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第1期「日中歴史共同研究」報告書 序

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2006 年10 月8 日、安倍晋三総理大臣と胡錦濤国家主席は、年内に日中の研究者による歴史共同研究を立ち上げることで意見の一致をみた。同年11 月16日、麻生太郎外務大臣と李肇星外交部長が会談した際、日中歴史共同研究の実施枠組みについて合意に達し、日中共同声明等の3 つの政治文書の原則、及び歴史を直視し未来に向うという精神に基づいて、日中歴史共同研究を実施することを決めた。この共通認識と実施枠組みに基づき、日中双方はそれぞれ10 名の研究者から成る歴史共同研究委員会を組織し、「古代・中近世史」及び「近現代史」の2 つの分科会を設置して共同研究を行った。日中歴史共同研究の目的は、研究者による冷静な研究を通じて、まず学術的に歴史の事実を明らかにし、歴史認識に関する意見を交換して、歴史認識の隔たりと問題を分析することで歴史問題をめぐる対立感情を和らげ、両国の交流を増進して両国間の平和的な友好関係を深めることにある。

学術研究の結果として、今回各論文に最終的に表れているのは執筆者本人の認識であり、双方が同意した共通認識ではない。しかし、依然として異なる認識が存在しているものの、研究過程での討論やそこで形成された共通認識がそれぞれの論文の中に体現されていることを強調しておく必要がある。読者は、同じ歴史問題あるいは同じ歴史時期に関する双方の研究者の論述から、歴史認識の基本状況を理解することができる。

以下、この報告書の完成に至るまでの、日中歴史共同研究プロジェクトの始動と活動の経緯、及び本報告書の性質について詳しく述べることにしたい。

1 日中歴史共同研究プロジェクトの始動


2006 年10 月、安倍晋三総理が就任して間もなく訪中し、停滞していた日中関係を打開した。日中両首脳の会談後に発表された共同プレス発表において、次のような原則が明示された。中国側は、中国の発展は平和的発展であり、中国が日本をはじめとする各国と共に発展し、共に繁栄していくことを強調した。日本側は、中国の平和的発展及び改革開放以来の発展が日本を含む国際社会に大きな好機をもたらしていることを積極的に評価した。日本側は、戦後60年余、一貫して平和国家として歩んできたこと、そして引き続き平和国家として歩み続けていくことを強調した。中国側は、これを積極的に評価した」。両国は、相手側の「平和的発展」を評価するとともに、両国の責任は「アジア及び世界の平和、安定及び発展に対して共に建設的な貢献を行うこと」だと主張した。

これによって、日中両国の研究者が未来志向の日中関係の枠組みの下で歴史共同研究を実施する基礎が確立された。

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同年11 月16 日、麻生太郎外務大臣と李肇星外交部長が会談を行った際、日中歴史共同研究の実施枠組みについて以下のような共通認識に達した。+ 双方は、日中共同声明等の3 つの政治文書の原則、及び歴史を直視し、未
来に向かうとの精神に基づき、日中歴史共同研究を実施するとの認識で一致した。

  1. 双方は、日中歴史共同研究の目的は、両国の有識者が、日中二千年余りの交流に関する歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60 年の日中関係の発展に関する歴史についての共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることにより、相互理解の増進を図ることにあるとの認識で一致した。
  2. 双方は、それぞれ10 名の有識者から成る委員会を立ち上げ、「古代・中近世史」及び「近現代史」の二つの分科会を設置し、日中交互に会合を主催することで意見の一致を見た。双方は、日本側は日本国際問題研究所に、中国側は中国社会科学院近代史研究所に、具体的実施について委託することを確認した。
  3. 双方は、年内に第一回会合を開催し、日中平和友好条約締結30 周年にあたる2008 年中に研究成果を発表できるよう努めることで意見の一致を見た。上に述べた実施枠組みに記された原則の目的は、日中国交正常化以来の日中間の戦争の歴史認識に関する基本精神を堅持し、同時にこの基礎の上で友好と交流の面に注目して、共同研究を通して両国民の関係改善を促し、未来に向かうことである。これが両国の研究者により実施される歴史共同研究に賦与された重要な意義なのである。

日中歴史問題は、政治外交、国民感情、学術研究という三つの異なるレベルの問題が反映された複雑な現象である。政治家が日中両国関係という大局的見地に立ち、日中国交正常化以来の「歴史を直視し、未来に向かう」という基本原則を堅持することで、両国の研究者が冷静な態度で歴史問題を深く研究し検討するための環境が整えられる。そして史実に基づいた確かな学術研究により、両国民は正しい歴史の知識を与られ、両国民間の意思の疎通や感情のやりとりが促される。

実施枠組みが整えられた後、両国政府は各10 名の研究者を選び、共同研究委員会を組織した。双方は先頃実施された日韓歴史共同研究(第1 期)での作業経験に基づき、今回の共同研究の基本方法を提案した。すなわち、研究テーマ(部と章に分かれる)とそのカバーする範囲を日中双方が共同決定し、双方の各メンバーが上述のテーマについて別々に論文を執筆する。また近現代史はより関心が寄せられることから、当該部分の論文はテーマの下にさらに共通の関心項目を置くという方式により、双方の研究者が論文の中で均しく言及すべき
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問題を定め、焦点を合わせて学術的研究を共同して進められるようにした。以上のような研究方式により、両国の研究者は共同研究の全プロセスを始動した。結果から見れば、こうした研究方法をとったことは、問題を発見し討論して相互理解を促すのにかなり有効であった。


2 日中歴史共同研究プロジェクトの展開


開始から全ての論文の執筆と討論の終了まで、今回の歴史共同研究の全プロセスは次の三つの段階に分けられる。
(1)共同研究委員会の成立、
(2)共同研究テーマの確定、
(3)論文の執筆と討論。
以下、各段階について簡単に説明する。


(1)共同研究委員会の成立


日中歴史共同研究プロジェクトの実施決定後、2006 年12 月中旬までに、日中双方がそれぞれ、下記の通り自国側委員を確定した(肩書はいずれも、発足当時のものである)。


日本側委員会のメンバー構成:

座長
  • 北岡伸一 東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授

(古代・中近世史分科会)
  • 山内昌之 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授
  • 川本芳昭 九州大学大学院人文科学研究院教授
  • 鶴間和幸 学習院大学文学部教授
  • 菊池秀明 国際基督教大学教養学部教授
  • 小島毅 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部准教授

(近現代史分科会)
  • 北岡伸一 東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授 【座長】
  • 小島朋之 慶應義塾大学総合政策学部教授
  • 波多野澄雄 筑波大学大学院人文社会科学研究科教授
  • 坂元一哉 大阪大学大学院法学研究科教授
  • 庄司潤一郎 防衛省防衛研究所戦史部第1 戦史研究室長


中国側委員会のメンバー構成:

座長
  • 歩 平 中国社会科学院近代史研究所所長・教授

(古代・中近世史分科会)
  • 蒋立峰 中国社会科学院日本研究所所長・教授
  • 湯重南 中国社会科学院世界史研究所教授
  • 王暁秋 北京大学歴史系教授
  • 王新生 北京大学歴史系教授

(近現代史分科会)
  • 歩 平 中国社会科学院近代史研究所所長・教授 【座長】
  • 王建朗 中国社会科学院近代史研究所副所長・教授
  • 栄維木 中国社会科学院近代史研究所「抗日戦争研究」編集部執行編集長
  • 陶文釗 中国社会科学院米国研究所・教授
  • 徐 勇 北京大学歴史系教授
  • 臧運●(●は示へんに古)北京大学歴史系副教授


2006 年12 月26・27 日、日中両国の委員が第1 回全体会合および古代・中近世史分科会、近現代史分科会の会合を中国社会科学院(北京)で開催した。

全体会合では、まず双方の委員の相互理解を深めるため、委員が各人の研究テーマ、研究経歴などを互いに紹介した。また、共同研究の範囲及び議題の設定について、率直かつ広範に意見交換が行われ、次回全体会議で討論し確定する具体的な研究テーマについて初歩的な検討を行った。

この会議では以後の作業スケジュールについても決定した。2008 年秋を第一段階の研究成果を完成させる時期とした。第2 回全体会合は2007 年3 月19・20 日に日本で開催し、第3 回は2007 年12 月頃、そして第4 回すなわち第一段階の最終全体会合は2008 年6 月頃に開催する予定とした。また4 回の全体会議の間、必要に応じて、古代・中近世史と近現代史の分科会をそれぞれ適宜開催し、研究や論文執筆の必要に応じて、適当な研究協力者に論文執筆を委託することとなった。

会合終了後、双方の委員は李肇星外交部長(当時)を表敬訪問した。


(2)共同研究テーマの確定


日中歴史共同研究の第2 回全体会合は、2007 年3 月19・20 日に東京で開催され、日中双方は、研究テーマ、共通関心項目、論文執筆の基本原則などについて以下の合意に達した。

  1. 古代・中近世史分科会では3 つの大テーマを決めた。各大テーマを二つのテーマに分け、3 部6 章の論文を執筆する。序章を加えると、双方それぞれ7本の論文を完成する。
  2. 近現代史分科会では、戦前、戦中、戦後の3 つの歴史時期を定め、時期毎に3つのテーマを設け、3 部9 章の論文を執筆する。双方それぞれ9本の論文を完成する。
  3. 双方の委員はそれぞれ上記テーマについて各自の視点から論文を執筆する。すなわち各テーマについて日中各1 本の論文を完成させ、お互いに交換して討論を行う。討論では、相手側の論文について率直に学術的な批判を提出する。聴取した意見に基づいて自分の論文を改訂し、同時に異論が残った点を記録しておく。
  4. 論文執筆にあたっては、執筆者が不足する場合、各委員会が個別に委員会外の協力研究者(以後、「外部執筆委員」と呼ぶ)に執筆を依頼することができる。
  5. 外部執筆委員は、執筆する論文に関連する会議に出席し、議論に参加する。
  6. 十分に討論をしたうえで、それぞれの論文を研究報告にとりまとめ、古代・中近世史と近現代史それぞれ1巻とし、双方の座長が共同で序文を執筆する。
  7. 現段階では2008 年6 月を研究報告完成時期とし、同年8 月に両政府へ提出し、対外的に公表する。この期間中には必要に応じて随時、両国座長の作業会議および分科会を開催する。

第2 回の会合で決定した古代・中近世史と近現代史の研究テーマはそれぞれ以下の通りである。

古代・中近世史分科会
  • 序 章 中近世東アジア世界における日中関係史
  • 第1 部 東アジアの国際秩序とシステムの変容
    • 第1 章 7 世紀の東アジア国際秩序の創成
    • 第2 章 15 世紀から16 世紀の東アジア国際秩序と日中関係
  • 第2 部 中国文化の伝播と日本文化の創造的発展の諸相
    • 第1 章 思想、宗教の伝播と変容
    • 第2 章 ヒトとモノの移動
  • 第3 部 日中両社会の相互認識と歴史的特質の比較
    • 第1 章 日本人と中国人の相互認識
    • 第2 章 日中の政治、社会構造の比較

近現代史分科会
  • 第1 部 近代日中関係の発端と変遷
    • 第1 章 近代日中関係のはじまり
    • 第2 章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国
    • 第3 章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動
  • 第2 部 戦争の時代
    • 第1 章 満州事変から盧溝橋事件まで
    • 第2 章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦
    • 第3 章 日中戦争と太平洋戦争
  • 第3 部 戦後日中関係の再建と発展
    • 第1 章 戦争終結から日中国交正常化まで
    • 第2 章 新時代の日中関係
    • 第3 章 日中における歴史認識、歴史教育

この会合では分科会の討議も行われた。会合後、両国委員は麻生太郎外務大臣(当時)を表敬訪問したほか、防衛省防衛研究所図書館及びアジア歴史資料センターを視察した。


(3)論文の執筆と討論


2007 年3 月の会合後、日中双方の委員は論文の執筆を開始し、それと同時に、研究に協力する外部執筆委員の人選を行った。

日本側では同年6 月22 日付で、下記の研究者に対して事務局から外部執筆委員の依嘱を行っている(肩書はいずれも、発足当時のものである)。

古代・中近世史分科会
  • 井手誠之輔 九州大学大学院人文科学研究院教授
  • 小島康敬 国際基督教大学社会科学科長・教養学部教授
  • 桜井英治 東京大学大学院総合文化研究科准教授
  • 古瀬奈津子 お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授
  • 村井章介 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授

近現代史分科会
  • 川島真 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授
  • 戸部良一 防衛大学校教授
  • 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授

中国側は以下の研究者に外部執筆委員を委託した。

古代・中近世史分科会
  • 厳紹. 北京大学中国語言文学系教授
  • 宋成有 北京大学歴史系教授
  • 王小甫 北京大学歴史系教授
  • 王勇 浙江工商大学日本文化研究所所長、教授
  • 張雅軍 中国社会科学院考古研究所副教授
  • 丁莉 北京大学外語学院副教授
  • 黄正建 中国社会科学院歴史研究所教授
  • 呉宗国 北京大学歴史系教授
  • 李卓 南開大学日本研究院院長、教授
  • 宋家鈺 中国社会科学院歴史研究所教授
  • 張帆 北京大学歴史系副教授

近現代史分科会
  • 金熙徳 中国社会科学院日本研究所副所長、教授
  • 王希亮 黒竜江社会科学院歴史研究所教授
  • 宋志勇 南開大学日本研究院副院長、教授
  • 周頌倫 東北師範大学歴史文化学院教授
  • 張連紅 南京師範大学歴史系教授
  • 戴東陽 中国社会科学院近代史研究所副教授
  • 米慶余 南開大学日本研究院教授
  • 賀新城 中国人民解放軍軍事科学院教授

第3 回全体会合までの間に、近現代史分科会では2007 年11 月24・25 日に、日中合同の第1 回研究討論会を福岡(日本)において開催し、執筆者から提出された論文について討論を行った。

またこの頃、日本側委員の小島朋之教授がご病気により論文の執筆が困難となったため、12 月に東京大学大学院法学政治学研究科・法学部の高原明生教授が外部執筆委員を依嘱され、小島委員の担当章を引き継ぐこととなった。

2008 年の1 月5・6 日、日中歴史共同研究の第3 回全体会合が中国社会科学院近代史研究所(北京)において開催され、同時に分科会も行われた。この会合では以下の作業が行なわれた。
  1. 近現代史分科会では、提出された双方合わせて16 本の論文について討論を行い、意見を交換した。
  2. 古代・中近世史分科会では、提出された双方合わせて12 本の論文について討論を行い、意見を交換した。
  3. 2008 年6 月~7 月にかけて報告書を完成させることを目指し、次のスケジュールで活動を行うことで合意した。
3 月14~16 日 近現代史分科会(鹿児島)
3 月20~23 日 古代・中近世史分科会(福岡・対馬)
5 月 近現代史分科会、古代中近世史分科会(中国、山東省)
6 月ないし7 月 第4 回全体会合(東京)、第一段階の報告書を完成
また同年3 月4 日には、日本側委員の小島朋之教授が逝去された。

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第3 回全体会合以降、執筆者の主たる作業は、すでに執筆の終わった論文に関しては討論の結果を踏まえた改訂作業、また未完成の論文については研究討論会に向けた執筆作業となった。

3 月14~16 日には近現代史分科会の第二回研究討論会が鹿児島(日本)で、また3 月20~23 日には古代・中近世史分科会の研究討論会が福岡・対馬(日本)でそれぞれ開催され、いずれの分科会においても各章を構成するすべての論文について、報告と討議が行われた。

5 月5・6 日には古代・中近世史、近現代史それぞれの分科会が研究討論会を開催した。開催場所はいずれも山東省の済南(中国)であり、会議に併せて日本側メンバーは青島、威海、済南、曲阜を視察した。

この会合においては、改訂されたそれぞれの論文について討議がなされるとともに、下記の通り合意がなされた。

今回の会議終了後、なるべく早いうちに各章の執筆者は最終版の原稿を提出する。その後、双方が公開に向けて原稿の翻訳やチェックを行う。最終の会合は東京で開催する。

この後、相互の回覧と討論を経て、双方の研究者は必要に応じて修正等を施し、また必要となる技術的な準備も行なった。当初、双方は相手側論文についての批評意見と双方の論文の相違点を整理してまとめ、論文の後ろに付すつもりでいた。しかしこの作業を進めるうちに、論点をあまりに簡略に要約すると専門家以外の人に説明するのは容易ではないことがわかったため、まとめて整理した結果は次の段階での共同研究で用い、現段階では発表しないこととした。

最後に、古代・中近世史、近現代史各巻の冒頭に双方の委員が序言を付した上で、両国の座長が共同で研究報告全体の序言を書いた。こうして研究報告整理作業が完成した。


3 この報告書の叙述スタイル・意義について


本報告書は古代・中近世史と近現代史の2 巻から成っており、「同一テーマで、意見を交換し、十分に討論して、各自が論述する」方式をとっており、各部分にそれぞれ日本側の研究論文と中国側の研究論文が含まれている。これは学術研究であって、論文が最終的に体現しているのは執筆者本人の認識であり、双方が同意した共通認識ではない。しかし研究過程で討論を経て得られた共通認識や、相手側の主張でも共感できるものは、みな各自の論文中に体現されている。近現代史の巻は本来3 部9 章から成っていたが、第三部の各章の文章で言及される歴史は現在から比較的近く、関連資料が十分に公開されておらず、また現在の日中関係に直接関係してくる政治問題も含んでいる。共同研究により日中両国が歴史認識の面で真に相互理解を深められるよう、この時期の問題は次の段階で引き続き研究することにし、今回発表する報告にはこの部分の論文を含めていない。しかし、これまでに、双方の研究者はそのうちのいくつかの問題について一定の相互理解と共通認識を得たと指摘しておく必要がある。

三年間に及ぶ共同研究の中で、日中両国の研究者は両国関係を発展させたいという強い願いに基づき、同一の歴史テーマがカバーする歴史問題の研究史をまとめ、整理し、論争があると一般的に認識されている問題についての基本的観点を論じた。また、率直に意見を交換し、学術的かつ冷静、客観的に討論し、討論や論争を進めるなかで相互理解を深め、認識の隔たりをある程度解消し、認識の差を出来る限り縮め、相互理解の第一歩を踏み出した。共同研究は終始真剣、率直で友好的雰囲気の中で進められた。双方の研究者とも、学術研究の分野で意見の隔たりがあるのは当然のことであり、戦争の責任について基本的共通認識があることを前提として学術的に討論し、資料を交換し、意見を取り交わすことで、相互の理解を深め認識の隔たりを縮めることができると認めた。
これまでの共同歴史研究で、双方の研究者は、「たとえ相手の意見に賛成できなくとも、相手がそう考えるのはある程度理解できる」という学術研究領域の段階に達した。この意味で、日中歴史共同研究は大きな成功をおさめ、今後の日中の相互理解の促進に建設的な意義があった。

当然のことながら、共同研究は3 年が経過したばかりで、数十年さらには百年以上蓄積されてきた歴史認識の隔たりを解決するには、まだ端緒を開いたにすぎない。多くの問題についてさらに意見を交換し、深く研究する必要がある。いま発表する論文は第一段階での初歩的な研究結果で、次の段階に発表を持ち越される論文もあるし、次の段階で引き続き研究が必要なテーマも多くある。

以上は本プロジェクトにかかわった当事者による研究成果の自己分析と自己評価である。日中両国の読者が、日中関係の発展に関心を持ち、それを促進するという立場から、この研究報告を客観的に分析し、論評することを期待する。多くの異なるご意見があることと思うが、以上のような努力を読者に汲み取っていただき、歴史に対する客観的な認識を深めていただければ幸甚である。

最後に、日本側委員の小島朋之慶應義塾大学教授は共同研究期間中の2008 年3 月に逝去された。執筆メンバー一同より、本報告書完成に至るまでの小島先生の貢献に謝意を表すとともに、あらためて先生のご冥福をお祈り申し上げる。



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