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夏淑琴さん名誉毀損訴訟 東京地裁判決(1)

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夏淑琴さん名誉毀損訴訟 東京地裁判決(1)






事実及び理由


第1 請求


  1. 反訴被告らは,反訴原告に対し,連帯して1200万円及びこれに対する平成18年5月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  2. 反訴被告東中野修道は,反訴原告に対し,300万円及びこれに対する平成19年1月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  3. 反訴被告らは,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞の各新聞全国版に別紙記載の謝罪広告を,別紙記載の条件で各1回掲載せよ。


第2 事案の概要


本件は,「『南京虐殺』の徹底検証」と題する書籍(以下「本件書籍」という。)の記述により名誉を毀損され,名誉感情を侵害されたと主張する反訴原告(以下「原告」という。)が,執筆者の反訴被告東中野修道(以下「被告東中野」という。)と発行者の反訴被告株式会社展転社(以下「被告会社」という。)に対し,共同不法行為に基づき慰謝料1200万円の連帯支払と謝罪広告の掲載を求め,これとは別に,被告東中野に対し,本件書籍の翻訳書が発行されたことによる慰謝料300万円の支払を求めた事案である(遅延損害金の起算日は反訴状及び請求拡張の申立書がそれぞれ被告らに送達された日の翌日)。

1 前提となる事実(証拠を掲げない事実は,争いがないか弁論の全趣旨により認められる。)

(1) 原告について
  • ア 原告は,中華人民共和国(以下「中国」という。)江蘇省南京市に在住する女性である。
  • イ 原告は,洞富雄・藤原彰・本多勝一編「南京大虐殺の現場へ」(昭和63年12月発行)において,いわゆる南京事件(昭和12年に南京市を占領した日本軍兵士によって,多数の一般市民が「虐殺」されたとされる事件)の生存被害者として,初めてわが国で紹介され,その後本多勝一著「南京への道」(平成元年12月発行),笠原十九司著「南京難民区の百日」(平成7年6月発行),同著「南京事件」(平成9年11月発行)等の書籍において,同様にその体験が紹介され,平成3年10月6日にテレビ放映された大阪毎日放送制作の番組「MBSスペシャル『フィルムは見ていた―検証・南京大虐殺―』」においても,自らその体験を語る映像が紹介されている者である。また,原告は,平成6年8月に初めて来日し,東京,大阪など各地において,南京事件の生存被害者(後述する新路口事件の「8歳の少女」)として,自らの体験を語っている。

(2) 本件書籍について(甲1,2,6,7)
  • ア 平成1O年8月15日,被告会社から本件書籍が発行された。本件書籍の著者は被告東中野であり,同被告は亜細亜大学の教授(政治思想史・日本思想史等)である。本件書籍は,平成18年12月末日現在,第5刷まで総数約1万2900部が発行され,日本国内で頒布されている。
  • イ 平成13年,本件書籍の繁体字中国語版である「徹底検證『南京大屠殺』」が台湾の前衛出版社から発行され,台湾において頒布された。発行部数は2000部である。
  • ウ 平成17年,本件書籍の英語版である「THE NANKING MASSACRE: Fact Versus Fiction A Historian's Quest for the Truth 」が株式会社世界出版から発行され,日本国内において直接販売により頒布された。発行部数は,ハードカバー版3000部,ソフトカバー版1250部である。

(3) 本件記述について(甲1)
被告東中野は,本件書籍において,「南京安全地帯の記録(一)」の事例219(昭和12年12月13日ころ,南京市内の新路口において,夏(シア)家と哈(Ha,ハー)(なお,後述する資料では馬(Ma,マー又はマア)とされている。)家の人々が日本軍兵士によって殺害され,その場にいた「8歳の少女」は負傷しながらも生き残ったとされている事件。以下「新路口事件」又は「本件事件」という。)を取り上げ,この事例の「(生き残った)8歳の少女」について次のように記述した(末尾括弧内のカギ括弧部分は本文中の小見出し。以下,(1)ないし(3)の記述を一括して「本件記述」という。)。

(1) 「『漢語大詞典』によれば,夏淑琴の姓の『夏』は Xia(シア)と発音する。しかし,これまでの検証からも分かるように,『8歳の少女』の姓をシアとするには無理がある。『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。」(「8歳の少女(夏淑琴)がマギーに語ったもう一つの話」247頁~248頁)

(2) 「『8歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり,事実をありのままに語っているのであれば,証言に,食い違いの起こるはずもなかった。」(同248頁)

(3) 「さらに驚いたことには,夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである。」(「夏淑琴が『マギーの遺言』に登場」250頁)
なお,本件書籍の英語版(前記(2)ウ)では,(1)の記述のうち「『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。」との一文は削除されている。

(4) 本件事件に関係する当時の資料等
  • ア 昭和12年(1937年)12月12日,日本軍が南京市に侵攻し,翌13日,南京は陥落して日本軍に占領された。当時,南京市民の多くは日本軍の侵攻に備えて市内から脱出したが,市内に留まった一般市民の避難場所を確保するため,南京在留の欧米人が南京安全地帯国際委員会(以下「国際委員会」という。)を組織し,市内の一画を安全地帯(避難地帯)として指定した。この委員会の委員長はドイツ人のジョン・ラーべであり,委員には,ジョン・マギー師(宣教師で国際赤十字南京委員会委員長。以下「マギー」という。)らがいた。(甲1・52~53頁,甲54の1・2)
  • イ マギーは,南京が陥落した後,昭和13年1月ころにかけて陥落後の南京市内の状況を16ミリフィルム(動画)で撮影し,新路口事件についても,同月下旬ころその現場(遺体は他の場所に移されていた。)に臨んで撮影をするとともに,「8歳の少女」,近所の者,被害者の親戚の者から事情を聴取した。この結果,新路口事件に関する当時の資料として次のものが残された。
    • (ア) マギーフィルム(甲8)とフィルム解説文(甲3の1,乙2)
      マギーが撮影した動画フィルム(字幕説明がある。以下「マギーフィルム」という。)とマギーが書いた同フィルムの解説文(原文は英語。以下「フィルム解説文」という。)である。
    • (イ) マギーの日記(甲31の1,2,乙13)
      昭和13年1月30日の記述の中で新路口事件に言及している。
    • (ウ) マギーの手紙(甲46の1,2)
      マギーのマッキム牧師に宛てた昭和13年4月2日付けの手紙で,その中に新路口事件に言及した部分がある。
    • (エ) フォースターの手紙(乙12,24)
      マギーから話を聞いた牧師アーネスト・フォースターが書いた昭和!3年1月26日付けの手紙(宛先不明。以下「フォースターの手紙」という。)で,その中に新路口事件についての記述がある。
    • (オ) ラーべの日記(甲5・213頁)
      国際委員会委員長であったジョン・ラーべの日記で,昭和13年1月29日の記述の中にマギーから聞いた話として新路口事件に関する記述がある。なお,この日記は「南京の真実」の題で出版されている。
    • (カ) 「南京安全地帯の記録」(乙1,5)
      国際委員会の抗議文書を編集した書籍(1939年発行)で,事例219として新路口事件が紹介されている(以下,この記述部分を「事例219」という。)。
  • ウ このうち,本件書籍において直接検討が加えられているのは,(ア)のうちのフィルム解説文及び(カ)の事例219である。

(5) 本件訴訟に至る経緯
原告は,平成12年11月27日,中国南京市の人民法院に,本件と同様の主張に基づき,本件の被告らに対し,日中両国の主要な新聞において公に原告に謝罪し80万元の賠償金を支払うこと等を求める訴訟を提起し,この訴状は平成16年4月に被告らに送達された。

被告らは,原告の上記請求にかかる訴訟については日本の裁判所で行うべきであるとして,平成17年1月29日,本件の原告を被告として,被告らが本件書籍によって原告の名誉を毀損し人格を傷つけたとの理由に基づく不法行為による損害賠償債務の不存在確認を求める訴えを当裁判所に提起した(同年(ワ)第1609号債務不存在確認請求事件)。

本件訴訟は,上記債務不存在確認請求事件に対する反訴として平成18年5月15日に提起されたものであり,本訴たる上記事件は,同年6月30日の第2回口頭弁論期日(実質的な第1回口頭弁論期日)において原告の同意の下に取り下げられた。

なお,中国南京市の人民法院は,被告ら欠席のまま,平成18年8月23日,被告らに対し原告への損害賠償等を命じる判決を言い渡した。


2 争点

  • (1) 本件記述は原告の名誉を毀損し,原告の人格権を侵害するものか
  • (2) 本件記述は,公益を目的とし真実を述べるもの等として違法性を欠くか(本件記述が日中戦争の歴史的経緯という公共の利害に関することは争いがない。)
  • (3) 被告らにおいて本件記述の内容を真実と信ずるについて相当の理由があるか
  • (4) 原告の損害額及び謝罪広告の可否


3 争点に関する当事者の主張

(1) 争点(1)(名誉毀損・人格権侵害の有無)について

*ア 原告の主張
**(ア) 名誉毀損・人格権侵害について
一般に名誉とは人に対する社会的評価であり、人がその品性・徳行・名声,信用等の人格的価値について社会から受ける社会的名誉を指し、名誉毀損とはその名誉を低下させる行為である。そして,問題とされる表現が人の上記人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば,これが事実の摘示であるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず成立し得る。

また,名誉毀損とは別に,人が自己の価値について有する意識や感情(名誉感情)に対する侵害も人格権侵害として不法行為となり得、その表現行為の態様,程度等からして,社会通念上許される限度を超える名誉感情に対する侵害は、人格権の侵害として慰謝料請求の事由となる。

**(イ) 本件行為の名誉毀損性・人格権侵害性
  • a 原告は,マギーフィルムとフィルム解説文の「8歳の少女」,すなわち,南京事件の際,原告の家族を含む11人が殺害され自らも銃剣で刺される被害を受けた者として著名であり,日本国内はもとより他国でも広く知られている。。

  • b 原告は,本件事件による被害の後,孤児としての一生を余儀なくされてきた。そして,過去の被害がトラウマとなり本件事件の被害を思い出すのも苦痛であったが,平和のために必要と考え自己の被害体験について語ってきた。原告にとって南京事件の被害者の象徴としての立場は,まさに人格的価値の中核にある。。

  • C 本件記述を一般読者を基準として判断すれば,読者は原告はマギーフィルムとフィルム解説文で紹介されている人物とは別の人物であり,にもかかわらず真実を語らず,さらに来日してまで虚偽の話をしている人物であると読み取ることは疑いの余地がない。

    したがって,本件記述は,原告がニセモノであるとの事実を摘示し,原告の名誉信用等を毀損するものであり,かつ,南京大虐殺の生き証人であることが人格的価値の中核をなす原告に対し,ニセモノという最大限の誹謗中傷,侮蔑行為を行うもので,原告の名誉感情を著しく侵害し,原告の人格権を侵害するものである。

    なお,事実の摘示であるかどうかは証拠をもってその事実の存否を決することができる事柄であるか否かによって決せられるところ,原告がフィルム解説文の「8歳の少女」か否かは証拠によりその存否を決することができる事柄である。また,伝聞内容の紹介,推論の形式,黙示的主張であっても,事実を摘示していると判断し得る。

*イ 被告らの主張
**(ア) ある記述が名誉毀損となるのは,
摘示した事実そのものが他者の名誉を毀損する内容を有する場合であり,本件の場合でいえば,「原告(夏淑琴)は被害者を装って故意に虚偽の事実を語っている」との事実を摘示したような場合である。

**(イ) 本件記述は,原資料の記録(フィルム解説文)に依拠しつつ,
そこに内在する問題点を詳細に検討した結果,「『8歳の少女』と夏淑琴(原告)は別人と判断される」との意見ないし論評を述べ,また,フィルム解説文を基準とする限り原告の供述は不正確であることを指摘し「原告は事実をありのまま語るべきである」との意見を述べたものにすぎないのであって,(1)「『8歳の少女』は夏淑琴と別人である」という事実を述べたものではない。そして、「8歳の少女」の属性である名前に関する判断は,名誉を毀損するような評価ではなく,被告東中野の主観的な論理思考を示したにとどまるから,これにより原告の社会的評価が低下したとも思われない。仮に,本件記述が(1)の事実を摘示したと解されるとしても,その表現自体に価値判断はないから名誉毀損にあたらない。

また,(2)「夏淑琴はフィルム解説文の『8歳の少女』とは別人であるから新路口事件の現場にいなかった」とか,(2)「夏淑琴は新路口事件の現場にいなかったにもかかわらずいたと言って真実に反することを言っている」とかいう事実を摘示するものでもないし,仮に(3)のような事実を摘示した場合であっても,名誉毀損とはならない。事実についての主張の相違は,日常の社会生活上しばしぱ起こることであり,単なる見解の相違,記憶違いあるいは無意識下での記憶の変容によることもあるので,異なる事実の主張だけでは,直ちに他者の名誉毀損とは評価されないからである。

さらに,本件記述は,「8歳の少女と夏淑琴は別人と判断される。」という著者の解釈を述べているにすぎず,それ以上に原告そのものを誹謗するものではないから,原告の人格権を侵害するものではない。


(2) 争点(2)(本件記述は違法性を欠くか)について

*ア 被告らの主張
  • (ア) 本件記述は,日中戦争の真実を学間的に究明するという専ら公益を図る目的を持つものであり,表現の形式において妥当であり、内容において相当の根拠を有するものであるから,不法行為の要件としての違法性を欠く。すなわち,
    • a 被告東中野は,事件当時の最も詳細な原資料であるフィルム解説文を前提として,これを分析の上その解釈を論じ,夏夫婦の子である「7,8歳になる妹」は刺殺(bayonet)されたと解釈されるので,生き残った同年齢の「8歳の少女」は夏夫婦の子ではないはずと推理し,「マギーが昭和13年2月当時フィルム解説文を書くにあたり認識していた『8歳の少女』は原告ではない」と記述したのである。

      なお,「bayonet」が「銃剣で突く」と「銃剣で突き殺す」のいずれの意味を有するかは,文脈で定まるものであり,フィルム解説文の文脈ではすべて後者の意味に解するのが相当である。また,「8歳の少女」に「the」の冠詞が用いられているからといって「7,8歳になる妹」と同一人物だと断定するのは恣意的である。明らかに話題の中心人物である「8歳の少女」について筆者が文中で既出か否かを確認せずとっさに「the」を使うことは大いにあり得るし,「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が別人と解した方がかえって文章全体の文脈に沿う部分も多い。。

    • b 上記の結論は,マギー自身が「8歳の少女」との面談(昭和13年1月26日)の後最初に書いた日記(同月30日付け)において,「家主哈の8歳になる娘は・・助かりました。」と記載し,その8歳の娘の姓を「夏」ではなく「哈」としていること,原告は,1929年(昭和4年)5月5日生まれであり,新路口事件当時は数え年で9歳であったから,仮に原告がマギーと面談した少女であったとすると,自分の年を数え年で「7,8歳」と説明することはあり得ず(当時の中国では数え年で年齢を言うのが一般的であった。),したがって原告がプィルム解説文中の「7,8歳になる妹」あるいは「8歳の少女」である可能性は全くないことから,客観的にも真実と合致する。
  • (イ) 個人が自己の事実認識について見解を述べる自由は、わが国の法制度の基本であり(憲法21条),とりわけ学問研究者にはその研究成果を発表する自由について特別の保障が与えられている(憲法23条)。被告東中野は,亜細亜大学において政治思想史,日本思想史を講ずる研究者であり,本件書籍は,現在も論争が続いている歴史上の南京事件について,その真相解明のために書かれた研究書である。仮に,本件書籍中の本件記述によって原告の社会的評価が低下することがあり,違法性が認められるとしても,その程度は微弱であり,学問の自由の保障の下では,訴訟手続によって損害賠償責任を課することを相当とするような違法性はない。

*イ 原告の主張
  • (ア) 「公益を図る目的」とは,表現行為が公共の利益を図ることを主たる目的とすることを指し,その判断は,名誉毀損事実自体の内容,性質から客観的に判断するだけでなく,表現方法や事実調査の程度なども考慮して決せられるべきとされている。ところが,被告東中野は,フィルム解説文を誤訳し,誤訳から生じてくるフィルム解説文の前後の文脈の矛盾や,資料間の矛盾もあえて無視しているばかりか,原告に直接取材を行うことすらしていない。そして,被告東中野は,故意に原告をニセモノに仕立て上げて誹謗中傷するために,意図的にフィルム解説文を誤訳しているのである。このような被告東中野の執筆態度が公益を目的とするにふさわしい真摯なものであったとは到底いえない。
    • a 「bayonet」は,本来「銃剣で突く」という意味であり,必ずしも「殺した」と訳すべき単語ではない。そして,フィルム解説文では,その3,4行後に「After being wounded the 8-year old gir1」の文言があり,「the」の定冠詞の用法からしても,「8歳の少女」はその前に記されている「bayonet」された「7,8歳になる妹」(another sister of between 7-8)を指すことが明白であるから,「7,8歳になる妹」は銃剣で刺されたにしても命までは奪われなかったと当然に解すべきであって,現に同じ英文を翻訳した「資料ドイツ外交官の見た南京事件」(石田勇治編集・翻訳)はそのように訳している。しかも,被告東中野自身,本件書籍の他の部分(245頁)では「第七に,銃剣で『重傷』を負った8歳の少女が何とかショック死を免れた。・・それはなぜなのか。」と述べ,上記の「bayonet」を「銃剣で突いた」と解釈しているのである。「another sister of between 7-8」は,「the8-year o1d gir1」の属性を包含しており,「7,8歳になる妹」を,後に続く文章では「8歳の少女」と簡略して表現することは広く行われているところであり,少なくとも両者を別人と判断する合理的根拠とはなり得ない。さらに,「8歳の少女」は傷を負った後「母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った」のであるから,殺された2人の母親のうちどちらかが「8歳の少女」の母親だったのであり,「8歳の少女」がマアの家族でもシアの家族でもなかったわけがない。
    • b 1939年1月26日時点で数え年9歳の人間は,満で換算すると7-8歳となる。マギーは,原告の年齢を数え年で9歳と聞き取り,満で換算したと考えることもできる。「8歳の少女」が自己の年齢を正確に把握しているはずであるという前提自体が経験則に反するし,このような極限の混乱状態におけるマギーの記述が完全に正確無比であることの方が不自然である。

      また,マギーの日記(1938年1月30日)の原文には,生き延びた「8歳の少女」は家主ハーの娘であったとは記載されていない。
  • (イ) 「研究」の名を称していても他人の名誉を傷つけることが許されないことは当然であり、表現の自由と人格権の保障については,名誉毀損と真実性の証明あるいは相当性の問題としてその調整が図られていることは周知のとおりであり,研究成果の発表というだけで違法性が否定されるものではない。


(3) 争点(3)(真実と信ずるについて相当の理由の有無)について

*ア 被告らの主張
  • (ア) 被告東中野は,最も早い時期の最も詳細な原資料をその意見ないし論評の基礎としており,その資料解釈の論理的思考は極めて妥当であって,被告東中野の判断には相当の理由がある。

  • (イ) 本件書籍が出版された平成1O年当時,本件書籍以外の刊行物においても,フィルム解説文にいう「8歳の少女」は原告ではないと解釈されていた。すなわち,本多勝一は「7,8歳になる妹」は「8歳の少女」とは別人であって銃剣で刺殺されており,「8歳の少女」は家主マー(哈)の娘であると解釈していた(平成3年9月朝日新聞社刊「貧困なる精神G集」110頁)し,笠原十九司も,平成7年及び8年発行の南京難民区の百日」255頁において,本多勝一の説に賛同しつつ,同人の上記著書を引用し,「殺害されたのは,さらに夏淑琴の父と馬という姓の家主とその妻と彼らの7,8歳の女の子である」としており,両氏とも「8歳の少女」と「7,8歳になる妹」をはっきり区別し,「7,8歳になる妹」は殺害されたと明言している。すなわち,被告東中野が本件書籍で記述した内容と同一の見解が平成1O年当時一般的に存在した。

*イ 原告の主張
  • (ア) 被告東中野は,資料を正確に読まず,前後の文脈を無視し,原告に関する取材活動をせず,資料もなくありもしない仮想に基づいて不合理かつ無理な解釈を強引に展開しており,その資料解釈が妥当とは到底いえない。

  • (イ) 被告らが指摘する本多勝一の著書は,「bayonet」を「刺し殺す」と理解したための間違いを含んでおり,生き残った「8歳の少女」を「マー(ハー)」家の娘であるように説明している。しかし,同人は,「この『シア』一家は,拙著『南京への道』に出てくる夏淑琴さんの場合の可能性もあるかもしれない」と注記していた(後に両者は同一人物であるとの解釈を行っている。)。なお,被告らが指摘する笠原十九司の著作は,上記本多勝一の著書を引用した部分であって,笠原十九司の著述ではない。これら書籍から,「8歳の少女」が原告とは別人であるという見解が一般的に存在していたとは到底評価できない。

    かえって,本件書籍の出版された平成10年8月15日の段階では,フィルム解説文やマギーの日記に記録されている「8歳の少女」が原告であることを積極的に示す論考や書籍が多数刊行されていたのであるから,これら多くの文献と照合し,自己の解釈が合理的なものかを検証する作業を行うべきは当然であるのにこれをしていない。。

  • (ウ) 被告東中野は,西洋史を専攻し,西ワシントン大学客員教授や西独ハンブルク大学客員研究員を務め,ドイツ語書籍の翻訳の経験も有し,書籍の執筆にあたっては多数の英文資料に目を通して,英文の論文や国際学会での発表も行っている。にもかかわらず,被告東中野は,要するに「8歳の少女」がシアの娘ではないという,事実を歪曲した結論を作出するために,「bayonet」の単語に2つの意味があることを利用して意図的な歪曲を行ったのであり,摘示した事実が真実であると誤信した相当な理由があるとは到底認められない。


(4) 争点(4)(損害額及び謝罪広告)にっいて

*ア 原告の主張
  • (ア) 原告が被った被害は,単に金銭賠償だけではなく,被告ら作成の謝罪文の掲載によって回復されるべき性質のものである。 

  • (イ) 被告らは,本件書籍の発行によって被った原告の精神的損害に対する慰謝料として,少なくとも1OOO万円を支払うべきであり,また,弁護士費用として200万円を支払うべきである。

  • (ウ) さらに,被告東中野による本件書籍の台湾版及び英語版の出版によって,原告の名誉及び名誉感情はさらに広範な読者との関係で毀損,侵害されたから,被告東中野は,これによる慰謝料として別途300万円を支払うべきである。

*イ 被告らの主張
  • いずれも争う。




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