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Ⅱ 調査資料の概要と性格

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防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要

Ⅱ 調査資料の概要と性格



調査対象資料は次の4種である。

1 「金原節三業務日誌(未作成)

(以下「金原日誌原本」とする)15冊

 この「金原日誌原本」は、戦後、金原氏が学校長を務めた陸上自衛隊衛生学校(東京都世田谷区三宿)に所蔵されていたものであり、記述は昭和12年8月3日より、昭和18年9月11日までである(昭和15年7月25日より昭和16年6月21日までほぼ1カ年は欠落している)。96年に防衛研究所図書館に移され、現在、他の資料とともに整理中である。

2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成)

(以下「金原日誌摘録」とする)35冊

  • 前編(昭和14・3・12-昭和16・11・19 医事課員時代)
  • 後編(昭和16・11・20-昭和18・9・11 医事課長時代)

 本「摘録」は、戦後、金原氏自身が「金原日誌原本」をもとに筆記されたものである。箇条書き風の「日誌原本」を文章化したものが「日誌摘録」といえるが、「日誌摘録」の記述は正確に原本の内容を反映しているものと認められる。ただし、「日誌原本」の記述は昭和12年8月からであるが、摘録は昭和14年3月より始まっている。

 なお、この「金原日誌摘録」は、吉見義明氏が『戦争責任研究』第1号において「陸軍中央と『従軍慰安婦』政策-金原節三『陸軍省業務日誌摘録』を中心に-」と題して、日誌摘録中の慰安婦関係記述を紹介している(以下「吉見論文」とする)。

 「金原日誌原本」(および「日誌摘録」)の中心内容は、医務局内の課内会報(課内会議)、陸軍省内の課長会報、局長会報の模様の速記である。従って、医事・衛生関係の記事のみならず、それぞれの会報に出席した軍務局長、軍務課長、軍事課長、兵務局長ら陸軍省の主要課長・局長の発言を生々しく伝えており、その点でも貴重な史料である。なお「日誌原本」は陸軍用罫紙にペン書きであり、「日誌摘録」は原稿用紙にペン書きである。

3 「金原資料(未作成)

 陸上自衛隊衛生学校に所蔵されていた「金原日誌原本」以外の金原氏の手許資料である。金原氏が医事課に在職中に手元に集まった公文書類と手書きの私文書類から成るが、双方とも陸軍中央の医事業務の一端を伝えるものとして貴重である。本資料類も96年に防衛研究所に移管され、なお整理中であるが、以下のように分類することができる。

[公文書類] 7冊
  • 「大臣訓示等綴」(陸軍衛生に関する大臣訓示・指示・上奏案など/昭和14-17年)
  • 「指示綴」(軍医部長会議における部長指示、現地軍指示など/昭和14-17年)
  • 「健兵対策資料綴」(「関東軍軍医部通報」昭和12年7月、「国軍保育現況ノ一端ニ就テ」昭和16年5月など)
[私的文書類] 7冊
  • 「業務日誌」と題する大学ノートにボールペン書きの覚え(3冊)(戦後、「日誌摘録」作成の資料のため日記を基に作成した覚えと思われる。期間は昭和15-16年のみ)
  • 「スマトラからビルマへ自昭和一九・一〇・一-至昭和二〇・二・一九」(回想録の原稿。大学ノートにペン書き。昭和49年執筆)
  • 「個人的陣中日記」(No.1)(昭和18年9月、近衛第2師団軍医部長としてスマトラ転出以後の日誌。ノートにペン書。記述は医事課時代に比べて簡単で回想記に近い。復員に際して連合軍より公務に関する書類の廃棄命令が出されたため、個人的体験のみ記述した、との但し書きがある)
  • 「陣中日記 ビルマ」(No.2)(第15軍軍医部長時代。同上)
  • 「陣中日記 ビルマからタイへ」(No.3)(同上)

4 大塚文郎「備忘録」(未作成)(複製)13冊

 「備忘録」とあるが、日誌風のメモ(昭和18年10月15日-昭和20年9月23日)であり、「金原日誌原本」に比べて箇条書きがさらに簡単である。大塚氏は、「金原日誌摘録」に相当するものを残されていないため、きわめて判読が困難である。本備忘録の原本は、大塚氏によって昭和30年代に防衛研修所戦史室に一時貸与され、戦史室では複製を作成して返却したが、その後大塚氏は、元部下の求めに応じて貸与したが、元部下の死亡によって所在不明となっている。従って、複製(湿式コピー)のみしか残されていないため、判読困難な部分が多い。

 因に故大塚氏は「備忘録」以外の資料を遺された形跡はない。

 以上の資料類で、慰安婦問題に関する政府調査の際に、調査対象となったのは「金原日誌摘録」のみであった。政府調査の時点では、「日誌原本」および「金原資料」は陸上自衛隊衛生学校が所蔵し、大塚氏の「備忘録」は個人委託資料のため政府調査の対象から外されていたものと考えられる。

5 「麻生資料(未作成)」について

 軍医として上海派遣軍の兵站病院で慰安婦の検診にあたった故麻生徹男氏の記録であり、防衛研究所に所蔵されているものは一部の複製である。

 「麻生資料」のほとんどは、麻生徹男『上海より上海へ』(石思社、1993年)として刊行済みのものであるが以下は有益である。
  • 「花柳病ノ積極的予防」(昭和14年6月26日)
  • 「陣中日誌」(昭和13年10月23日-昭和15年12月10日)

本書には、慰安所や慰安所規則等の現場写真が含まれており、内容的にも刊行資料のなかでは最も信頼できるものの1つである


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