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[日中歴史研究]見えない「沖縄の視点」

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[日中歴史研究]見えない「沖縄の視点」

 2010年2月2日 09時37分


 日中双方の代表者が強調したのは、相互理解を深める第一歩だった、という前向きの評価だ。日中有識者による歴史共同研究委員会が発表した報告書は見解の違いが際だつ形になったとはいえ、違いを確認し合った意義は決して過小評価されるべきではない。

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化したことから、2006年10月の安倍晋三首相と胡錦濤国家主席が首脳会談で歴史の共同研究に合意。日中各10人の有識者で研究委員会を立ち上げ、研究成果を3年がかりで報告書にまとめた。

 国境の島、琉球・沖縄史をめぐっては尖閣諸島の領有権問題もあることから、今日的な課題もはらんでいる。

 1609年の薩摩侵攻から1879年の廃藩置県(琉球処分)までの琉球の帰属をめぐり、日中双方の認識は大きく分かれた。日本と清国の双方に属した「日清両属」を主張する日本側研究者に対し、中国側は琉球処分以前は「独立国」だったとみる。

 琉球処分について、中国側は「琉球は中国の臣下となった独立国だったが、日本が横取りした。琉球を併合した日本は朝鮮半島へ拡張行動をエスカレートさせた」。日本側は「明治日本による琉球処分への抵抗は支配層が中心で、民衆には明らかに良い方向への変化」と主張する。

 いずれも沖縄側からみて違和感を覚えるのは、日中双方とも「国史」の中の位置づけに囚(とら)われ過ぎているように読めるからだ。琉球・沖縄史の固有な歴史性が見過ごされてはいまいか。

 中国側は薩摩の支配下にあった歴史的事実を、日本側は琉球処分の「武力統一」というひとつの側面を、いずれも意識的に軽視しているようにみえる。

 確かに「沖縄学」の父・伊波普猷は琉球処分を「一種の奴隷解放」と評価し、今回の日本側の報告にもこのフレーズが引用された。しかし時代とともに歴史認識は変わるもので、近年では薩摩に支配されながら、冊封体制下にあった琉球が大国の論理に揺れながらもしたたかに生き抜いた、という積極的な評価が県内歴史家の間でなされるようになっている。

 幕藩体制に組み込まれながらも内政上の裁量を広く許された「異国」であり、進貢貿易を長く続けた歴史は重い。幕末になって通商・外交をはじめた本土諸藩とは比べられない。

 帰属に対する大国のこだわりを超越する視座があってもいいはずだ。

 日中間には日清戦争、日中戦争、南京大虐殺などをめぐる歴史認識に深い溝がある。

 ただそうした認識ギャップは時々の政治に大きく左右されることも否定できない。天安門事件など第2次世界大戦後の共同研究を中国側の要求で非公表としたことからもうかがい知れる。

 英国の歴史家E・H・カー氏は歴史を「過去と現在の対話である」と定義した。

 両国の研究者が負の遺産や政治のタブーを乗り越え、対話するきっかけにしてもらいたい。


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