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V-06 スパイ話をつくったもの

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【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」
V. 伊波証言の要約と考察


V-06 スパイ話をつくったもの


 戦闘開始の7~9ヶ月ほど前に沖縄にやってきた32軍は、最初から県民のなかにスパイがいるという前提で、部隊の将兵および沖縄県民にスパイ監視を奨励してきました。「怪しい」という疑念と風評が増幅して、スパイを "つくっていった" と考えられます。
スパイ・デマ、発信元は軍当局だった

(1)  私たちが洞窟へ降りるところへ、先ほどの部隊長が現れた。県庁側も軍に協力してくれというのである。なにごとかと聞くと、彼は罫紙に、赤鉛筆で書いた書面を見せた。それには次のような意味のことが書かれていた。

......この付近にスパイが潜入している。沖縄出身の妙齢の婦人で、人数は4、50名と推定される。彼らは赤いハンカチと小型の手鏡をもっていて、陰毛をそり落としているのが特徴である。

 部隊長はまじめな顔でその書面を私たちに見せると、スパイ逮捕にぜひ協力してくれというのである。

 気が狂っているのではないかと思って、相手にならずにいると、態度は真剣である。しかも哀願の表情さえ浮かべているではないか。馬鹿馬鹿しいので、取り合わずに立ち去ろうとすると、彼の表情が俄然けわしい表情に変わった。気味悪くなった私たちは、無言のまま互いに顔を見合わせると、そうそう退却した。

 洞窟を飛び出したものの、彼のけわしい表情と、赤鉛筆の書面......、赤いハンカチと小型の手鏡、それに陰毛をそり落としている......云々が頭にこびりついて離れない。

 こんな愚にもつかない書面を、部隊長は重要部隊情報だと、くり返し説明していたが、どう考えても正気の沙汰ではない。


(2)  6人は、朝早くこの壕に避難しました。しばらくすると、他の壕から伝令がきて『いまサイパンあたりの沖縄人捕虜が米軍のスパイとして潜水艦で上陸させられ、地方人(軍隊で軍人以外の民間人を指す用語)にまぎれて各部落に入り込んできている。これらの捕虜は飛行機と連絡をとるために反射鏡を持って、赤いハンカチを使っている。地方人はよく調べるように』という内容の報告を部隊長にしているのです。隊長は、われわれをそのスパイと疑っているようでした。
  • 沖縄県中頭(なかがみ)郡地方事務所長だった伊芸徳一氏の具志頭城(ぐしちゃんぐすく)洞窟で6月2~3日ごろの体験…石原昌家『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕』p149

「サイパンなどから」「密かに上陸」「敵に合図」「電話線を切る」「壕を覗きまわる」「沖縄方言を叫ぶ」…などなど、軍からの防諜命令によって流布した「スパイ話」の類型パターン。これらが、兵士や軍に協力した民間人をして、摘発に夢中とならせたのです。

上の(2)伊芸徳一氏が語る伝令兵の言葉『いまサイパンあたりの沖縄人捕虜が米軍のスパイとして潜水艦で上陸させられ』などは、「スパイ話」の類型そのもので、しかも伊波苗子氏がチャンネル桜で語ったことと、一方は4月他方は6月でありながら、極めてよく似ていることに驚ろかせられます。「スパイ話」の典型といって良いかもしれません。

砲弾の嵐、すなわち鉄の暴風の中で精神に異常をきたす人も多かったでしょう。にもかかわらず「狂人は処断せよ」(32軍司令部坂口副官の言葉)が当然のこととされていたのです。(VI-A海鳴り資料4)

兵隊が陣地としている壕(ガマ)が米軍に砲撃されると、外で逃げ惑う住民が疑われました。本部半島では、天皇陛下の「御真影」を守るために「壕に入れさせてください」と頼んだ国民学校の校長先生が、敵に壕の位置を知らせたという疑いをかけられ、斬殺されされてしまいました。


直木賞作家となった佐木隆三氏は、かつて沖縄に住みつき、久米島の鹿山兵曹長事件、「日兵虐殺」の墓標、「御真影」護持の本部国民学校校長斬首事件など、住民スパイ視による虐殺事件の当事者や関係者から克明な証言を集め、1976年に詳細なルポルタージュとし著しています。→VI-Bその他の資料30

大城将保さんが、日本軍によってスパイ視され、沖縄住民が殺害された事件をリストアップしてますが、表面に現われてないものがいっぱいあり、これは氷山の一角にすぎないとおもわれます。http://www.koubunken.co.jp/news/n11972.html



み国のために命を捧げる「殉国の死」
その美しさを讃える言葉の裏に
根拠なくスパイ視して処断する残忍さ
それが
沖縄戦だったのでしょう










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