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1 そこに「素敵!」もあった

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平和をたずねて:快楽としての戦争/1 そこに「素敵!」もあった


 「黎明(れいめい)の山河『薦野(こもの)の戦記』」という500ページ余りの本がある。福岡県古賀市の山あいにある旧薦野村在住・出身者が、それぞれの戦争体験を寄せた手記集で、地区の公民館が昭和59(1984)年に発行した。その154ページに、こんな文章が載っている。

 《敵兵捕獲しては穴を掘って銃殺する事何人と数えきれない程です。……戦火の合間には町、或は民家へ巡視警備に出動致し、食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に楽しい事も有りました。本当に支那の婦女は美しいです。素敵!尚まだ色々と有りますが此の位にして置きます》

 書いたのは昭和12年8月に中国に出征した元陸軍兵長。大正2(1913)年生まれだから、戦記発刊時は71歳である。その老人が半世紀近い昔を振り返り、思わず「素敵!」と身をよじらせるほどの快楽が日中戦争にはあった。紛れもなくこの文はそう告げている。

 編集した北崎宗一さん(67)によると、本づくりのきっかけは、父親の軍歴を近所のお年寄りたちに話した際に返ってきた反応だったという。

 「暑かったこと、寒かったこと、きつかったこと、ひもじかったこと、そして、楽しかったこと。皆さん、例外なく戦争当時の思い出を、目を輝かせながら話してくださいましてね」

 中でも北崎さんの心を動かしたのは、食料徴発時の住民の虐殺や女性への性暴行の様子を、まるで昨日の出来事のように鮮明に語って聞かせる老人たちの姿だった。

 「それがショックと言うか……。皆さん、まじめに百姓しよんしゃあでしょうが、今日。その方がよ。振り返れば、食料徴発に出て、銃剣突きつけて食べるもん出せって。そっで逃げたら後ろからグサッと刺したとか。しかかってきたら2、3人で叩(たた)き殺しよったとか。笑いながら話されるんです。思い起こせば楽しかったということですかねえ。似合わんなあと思ったとですよ。おとなしゅう百姓しよんしゃあ人がねえ。それでのぞいてみたい窓口を見つけた気がして、体験文を寄せてもらったんです」

 読まれるのを前提に寄せられた体験文には、略奪について触れたものはあるものの、虐殺や強姦(ごうかん)行為を生々しく打ち明けたものは一編もない。ただ、冒頭の元兵長のように思わず本音を漏らしたり、中国人をチャンコロと呼ぶなど、戦時中の意識そのままの手記も交じっている。集まった文をそのまま載せる編集方針と、読者として想定しているのが地元の人だけという気安さから、期せずして庶民の飾らぬ素顔がのぞいたのだろう。

 戦争は悲惨だ。だから絶対してはならないと人は言う。だが、もし戦争が悲惨なだけなら、とうの昔に世界から戦争などなくなっているはずだ。アウシュビッツやヒロシマ、ナガサキという究極の悲惨を経験してもなお、人間が戦争を続けているのは、戦争が我々を陶然とさせてやまない快楽の要素をも併せ持っているからではないか。

 思えば南京戦参加兵士の聞き取りを続ける大阪の松岡環さん(60)も「楽しかったというおじいさんは結構いますよ。つらかったのと楽しかったのと五分五分やなあって」と言っていた。92歳になる福岡の元戦車隊員も、「面白いことありましたか」との問いに、「ありましたなあ。当時は口にしてはいけないこととか。食料徴発に行って姑娘(クーニャン)を追いかけたり……」と、含み笑いをしながら語っていた。

 戦争の悲惨さを強調する反戦は、悲惨さを実感できる体験者が厚く社会に存在する間は有効だろう。だが体験者の多くが世を去り、悲惨さの実感が社会から薄れた今、悲惨さだけに寄りかかった反戦の訴えはもう、人々の胸に響かなくなりつつあるのではないか。

 悲惨さの実感がなくとも、戦争の誘惑に抗しうる社会はどうすれば築けるのか。それを考えるために、戦争が持つ快楽の側面に、あえて光を当てる。【福岡賢正】<次回は11日に掲載予定>

毎日新聞 2008年6月4日 西部朝刊


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