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朝日 「沖縄ノート」訴訟、元軍人の請求棄却 大阪地裁

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「沖縄ノート」訴訟、元隊長の請求棄却 大阪地裁

2008年03月28日12時23分

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとした岩波新書「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして、元戦隊長と遺族がノーベル賞作家の大江健三郎さん(73)と出版元の岩波書店(東京)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。深見敏正裁判長は「元戦隊長の命令があったとは断定できないが、関与は十分推認できる」とし、集団自決には「旧日本軍が深くかかわった」と認定。元隊長らを匿名で「事件の責任者」などとした記述には「合理的資料や根拠があった」として名誉棄損にはあたらないと判断し、請求をすべて棄却した。元隊長側は控訴する方針。



大阪地裁に入る赤松秀一さん(左)と梅沢裕さん=28日午前9時40分、大阪市北区で



大阪地裁に入る大江健三郎さん=28日午前9時31分、大阪市北区で



傍聴券を求めて並ぶ人たち=28日午前9時47分、大阪地裁で



勝訴の垂れ幕を掲げて喜ぶ、被告側の支援者ら=28日午前10時5分、大阪市北区で


 原告は、大阪府内に住む元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さん(91)と、元渡嘉敷島戦隊長で元大尉の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)。裁判は、高校歴史教科書の検定にも影響を与えており、軍の関与の有無が最大の争点だった。

 判決は、集団自決について、軍から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)が配られたという生存者の証言が多数ある▽手榴弾は戦隊にとって極めて貴重な武器で、軍以外からの入手は困難▽集団自決が起きたすべての場所に軍が駐屯し、駐屯しない場所では発生しなかったことなどを踏まえ、集団自決への「軍の深い関与」を認定した。

 そのうえで座間味、渡嘉敷両島では元隊長2人を頂点とする「上意下達の組織」があり、元隊長らの関与は十分に推認できるとしつつ、「自決命令の伝達経路は判然とせず、命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とした。だが、本のもととなった住民の証言集など元隊長の関与を示す内容は「合理的で根拠がある」と評価し、大江さん側が「命令があったと信じる相当の理由があった」と結論づけた。

 「隊長命令説」は遺族年金を受けるために住民らが捏造(ねつぞう)したとする元隊長側の主張についても、住民の証言が年金の適用が始まる前から存在していたとして退けた。

 また判決は、元隊長らの実名を挙げて住民に自決を命じたと指摘した歴史学者の故・家永三郎さんの著作「太平洋戦争」(68年、岩波書店)も、名誉棄損は成立しないとの判断を示した。

 「沖縄ノート」は、住民の証言集など集団自決の証言を集めた文献を引用しながら、両島では「部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という軍の命令があったと指摘した。

 元隊長側は裁判で「住民に集団自決を命じた事実はない。逆に、住民には自決しないよう厳しくいさめ、後方で生き延びるよう伝えた」などと軍の命令を否定。集団自決は「家族の無理心中」と受け止めるのが自然と訴えた。

 大江さん側は、「日本軍が『軍官民共生共死』の方針を住民らに担わせ、タテの構造の中で自決を強制したことは明らか」と反論していた。

     ◇

 〈沖縄戦集団自決と教科書検定〉 1945年3月下旬、米軍は沖縄本島西の座間味島と渡嘉敷島を攻撃し、4月に本島に上陸した。沖縄各地で住民の集団自決が相次ぎ、座間味島では約130人、渡嘉敷島では300人以上の住民が手榴弾などで亡くなったとされる。

 05年8月に提訴された今回の訴訟は、高校の教科書検定に影響を与え、昨春には「軍の強制」を示す記述がいったん削除された。だが、沖縄県で反発が強まり、文部科学省は昨年末までに、「軍が強制した」という直接的な記述は避けつつ、「軍の関与」を示す表現を復活させる教科書6社の訂正申請を承認した。
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