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(原)第3の1(1)控訴人らの主張

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読める控訴審判決「集団自決」
事案及び理由
第2 事案の概要等
第2の3 前提事実及び争点
【原判決の引用】
(原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張
(原)1 争点1(特定性ないし同定可能性の有無)について

(原)第3の1(1)控訴人らの主張

(判決本文p25~)

  • (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。



ア 沖縄ノートの各記述が控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものであること


(ア)(沖縄ノートの各記述)*

  本件記述(2)の
「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決」
「血なまぐさい座間味村,渡嘉敷村の酷たらしい現場」
との記述からは, 座間味島の守備隊長が座間味島における自決命令を出したことが伺えるところ, 座間味島の守備隊長が控訴人梅澤であることは日本の現代史を研究する者及び控訴人梅澤を知る者であれば誰でも知っている事実であるから, 本件記述(2)は, 控訴人梅澤を特定ないし同定するものである。

  また,本件記述(2)の
「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決」
「血なまぐさい座間味村, 渡嘉敷村の酷たらしい現場」
との記述, 本件記述(3)の
「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制レたと記憶される男」
「『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」
「戦友(!)ともども, 渡嘉敷島の慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたと報じた」
との記述, 本件記述(4)の
「慶良間の集団自決の責任者も」
「渡嘉敷島に乗りこんで」
「渡嘉敷島で実際におこったこと」
「あの渡嘉敷の『土民』のようにかれらは, 若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく, 穏やかな無抵抗の者だった」
との記述及び本件記述(5)の
「おりがきたとみなして那覇空港から降りたった, 旧守備隊長」
との記述からは, 渡嘉敷島の守備隊長が渡嘉敷島における自決命令を出したことが伺えるところ, 渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であることは日本の現代史を研究する者及び赤松大尉を知る者であれぱ誰でも知っている事実であるから, 沖縄ノートの各記述は, 赤松大尉を特定ないし同定するものである。

(イ)(「匿名性」の判断基準について)*

  ある記述における登場人物を特定の誰かと同定できるか否かの「同定可能性」の問題は, いわゆる匿名報道等における「匿名性」の問題と表裏をなすところ, 匿名記事の「匿名性」の判断基準については, 共同通信北朝鮮スパイ報道事件に係る東京地裁平成6年4月12日判決・判例タイムズ842号271頁が次のように判示している。
  「(省略){当該報道において報道の対象が特定されたというためには, その報道自体から報道対象が明らかであることを要し, 仮に他の報道と併せて考察すれば報道対象が明らかとなる場合であっても, そのことから, 直ちに当該報道が報道対象を特定して報じたものと認めるのは相当でない。」

  「ただし, 当該報道媒体以外の実名報道が多数に上り, 国民の多くが当該事件にかかわる人物の実名を認識した後は, それが一般の読者の客観的な認識の水準となるから, 多くの実名報道と同一性のある報道であると容易に判明する態様での匿名報道は, 匿名性を実質的に失うものといわざるをえない。}」

(ウ)(引用書籍からの「同定可能性」)*

  上記判例が示した「匿名性」の判断基準, すなわち「同定可能性」の判断基準は, 原則として「その報道自体から報道対象が明らかであったことを要」するとするが, ここでの「報道」を本件に適合するよう「表現」と言い換えると, 「その表現自体」には, 当該表現が掲載されている書籍・論文における他の箇所の記述も含まれることはもちろん, 当該表現が, それと一体をなすものとして引用している書籍等の記述も含まれると解される。当該引用によって一般読者が容易に引用書籍に当たり, その表現を読むことができるからであり, 名誉毀損という観点からは, 当該表現が収められた当該書籍の他の箇所を読む場合と選ぶところはないからである。

  この点, 被控訴人岩波書店を当事者とした知財高裁平成17年11月21日判決(甲C4)は, 次のように判示し, 名誉毀損表現における「同定可能性」の判断において引用文献の記述が参照されるべきことを, 当然のこととして認めている。
  「(省略)被控訴人書籍においては,引用部分7及び8には, 「(京城三坂小学校記念文集編集委員会, 二四二,四一二)」と記載されるのみであり, 被控訴人書籍巻末の参考文献一覧に掲げられた「京城三坂小学校記念文集編集委員会編『鉄石と千草』三坂会事務局, 一九八三年」と併せることで当該記載の出典を特定し得るものの, 当該記載の執筆者の氏名は記載されていない。しかし, 本件文集には被引用部分7及び8に執筆者(寄稿者)の氏名が明記されており, 本件文集は1500部が発行され, 東京都千代田区神田神保町の新刊書販売書店で入手可能であったというのであるから, 被控訴人書籍に記載された本件文集の出典頁から, 被引用部分7及び8の執筆者(寄稿者)を知ることが困難とはいえない。このような点を考慮すれば, 被控訴人書籍における引用部分7及び8の記述は, 被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)との関係では名誉毀損に該当する余地がある。

  上記判決の特徴は, 「被控訴人書籍」には「執筆者の氏名」は記載されていないにもかかわらず, 「被控訴人書籍」に記載されたわずか1500部しか発行されていない文集の出典頁から, 執筆者(寄稿者)を知ることができるという場合に名誉段損が成立する余地を認めていることである。

(エ)(本件への適用)*

  これを本件について見るに, 被控訴人らが準備書面で自ら引用しているように, 渡嘉敷島の集団自決命令を下したのは赤松大尉であると実名で記述した書籍等が多数出版されており, 更には, 沖縄ノートの各記述にあるように, 渡嘉敷島で開催された慰霊祭へ出席しようとした赤松大尉が, 沖縄の組合活動家らから難詰される等して慰霊祭への出席を阻止されたという事件が複数の新聞,週刊誌,グラフ誌等で赤松大尉の実名をもって報道されていた。そして, 被控訴人大江も, 当該事件を実名報道した新闘やグラフ誌等の記事を読んでいたことは, 沖縄ノートの各記述から明らかである。

  以上の事実から, 被控訴人大江を含め国民の多くが渡嘉敷島の元守備隊長が赤松大尉であるということを認識していたと認めることができ, それが一般の読者の客観的な認藏の水準となっていたと解される。したがって, 沖縄ノートの各記述は, 多くの書籍, 新聞, 週刊誌, グラフ誌等において実名を用いてなされた渡嘉敷島集団自決事件の記述と同一性のある記述であると容易に判明するから, 匿名性を実質的に失っている。

  また, 沖縄ノートの本件記述(2)のように, 「沖縄戦史」という一般の読者が一般の図書館において容易に閲覧・入手できる書籍の記述を, その「端的に語るところによれば」と明示的に引用してその表現と一体をなしている場合, 引用書籍の記述を考慮すぺきことは明らかである。

  上地一史著「沖縄戦史」は渡嘉敷島の集団自決命令は赤松大尉が出したとし, 座間味島の集団自決命令は控訴人梅澤が出したと断定的に記述しており, これを併せて読めば, 沖縄ノートの各記述が控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものであることは明白である。


イ 被控訴人らの主張に対する反論


(ア)(「一般読者の通常の注意と読み方」について)


  被控訴人らは, 沖縄ノートの各記述について, 最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁(以下「最高裁昭和31年判決」という。)を引用し, 一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば, それらが赤松大尉及び控訴人梅澤に対する記載だと同定し得ないことを理由に, 沖縄ノートの各記述による名誉毀損等の不法行為は成立しない旨主張する。

  しかしながら, 最高裁昭和31年判決は,
  「名誉を毀損するとは,人の社会的評価を傷つけることに外ならない, それ故, 所論新聞記事がたとえ精読すれば別個の意味に解されないことはないとしても, いやしくも一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈した意味内容に従う場合, その記事が事実に反し名誉を毀損するものと認められる以上, これをもつて名誉毀損の記事と目すぺきことは当然である。」
と判示している。

  すなわち, 「一般読者の通常の注意と読み方」は, 新聞記事等の表現の「名誉毀損性」の有無に係る判断基準であり, 出版物における当該記述が表現する登場人物が誰かを特定できるかという「同定可能性」の問題に関する判断基準ではない。被控訴人らの前記主張は, 表現の「名誉毀損性」と, 表現の「匿名性jないし「同定可能性」及び表現の「公然性」という異なる3つの次元の事柄を混同するものであり, 失当である。

  また, 作家柳美里が知人をモデルに著述した小説「石に泳ぐ魚」の出版による名誉毀損の成否が争われた「石に泳ぐ魚」事件につき, 一審の東京地裁平成11年6月22日判決・判例時報1691号91頁は, 小説「石に泳ぐ魚」の登場人物である「朴里花」とモデルとなつた知人の原告とを同定しうるか否かにつき、 「一般の読者の普通の注意と読み方」を基準として判断すぺきであるという被控訴人らの前記主張と同様の主張に対し, 次のように述べてこれを退けている。
  「(省略)弁論の全趣旨によれば, 原告は著名人ではなく, 芸大の一女子大学院生に適ぎないことが認められるから, 一般の読者の大多数が原告の存在を知らず, したがって, 一般の読者が原告と『朴里花』とを同定し得ないことは明らかである。しかしながら, 不特定多数の者が講読する雑誌に掲載された小説上の特定の表現が,ある人にとって侮辱的なものか, 又は, その者の名誉を毀損するか否かについては, 『一般の読者の普通の注意と読み方』を基準とすべきであるとしても, その前提条件ともいうべき『表現の公然性』, すなわち, 特定の表現がどの範囲の者に対して公表されることを要するかは, 事柄の性質を異にする問題である。後者の問題は, 特定の表現が, 『不特定多数の者』が知り得る状態に置かれることを要し, かつ, これをもって足りると解すぺきであり, この要件は, 本件においては, 本件小説が不特定多数の者が講読する雑誌『新潮』に掲載されたこと自体によって, 既に充足されているものというべきである。そして, 控訴人と面識があり, 又は, 前に摘示した原告の属性の幾つかを知る読者が不特定多数存在することは推認するに難くないところ, これらの読者にとっては, 『朴里花』と原告とを容易に同定し得ることは前判示のとおりである。被告新潮社及び被告坂本の右主張は, 表現の名誉毀損性ないし侮辱性の判断基準と表現の公然性の判断基準とを混同するものであって, 採用することができない。

  ちなみに, 同判決は, 控訴審の東京高裁平成13年2月15日判決・判例時報1741号68頁及び上告審の最高裁平成14年9月24日判決・判例時報1802号60頁で維持されている。

  沖縄ノートは, 昭和45年9月から現時点まで37年間にわたり, 30万部以上が一般の書店などで販売され, 多数の読者に読まれており, その中には, 旧軍の関係者や沖縄戦の研究者, そして集団自決に関して記述した他の書籍を読んだ者など, 沖縄ノートの各記述が座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長がそれぞれ控訴人梅澤と赤松大尉を指すものであることを認識し得る不特定多数の者が存することを否定できない。

  したがって, 被控訴人らの前記主張は, 「石に泳ぐ魚」事件判決における作家と出版社側の主張と同じく, 「表現の名誉毀損性ないし侮辱性の判断基準と表現の公然性の判断基準とを混同するものであって, 採用することができない」ことは明らかである。

(イ)(「一般の読者」の知識や知り得る範囲)*


  また, 同定情報の資料範囲につき, 被告らが引用する東京地裁平成15年9月14日判決(乙14)および前橋地裁高崎支部平成10年3月26日判決(乙15)のいう「一般の読者が社会生活の中で通常有する知識や認識を基準として, その範囲内」にあるか, 若しくは「一般の読者において通常知り得る事項」であるかという基準に照らしても, 当時の「渡嘉敷島」「座間味島」の守備隊長という公的人事情報という「一定の情報」が与えられれば, これに基づき, 各一人しかいない原告らと一般の読者が知り得ることは十分であり, また, 本件記述(2)に引用されている前記「沖縄戦史」が同定情報の資料となることは明らかである。

(ウ)小括


  以上のとおり, 被告らが主張する「一般の読者の通常の注意と読み方」基準は, 新聞記事等の表現の「名誉毀損性」の有無と係る判断基準であり, 出版物における当該記述が表現する登場人物が誰かを特定できるかという「同定可能性」の判断基準ではなく, 被告らの主張は, 表現の「名誉毀損性」と, 表現の「同定可能性」及び表現の「公然性」という異なる3つの次元の事柄を混同するものであって失当である。

  そして, 「同定可能性」の判断規準は, 原則として「その表現自体から表現対象が明らかであったことを要する」が, 「当該報道媒体以外の実名報道が多数に上り, 国民の多くが当該事件にかかわる人物の実名を認識した後は, それが一般の読者の客観的な認識の水準となるから, 多くの実名報道と同一性のある表現であると容易に判明する態様での匿名表現は, 匿名性を実質的に失う」のであり, また, 「当該表現が書籍等の記述を明示的に引用し, 当該表現と一体をなしているとみなされる場合には, 引用書籍等の記述も考慮して同定可能性を判断する」ものと解すぺきである。

  そして, 控訴人梅澤及び赤松夫尉が, それぞれ座間味島及び渡嘉敷島の元守備隊長であり, それぞれの島で生じた集団自決に係る命令を下したと記述した書籍等が多数あり, 赤松大尉の慰霊祭出席をめぐる事件報道が新聞, 週刊誌等で多数なされていたこと, そして本件記述(2)が明示的に引用している前記「沖縄戦史」に, 赤松大尉及び控訴人梅澤の実名が記載されていることからすれば, 沖縄ノートの各記述は, 控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものである。



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