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夏淑琴さん名誉毀損訴訟 東京地裁判決(2)
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夏淑琴さん名誉毀損訴訟 東京地裁判決(2)
第3 争点に対する当裁判所の判断
1 名誉毀損の不法行為について
(1) 出版物の記述による名誉毀損の不法行為は,
(2) そして,問題とされる表現が事実を摘示するものか,
(3) そこで、以上の観点により本件について検討する。
2 争点(1)(本件記述の名誉毀損性等)について
(1) 本件記述(甲1)
*ア 本件記述は,本件書籍の
*イ そして,事例219の記述を引用した上で,
「《12月13日, 約30人の兵士が南京の東南部の新路口五のシナ人の家にきて,中に入れるよう要求した。
玄関を,(1)マアという名のイスラム教徒の家主が開けた。すると, ただちに彼らはマアを拳銃で殺した上,もう誰も殺さないでと,マアの死体に脆いて頼む(2)シアさんMr.Hsiaをも殺した。なぜ夫を殺したのかと(3)マアの妻が尋ねると,彼らはマアの妻をも殺した。
(4)シアの妻は(5)1歳の赤ん坊と客間のテーブルの下に隠れていたが,そこから引きずり出された。そして、1人かもっと多くの男たちから裸にされ,強姦された後,銃剣で胸を刺されて殺された。その上,陰部に瓶を突っ込まれ,赤子も銃剣で殺された。
それから,何人かの兵士が隣の部屋へと行った。そこには,シアの妻の(6)76歳と(7)74歳になる両親,それに(8)16歳と(9)14歳になるシアの娘がいた。この娘たちを彼らが強姦しようとしたその時,祖母が娘を守ろうとして拳銃で殺された。祖父が妻の体をつかむと,祖父も殺された。
それから,2人の少女が裸にされた。上の少女は2,3人に強姦され,下の少女は3人に強姦された。その後,上の少女は刺されて陰部に芋を詰め込まれた。下の少女も銃剣で突き殺されたが,母や姉の受けたぞっとするような扱いは免れた。
それから,兵士たちはもう1人の(10)7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。同じくその部屋にいたからである。
この家の最後の殺人は(11)4歳と(12)2歳になるマアの2人の子供。children(筆者註・性別不明)の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され,下の子は刀で真二つに斬られた。
(13)その8歳の少女 the 8-year old girl は傷を負った後,母の死体のある隣の都屋に這って行った。無傷で逃げおおせた(14)4歳の妹 her 4-year old sister と一緒に,この子はここに14日間居残った。この2人の子供はふかした米を食べて生きた。
写真撮影者の私が,この話の一部を得ることができたのは,上の8歳の少女からで,詳細は一人の隣人 a neighbor と一人の親戚 a relative から語ってもらって,確認と訂正ができた。兵士たち the soldiers は毎日この家に物を取るためやって来たが,2人は古い敷布の下に隠れていたので発見されなかったと,この8歳の少女は語った。
このような恐ろしいことが起こり始めた時,近所の往民はみな避難民地帯に逃げた。それから14日して,このフィルムに出て来る(15)老女性 the old women が近所に戻って,2人の子供を発見した。その後,死体が全て取り除かれたあとの部屋 an open space where the bodies had been taken afterwards に,写真撮影者の私を案内したのは,この老女性であつた。彼女や,シアさんの(16)弟(または兄)Mrs. Hsia's brother と,この小さな女の子にたいする質問を通じて,恐るべき悲劇についての疑問の余地なき理解が得られたのである。》」(241~242頁)
*ウ その上で,被告東中野は,
「第9に,家族の総数が違う。『南京安全地帯の記録』の事例219(マギーの説明)では総数は2家族で13人であった。しかし,『日支紛争』のなかのマギーの記録では,14人であった。
そのうえ,家族関係がよく分からない。唯一の生存者と主張する2人の子供,具体的には『8歳の少女』とその妹(4歳)は,いったい誰の子供なのであろうか。
マギーはいきなり(13)の『8歳の少女』は『母の死体のある隣の部屋に這って行った』と説明したのである。その『母』とは,(4)のシアの妻を指すのか。それとも(3)のマアの妻のことなのか。
仮に,『8歳の少女』がシア夫婦の子であったとすると,『8歳の少女』はシア夫婦の(10)の『7,8歳になる妹』と姉妹であったことになる。もし両者が双子ならぱ,『7,8歳になる妹』は8歳であったが,それが7歳か8歳か分からなかった。『8歳の少女』と『老女性』と『シアさんの弟(または兄)』の3人に『確認』しても,分からなかったということは,両者は双子ではなかった。双子でなければ,7歳になるが,それが7歳かどうかも分からなかった。ということは,『7,8歳になる妹』は,妹ではなかったと考えるのが自然である。従って,『8歳の少女』はシア夫婦の子ではなかったことになる。
では,『8歳の少女』はマア夫婦の子供であつたのか。『8歳の少女』には,4歳の妹がいた。マア夫婦にも,4歳の子供(性別不明)がいた。ということは,『8歳の少女』の『4歳の妹』(14)と,マア夫婦の『4歳』(11)の子供は,双子であったことになる。双子は一目瞭然だから,特に双子と明記されていたことだろう。また男の子か,女の子か,性別は明らかであったはずである。ところが,この2点さえも不明であった。従って,『8歳の少女』はマア夫婦の子供ではなかったと考えるのがやはり自然であろう。(*1)
このように『8歳の少女』は,シアの子供でもマアの子供でもなかった。その姓は,シアもなかった。もちろん,マアでもなかった。」(246~247頁)
*エ 続いて,
「笠原十九司『南京難民区の百日』に,『8歳の少女(夏淑琴)』がマギーに語ったもう一つの話が出てくる。」
「《日本兵たちが市内の南東部にある夏家にやってきた。日本兵は,8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいた者全員,13名を殺害した。》」
「『漢語大詞典』によれば,夏淑琴の姓の『夏』は Xia(シア)と発音する。しかし,これまでの検証からも分かるように『8歳の少女』の姓をシアとするには無理がある。『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。
従って,この『8歳の少女(夏淑琴)』が語った話は,『南京安全地帯の記録』の事例219の『8歳の少女』の話や,『日支紛争』に出てくる『8歳の少女』の話とも,微妙に違っている。その違いは一目瞭然であろう。
(中略)
人は大事件に遭遇した時,その細部を,昨日のことのように鮮明こ覚えている。それでも忘れることはあり得るが,忘れた時は,語ることができないものである。もし語るのであれぱ,『8歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり,事実をありのままに語っているのであれば,証言に,食い違いの起こるはずもなかった」(247頁~248頁)
*オ 次に,
「しかし,さらに驚いたことには,夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである。」(250頁)
(2) 本件記述の名誉毀損性
*ア 本件記述がなされている前後の文脈は
*イ 前提となる事実のとおり,
*ウ なお,本件書籍の英語版では
*エ 被告らは,ある記述が名誉毀損となるのは
3 争点(2)(本件記述は違法性を欠くか)について
(1) 公益目的の有無
*ア 前提となる事実,甲1及び乙37によれば,
「教科書の記述のように,果たして民衆20万人虐殺を示す確たる根拠があるのであろうか。それならぱ,その史料が提示されるべきである。その史料の提示ができなければ,教科書執筆者は歴史を偽造していることになる。子々孫々に伝承すべき自国の歴史の叙述に,少しでもあやふやな記述があれば,文部省は検定を通過させるべきではないのである。自国民が自国の歴史に自信をもって接する,そのような歴史教科書になって欲しいと,切に思われてならない。」
*イ 原告は,被告東中野が
(2) 真実性
*ア 前示のとおり,
*イ フィルム解説文から「原告は『8歳の少女ではない」との事実が認められるか
- (ア) 前記2(1)で示した本件書籍の記述によると,被告東中野は,フィルム解説文を
「…それから,兵士たちはもう1人の(10)7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。(中略)(13)その8歳の少女 the 8-year old gir1 は傷を負った後,母の死体のある隣の部屋に這って行った。・・」
と翻訳し,ここに登場する「シア夫婦の『7,8歳になる妹』」と「その8歳の少女」とは別人であることを前提にした上で, i) 「8歳の少女」がシア夫婦の子であったと仮定すると「7,8歳になる妹」は「8歳の少女」の双子の姉妹か7歳の妹のいずれかとなる, ii) いずれであるかは「8歳の少女」や「シアさんの弟(または兄)」に確認したときに当然判明するはずなのに「7,8歳」として7歳か8歳か分からなかった, iii) ということは上記仮説が誤っていると考えるのが自然である, iv) したがって「8歳の少女」はシア夫婦の子ではなくその姓もシアではない, との論理を展開している。
- (イ) 被告東中野の年齢を重視した上記の論理展開の妥当性・合理性はひとまず措くとして,その論理の前提となる「シア夫婦の7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が別人であるとの理解は,「7,8歳になる妹」は「突き殺」され死亡したとの理解に基づくものと推認される。
しかし。上記翻訳部分に該当するフィルム解説文の原文(英語)は,
「The soldiers then bayonetted another sister of between 7-8, who was also in the room. (中略) After being wounded the 8-year old girl crawlded(*2) to the next room where lay the body of her mother. 」
であるところ(甲3の1), 「資料 ドイツ外交官の見た南京事件」(平成13年3月19日発行。甲3の2)では, 石田勇治によるこの部分の翻訳は,
「さらに兵士たちは, 部屋にいたもう一人の7,8歳になる妹を銃剣で刺した。(中略)傷を負った8歳の少女は,母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。」
とされており,「7,8歳になる妹」は銃剣で刺されたとされているが,殺されたとまではされていない。そして,わが国で一般に市販されている英和辞典によると,原文にある bayonet の単語は「(銃剣で)突き殺す」という意味のみならず「銃剣で刺す」という意味にも用いられているから,石田のような翻訳も十分に可能である。
- (ウ) そうすると,フィルム解説文から「7,8歳になる妹」が殺害され死亡したと一義的に理解することはできず,マギーが「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」を別人として記録したともいえないから,フィルム解説文の記載内容から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実は立証されない。
*ウ マギーの日記から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が認められるか
- (ア) 甲53,乙13,35によれば、マギーフィルムが発見された1991年(平成3年)7月の直後,マギーが昭和12年12月12日から昭和13年2月初旬までに書き綴った日記が発見され,ノンフィクション作家の滝谷二郎は,これを資料とした著作「目撃者の南京事件 発見されたマギー牧師の日記」(平成4年12月1日発行)を出版したこと,この著作においてマギーの昭和13年1月30日の日記として次の記述があり,ここでは「8歳の少女」は家主マーの娘とされていることが認められる。
「12月13日。南京市内の南東にある新街口五番地にある家に,日本兵30人が押しかけました。(中略)家主マーの8歳になる娘は重症を負いましたが,母親の死体に隠れて助かりました。」
- (イ) しかしながら,甲31の1,2によれば,現在マギーの日記として公刊されている英語の文献には,助かった8歳の娘について「 The eight year old girl 」とあるのみで,同女が家主マーの娘であることを示す記述は存しないことが認められる。またこの英語の文献がマギーの日記を正確に紹介したものであるとすると,滝谷二郎が上記「目撃者の南京事件」で紹介した日記の内容と相当程度異なっているが(乙13の85~86頁と甲31の2の327~328頁),本件において「目撃者の南京事件」で引用されているマギーの日記に該当する原文の資料は証拠として提出されていない。
- (ウ) したがって,マギーがその日記で「8歳の少女」を家主マーの娘と記述した事実は証拠上認められず,したがって,マギーの日記から「原告は『8歳の少女』ではない」との事実を認めることはできない。
*工 原告の年齢から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が認められるか
- (ア) 被告らは,原告が自称するように1929年5月5日生まれであるなら新路口事件当時は中国式年齢(数え年)で9歳であったから,フィルム解説文の「7,8歳になる妹」でも「8歳の少女」でもないとして,原告が「8歳の少女」ではないと主張する。
- (イ) しかし,甲46の1,2によると,マギーは,新路口事件の現場をフィルムで撮影したときから約2か月後の1938年(昭和13年)4月2日,ニューヨークのマッキム牧師に宛てた書簡の中で、新路口事件に言及して,
「それに一度,わたしがある家に行きましたら,そこでは11人殺されていて,男の人3人のほかは,みんな婦女と子供で,そのうちの一人は76歳のおじいさんでした。子供では一人が1歳にも満たない赤ちゃんだったのを覚えています。5歳(中国の数え年)【原文は「a children of five (Chinese count)」】の幼い子一人だけが助かり,9歳の女の子が銃剣で背中と脇とを刺されたのですが,なんとか快復しました。【原文は「a girl of nine was bayoneted(*3) in the back and side but recovered 」】(以下略)」
等と記載してフィルム解説文と同様の被害状況を伝え,また同じ書簡の別の箇所では,
「16歳(中国式数え方による数え年で実際には14~15歳)」【原文は「a boy of 16 (Chinese reckoning or 14-15 years old )」】
という表現もしていることが認められる。
- (ウ) 上記事実によると,マギーは,フィルム解説文を書いたと思われる時期からさほど離れていない時期に,新路口事件で生き残った年長の少女の年齢について,中国式数え方で「9歳」と認識していたことが推認される。そして,マギーは,当時の中国では年齢をいわゆる数え年で表記していたこと及び満年齢ではその数え年の年齢より1,2歳低くなることを理解していたと認められるから,中国式数え方で9歳(a girl of nine)と説明した少女の満年齢を「7-8」歳と推定し,フィルム解説文では,これを「8歳の少女」(the 8-year old gir1 )と表現したことも十分に考えられるところであり,上記書簡の記述とフィルム解説文の記述からすると,むしろそのように理解するのが合理的というべきである。
- (エ) したがって,原告の年齢から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実を認めることはできない。
*オ 以上のとおり,
(3) 以上のとおり,
4 争点(3)(真実と信ずる相当の理由の有無)について
(1) 被告らは,
(2) 原資料の解釈として妥当な結論か
*ア 本件記述の論理展開については
*イ しかるところ,原文の「bayonetted」を
「それから,兵士たちはもう1人の(10)7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。同じくその部屋にいたからである。
この家の最後の殺人は(11)4歳と(12)2歳になるマアの2人の子供children(筆者註・性別不明)の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され,下の子は刀で真二つに斬られた。
(13)その8歳の少女 the 8-year old gir1 は傷を負った後,母の死体のある隣の部屋に這って行った。無傷で逃げおおせた(14)4歳の妹 her 4-year old sisterと一緒に,この子はここに14日間居残った。この2人の子供はふかした米を食べて生きた。」
て不自然である。
*ウ さらに,前記2(1)ウで述べたとおり,
*エ 以上述べた2点だけからしても,
(3) 当時「8歳の少女」が原告ではないとの理解が一般的であったか
*ア 甲16,乙8,9によると,本件書籍が発行された当時存在した
*イ しかしながら,上記事実のみからは,
(4) 以上のとおり、相当性に関する被告らの主張は採用できない。
5 争点(4)(損害及び謝罪広告)について
(1) 損害額
*ア 原告がいわゆる南京事件の生存被害者として
*イ しかし他方,本件書籍それ自体は,
*ウ 以上の諸般の事情を総合考慮すると,
(2) 謝罪広告
6 結論
裁判長裁判官 三代川三干代
裁判官 藤本博史
裁判官 兼田由貴