15年戦争資料 @wiki

宮里美恵子『座間味の集団自決』

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン

宮里美恵子『座間味の集団自決』

 

 

 

(原告準備書面引用部分)

 

二十三日から始まった戦闘は相変わらず衰えることなく、二十五日晩の「全員自決するから忠魂碑の前に集まるよう」連絡を受けた頃などは、艦砲射撃が激しく島全体を揺るがしている感じです。「このような激しい戦闘では生きる望みもないから」ということで、命令を受けると、みんなは一張らの服を取り出して身支度を整えました。


私の主人は戦争前に亡くなっていたため、忠魂碑に向かう前に子供たちに、


「死んだらお父さんに会えるから、一緒に、お父さんの所へ行こうね。」


と言うと、子どもたちは目を輝かせて、いじらしくもうなずいてくれました。


私はきれいな服も何もないので、そのままの格好で帳簿と現金をもって娘をおぶり、父と母は上の二人の子の手をひいて、私の家族が先に壕を出て行きました。


阿佐道の方に出てみると、艦砲射撃が激しいので、私達は伏せながら歩き続け、やっと忠魂碑前にたどりつきました。しかし、そこには私の家族の他に、校長先生とその奥さん、それに別の一家族いるだけで他にだれも見当たりません。死ににきたつもりのものが、人が少ないのと、まっ赤な火が近くを飛んで行くのとで不安を覚え、死ぬのがこわくなってきました。


ほんとに不思議なものです。「死」そのものは何もこわくないのです。けれども、自分たちだけ弾にあたって「死ぬ」という事と、みんな一緒に自ら手を下して「死ぬ」という事とは、言葉の上では同じ「死」を意味しても、気持ちの上では全く別のものでした。その気持ちはうまく言えません。

 

‥‥


私は校長先生に一緒に玉砕させてくれるようお願いしました。すると校長先生は快く引き受けてくれ、身支度を整えるよういいつけました。


「天皇陛下バンザイ」をみんなで唱え、「死ぬ気持ちを惜しまないでりっぱに死んでいきましょう。」


と言ってから、一人の年輩の女の先生が、だれかに当たるだろうとめくらめっぽうに手りゅう弾を投げつけました。その中の二コが一人の若い女の先生と女の子にあたり、先生は即死で、女の子は重傷を負いました。


私は校長先生に、


「先生はみんなが死ぬのを見届けてから死ぬようにして下さい。」


と頼んでから、みんながのどがかわいたというので、壕の前を流れている川へ洗面器や、やかんをもって水をくみに行きました。


‥‥


水をくんで壕に戻ると、重傷を負った女の子が、


「おばさん、苦しいよー、水、水‥‥」


と水を要求してきました。傷口からは息がもれて、非常に苦しそうです。その子とかかわっている最中、突然、校長先生が、奥さんの首を切り始めました。すると奥さんの方は切られながらも、


「お父さん、まだですよ。もう少しですよ」


と言っています。


そこら一帯は血がとびちり、帳簿などにも血がべっとりとくっつきました。


校長先生は奥さんの首を切り終えると、先程最後に死んでくれるようお願いしたにも拘らず、今度は自らの首を切ったため、「シューッ」と血の出る音と同時に倒れてしまいました。私達はびっくりして校長先生の名前を呼び続けましたが、もう何の反応もありません。私の着ている服は返り血をあびて、まっ赤に染まってしまいました。


未すいに終わった奥さんは私に、


「お父さんのそばに寝かせて手をくませて下さい」


だとか、


「もし私が死んだら、故郷(佐敷村)に連れて行って下さい」


だとか、後々の事を要求してきました。
最後には、重傷の女の子も息をひき取りました。

 

(原告準備書面引用部分おわり)

 


沖縄戦体験証言

目安箱バナー