7.慰安所の管理規定
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『資料集成』には慰安所の管理規定が多く含まれており、慰安所の内部秩序について重要な資料を与えてくれる。次のような管理規定がある。
- 「常州駐屯間内務規定」(昭和13年3月)(2巻、251-258頁)常州駐屯間内務規定[独立攻城重砲兵第2大隊](昭13・3・16)(未作成)
- 「森川部隊特種慰安業務二関スル規定」(昭和14年11月14日)(同、327-336頁)森川部隊特種慰安業務ニ関スル規定[森川部隊長](昭14・11・14)(未作成)
- 「マンダレー駐屯地慰安所規定」(昭和18年5月26日)(4巻、281-293頁)駐屯地慰安所規定[「マンダレー」駐屯地司令部](昭18・5・26)(未作成)
- 「馬来軍政監部軍政規定集」(昭和18年11月11日)<i>(3巻、21-28頁)軍政規定集第三号[馬来軍政監部](昭18・11・11)(未作成)
- 「慰安所ニ関スル規定」(ブツアン、昭和17年6月6日)(同、123-124頁)慰安所ニ関スル規定[独立守備歩兵第35大隊](昭17・6・6、11)(未作成)
- 「軍人倶楽部規定」(マスバテ島警備隊、昭和17年8月16日)(同、149-151頁)軍人倶樂部規定[マスバテ島守備隊長](昭17・8・16)(未作成)
- 「慰安所規定」(イロイロ派遣憲兵隊、昭和17年11月22日)(同、189-193頁)慰安所規定送付ノ件[軍政監部ビサヤ支都イロイロ出張所](昭17.11.22)(未作成)
- 「外出及軍人倶楽部ニ関スル規定」(遠山隊、昭和19年)(同、279-281頁)外出及軍人倶楽部ニ関スル規定〔直兵団遠山隊](昭19)(未作成)
- 「軍人倶楽部利用規定」(中山隊、昭和19年5月)(同、333-339頁)軍人倶楽部利用規定[中山警備隊(在広東)](昭19・5)(未作成)
- 「後方施設ニ関スル内規」(石第3596部隊、昭和20年1月8日)(同、418-422頁)独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成)
- 「海軍慰安所利用内規」(スチュアード砲台〔第12特別根拠地隊〕、昭和20年3月18日)(同、479-483頁)海軍慰安所利用内規〔第12特別根拠地隊司令部](昭20・3・18)(未作成)
米軍の調査資料の中に英訳されているものとして、以下のものがある。
- 「マニラ認可料理店、慰安所規則」(昭和18年2月)(5巻、143-146頁)調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成)
- 「マニラ陸軍航空隊慰安所利用規則」(昭和19年10月14日)(同、英文、146-147頁)調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成)
- 「(上海)南地区舎営内特殊慰安所利用規則」(同、英文、147-148頁)調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成)
- 「タクロバン慰安所規則」(同、英文、148-150頁)調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成)
- 「ブラウエン地区慰安所規則」(同、英文、150-151頁)調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成)
- 「ラバウル海軍慰安所規則」(同、英文、151頁)調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成)
管理経営について、程度はさまざまであったと言える。軍による建物の提供、もしくは建設は普遍的に見られた。軍による警備も当然の前提である。営業時間、休業、単価も軍が決定している、部隊による利用日の割り振りも軍がおこなっている。女性の性病検査も軍がおこなっている。ここまでは共通である。
(部隊毎に下士官が引率)
■ 常州駐屯間内務規定[独立攻城重砲兵第2大隊](昭13・3・16)(未作成)
これまで注目されてきた「常州駐屯間内務規定」にはこれらのことがみなもりこまれているが、ひとつ注目したいのは、部隊の割り当てをおこなった上で、慰安所ニ至ルトキハ各隊毎ニ引率セシムヘシと指示していることである<i>(2巻、258頁)</i>。部隊毎に下士官が引率して慰安所に行くということは慰安所が戦争をよりよくさせるため兵士の精神的・肉体的再整備をはかる軍隊の装置であることを示している。
(委員の任命と利用権)
■ 森川部隊特種慰安業務ニ関スル規定[森川部隊長](昭14・11・14)(未作成)
よりはっきりした形のものは、軍が管理するための委員を任命することになる。そして利用券を発行して、軍が利用回数を把握できるようにするのである。
これまで公表されていなかった3つの利用規定はいずれもこの明確な形を見せている。まず武昌近くの葛店と華容鎮にあった4つの慰安所を管理する「森川部隊特種慰安所業務二関スル規定」である。この規定は警備地域内ノ慰安業務ヲ実施スル為委員ヲ任命スと規定している。
- 「全般ノ統制」は連隊本部村上大尉、
- 第1、第2慰安所の「経営指導」は中島少尉、内困中尉、原口准尉、
- 第3、第4慰安所の「経営指導」は古賀、福田中尉、
- 「慰安掃ノ検査及衛生施設ノ指導」は軍医
という割り振りである。その上に
- 警備隊長が「慰安業務ヲ監督指導」する
ということになっている。
- 「警戒並ニ軍紀風紀ノ取締」は華容鎮と葛店の警備隊長の責任
とされる。経費は経営者が負担する。公休日は月に2日である。料金は軍が定めている。慰安所を利用しようとする者は連隊で発行する「慰安許下(ママ)証」を携行して、入所券を購入して、経営者に渡すことが必要である。経営者は毎日「売上表」を作成し、毎週月曜日に警備隊長をへて連隊本部に報告しなければならない<i>(2巻、327-336頁)</i>。ここでは利用許可証によって動態を把握し、経営者の報告からも把握する考えである。
■ 独立歩兵第一五連隊本部陣中日誌(昭20・1・2、13)(未作成)
《沖縄の石兵団第3596部隊「後方施設ニ関スル内規」》
沖縄の石兵団第3596部隊の慰安所、「後方施設ニ関スル内規」もこれと同じである。ここには大和会館と敷島会館の2つの慰安所があった。その使用区分は隊ごとにわけられた。軍は委員長および3人の委員を任命して、管理に当たらせた。
- 委員長は「全般統轄」、
- 委員甲は「軍紀風紀」担当、
- 委員乙は「経理一般」担当、
- 委員丙は「衛生一般」担当
であった。定休日は月2回とされた。「花代」も定められた。支払いは「切符制」でおこなわれた。切符は本部で発行されるもので、慰安券下士官(または兵)石第3596部隊と書かれていた。規定に従業員一名ニ対シー日下士官二枚、兵三枚以内トスとあった<i>(3巻、418-422頁)</i>。1日5人以内としようという考えである。
(直営例)
■ 海軍慰安所利用内規〔第12特別根拠地隊司令部](昭20・3・18)(未作成)
■ 第二軍状況概要[第2軍司令部(中支武漢地区)](昭13・12・10)(未作成)
もっとも徹底した軍管理は第12特別根拠地隊(*1)司令部の海軍慰安所利用内規にみられる。これによると、海軍慰安所ノ管理経営ハ海軍司令部ニ於テー括之ヲ行フとある。実際上の直営である。まず家屋は業者ニ無償貸与スルモノトシ家具調度品等ハ必要最少限一時貸与スとある。業者は貸与されたものの保全の責任をおうことになる。海軍慰安所は利用者別に鶴ノ家、亀ノ家(以上准士官以上)、松ノ家(下士官兵用)、竹ノ家(施設部隊員用)、梅ノ家(施設部以外の軍属、出入り商社員)と分けられる。料金は各範疇ごとに定められている。料金の支払いは「慰安所使用券」によっておこなわれなければならないので、あらかじめ軍より購入し、持参しなければならない。各隊では半月ごとに範疇ごとに表を作成し、料金をとりまとめて、主計長に提出する。業者に対しては主計長より毎月1回月間の稼ぎ高より「生活諸費其ノ他ヲ控除ノ上支給ス」とある。慰安所内では現金の支払いは禁止されている。定休日は月一回である<i>(3巻、479-482頁、資料集に乱丁あり)</i>。
この方式によって軍は将兵の慰安所への訪問の回数、慰安婦総員の「仕事」の回数を把握し、これを統制することができるのである。これらはもっとも整備された形をとっているもので、極端な例外というものではない。森川隊、石兵団の規定にもある。切符制度は広く行われていた<i>(2巻、302頁)</i>。
(休日)
慰安婦の生活という面からみると、マスバテ、イロイロ、遠山隊、中山隊の規定には休日の規定が一切ない。常州、スチュアード、マニラ認可料理店、上海南地区の規定には月1日とあり、森川隊、石兵団の規定には2日という規定がある。慰安所はほとんどが休みなしで行われているか、月に1日休むということのようである。外出については、常州、マスバテ、遠山隊、中山隊、石兵団、スチュアードの規定には一切規定がない。森川隊とマニラ認可料理店の規定には連隊長ノ許可ヲ受クベシとか、許可なくしては定められた区域を離れることはできないとか、書かれている、イロイロの規定は慰安婦外出ヲ厳重取締
慰安婦散歩ハ毎日午前八時ヨリ午前十時マデトシ…散歩区域ハ別表…ニ依ルと定めている。外出はほとんど認められていないと考えられる。
(慰安婦の報酬)
■ 石兵団会報第七四号(昭19・10・19)(未作成)
■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成)
■ 南部セレペス賣淫施設(慰安所)調書〔セレペス民政部第2復員班長](昭21・6・20)(未作成)
慰安婦の報酬について、一切定めていないのは常州、マスバテ、イロイロ、遠山隊、中山隊、石兵団、スチュアードの規定である。もっともくわしく定めているのが、馬来軍政部の規定で、債務残高が1500円以上なら雇い主6割以内、本人4割以上、1500円未満なら雇い主5割以内、本人5割以上、借金がなければ、雇い主4割以内、本人6割以上と定めている。マニラの規定では5割と定めている。石兵団では、「妓女」に7割、経営者に3割と定めている<i>(3巻、367頁)</i>。
この点ではミッチーナーの慰安所についての慰安婦の供述をまとめた報告では、生活条件がよく、賛沢な暮らしであり、兵士たちと一緒にスポーツ行事に参加したり、ピクニック、演芸会、夕食会に出席し、蓄音機をきき、都会では買い物にも出かけることが許されたと述べているが<i>(5巻、英文、204頁)</i>、肝心の休日については説明がなく、休みなしであった可能性がある。外出についても明確な説明がない。歩合については、5割から6割とあるが、経営者の供述では5割となっている(*2)。総じてこの慰安婦たちは経営者のために自分たちの生活が気楽なものであったと強調しているように見える。
南セレベスについての軍法会議検事からの質問に対する回答では、まず「淫売婦ノ生活方法」という項目については、すべてのケースについて、軍司令部、部隊、民政部ニ於テ設備セル良好ナル宿舎ニ居住シ所定時間ノミ接客シ其ノ他ノ行動ハ自由トスと繰り返している。さらに「報酬」については、陸軍中佐が責任者になっている慰安所については、収入ノ90%ハ淫売婦ノ取得トスとされ、のこりはみな収入ノ50%ハ淫売婦ノ取得トスとくり返している(4巻、357-360頁)。これは軍法会議の追及を逃れるために、弁解しているものと考えられる。
5割の報酬が普遍的であったかどうか、検討を要する。かりにそうなっていたとしても、どれほどの人が実際に報酬を手にしていたかは、これまた別個に検討を要する点である。
(最終局面では)
さて南方の慰安所は、その最終局面では、ビルマから沖縄まで日本軍の玉砕、敗退が起こり、慰安所と慰安婦はその戦闘にまきこまれることになった。そうなった段階では、慰安所のあり方は一変した。もはや軍による慰安所の管理規定は問題にならず、慰安所も軍の一部にくりこまれることになるのである。慰安婦は全的に軍に隷属することになる。
- :アンダマン・ニコバル駐留のために編制された
- :原注(31)吉見編『従軍慰安婦資料集』460頁。