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南京事件犠牲者数で溝 戦後史は見送り 日中共同歴史研究報告書

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【日中歴史研究】南京事件犠牲者数で溝 戦後史は見送り 日中共同歴史研究報告書

2010.1.31 23:54


 日中両国の有識者による歴史共同研究委員会は31日、双方の論文をまとめた報告書を公表した。昭和12~13年(1937~38年)の「南京事件」について日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺」を認め、犠牲者数を「2~20万人」とした。中国側は「30万人以上」とするなど、近代を中心に双方の見解が隔たった。平成元年(89年)に中国政府が民主化運動を武力弾圧した天安門事件が含まれる戦後史部分は、中国側の要求で公表が見送られるなど課題を残した。

 日本側が発表した報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の2本立てで計549ページ。それぞれの時代について日本側と中国側の論文を掲載した。中国国内で報告書がどこまで公表されるかは不明だ。

 公表にあたって報告書は「双方が同意した共通認識ではない」との断りを入れた。両政府は今回の報告を「第1期」と位置づけ、年内にも「第2期」研究に着手する。

 日中戦争をめぐって、日本側は「原因の大半は日本側がつくり出したと言わざるを得ない」とし、加害者の立場を明確にした。これに対し、中国側は日中戦争を「日本軍国主義による全面的な侵略戦争」と断定した。
 日中戦争での中国側の死傷者数をめぐっては、国民政府軍312万人、死者は約132万人、負傷者は180万人、中国共産党軍58万人超とした日本側に対し、中国側は「不完全な統計では、約3500万人が死傷した」とし、双方の数字に大きな差が出た。

 昭和3年(28年)の張作霖爆殺事件、6年(31年)の柳条湖事件、12年(37年)の盧溝橋事件でも、日本の「侵略」意図を強調する中国側と、偶発や旧日本軍の一部による行為などとする日本側で隔たりを残した。ただ、中国側は、盧溝橋事件自体については「偶発的に起きた可能性がある」との見方に言及した。

 一方、「古代・中近世史」では、日本が中国を中心とした国際秩序「冊封体制」に臣下として組み込まれていたとする中国側と、隋の時代以降、「朝貢はするが冊封は受けない」という関係にあったとする日本側の見解は分かれた。

 また、沖縄県について、中国側は「(琉球時代)中国の冊封体制下にあった独立国だが、日本は横取りした」と指摘した。

 ◇日中歴史共同研究◇  平成18年10月、訪中した安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席との首脳会談の合意に基づき、同年12月に始まった。両国の有識者各10人で構成され、「古代・中近世史」「近現代史」の分科会で双方が論文を提出し、議論した。日本側は北岡伸一東大教授、中国側は歩平・社会科学院近代史研究所長が座長を務めた。

 日中平和友好条約締結30周年にあたる20年中に成果を発表する予定だったが、記述をめぐり意見が対立し何度も延期された。最終会合も中国側の意向で昨年12月まで開かれなかった。

 日中歴史共同研究の日中双方の委員は次の通り。

 【座長】北岡伸一・東大教授(日本側)、歩平・社会科学院近代史研究所所長(中国側)

 【古代・中近世史分科会】山内昌之・東大教授▽川本芳昭・九州大教授▽鶴間和幸・学習院大教授▽菊池秀明・国際基督教大教授▽小島毅・東大准教授(以上日本側)蒋立峰・社会科学院日本研究所前所長▽湯重南・社会科学院世界史研究所教授▽王暁秋・北京大教授▽王新生・北京大教授(以上中国側)

 【近現代史分科会】北岡・東大教授▽小島朋之慶大教授(故人)▽波多野澄雄・筑波大教授▽坂元一哉・大阪大教授▽庄司潤一郎・防衛研究所第一戦史研究室長(以上日本側)歩平・所長▽王建朗・社会科学院近代史研究所副所長▽栄維木・社会科学院近代史研究所「抗日戦争研究」編集長▽陶文●(=刊の干を金に)・社会科学院米国研究所教授▽徐勇・北京大教授▽臧運●・北京大副教授(以上中国側)

(●=示に古)


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