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愚者の話をしよう

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  ――昔出会ったバイオリニストの話だ。
  彼はいつも路上である曲を演奏している。
  タイトルも、作曲者も分からぬその曲は、道行く人々の足を止め、路地の一角に黒山の人だかりができるほどのものだった。
  やがて人々の口を通じて、その曲とバイオリニストは一躍有名人となる。
  ……だが、彼は決して他の曲を演奏しない。
  奏でるのは常にその曲のみ。
  だから人気が落ちるのも早かった。飽きた人々は彼から遠ざかってゆき、いつしか路地には演奏する彼の姿だけが残った。
  それでも彼はやめない。住民から疎まれようとも、その曲を演奏し続けた……命を落とす、その瞬間まで。
  ……そんな彼を、周りは愚者と呼んだ。彼がその曲を演奏する理由も知らずに。

「ここで一つ質問だ。なぜ彼は、その曲を弾き続けたのか」
  横で耳を傾けていた彼女に尋ねる。
  まさかこんなところで昔話をすることになるとは、思ってもいなかったが……まあいい。
  しかし、私の質問に彼女は頭を悩ませているようだ。首をかしげて困った顔を浮かべている。
「その人は、その曲がとても大事だったから……ですか?」
「半分正解。その曲は彼の恩師が、最期に作った曲だった」
  それを聞き、彼女の顔色が曇る。
「そんな顔をしてしまう気持ちも分かる。だが世間とはそういうもの。理由が分からなければ、同じことをやるのは愚かでしかない」
「でも……」
  彼女がそういう感情を抱くのは、無理もない。
  優しいから、な……。
「……もう一つ、彼が演奏し続けた理由がある」
  彼の物語の続き。
  彼にとって、これが最も大切なことだ。
「彼は、その曲と共に死ぬことを選んだ。そして自分が人であることを恐れ、忘れぬように演奏を続けていたんだ」
「忘れないように……?」
「人は忘れる生き物だ。そして、曲の死は私たちと同じ、忘れられたときに訪れる。逆に、人の記憶にその曲が残っているとき。それは曲の命が最も輝く……彼は曲の命を輝かせたかったんだ」

  愚者と呼ばれたことで、彼は自分に課した使命を負えた。
  曲と共に、その生涯を終えた。

「じゃあ、もうその曲を知る人はいないんですね」
  その質問に、私は口を閉じる。
「でも幸せだと思います。その人も、曲も。わずかの間だけでも輝くことができたのですから」
「……そうだな。きっと、そうだ」
  彼女が、私の腕にしがみついてくる。
  顔には笑顔……この笑顔が何を意味しているのかは、あえて分からないふりをする。
  口に出さずとも、分かることなのだから。
「ただ一つ、残念なのは……」
  私の顔を見つめて、一言。
「その曲を、聴く事ができないことですね」

    ◇    ◇    ◇    ◇
「あっ、またバイオリンー?」
  神出鬼没の月長石が、私の隣に立つ。
「ホント、相変わらず飽きないよねー。昔から一人のときはいつもいつも……」
「音楽は聴くだけのものではないということさ」
「ふーん。あたしは聴くだけでいいやー。というわけで、聴かせてっ」
「いつも聴いていて居眠りするのに」
「うっさいっ。とにかくなんか弾いてよぉ、聴いたことないやつを」
  まったく、我が儘な妹だ……。
  しかし弾くためにこれをかまえているのも事実。月長石の要求とは関係なしに、普段は弾かない曲を選びたい気分でもある。
  さて、何を……。
「アメジストー、手が止まってるよー?」
「考えごとだ」
  そういえば、結局一度もあの曲を、彼女に聴かせることはなかった。
「アーメージースートぉー」
「……しがみつくな」
  いや、あの曲は彼と共に眠らせるのがよいのだろう。
  だが彼女をまた輝かせることができたとき。
  そのときは、彼女が望んだあの曲を……。
「もー、ぼんやりしないでよぉーっ」
「はいはい……」


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