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一〇 パナイ号報道の陰で

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一〇 パナイ号報道の陰で

 パナイ号事件にはもう一つの「謀略」的役割があった。世界を驚倒させた同事件の報道に各国の関心が引き寄せられたため、南京事件の報道がその陰になったことである。

 当時の英字新聞たとえば『ニューヨーク・タイムズ』を見ると、バナイ号事件の報道は連日トップ記事扱いになっている。大見出しで広いスペースに書かれた同事件記事の間にぽつんと散りばめたモザイクが、ダーディンらの南京事件記事である。日米開戦にも発展しかねないパナイ号事件の推移に、世界の視線が注がれたのは当然である。グルー駐日大使はパナイ号撃沈を知らされた日に、日米国交断絶を覚悟したことを十二月十三日の日記に記している。

「この瞬間私は真剣に国交断絶を危倶し、われわれが引上げねばならぬとしたら丁度一九一五年ルシタニアが撃沈された後、われわれが荷造りをはじめたと全く同じに、どんなふうに急いで荷づくりをしようかという、こまかいプランを考えはじめた。」(同『滞日十年』上巻、三〇九頁)

 さらに、一週間後の十二月二十日の日記にはこう書かれている。

「またしても日記がうんとたまったが、このごろのように緊張と過労がつづく時には中々追いつけない。われわれは夜も昼も日曜もなく働いて来たが、パネー事件からおこった重大時局はわれわれの神経と感情を悪化させた。----私が最初に考えたのは、これが外交関係断絶を引きおこ

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し、斉藤は旅券を与えられ、私は召還されるだろうということだった。私は、"メインを忘れてはいなかった"からである。事件の詳細が米国に知れて来て、この攻撃の信じえぬ残忍性が理解されれば、私はいまだに国交断絶はおこると信じている。」(同前、三一〇頁)

 メイン号事件は、一八九八年、キューバのハバナ港で米軍艦メイン号が原因不明の爆沈をとげ、アメリカ政府はこれを理由にスペインに宣戦し、米西戦争となった事件である。しかし、十二月二十四日、日本政府はパナイ号事件につき遺憾の意を表明し、それを米国政府が受け入れたことで、いちおう落着をみた。十二月二十六日の日記にグルーは、つぎのように書いている。

「今日は特に目出度い日で、二つの国の政府が、その一方の何が何でも顔を立てようとする傾向と、他の一方が言語道断な侮辱を受けたにもかかわらず、潜勢的戦争へと総崩れすることを拒んだ、叡智と良識とを示したものである。日本政府はバネー撃沈に関して平あやまりにあやまり、われわれは一刻の躊躇もなさず、この謝罪を受理した。」(同前、三一六頁)

 グルーによれば、十三日から一週間後にも国交断絶の危機はあり、二十六日になってやっと結着をみたのである。この間、アメリカはもちろん各国の新聞がパナイ号事件を報遣し、日米開戦にもなりかねない日米交渉の推移を世界の人々が注視していたことは、容易に想像できよう。

 もしパナイ号事件が起こらなかったとしたら、ダーディンらの南京大虐殺の報遣に世界はもっと早くから注目し、南京事件の進行をくいとめる国際世論をつくり出したかもしれない。こう思うと、パナイ号事件の「謀略」的役割が、二重の意味で痛感されるのである。

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