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史学史(三)
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「史学史(三)」では、現代歴史学を対象とする。それ以前は「史学史(一)」「史学史(二)」を参照。 |
歴史的展開
近代歴史学との関連性から、ここでは主に西ヨーロッパの歴史記述と記述方法論を中心に概観する。
「史学史(二)」から続く |
現代歴史学(歴史研究の多様化)
近代歴史学によって歴史研究は客観的な科学としての性格を強めたが、文化史?や唯物論?歴史学が示したような、歴史事実の認識における多様性を模索する動きが盛んとなった。また20世紀初頭に起こった世界大戦とその後の「ヨーロッパの没落」を感じさせる世界情勢は人間の歴史の意味や形式に対する関心を高めた。このような時代の要求に応えるべく、歴史学も自己批判を迫られ、科学主義や政治史への偏重が反省され、歴史研究は極めて広汎な関心に支えられた、多様化の時代を迎えた。(詳細は現代の歴史学?を参照)
構想力の重視(クローチェ、トレルチ、ピレンヌ)
ヘーゲル 近代歴史学を批判し、自由の実現過程としての歴史哲学を説いた。その影響は多岐にわたる |
イタリアの歴史家クローチェ?は、ヘーゲル?の哲学・マルクス主義?の影響を受けて体系的な歴史理論を模索し、偏狭な客観性に閉じこもる近代歴史学の姿勢を批判した。彼は「文献学的歴史は多分正しくはあるが決して真ではない」と述べ、さらに歴史学は現在の実践的かつ倫理的要求に応えうるようなものでなければならないとした。彼は過去の歴史事実が現在の関心と一致する限りにおいて現在的な意味があるとして、「すべての歴史は現代史である」と述べた[1]。同様の立場の歴史家としてはトレルチ?を挙げることができる。彼は晩年の著作『歴史主義の諸問題』において、歴史研究は人間の価値あるいは意味の意識の中で行われるものであるとした。そして歴史研究は将来への価値形成の行動によって支えられるべきだとした[2]。彼らは歴史学の持つ本来的な主観性を主張するとともに、科学主義的歴史研究の無体系性を批判した。
一方で最も実証的で堅実であるといわれた経済史の分野からも体系的な観点に立つ画期的な研究が現れた。ベルギーの歴史家ピレンヌ?による『マホメットとシャルルマーニュ』[3]で述べられた、いわゆる「ピレンヌ・テーゼ?」(「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」)がそれである。これは従来ゲルマン民族の大移動によって崩壊したとされた地中海世界の統一性が、実はイスラム勢力が地中海に進出するまで緊密に保たれていたことを唱えるものであった。ピレンヌは経済的史料と教会の古文書を研究して、民族移動以後も経済的な交易関係および文化的な交流が依然として地中海世界に存在していることを示した[4]。ピレンヌの学説は全ヨーロッパ規模で構造的な歴史事実の体系的把握の可能性を示し、このことが後述するアナール学派にも大きな影響を与えたと思われる。
[1]クローチェは「一つの事実は思惟されての限りにおいてのみ歴史的事実であり、思想の外には何物も存在しない」「精神史は自らの中にその全歴史を伴い、この全歴史は精神そのものと全く同一である」と述べているが、ここで述べられた「精神」「現在」などは必ずしも明確な定義がされているわけではない。(文献18:pp.200-201) ただし一方でこのような観点で形成された歴史の体系は実践的・規範的なものではなく、理論的・客観的なものであると想定されているようである。クローチェは「歴史意識はそれとしては論理的意識であって決して実践的ではない」と述べている。(文献18:p.204) |
[2]トレルチはこのような歴史事実の認識主体として共通の体験に基づく文化的共同体を措定し、それがヨーロッパであると述べた。そしてヨーロッパこそが普遍史の担い手となりうるとした。(文献18:p.205) |
[3]原題:Mahomet et Charlemagne、1937年。 |
[4]ラテン文化とゲルマン文化の境界線にあるベルギーの歴史的背景に関するピレンヌの問題意識がこの学説の成立に大きく貢献していることは間違いない。このことが彼の眼をを全ヨーロッパ規模での広い視野へと向かわせたのであろう。(文献27:pp.1-13) |
アナール学派(フェーヴル、ブロックからブローデルまで)
1929年にフランスで『経済社会史年報』[1]という雑誌が創刊された。フェーヴル?とブロック?がその創刊に当たっての中心人物であったが、彼らは従来の政治史偏重の歴史学を批判し、生きた問題意識の設定や隣接社会科学との学際研究を重視、歴史社会を構造的に、巨視的な視野から民衆の心性にまで根深く把握することを目指して「社会史」を提唱した。彼らは個々の歴史事実をそれ自体として把握してきた近代歴史学を批判し、それらは全体の体系の中に位置づけられるべきだと主張した。また日常性や慣習、自然環境など人間生活において変化の緩やかな事象・環境を重視し、それらが個々の歴史事実の客観として把握されるべきだとした。
のちに『経済社会史年報』は数度のタイトル変更の後『アナール,経済・社会・文明』[2]というタイトルになり、フェーブルらと立場を同じくする歴史家たちは「アナール学派?」と呼ばれるようになった。この新しい歴史学の典型的な書物はこの学派の第二世代ブローデル?によって著された『地中海』[3]である。ブローデルは地理的気候的環境から書き起こして、階層的・構造的にフェリペ2世?時代の地中海世界像を叙述した。この極めて体系的な歴史記述は歴史学のみならず、隣接諸科学にも大きな影響を与えた[4]。
[1]原題:Annales d'histoire, economique et sociale。 |
[2]原題:Annales. Economies, sociétés, civilisations。 |
[3]原題:La Méditerranée et le Monde Méditerranéen a l'époque de Philippe II、1949年。 |
[4]ウォーラーステイン?の「世界システム論?」もブローデルの影響のもとにある。 |
出典
※参照した文献は、その旨を記す際に煩雑さを避けるため、「文献」のあとに数字を示すこととする。具体的には「文献1」という場合は、下記のイブン・ハルドゥーンの『歴史序説(一)』を指すものとする。
- (文献1)イブン・ハルドゥーン?著、森本公誠?訳 『歴史序説(一)』岩波文庫、2001年
- (文献2)E・H・カー?著、清水幾太郎?訳 『歴史とは何か』岩波新書、1962年
- (文献3)蔀勇造?著 『世界史リブレット57 歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』山川出版社、2004年
- (文献4)田中美知太郎?著 『ロゴスとイデア』岩波書店、2003年
- (文献5)トゥーキューディデース著、久保正彰?訳 『戦史 上』岩波文庫、1966年
- (文献6)トゥーキューディデース著、久保正彰訳 『戦史 中』岩波文庫、1966年
- (文献7)堀米庸三?著 『歴史をみる眼』NHKブックス、1964年
- (文献8)村川堅太郎?編 『世界の名著5 ヘロドトス トゥキュディデス』中公バックス、1980年
- (文献9)溝口雄三?ほか編 『中国思想文化辞典』東京大学出版会、2001年
- (文献10)加藤常賢?監修 『中国思想史』東京大学出版会、1952年
- (文献11)宮崎市定?著 『史記を語る』岩波文庫、1996年
- (文献12)武田泰淳?著 『司馬遷 史記の世界』講談社文芸文庫、1997年
- (文献13)貝塚茂樹?著 『史記 中国古代の人びと』岩波新書、1963年
- (文献14)増田四郎?著 『大学でいかに学ぶか』講談社現代新書、1966年
- (文献15)金谷治?著 『中国思想を考える』中公新書、1993年
- (文献16)重澤俊郎?著 『周漢思想研究』大空社、1998年
- (文献17)顧頡剛?著、平山武夫?訳 『ある歴史家の生い立ち 古史辨自序』岩波文庫、1987年
- (文献18)中村治一?著 『史学概論』学陽書房、1974年
- (文献19)福田歓一?著 『政治学史』東京大学出版会、1985年
- (文献20)カッシーラー?著、中野好之?訳 『啓蒙主義の哲学 下』ちくま学芸文庫、2003年
- (文献21)林健太郎?著 『史学概論(新版)』有斐閣、1970年
- (文献22)林健太郎編 『世界の名著65 マイネッケ』中央バックス、1980年
- (文献23)弓削尚子?著 『世界史リブレット88 啓蒙の世紀と文明観』山川出版社、2004年
- (文献24)太田秀道?著『史学概論』学生社、1965年
- (文献25)ブルクハルト?著、新井靖一?訳 『コンスタンティヌス大帝の時代』筑摩書房、2003年
- (文献26)ハンナ・アレント?著、志水速雄?訳 『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年
- (文献27)アンリ・ピレンヌ?著、中村宏?ほか訳 『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』創文社、1960年
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