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南京アトロシティーズ

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週刊金曜日 1997.12.5
南京大虐殺60周年特集

南京アトロシティーズか、南京アストロ=シティーズか

洞富雄

拙稿は南京アトロシティーズ(大暴虐)か、南京アストロー=シティーズ(星の町々)かと題している。こんなわかりきったことを間題にするのはおかしいかもしれないが、これには少々わけがある。外務省の当局者も、南京占領の当初から、日本軍の犯した暴虐事件を南京アトロシティーズと言っていた。

世界中が知っていた日本軍の暴虐


たとえぱときの東亜局長だった石射猪太郎は自伝『外交官の一生』で、「南京アトロシティーズ」という小見出しを立て、「一九三八年一月六日日記にいう――上海からの来信、南京における我軍の暴状の詳報来たる。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。鳴呼これが皇軍か、日本国民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。」と書いている。その頃はまだ虐殺の情報はあまり伝わっていなかったようであるが、それでもこのように言っているのだ。石射氏は「これが聖戦と呼ぱれ、皇軍と呼ばれたものの姿であった。私はその当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字より適切な語感が出るからであった」と書いている(前掲書二六七~二六八ぺージ抄録)。

今ごろになって、南京アトロシティーズか南京アストロ=シティーズかという問題が気になるのには次のような経緯がある。

日中戦争の当初、日本軍が中国各地(南京だけではない)で犯した暴虐事件について、それぞれの地に駐在していた外国人の報じた手紙や手記を、『マンチェスター・ガーディアン』の上海特派員だった H.J.Timperlay が編刊した『What war means』(一九三八年ロンドン刊)は、近代史上希有の一大痛恨事を記録したものとして、全世界の人々の心をいため驚倒させた書である。この本の副題は Japanese terror in China, documentary record である。本書のニューヨーク版(やはり三八年刊)やカルカッタ版(未見)の書名は Japanese terror in China となっている。ロンドン版と同時に中国でもその翻訳『外人目睹中之日軍暴行』が出た(奥付には『外人目睹中之日軍暴行 The Japanese atrocities in China 』とある)。ティンパレーの原本の原書名は Japanese atrocities in China だったと思われる。訳者は楊名という人で、ティンパレーとは親しく、原本の写しをつくり、それによって翻訳したという。訳書には六月二三日付の附記がついている。中国語訳本には『日軍暴行紀実』と題する一書もあるらしい。

戦時中の日本でも、軍や政府当局者の一部に頒布されたものと思われるが、中国語訳本によって『外国人の見た日本軍の暴行』と題する本が訳刊された(訳者不明)。この特殊出版物が戦後何冊か古本市場に出たので、私も一書を入手することができた。

日本語訳本には、やはり楊名中国訳本からの重訳とみられるものがもう一種ある。山極晃教授が所蔵されている珍しいもので、これには在漢口の鹿地亘・青山和夫両氏の序文が載っている。

atrocities が astro-cities に変わった経緯


戦時中にできた『外国人の見た日本軍の暴行』は七二年二月に龍渓書舎から、また八二年二月に評伝社から翻刻された。この日本語版新本に付された刊行者の緒言に問題があるのだ。龍渓書舎本は「原書自体の表題が本書では The Astro-cities in China となっている」云々と記している(評伝社版は無題であるが、全文龍渓書舎版の記文を借用している)。ここでいわれている「原書」はティンパレーの原編書を、「本書」は楊名の中国語訳本を指している。これには二重の誤りがみられる。楊名の中国語訳本の奥付によれば原書名は The Japanese atrocities in China であって、astro-cities ではなく atrocities なのである。ところが、楊名は訳者附記で『外人目睹中之日軍暴行 What war means- Japanese astrocities in China 』と誤記もしくは誤植をしてしまった。それをまた、日本語版訳者はご丁寧にも緒言で astrocities を astro-cities とまで書きあらためている。ある高校で二人の教師が南京事件の存否について熾烈な文書合戦をしているが、否定派の教師はなかなかの論客で、その文書の中で私などをも執拗に批判している。この御仁が上記の改鼠書名を「巧みに」利用して「『astro(星の)cities(町々)』とは何とロマンチックなことだろう」というのである。この人は「偽書名」には感心しているが、一方また、中国版に載っている郭沫若の序文について、「他国民に対する悪意に満ちた記述だ」として「こんな序を付した本を信用できるだろうか」ともいうのである。論者は、南京アトロシティーズ事件そのものも南京アストロ=シティーズと言いたいのかもしれぬが、こうした語源論遊びは、まことに滑稽でいただけない。

宇都宮大学教授・笠原十九司氏の『南京難民区の百日』が事件研究の基本的著述であることは、定評のあるところである。笠原氏は松本重治氏の『上海時代』の記述を引いて、Japanese atrocities の編者ティンパレーが信用できる人物であると主張している。ところが、前記の論者は松本氏の記述を素直には信用せず、笠原氏について「いずれにしても油断のならない人物だ」と、無茶苦茶な非難をしている。松本氏や笠原教授の識見や人柄をよく承知している私には、この妄言は聞きずてにしかねる。この妄言論者は拙著『南京大虐殺/ 決定版』(注)についても見当違いの批判をしており、本多勝一氏にもあたりちらしている。

南京大虐殺の研究者やジャーナリストたちは、正面から学問的論争の相手にはとてもできぬレベルのこの種の輩(やから)と戦ってきたのであった。

(注)「決定版」はまことにおこがましく、これは出版社の親会社の強制をやむなく容れたもので、決定版でないことは重版のたびごとに大きく補訂を加えていることからもわかる。「決定版」に近づける努カはいつまでもつづけるつもり。
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ほらとみお・一九〇六年生まれ。元早稲田大学教授。著書に『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社)、『日中/戦争南京大残虐事件資料集 第一巻極東国際軍事裁判関係資料編、第二巻英文資料編』(青木書店)など。



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