宝石乙女まとめwiki

願わくば、いつまでも

最終更新:

jewelry_maiden

- view
だれでも歓迎! 編集
「ふう、これでよし、っと。あとは明日の朝、オーブンで焼くだけね。……あら?」
 明日の朝に食べるパンの生地を練り終わって一息ついていると、廊下の方から足音が聞こえてきました。マスターのものにしては小さすぎます。
「雲母ちゃんたちかしら? もう寝てるはずだけど……」
 キッチンからリビングに抜け、廊下に繋がる扉を開けると、雲母ちゃん、天河石ちゃん、ソーダちゃんが枕を抱えてマスターの部屋に入っていくのが見えました。
「? こんな遅くに三人そろって、どうしたんだろう?」
 この時間ならまだマスターは起きてるでしょうけど、夜はご本を読んでることが多いからあんまり邪魔しないようにって、いつも言ってるのに。
 場合によってはまたお説教しなくちゃと思って、隙間があいたままになっていた扉からそっと中をうかがうと、ソーダちゃんがぎゅーっとマスターにしがみついていました。
「ますたぁ、お化けがソーダを食べに来るよぉ……ぐす……」
「あー、よしよし、お化けなんかどこにもいないよ。お化けはお話の中にしか出てこないから、ソーダのところには来ないんだよ」
 どうやらソーダちゃんが怖い夢を見たので、マスターに甘えに来たみたいです。もう、だからホラー映画なんか見ちゃいけませんって言ったのに。
「でも怖いもん……お目目閉じたらお化けがソーダを連れてっちゃうもん……」
「分かった分かった。じゃあ今日はここで寝ていいよ。ソーダが安心して眠れるように、お化けが来ないか見張っててあげるから。それなら大丈夫だろう?」
「うん! わーい、ますたぁのベッドー!」
 さっきまで泣きべそかいてたソーダちゃんはもう満面の笑顔で、マスターのベッドに飛び込むと布団に潜り込んじゃいました。
「ますたぁの匂いがするー。えへへ、抱っこされてるみたい!」
「そりゃよかった。で、天河石と雲母も怖くなって来たのか?」
 マスターが苦笑しながらそう言うと、二人は慌てて抱えた枕を背中に隠しました。
「て、天河石はちっとも怖くなんかないよ! ただますたーが怖がってるんじゃないかなーって心配になっただけだよ!」
「雲母も別に怖くなんかないぞ。二人のつき添いで来ただけだ。でも、マスターがどうしてもって言うなら一緒に寝てやってもいい」
「はいはい、じゃあ今日はみんなで一緒に寝るか。でも今日だけだぞ? 黒曜石に怒られるからな」
 マスターがしーっと唇に人差し指を当てると、三人もしーっと物まねして、くすくす笑いました。もう! 私だって好きで怒ってるんじゃなくて、みんなが立派な宝石乙女になれるようにって心を鬼にして――。
「それとも、黒曜石も一緒に寝るかい? さすがにちょっと狭いけど、キングサイズベッドだから五人でも寝られなくはないと思うよ」
「ひゃあっ!」
 不意に声をかけられて、思わずみっともない声を上げてしまいました。
「気づいてたならもっと早く声をかけてください! マスターの意地悪!」
「いや、こっそりのぞいてるから気づかないふりした方がいいのかと思ってさ。それで、どうする? 一緒に――」
「ね、寝ません! 私はみんなと違って一人前の宝石乙女なんですよ!」
 顔が赤くなるのを自覚しながら、精一杯虚勢を張ってみせると、マスターは大げさにため息をつきました。
「寂しいなあ……黒曜石もうちに来たばかりのころはあんなに甘えんぼだったのに、いつの間にか大人になっちゃって」
「昔の黒曜石はマスターの後ろをちょこちょこついて回ってばかりいたな」
「お、さすがに雲母は黒曜石のすぐあとに来たから覚えてるか。そうそう、それに今日のソーダみたいに、夜になって寝室に忍び込んできたこともあったっけ」
「黒曜石もソーダちゃんみたいに甘えんぼだったの? いっつも天河石には『あんまりますたーに甘えちゃいけません!』て怒るのにー」
「そーだといっしょー! 黒曜石お姉ちゃんも甘えんぼー!」
 ソーダちゃんが歌うように言うと、みんな声を揃えて笑いました。マスターはまだまだ私の昔話をするつもりみたい……もう恥ずかしくて顔から火が出そうです!
「もう知りません! おやすみなさい!」
「お、おい黒曜石!」
 慌てたマスターの呼びかけを振り切って、私は扉を音高く閉め、廊下を走って自分の部屋に逃げ込みました。

 ベッドに倒れ込んで枕に顔を埋め、しばらくすると自己嫌悪の波が押し寄せてきました。
「ドアをバタンって閉めたり、廊下を走ったり、こうやってお洋服のままベッドに寝たり……お姉様たちに知られたら、はしたないって怒られちゃうかな」
 ごろりと寝返りを打ってため息を一つ。ゆっくり起きあがって寝間着に着替えようとして……ふとカレンダーに目がいって、気づいてしまいました。
「そう言えば……私がこの家に来てから、明日でちょうど一年になるんだ」
 さっきマスターが昔話なんかしなければ、私自身でさえ思い出せなかったかも。もしかして、マスターもこのことを覚えてたから急にあんな話を……。
「そんなはずないか。マスターは昔からそういうことには鈍い人だったもんね」
 私は首を振って着替えを終えると、もう一度ベッドに横になりました。
「でも……もし覚えててくれたら……それだけで嬉しいな……」
 あきらめとか不安とか、ほんの少しの期待とかが入りまじってごちゃごちゃになった心を持て余しながら、私はゆっくり目を閉じました。

 翌朝、ちょっと寝坊してしまって慌ててパンを焼いていると、匂いにつられたマスターが起きてきました。
「あ、マスター……お、おはようございます」
 夕べのことを思い出すと、いつものご挨拶もちょっとぎこちなくなってしまいます。
「おはよう、黒曜石。夕べはすまなかったね。ちょっとからかいすぎた」
「い、いいえ、そんな私の方こそ……あの、雲母ちゃんたちは?」
「ああ、まだ寝てるからそのままにしてきた」
 焼き上がったパンを皿に載せ、コーヒーを入れてマスターと一緒にテーブルにつきます。いつも通りの食卓ですけど……なんだか落ち着きません。
「いただきます。……どうした黒曜石、食べないのか? 何か考えごと?」
「え? あ、そういうわけではないんですけど……あの、マスター。今日のご予定はどうなってますか?」
「予定? そうそう、言い忘れてた。せっかくの休みなんだけど、注文してた品が届いたって連絡が入ったから受け取りに行ってくる。帰りは夜になると思う」
 そのときの私は、思わず泣きそうになるのをこらえるので精一杯でした。
「そう……ですか」
 冷静に考えてみれば、私たちはただマスターにお仕えする身ですから、ちょうど一年経ったからって特別なことは何もありません。マスターが覚えてないのは当然のこと。
「分かりました。ではお食事がすんだら、すぐお出かけの用意をしますね」
「うん、頼むよ」
 私は精一杯の笑顔を作って、事務的にパンを口に運びました。

「はあ……」
 マスターをお見送りして、雲母ちゃんたちを起こして、朝ご飯を食べさせて、遊びにやって……ふと手が空くと、すぐにため息が出ます。
「やっぱり……覚えてないよね」
 何度も何度も『それが当然』と自分に言い聞かせては、何度も何度も『でも、覚えていて欲しかった』と思ってしまいます。
「だめだめ、もっとしっかりしなくちゃ。こういうときはいつも通りにお掃除したりお洗濯したりするのが一番ね」
 もう何回目になるか分からない気合いを入れて、ちょうどほうきを手にしたところで玄関の呼び鈴が鳴らされました。
「はーい、ただいまー……あ、ペリドットお姉様」
 ドアを開けると、そこに立っていたのは郵便屋さんではなくてペリドットお姉様でした。
「はい、ごきげんよう、黒曜石」
「ごきげんよう、お姉様。お姉様の方から来ていただけるなんて珍しいですね。どうなさったんですか?」
「あなたのマスターに頼まれて、雲母ちゃんたち三人を一晩預かりに来たのよ。今日はおうちで大事なご用があるからって仰ってたわ」
「大事なご用? 今朝は何も言ってませんでしたけど……」
「きっと言い忘れてたのね」
 お姉様にみんなをお願いするほどのご用なのに、私に言い忘れるなんて……。
「分かりました。でもみんなをお姉様に預けて、私にも話してもらえないご用なら、私もいない方がいいですよね。私も一緒に……」
「あら、あなたは残ってなくちゃだめよ。ほら、身の回りのお世話をする人も必要でしょう? そうね、今日はお夕食をちょっと豪華にして、元気づけてあげるといいんじゃないかしら」
「? はあ……」
 なんだかちょっとお姉様は慌てたご様子です。よく分かりませんけど、確かにマスターはお一人じゃ何もできない方ですから、お食事の用意は必要です。
「分かりました。それでは雲母ちゃんたちをよろしくお願いしますね。みんなお姉様とマスター様にご迷惑かけないといいんですけど」
「はい、お預かりします。大丈夫よ、三人ともうちに来たときはとってもおとなしいんだから」
 それはきっと、お姉様を怒らせるとすっごく怖いからだと思いますけど……とは、さすがに言えませんでした。

「ふう……ちょっと、はりきりすぎちゃったかな」
 お姉様の言いつけ通り、マスターが頑張れるようにと腕によりをかけてお料理してみましたが、なんだかパーティでもするみたいな感じになっちゃいました。
「……こっそり、私が心の中でお祝いするだけならいいよね」
 今日は私がこの家に来て、ちょうど一年になる日。マスターが覚えてなくても、私にとって一番大切な日だから。
「そろそろマスターもお帰りに……あら?」
 急いでテーブルのセットをしていると、今日二度目になる玄関の呼び鈴が鳴りました。
「誰だろう、マスターなら呼び鈴ならしたりしないはずだし……はーい、ただいま――きゃっ!」
 ちょっと不審に思いながら、ゆっくりドアを開けると……目の前に、大きな花束が差し出されました。
「ただいま、黒曜石。そして……一年間、ご苦労様でした」
「……マスターーー!!」
 私はマスターの胸に飛び込みました。

「もう泣きやんでよ、黒曜石。せっかくの料理がしょっぱくなっちゃうぞ」
「ぐす……だって……」
 お花を飾って、ちょっといいワインをあけて乾杯したら、また涙が出てきました。ペリドットお姉様も知ってたんですね……マスターもお姉様も意地悪なんだから!
「マスターが私の来た日を覚えててくれたから……もう私、あんまり幸せすぎて……」
 涙を拭きながらそういうと、マスターはいたずらっ子のような笑みを浮かべました。
「このくらいで感動されちゃ困るなあ。メインイベントはこれからなのに。それでは……はい、これ。黒曜石にプレゼントだよ」
 もう、今日はびっくりさせられっぱなしです。私はまたこみ上げてきたものを懸命にこらえながら、震える手でその包みを受け取りました。
「開けてみてよ」
「……はい」
 ゆっくり、丁寧にリボンを解いて、包装紙をきれいに剥がします。
「これは……」
「今使ってるやつ、先がひしゃげたり塗料がはげたりしてるだろ。だから知り合いの職人に頼んで作ってもらったんだ」
 それは真新しいシャベルでした。錆止めが塗られて黒光りしているそれは私の手になじみ、もう何十年も使っていたような錯覚すら覚えます。
「……やっぱり、服とかアクセサリとかの方がよかったかな? ごめんな、でもそういうのを選ぶセンスに自信がなくて……」
「いいえ……いいえ、マスター」
 黙りこくっていた私の態度を誤解したのか、おろおろと弁解し始めるマスターの言葉を、私は首を振ってさえぎりました。
「ありがとうございます、マスター。このシャベル、一生の宝物にしますね」
「喜んでもらえたら僕も嬉しいけど、使ってもらうために用意したんだよ。それが傷んだら、また作ってもらうからさ」
「それでも……それでも、これは一生の宝物なんです」

 シャベルをぎゅっと胸に抱く私を、マスターはちょっと困ったような顔をして見つめていました。

「さて、ずいぶん夜更かししちゃったな。そろそろ寝ようか」
「はい」
 お食事を終えて、一年の思い出を振り返ってお話ししていたら、いつの間にか就寝時間をずいぶん過ぎていました。まだまだお話ししたいけど、わがままは言えません。
「どうする? 今日は一緒に寝ようか? 昔を思い出してさ」
「ね、寝ませんってば! 来たばかりのころは私も心細かったんです! 今はもうお姉さんなんですから!」
「はは、ごめんごめん。それじゃ、おやすみ黒曜石。明日は二人で雲母たちを迎えに行こう」
「おやすみなさい、マスター」
 寝室にマスターが入るのを確認して、私はリビングの明かりを消しました。

 私もお部屋に戻り、寝間着に着替えてベッドに入ります。しばらく今日の幸せをかみしめて、一人で顔をゆるめていました。
 ……眠れません。三十分くらいゴロゴロと寝返りを打っていましたが、ちっとも眠れません。私は意を決して枕を抱え、廊下に出ると、そっとマスターの寝室のドアを開けました。
「ん……? 黒曜石? どうした?」
 もうまどろんでいたマスターは、ちょっとだけ不機嫌そうな声をあげました。私は大きく息を吸い込んで、初めて来た日の夜と同じ台詞を口にしました。
「こ、怖い夢見ました……一緒に寝てもいいですか……?」
 マスターはびっくりしたように目を大きく開いて……それからほほえんで、私を手招きしてくれました。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

添付ファイル
目安箱バナー