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社説:日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ

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社説:日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ


 日中両国の有識者による初の歴史共同研究の報告書がまとまり、公表された。第二次世界大戦後の現代史部分や、論議の過程を記録した討議要旨が中国側の要請で非公開とされたのは残念だが、先の戦争の負の遺産を抱える両国が歴史に向き合い報告書をまとめ上げたことは前向きに評価したい。

 共同研究は06年10月の安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の会談で合意したのを受け同年12月に日中各10人の有識者でスタートした。

 日中関係は小泉内閣時代、首相の靖国神社参拝によって首脳会談が開けないほど悪化した。このため、共同研究には歴史問題を学識経験者の議論にゆだねることで政治と切り離そうという狙いが込められていた。

 報告書は古代から近現代までの歴史を双方の委員が記述している。先の戦争に関しては双方に歩み寄りの努力が見られる部分がある一方、依然として認識の溝が埋まらない問題も多い。

 例えば、日中全面戦争への引き金となった盧溝橋事件について日本側論文は「最初の発砲事件は『偶発的』であり……」とし、中国側論文にも「発生は偶然性をもっているかもしれない」との記述がある。また、日本の敗戦について中国側は「歴史の転換点でもあった。日本人民は平和発展の新たな道を歩み出した」と指摘している。従来より柔軟な視点と見ることができよう。

 日中戦争については、中国側が日本の侵略を繰り返し指摘しているのに対し、日本側も「戦場となった中国に深い傷跡を残したが、原因の大半は日本側が作り出したものと言わなければならない」としている。

 一方南京虐殺事件では、犠牲者数を中国側が極東国際軍事裁判と南京国防部軍事裁判所の判決などをもとに「延べ三十余万人」としているのに対し日本側は「20万人を上限に4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」と記述し、認識の差を示している。

 歴史認識の溝を埋める作業が困難を伴うのはもちろんだ。今回、天安門事件(1989年)などを含む戦後史部分と討議要旨が非公表とされたことがその一端を示している。「天安門事件の評価など共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを中国側が恐れた」(日本側委員)との指摘が当たっているのだろう。

 双方は新メンバーで第2期の共同研究を行うことにしている。戦後史について中国側座長の歩平・社会科学院近代史研究所長は「第2期の継続研究としたい」と述べている。歴史に関する共通理解を研究者だけでなく国民レベルでも深めるために、次はぜひ公表してほしい。

毎日新聞 2010年2月3日 東京朝刊
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