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キモン

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キモン
キモン
キモンの名が記された陶片
分類 政治家
生没年 紀元前510年ごろ~紀元前450年もしくは紀元前449年
出身地 アテナイ
官位・爵位など 将軍
異名など 特になし
業績など ペリクレスの政敵で、アテナイの保守派の領袖だった
著作 特になし

古代ギリシャの政治家?。キモンの生涯はプルタルコス?によって詳細が伝えられている。父は小ミルティアデス、母はヘゲシュピーレ。


生涯

母ヘゲシュピーレはトラキア王オロロスの娘である。トゥキュディデスの父の名もオロロスであり、彼もトラキアとの結びつきが推定されるので、おそらくトゥキュディデスとキモンは親戚関係にあったと思われる。

前期

彼は親スパルタ?派で寡頭政治?を支持しており、クレイステネスの改革の際はこれに協力した。ペルシア戦争?に従軍し、サラミスの海戦?で大きな功績をあげた。

絶頂期

紀元前475年にスキュロス島を攻略した際、テセウス?の墓を見つけたという。紀元前472年にテミストクレス?陶片追放?されると、最有力の政治家と見なされるようになった。紀元前465年ないし464年にスパルタで大地震が起こると、奴隷身分であるヘロット?が反乱を起こし、紀元前462年にスパルタはアテナイに援助を求めた。キモンはスパルタの援助のために出兵したが、スパルタ国内での民主主義?の高まりを恐れたスパルタ人はすぐに撤兵を求めた。アテナイでは、このスパルタの態度に反スパルタ派が台頭し、スパルタの仇敵アルゴス?およびテッサリア?と同盟した。このころペリクレス?の勢力が伸張し、紀元前461年には陶片追放を受けた。

晩年

10年間の追放のはずであったが、ペロポネソス戦争?の影響で紀元前457年もしくは456年にアテナイに復帰した。その後紀元前450年に将軍としてキプロス島?遠征を指揮するが、同年もしくは紀元前449年に没した。

参考文献



各国語表記


英語 Kimon,Cimon
ギリシャ語 Κίμων
フランス語 Cimon
ドイツ語 Kimon

使用条件など







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