した「座間味戦記」は, 援護法の遺族補償を受けるために, 集団自決が控訴人梅澤の命令によるものであるという事実の意図的改変を行ったものである。このことは, 座間味村の総務課長を務め戦没者遺族の補償業務に尽力した担当者の供途(甲B8及び10)や「母の遺したもの」(甲B5)によって明らかとなっている。


c 「秘録 沖縄戦史」等について


(a) (諸文献の淵源)*


  大城将保の指摘(甲B14・37, 46頁)を踏まえて検討すれば, 「戦える者は男女を問わず先頭ママ 参加, 老人子供は忠魂碑前で自決せよ」という内容を持つ梅澤命令説は, 昭和32年ころの「座間味戦記」に初めて現れ, それが引用されて昭和43年, 公開の文献である「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」に載ったことになる。

  また, 梅澤命令説を一般に広めることになった「秘録 沖縄戦史」は, 大城将保も指摘するとおり(甲B14・37頁), 座間味戦記の引用であり, 「秘録 沖縄戦史」の中身は、 同じ山川泰邦が昭和44年に著した「秘録 沖縄戦記」の元版(乙7)でも大きな変更のないまま維持されている。

  さらに, 昭和34年ころに著された「沖縄戦史」の記述は,  「秘録 沖縄戦史」とほぼ同様であり, 「沖縄県史 第8巻」の内容も「秘録 沖縄戦史」の要約といってもよいものであり, 大城将保自身が記載した「沖縄県史第10巻」は, 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(乙6)所収の初枝の「血ぬられた座間味島」を参考に書かれたものである(甲B14・37頁)。

  すなわち, 以上の諸文献は, 「座間味戦記」を淵源としている。そして, これらにより成立し定説化した梅澤命令説は, 後記のとおりの初枝の告白を端緒として破綻していく。

(b) (諸文献は口裏合わせ)*


  したがつて, 「秘録沖縄戦史」, 「沖縄戦史」, 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」, 「秘録沖縄戦記」, 「沖縄県史 第8巻」, 「沖縄県史 第10巻」の各書籍は, 「鉄の暴風」や「座間味戦記」などの虚偽の記述に基づいて書かれたものであり, 独自の資料的価値はなく, もしくは, 援護法の適用を受けるための口裏合わせによって生まれたものである。

d 米軍の「慶良間列島作戦報告書」について


  沖縄タイムスに掲載されている英文は, その一部だけが掲載されているだけで, 全文が掲載されているわけでなく, 一体どのような文脈の中で書かれた文書なのかは不明である。また, 掲載部分は本件とは無関係な座間味村「慶留間島」のものであり, 「座間味島」のものではない。さらに, これを訳した林教授は「te11 人 to ~」を殊更に「命令した」と誤訳し, 「Japanese So1iderSoldier」という主語は, 特定されない一般的な「日本の兵隊達」を意味するだけなのに, わざわざ軍命令が存在したと同じ意味であると解説している。しかし, 英文は,
「日本人の収容所には, おおよそ100人の民間人が含まれていた。二つの収容所が設置され, 一つは男性用と女性・子供用である。尋問された時, 民間人達は, 3月21日に, 日本の兵隊達は, 慶留間の島民に対して, 米軍が上陸したときは, 山に隠れなさい, そして, 自決しなさいと言った, と繰り返し言っていた。」
と訳すべきである。また, 林教授によれば, 「慶留間島」は命令で, 「座間味」は指導であったということになる。



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