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原告準備書面(1)要旨2006年1月27日

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原告準備書面(1)要旨2006年1月27日






平成17年(ワ)第7696号 出版停止等請求事件  
原 告  梅澤  裕 外1名
被 告  大江健三郎 外1名 


原告準備書面(1)要旨

                           弁護士 徳永信一

1 本件訴訟の争点は、

…被告代理人による先程の陳述からもうかがえるように、家永三郎著「太平洋戦争」の記述における歴史的事実の評価・論評、大江健三郎著「沖縄ノート」の記述における匿名性の有無、「沖縄問題二十年」の除斥期間、そして死者の名誉毀損等の判断基準など多岐にわたりますが、なんといっても主たる中心的な争点が、「真実はなんだったのか」というところにあることは明らかであります。本件訴訟が対象としているこれら書籍が依拠してきた今から約60年前、太平洋戦争末期の沖縄戦中に発生した住民集団自決という悲劇が、座間味島の元守備隊長だった原告梅澤少佐と、渡嘉敷島の元守備隊長であった原告赤松さんの兄・赤松大尉が、出した自決命令によるものであったという風説、それが、果たして事実に基づくものであるかどうかというところにあります。 

この点、私たちは、2人の作家、歴史研究家が著述した重要な著作の存在を指摘しておきたい。ひとつは、1973年に発行された曽野綾子氏の「ある神話の背景」、もうひとつは2000年に発行された宮城晴美氏の「母が遺してくれたもの」です。

渡嘉敷島の集団自決が赤松大尉の命令によるものだったとする〈赤松命令説〉の根拠を徹底的に調査検討して「ある神話の背景」を出版した曽野綾子氏は、平成12年の第34回司法制度改革審議会において次のように語っています。

これほど激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決命令を出した、という証言は、ついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

「母が遺してくれたもの」は、座間味島の集団自決が原告梅澤少佐の命令によるものだという神話の根拠とされてきた宮城初枝氏の証言が、援護法の適用を受けるために事実を改変したものであったことを、その宮城初枝氏本人が娘である著者に告白したことを公表した書籍です。その一節を紹介すると、 

「隊長命令」の証人として、母は島の長老からの指示で国の役人の前に座らされ、それを認めたというわけである。 母はいったん、証言できないと断ったようだが、「人材、財産のほとんどが失われてしまった小さな島で、今後、自分たちはどう生きていけばよいのか。島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈してしまったようである。それ以来、座間味島における惨劇をより多くの人に正確に伝えたいと思いつつも、母は「集団自決」の箇所にくると、いつも背中に「援護法」の“目”を意識せざるを得なかった。

 この二人の著作によって、慶良間列島での集団自決が、梅澤少佐と赤松大尉の命令によって強制されたという巨悪の神話は、完全に覆ったといってよいでしょう。

2 さて、曽野綾子氏は、先程の司法改革審議会において、

…続けて次のように述べておられます。

 当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまだ沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかったと言っていません。ただ今日までのところ、その証拠は出てきていないというだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた文書が出てくるかれ知れないではないですか」と答えたのを覚えております。しかし、こういう風評をもとに「罪の巨魁」という神の視点に立って断罪した人もいたのです。それはまさに人間の立場を超えたリンチでありました。

ここで赤松大尉を「神の視点に立って断罪」したとされているのが、「沖縄ノート」を書いた被告の大江健三郎氏であることは、少しでも沖縄戦の歴史に関心を持つものにとっては明らかなことでしょう。     

ところが、驚いたことに、大江健三郎氏は、この裁判では、「沖縄ノート」の表現は匿名であって、赤松大尉の実名を出さずに「渡嘉敷島の元守備隊長」としているのだから、名誉毀損は成立しないという論法をとりました。 しかし、被告らが援用する昭和31年の最高裁判決がいう「一般の読者の普通の注意と読み方」という基準は、ある表現が名誉を毀損するかどうかということに関する判断基準であり、ここで問題とされている「匿名性」の有無、すなわち、著述された登場人物が誰なのかという「同定可能性」の問題、あるいは、特定情報の共有者の広がりにかかる「公然性」といった次元の異なる事柄を敢えて混同するものであり、そのことは、作家・柳美里氏の小説「石に泳ぐ魚」にかかる名誉毀損が争われた事件の判決が、本件被告らと全く同じ主張をしていた作家と新潮社の主張を退け、最高裁で維持されていることからも明らかです。       


表現の「同定可能性」の判断は、共同通信北朝鮮スパイ報道事件判決が示した基準、すなわち、原則として「その表現自体から表現対象が明らかであることを要する」としても、「当該報表現以外の実名報道等が多数に上り、国民の多くが当該事件にかかわる人物の実名を認識した後は、・・・多くの実名報道と同じものだと容易に判明する態様での匿名表現は、匿名性を実質的に失う」という基準においてなされるべきなのです。被告らが要旨を朗読した準備書面(1)においても、赤松大尉が集団自決を命じたことを記載した多数の書籍が発行されていたことがあげられています。さらに、「沖縄ノート」にも取り上げられている赤松大尉が渡嘉敷島での慰霊際出席を阻止された事件を、多数の新聞、週刊誌、グラフ誌が実名報道していることからすれば、「沖縄ノート」の匿名性はもとから失われており、そこで大江健三郎氏がその内面の領域にまで立ち入って描いた若干25歳の「元守備隊長」が赤松大尉であったことを、多くの読者と国民が了解していることは、被告らがなんと言おうと否定しようのない事実なのです。

3 さて、被告らは、死者の名誉毀損に関し、

…「一見明白で虚偽であるにもかかわらずあえて適示したこと」を要するという主張をしています。死者の名誉毀損や歴史的事実の論評に対して適用されるべき違法性判断の基準のありようについては、追って徹底的に反論する予定ですが、ここでは、重大な視点をひとつ指摘しておきたいと思います。  

それは、「沖縄ノート」も「沖縄問題二十年」も、赤松大尉の生前に著述され、曽野綾子氏の「ある神話の背景」の出版によって、その虚偽性が濃厚ないし決定的になった状況のなかでも、出版・販売が続けられ、もって生前の赤松大尉の名誉を毀損し、その生活を破壊し、筆舌に尽くし難い苦痛を押しつけてきたということです。

「沖縄ノート」は、単に死者の事跡や歴史を論じたものではありません。生身の人間として生活していた赤松大尉の人格評価をその内面にまで立ち入って徹底攻撃する、まさに「人間の立場を超えたリンチ」でした。 それがどのようなものであれ、死者に対する名誉毀損ないし歴史的事実にかかわる表現に係る違法性判断の「緩和された」基準を適用することが許されないことは、人間の条理に照らし明らかです。   

4 この裁判で責任を追及している岩波現代文庫の「太平洋戦争」は

…教科書裁判で有名な家永三郎氏の著作です。    

この「太平洋戦争」は、初版にあった渡嘉敷島での赤松大尉による集団自決命令の記述を第二版から削除し、沖縄戦の集団自決については、梅澤少佐が命令したとする座間味島でのものだけを掲載しています。 

被告らの今回の準備書面では、なんと第二版が出版された1986年当時、梅澤少佐の命令で座間味島での集団自決が生じたという《梅澤命令説》が歴史的事実として承認されていたという驚くべき主張がなされています。そうであれば、教科書裁判の過程において根拠を失ったために、第二版から削除された《赤松大尉命令説》は、それが歴史的事実ではないことが承認されたことになりましょう。 

また、既に述べたように、座間味島の集団自決における《梅澤命令説》が虚偽であったことは、現在、歴史的事実として確定しています。

そして「太平洋戦争 第二版」が出版された1986年においても、既に複数の関係者の否定証言から梅澤命令説は疑問視されており、沖縄県でも通史の見直しがなされていることが報道されています。岩波現代文庫の「太平洋戦争」が出版された2002年には、宮城晴美著「母の遺したもの」(2000年12月発行)の出版により、「梅澤命令説」の虚偽性は決定的になっていました。この時期に、敢えてこれを出版した岩波書店の行為は、まさしく「歴史の捏造・歪曲」にほかならず、真実を重んじるべき出版社の社会的使命にもとるものといわなければなりません。 

5 《梅澤少佐命令説》の怪しさは、

…被告らが真実性の有力な根拠として挙げている沖縄タイムス社出版にかかる『鉄の暴風』の記述からも明らかです。 

その初版本には、次のような一節がありました。「日本軍は、米兵が上陸した頃、二、三ヶ所で歩哨戦を演じたことはあつたが、最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」不明死を遂げたとされた原告梅澤は生きており、本件訴訟を提起しています。この事実は、曽野綾子氏が批判したように、「鉄の暴風」が、住民に対する直接の取材もなしに、根拠のない風聞に基づいてなされ、その後一人歩きして「神話」をつくっていったことを如実に示しています。

6 最後に「沖縄問題二十年」に関する被告らの

…仮定的主張、すなわち、それが1974年に出庫停止になっており、すでに20年の除斥期間が経過したという主張に対する反論を申し上げます。 

まず、2002年に「太平洋戦争」を文庫化したことにみられる岩波書店の「歴史の捏造・歪曲」に向けられた出版姿勢に照らすと、今後の「沖縄問題二十年」復刊のおそれは否定できないのであり、出版停止命令等の必要性は優に認められるというべきです。

そして、「沖縄問題二十年」の出版・販売による加害行為は、出庫停止後も古本市場での流通、図書館等での閲覧という形で現在も継続されており、岩波書店は、その回収等によりこれを停止するという条理に基づく義務を有しているにもかかわらず、これを放置しています。この不作為による加害行為という視点を没却した岩波書店の除斥期間に係る主張は全く失当であります。   

7 原告らは、次回以降、「ある神話の背景」等に基づいて

…渡嘉敷島、座間味島での集団自決が赤松大尉、梅澤少佐の命令によるものだとする「神話」が全く根拠のないものであったことを、さらに補充して論証する予定ですが、それに先立ち、被告らの加害行為とそれによる人権侵害の甚だしさを明確にするべく、岩波書店に対し、本件各書籍の各版、各刷毎の発行年月日、発行部数等について明らかするよう求めます。               

                       以上


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