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【琉球新報】控訴審で争点になった新証言 岩波・大江「集団自決」訴訟

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控訴審で争点になった新証言 岩波・大江「集団自決」訴訟

2008年10月30日

<原告側・宮平証言>

■宮平秀幸証言要旨

 1945年(昭和20年)3月25日、軍本部壕を訪れ自決用の弾薬や手りゅう弾などを求める村幹部に対し、梅澤隊長は「そんなものは渡せない。直ちに集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、村長は「自決のために集まってもらったがここでは死ねないので、解散する」と話した。本部壕で梅澤隊長と幹部らとのやりとりと、忠魂碑前での村長の指示をすぐ近くで聞いていた。


<原告側の反論と根拠>

■原告反論

 伝聞にすぎない。男性の話は、座間味村の住民証言が記録された沖縄県史や座間味村史などにもなく、内容の重大性に照らせば不自然。語る機会はいくらでもあったにもかかわらず、その証言録の中で触れられていない。通信隊長の話は沖縄県史にもあるが、「住民の玉砕」は含まれていない。

■垣花武一証言

(「沖縄県史」所収)
 通信隊の少尉は「この調子では部落民も兵もだめだ。どうせ死ぬなら」と「阿嘉島守備隊、最後の一兵に至るまで勇戦奮闘、悠久の大義に生く」の電報を打ち、受信機だけを残して発信機を壊した。


<被告側・垣花証言>

■垣花武一証言要旨

 日本軍が座間味村の村幹部に集団自決を指示していた話を、座間味村の郵便局長を務めた男性から聞いた。男性は「村の幹部は、米軍が上陸したら軍の足手まといにならぬよう住民を玉砕させるよう軍から命令されていた」と話し、「1945年2月ごろ、村の三役が要職者を集め、米軍が上陸した場合は住民を玉砕させるよう軍から命令されていると打ち明けた」と説明した。通信隊長が3月26日、「軍も住民も全員玉砕する」と打電し、無線機を破壊した。


<被告側の反論と根拠>

■被告反論

 秀幸の母貞子の手記や秀幸自身のビデオ証言などと食い違う。秀幸を含む宮平貞子一家は3月25日の夜から26日の朝にかけて行動を共にし、忠魂碑前に行っていない。秀幸が梅澤隊長と助役らのやりとりを聞いたとするのは虚偽。村長が忠魂碑前で解散を指示というが、これまで住民の誰からも出ていない。

■宮平貞子手記要旨

(「座間味村史」所収)
 3月25日、70歳前後の舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)、長女=当時(23)、三男(秀幸)=同(15)、娘=同(5)、息子=同(3)=の6人を引き連れて壕に隠れていた。そのころ、ほとんどの家族が忠魂碑前に行ったそうですが、わたしの家族の所には伝令が来なかったので、忠魂碑前に集まれというのが分からなかった。


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